ハムフェア94’出店計画始動!

昨年の失敗は繰り返さない!と我々は昨年後から逐一開催された会議(さくら事業部=飲み会とも言う)によって綿密に計画されたことがらを実行に移しました。

まず分担金として一人あたり6000円を徴収し、それを運営資金として出展料金他各種費用に当て終了後は全員に返金する、但し全員の売り上げを個人別に計上しそれから10%を徴収し運営資金に補填し、残金がでた場合全員に分配、端数は来年に繰り越すという方法を採り全員が公平に運営資金を負担できるようにしました。

しかしこれがうまく行くという保証はなく、失敗した場合分担金は返金できないと言う事態もあり得ることを考えると、若干の不安もありましたが昨年の経験もありますし後には引けませんから結果を出すだけです。(まあ何とかなるでしょうと言う考えでした。)

分担金は集まりが悪く、額が高額なだけにこちらで立て替えることも出来ず、何とかお願いしてJARL側に請求書の期限を1週間過ぎてから巣鴨に払いに行った記憶があります。

事前準備として販売品の整理整備はもちろん、販売用に使うマジックやセロハンテープカッターその他の備品をそろえるため、丁度初めての賞与で自動車を購入したばかりの成田在住「HY」氏に輸送関係を担当して貰い、重量物やがさのはるものの運搬や、今現在当会ブースに必ずお目見えする14インチTVの購入(川崎平間のオリンピックで購入)や、品物を整理する段ボール箱、搬入出などに使う運搬用台車などの重量物運搬に大いに貢献しました。

販売品もコードレスはんだごてを昨年に続き販売、ガソリン添加剤ペトロナムなどを販売するよう準備しました。

 


いざ搬入へ

昨年は「KS」氏の軽自動車にフル稼働して販売品などを輸送して貰いましたが、今回からは搬出入にレンタカーを使用して共用品である什器や包装用品個人の荷物などを運搬することにしました。

借りた車はトヨタのライトエースバンハイルーフタイプ、これを搬入日である8月18日の前日の夜20時に横浜駅西口近くの「トヨタレンタリース」に当時馬込に下宿していた「YY」氏と借りだし、まず私のところで業務用ビデオデッキ5台と修理した東武鉄道の車掌鞄などを多数搭載、夜の国道j15号線を北上し新子安から産業道路川崎の桜本で当会創設からの正会員KO氏を乗せ、仕事中のやはり当会正会員TN氏を川崎駅まで表敬訪問?その後は第2京浜国道を西馬込まで北上、YY氏の下宿においていた業務用無線機を自動車に積み込み明日朝からの搬入と備品の買い出しに備え食事と睡眠をとりました。しかしその夜、一晩中KO氏は「俺はゲーマーだー」と一晩中ファミコンに燃えていました。(笑)

翌8月18日(木曜日)搬入の日、YY氏の下宿を朝9時頃出発しました。搬入する前に合羽橋商店街に「商品陳列用ガラスケース」を購入するためですがこのガラスケース、今や当会のブースには必ず無くてはならないものになりましたが、これはこの年に5000円で購入した物で初めて出展したとき万引きの被害にあった事を教訓に、分担金で集めた費用からガラスケースを購入しようと言うことになり、搬入日の記憶を思い起こしてみると当日馬込から第二京浜国道を北上(方向を間違えて川崎方面に行く・・・・・)浅草方面の合羽橋まで向かい購入しました。これらの備品類は今も継続して使っていますが、相当額の初期投資が発生した記録がありますが、ブース出展料金が2コマで税抜き33.000円であったことも有り最後には何とかなってしまいました。

時間が合わないではないかと考えるでしょうが、普段自動車を運転しない人間にとって東京都内は不案内であり、渋滞などにはまることはもちろん道を間違えることも考えての行動でありました。そしてそれは見事に的中しガラスケース購入後秋葉原に行きついでに「動員弁当」などを調達(初めてのハムフェアであり、Y駅から当日のさくらも兼ね手伝い要員を動員していた)すべての用事を終え何とか会場に着いたときは、丁度搬入開始の時間になっておりすでに会場に搬入するためのエレベータにはもう車の行列が出来ていました。この晴海時代の会場である「東京国際貿易センター 新館」は、1階は業者やメーカなどで我々クラブ局は2階に会場が設けられていました。そのためにはエレベータに車ごと乗らなければならず、そのエレベータに搬入車両を1台ずつ乗せて行くために相当の時間がかかり、すぐに行列になってしまう物でした。しかし20分くらいで2階の当会ブースに到着、今では考えられないほどの大量の荷物をおろしブースの設営にあたりました。(この荷物を減らす為に毎年努力が払われましたがいまだに改善されていません)

このとき動員した「手伝い兼さくら」の人達は、動員弁当は食ったものの、まだ来ていない他のブースのいすに座り込むは、机の上に荷物は置きっぱなしにするわでその収拾に手を焼きました。

