第1章 テレビ『空飛ぶモンティ・パイソン』

第4節 テレビからの脱却


 第四期における最も大きな変化は、メンバーの中心人物であるジョン・クリースが、新たな自分の番組Fawlty Towers」の準備のために抜けたことである。これに伴い番組名も「Flying Circus」がとれて単に「Monty Python」となった。

 番組構成も第三期の「サイクリング・ツアー」の手法を引き継ぐ形で長編スケッチの形をとるようになった。といっても「サイクリング・ツアー」程には徹底していたわけではなく、多少のばらつきはあり、いくつかのスケッチが混在することもあったが、しかしそれでも以前とはやはり構成を異にしていたといえる。

 だが、この手法、長編スケッチはやはり30分ではうまくいかないのか、テレビという枠では向いていないのか、今までの番組構成を大きく離れることは難しかったのか、第四期はわずか六回の放送で終了してしまう。

 最終回の一場面、会話でこのようなものがある。軍曹(アイドル)と書記(ペリン)が互いに好意を持っていたことが明らかになる。しかし二人はそれ以上の行為に及ぶことができずに戸惑う。軍曹「私たちはなにもできない」書記「テレビではね」

 この台詞はここでギャグとして扱われている。しかしこれはこの時点でのモンティ・パイソンのテレビでの表現における行き詰まりを象徴する台詞ではないだろうか。ここへきて、モンティ・パイソンのギャグは完成してしまったのである。

 ギャグとはズレである。我々が普段おくっている日常生活のルールを破壊するからこそそこにズレが生じ、笑いが生じるのである。ところがそのズレさえもが我々の日常的認識に入り込んでしまったらどうだろう。それは既に日常であり、ズレでもなんでもなくなるのである。となるとさらに笑わせるにはズレがズレでなくなった日常をさらにズラすしかない。モンティ・パイソンは自らのパターンを破壊するということでそのことさえも既にやってしまったのである。これを脱出するにはマンネリズムに陥ってダラダラ続けるかあっさり放棄してやめてしまうしかない。モンティ・パイソンはあっさり後者を選び、テレビを去ってしまったのである。

 各メンバーはその後もテレビの仕事を行ったが、モンティ・パイソンとしての表現はテレビには戻ってこなかった。モンティ・パイソンはその表現を劇場用映画へと移したのである。


Fawlty Towers 過去に日本国内でも『フォルティ・タワーズ』としてポニーキャニオンよりビデオ発売されていたが現在廃盤。東京12チャンネル放映時タイトル『Mr.チョンボ危機乱発』↑戻る

空飛ぶモンティ・パイソン Vol.7 フォルティタワーズ DVD-BOX


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