序論

 1970年代前半、第2次ベビーブームに日本に生まれた世代の多くは、「お笑い(ギャグ)」との第1次遭遇を、毎週土曜日のテレビ番組『8時だヨ!全員集合』によって果たした。同番組は、下品・低俗のレッテルを貼られ、PTAの恰好の批判の対象となり、視聴反対の抗議の声が挙がった。勿論それでも同番組の人気は衰えず、学校での月曜日の朝の話題は必ず『全員集合』だった。だが、視聴反対の声は我々の心に、本人も気付かぬうちに深い陰を落としていた。

 PTA が批判していたのは下品で低俗な『8時だヨ!全員集合』であり、主演していたドリフターズであった。しかし実際に我々の心に刻まれたのは、「『お笑い』とは低俗なものである」という認識であった。こうして、「お笑い」は所詮「お笑い」であり、決して高尚なものではないと見なされるようになったのである。

 「お笑い」を低俗なものと無意識的に刻まれた我々は、やがて中学高校と進み、様々な芸術作品と呼ばれるものに出会い、惹き付けられていく。我々の意識の中には芸術とは高尚なものという意識が植え付けられている。であるから、我々は決して低俗な「お笑い」を芸術作品などと考えることはない。日常的にテレビや雑誌で多くの「お笑い」と出会うが、それは当然の如く芸術は愚か「作品」ですらない。面白いものは『8時だヨ!全員集合』の時と同様、常に日常会話において反復されたが、それは「ネタ」と呼ばれ、「作品」とは誰も呼称しなかった。

 私が出会ったのは映画だった。私の好きな多くの映画にはところどころギャグが散りばめられていたが、映画の中心はギャグではなかった。ギャグは単なる要素であり、映画の世界でもお笑いは地位を築いてはいなかった。しかし、私はその大して重要ではないかのように扱われる、ギャグそれ自体が好きだった。だから、笑うために作られた映画の存在に気付いたとき、私は狂喜した。

 その映画の名は『フライングハイ』。決して傑作ではなかったが、ただ笑わせるためだけに作られた映画は、私にとって新鮮だった。『フライングハイ』は、ひたすら無意味なギャグを手を変え品を変え90分間にわたって披露し続けるという、なんとも念の入った映画であった。新鮮だったが、しかしそれでも、ギャグそれ自体が好きでも、なお私は心のどこかで「お笑い」を安っぽいものと感じていた。笑劇は、映画の中でも下位のものと見なしていたのである。

 高校で、当然の如く映画研究会に入部した私は、部長の口から『モンティ・パイソン』の名を聞いた。名前は知っていた。イギリスのギャググループであることも知っていた。しかしなにやら得体の知れない、知らない者にとって非常に入りにくそうな、万人が受け入れ難いようなイメージを私は抱いていたため、それまで一度も観たことはなかった。だが部長はお薦めだと言う。映画が好きなら観なければならないと。帰り道、私はレンタルビデオで『モンティ・パイソン』のビデオを探した。当時で既に10本程が出ていた。その頃はまだ今程レンタル料金は安くなかったので、どうせ同じ値段ならと、なるべく時間の長いものを選んだ。偶然にもそれは『モンティ・パイソン』名義の最後の映画『モンティ・パイソン人生狂騒曲』であった。まず驚いたのが、「お笑い」映画でありながら、並の映画にひけをとらない完成度。演出が「お笑い」のそれでなくまさしく映画のそれなのである。そしてギャグの物凄さ。私はそれまでもギャグは好きであったが、それを凄いなどと考えたことはなかった。『人生狂騒曲』においてのギャグは、知恵と知識と教養と、そして想像力を駆使したものだった。ここで私は生まれてはじめて、ギャグとは想像力によって生まれるものであることを知ったのだ。

 「お笑い」を低俗と見なす人間はギャグを生み出すことが簡単と考える。だが、そんなに簡単に、例えば「カトリックはプロテスタントと違い避妊を許さないため性交の度に子供が出来、総勢50人以上の子沢山となり、そのため生活が不自由し始めたので子供たちを実験用に売ることになり、両親は歌を歌って子供たちを説得し、子供たちは納得し自ら売られていく」などというギャグが生まれるものだろうか(念のために書いておくが、この場面は悲劇ではなくギャグである)。勿論いうまでもない。

 ギャグは想像力であり、想像は芸術である。本論文では、モンティ・パイソンの全映像作品を対象とし、彼らが何を想像し、何を語っていくようになったかを論じていく。

 なお、映像作品以外にもレコードや書籍といった他のメディアにも作品はあるが、彼らの活動の中心は映像作品であるので、今回は対象から除外した。


『8時だヨ!全員集合』 ドリフターズ主演のバラエティ番組。1971年TBS系列で放送開始。 ↑戻る

ドリフターズ 1964年9月、いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注で結成したコミックバンド。74年、荒井と交代で志村けんが参加。注1,2ともに寺脇研「ザ・ドリフターズ」、嶋地孝麿編『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、pp.244. ↑戻る

『フライングハイ』 原題“Airplane!”。監督ジム・エイブラハムズ、デヴィッド・ザッカー。ジェリー・ザッカー。1980年、アメリカ。 ↑戻る

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