15時過ぎここで一応盗難防止のため見張り要員として数人をブースに残し「ブルーシートを掛けて時間(18時)になったら引き上げてくれ」と告げ現場を引き上げ、お帰りは晴海通り経由第2京浜国道(国道1号線)を南下、横浜に帰りました。


いよいよ開催日当日

開催日当日、当時は搬入出場以外では電車で会場まで向かっていましたので、一応初日の出展者入場時間には間に合わず大分遅れての到着となりましたが、水揚げはそこそこ何とか3日間無事に販売を続けることが出来ました。暑い中完全に点検したビデオデッキや修理した前述の東武車掌鞄などが殆ど売り切れ、山のような荷物が嘘のような物のはけかたをしたのが印象的でした。それとこのときはあまり意識していませんでしたが、最終日に一番始めにブースに来た人の話によると、掛けてあったシートを剥がそうとした後があり、その上には飲みかけのジュース缶が投げ捨ててあったそうですが、単なる嫌がらせとして少し気分が悪いままやり過ごしてしまった物の、以後これが当ブースに対する盗難の前触れであったのです。

 


搬出水難?

搬出に関して本年は什器なども有りましたから、上記の売り上げ状況も加味して軽バンをレンタルすることとし、開催2日目の夜横浜のトヨタレンタリースで借りだし翌朝早くの到着を考え朝7時には出発するようにあらかじめ準備をしました。

朝7時自宅を車で出発しようとエンジンを始動するとちょっとなんか変な音がするので降車、未明から大雨が降っていたのでマフラーに水でも入ったのではないか?と考えそのまま走行していましたが、後ろからは異常なくらい白い煙を吐く始末、そこで鶴見のメガネ橋付近で乗せる予定をしていた「AS」氏に連絡を取ってどうせ道の途中でもあることですし開店間際のレンタカー屋で見て貰おうと考え、横浜の鶴屋町交差点を過ぎまだ開店していないレンタカーや前の道路で待つことにしました。このとき雨はバケツをひっくり返したという状態で普通に運転していても水の摩擦で走りにくいと言うような状態でした。大雨のため途中渋滞もありいつも5分程度で付くところが30分以上もかかりましたので車をまだ開いていないレンタカー屋の前へ停車ハザードを出し公衆電話へ行って「AS」氏に遅れる旨を伝えるべく準備をしていました。当時まだ携帯電話は今のように爆発的な普及はして居らず、私も持っていませんでしたから傘を差し道路反対側のコンビニ前の公衆電話に行くべく準備をしていたところでした。サイドブレーキを引き助手席においた鞄を取りカサを取ろうとしたやおら、後方からの衝撃と共に車はものすごい勢いで来た水の勢いで流され、始めに止まっていた場所から前方20メートルくらい前まで流されてしまいました。水の量は丁度腰のあたりまでで車が横転しそうになったのでとっさに運転台側のドアを開け車内に水を侵入させ回避、それでも車は流されそうだったのでまだ開店前のレンタカー屋の車庫に入り(鎖があっただけでした)おいてあったトラロープ(標識ロープ)を借用急いで自動車に戻り、中央分離帯まで流されていたのを押して戻し窓を数p開けそこへロープを通し電信柱へ固定しました。その時車には2日間の売り上げが搭載されており気が気ではありませんでした。

この大水の中バスやトラックなどの大型車だけは悠々と通過、こちらは完全に水没しエンジンもかからぬ状態、当然セルも回らず。とりあえず他に車が入ってこないよう進入する車を止めるべくとりあえず進行してきたパトカーを止めると「何をしてるんだじゃまだから退きなさい!」と言われまあ聞く耳を全然持たないので行かせるとエンジン停止、何で早くいわねえんだと逆切れしていたがそのまま放っておき、車をとりあえず水のないビルの入り口まで上がって黙視で監視するも雨は全然止む気配すら有りませんでした。9時過ぎレンタカー屋さんが遅れることようやく出勤、事の顛末を話したところ雨が止み次第代車を出してくれるとのこと、これから11時45分まで足止めを喰い最終日のハムフェア会場に着いたのは12時30分を過ぎたところだった。

急いでブースに駆けつけると「釣り銭が無かったから何も販売していない」と言われる・・・・・・。なんて融通の利かないこった。

とにかくブースの体裁を整え3日目の販売を開始、17時の閉場までに大物は殆ど売り終わり搬出作業をようやく終え晴海会場を後にしました。その後「YY」氏の馬込の下宿へガラスケースを留置その後川崎へ「KO」氏を送り産業道路を1人疾走、丁度聞いていたニッポン放送で流れていたのは当時犬山犬子がやっていた番組と新日鐵コンサートであった。

翌日ハイエースはレンタカー屋に帰された。