ハムフェア93’
手探りでの準備開始!
この年は事前にJARLNEWSなどから情報収集をし、巣鴨のJARLに申込書を貰いに行きました。当時ハムフェアの担当をしていた部署は、巣鴨駅から国電の線路を大塚方向に少し歩いたところの橋のたもとにあり、そこへ書類を貰いに行った記憶があります。この年は忘れずにJARLに出展の必要書類を提出しました。
驚いたのは8月の中旬の開催にもかかわらず以外と申し込みなど準備が早いことなどもあり、申し込み要項などを繰り返し読み慎重に記入しましたが、注意警告などの記載が非常に多く少し不安がありました。
初出展メンバーは当会のメンバー(正員、准員)に加えジャンク屋で顔見知りになった人たちを加え、あくまで実験的開催であることからいろいろやってみようということになりました。
出展費用があつまらない!
まずは準備ですが、以外にも共同出展しようとする者の中に金銭的な事柄に関してあまりかからないのではないか?との誤解がありました。たとえば全員で出展費用を賄わなければ出展費用すら払えないので私がだいたいを計算した限りでは常用備品や色々なものを買うと相当な出費になることが予想できましたので、分かりにくいまでも文書や解説予算案などを作成し全員に郵送にて配布しました。それでも「何で全員で金を出さねばならないんだ」と言う意見が聴かれたのでその説明には時間がかかりました。
当会では出展運営資金として全員から均等に資金を出して貰い、この中から諸費用を賄い最後に全員に返還するという方法採用しました。
不足すると考えられた販売品は、前述のジャンク屋さんから協力していただき、最終的にはある程度の物がそろいました。
搬入開始!
初めての出展のではこれらの輸送に関して、築地市場に働く「KS」さんに協力していただきましたが、このときは無謀にも持っていった物を全部売り払ってくる予定でいたので搬出用の手段を何も用意していませんでした。
搬入当日は日比谷線築地駅付近まで電車で移動、成田からやはり電車で移動してきた「HY」氏は手持ちでカーステレオなどを多数手持ち持参、「KS」氏の軽自動車に乗り換えブースへ、その後横浜の「AK」宅へ行って多数のジャンク品を積み込みまたブースへ戻りそのまま大塚の某社へ荷物の積み込みへ、もう会場に車を乗り入れることが出来ないので残りは開催日初日手運びで搬入することにしました。
いよいよ出展
始めの年の販売品は責任者である「AK」から多量にあった測定器やジャンク箱の中身を販売し、そのほかの人も自分で色々持ち寄り自分勝手に売り上げて自分の懐へ入れて帰るという、あくまでテストケースということで自由気ままにやっていました。
来場者とのやりとりはなかなかたのしい物で、数ヶ月前から根気を入れて修理や整備をした物などが次々に売れていき、たった1コマのブースは来場者に囲まれ全員総出でものすごい忙しさでした。が、そのために品物に値段を付けることがなかなか時間がとれず、商品にガムテープをはってそこにマジックで値段を書き入れるという作業すらもなかなか出来ない有様でした。
自動車で運搬に協力してくれた「KS」氏は、当時の晴海の会場の空調が万全ではなく人が多くなってくると暑くなってくることそれによって自販機のジュースが売り切れそうでなくても生ヌルで有ることに目を付け築地場内で有名メーカーの飲料を魚を冷やすブッカキ氷でキンキンに冷やして100円で販売、当時自販機のジュースが110円で有ったことから飛ぶように売れましたが、JARLに「やめてくれ」と言われあえなく撤収、生ぬるいジュースを売っていた〇〇乳業から苦情でもあったんでしょうか?うちは途中でやめましたが以外にもジュースを売っていたブースが多かったのには晴海会場の暑さをみんな心得ていたんでしょう。
販売品は日に日に無くなり順調に事は進んでいきましたがその中残念なことにお金を払わずに商品を持って帰る方が居られ、それらの防止も必要なことが分かりました。
最終日の日曜日、朝ブースに来てみると何も取られてはいませんでしたがブース内を物色した後があり、全員しばらくぼーぜんとしたことがありました。
結果として持っていった物はすべて売り払う事が出来、最後に2WAYスピーカを通りかかりの少年に持たせブースは机といすだけになり、そこを見て来年に向け大きな夢を抱くのでありました。
しかし今回各費用は責任者の売り上げで全員分を賄ったので来年への課題としました。この時期になると少し日も短くなりまた涼しくなってくるので一抹の寂しさを感じるのでありました。
いよいよ未来を目指す
終了後全員に分担金を返し私の私物を売り払った分1万数千円を全員に分配し終了しましたが、最後になっても「分担金はいらないじゃあないか?」みたいなことを言っていた奴がいたのには閉口しました。(数年で来なくなりましたが)最終的には出展初回と言うこともあり15万程度の経費がかかっており、最後に分担金を全額返金したこともありこのままでは個人の負担が多すぎ来年に向け「全員が均等に負担できるよう」考える必要がありました。初めての出展でしたからしょうがないのですが「ああしとけばよかった」という後悔ばかりが残ってしまいました。
しかし終わった直後から来年の計画は動き始めていたのでありました。