第1章 テレビ『空飛ぶモンティ・パイソン』

第3節 破壊と再構成


 第二期で完成したスケッチが互いに入り組んでいる形式は、第三期でも受け継がれる。しかし同時に第三期では、また新たな特徴が現われる。「空飛ぶモンティ・パイソン」がテレビであるということに非常に自覚的になるのである。

 勿論テレビであることに自覚的なのは以前からのことではある。対談、インタビュー、ドキュメント、ドラマ、番組案内といった、テレビならではの形式を利用したスケッチは第一期から数知れない程ある。第二期までは、その形式の中で、登場人物たちのズレが描かれた。ところが、第三期になるとそのテレビならではの形式そのものがギャグの対象となるのである。

 その手法を使ってしばしば題材にされるのは、「空飛ぶモンティ・パイソン」を放送しているBBCが貧乏なため、予算がなく、そのために番組が進行しないというものである。 第三期第二回、豪華客船が沈み、クルー(ジョーンズ他)のみが助かる。多くの客を見捨てたとして取調べを受けているのだが、何人かは質問に対して答えようとしない。何故ならBBCに予算がないためにキャストにギャラを払うことがきつく、台詞を言うとそれだけ多くギャラを支払わなければならないからである。椅子に座っている警官(クリース)や、後ろに立っていてあまりよく見えない人物たちはズボンをはいていない。クルーたちは歌い始めるがミュージカルのパロディで著作権料がかかるため止められる。芝居は続くが周囲ではセットの取り壊し作業が始まる。セットの周りはどこかの家屋の一室である。そこへ大家(ペリン)が現われる。BBC には既にスタジオもなく、アパートに間借りして番組収録が行われていたのである。家賃が払えないためスタッフキャスト全員は立ち退きを命ぜられ、大家に無理矢理追い出されてしまう。

 この手法は、例えていえば、今こうして書かれ読まれているこの論文は、建て前上それなりの論文のふりをしながら、でも実際には一般に発表する目的があるわけではない、所詮は大学の卒業論文ではないか、などと論文内で私が書いて、執筆を放棄してしまうというようなことである(実際に私が「所詮は」などと考えているわけではないし、放棄したら大変なことになるのでできない)。

 他にも形式破壊ギャグは多々ある。第三回。中世ヨーロッパ貴族のドラマが始まる。しかし全員オートバイに乗っている。そのままドラマは続くが、そこへ扉を開けて現代的な警官(クリース)が登場する。「そこまでだ、偽ヴィスコンティ」監督(ジョーンズ)がヴィスコンティのふりをして映画を撮っていたというのである。このパターンはこの回の随所に現われる。

 モンティ・パイソンそのものの特徴としてあるのが展開の予測のつかなさであることは第一節で述べた。しかしそこではまだそのスケッチ内世界でのものというルールがあった。第三期でこのパターンはさらなる飛躍をし、スケッチ内の設定以外のものが易々と同じスケッチに入り込むようになっている。

 再び論文で例えていえば、この論文はモンティ・パイソンについて書かれている論文であり、ある程度論旨が飛躍してもそれはモンティ・パイソンについて書かれたものであるのに変わりはない。それが第一、第二期である。ところがこれが論旨が飛躍して、同じ論文の中でありながらモンティ・パイソンではなく天皇制について論じるかたちに変わっているとする。いわばそれが第三期である。

 といってもネタ切れによるやけくそでこうした手法をとったわけではなく、恐らくはある程度パターンに慣れてしまった視聴者のさらに意表をつくための手段であったと見ることができる。もしもやけくそであったのならば、第三期は観るに耐えない出来であるはずだが、そのようなことは一切ない。

 こうしてさらなる破壊を行った彼等は、第三期中盤で一度大きなスタイルの革新を行う。このスタイルは第三期にはこの一度だけであったが、それは続く第四期に引き継がれることになる。

 革新が見られるのは、第八回「サイクリングツアー The Cycling Tour」においてである。それまでにもある程度の長さを持つスケッチはしばしばあった。しかし結局はそれらのスケッチも必ず別のスケッチにとって代わられ、番組構成自体はスケッチのオムニバスであることに変わりはなかった。第八回での革新とは、一回の放送で一つの物語を描いたということである。

 サイクリング・ツアーに出かけた男ピザー Pither(ペリン)が、行く先々で自転車のピストンがズボンにからまり転倒し、その度にその場に居合わせるそれぞれ個人的な事情をかかえた人々に相手の事情を何も考えずに接し、多大な迷惑をかけながら去っていく。そうするうちに食べ物がからむ事故について研究する男ガリバー Gulliver(ジョーンズ)と出会うが、すぐに二人とも事故に遭い、ガリバーは記憶が混乱し自分を少女歌手だと思い込む。ピザーはガリバーを医者に連れていくが一向に良くならない。再びガリバーの具合が悪くなり今度は自分をトロツキーだと思い込む。ガリバーはソ連(当時)へ逃亡。ピザーもKGBらしき人々(チャップマン、クリース、アイドル)に連れて行かれ、トロツキーを連れてきた男として賛えられる。しかし演説中またしても人格が変化、ピザーは嘘をついたとされ捕えられる。銃殺されることになるが銃撃手たちの腕が悪く弾が一つも当たらず、命を取り止める。何度かやり直すが全く弾は当たらない。その頃ガリバーは記憶を取り戻しクレムリンを逃げ出す。ピザーの気配を感じ壁を乗り越えると丁度ピザーが処刑される場面。銃剣がせまってくるところで字幕「1シーン抜け」続いて十字路にいるピザーとガリバー。「想像を絶する脱出だった」と台詞で説明される。そして二人は別々の方向へと別れていく。

 このスケッチを、一回の放送をまるまる使って行ったのである。まさしく30分の一つのドラマである。勿論場面場面ではそれぞれいつものスケッチと同じような展開ではあるのだが、その繋ぎがいつものからみあい方ではなく、一人の主人公が行った先々での出来事として描かれているのである。

 この頃から、モンティ・パイソンは表に出ないはずのテレビのルールを番組内で暴露し、テレビからの脱却を計っていたのかも知れない。そして自らの番組のパターンも壊し、テレビ以外のもの、より「作品」であるもの、「映画」を目指していたと考えられる。


ヴィスコンティ ルキノ・ヴィスコンティ。イタリアの映画監督。代表作『山猫』『ベニスに死す』。1906〜1976年。↑戻る

トロツキー 1879〜1940年, ロシアの革命家。↑戻る

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