2022/12/25
ダイナンボシ
◇ダイナンの海
この星の名は、1976年に神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜において、50歳前後の地元漁師
からデエナンボシを記録したことに始まる。それから33年後の2009年にも、同じ鎌倉
市で別な漁師がやはりダイナンボシを伝えていた。デエナンとは、本来ダイナンが転
訛した呼称であり、当地では遥かな沖合を示す意味で伝承されてきたのである。
漁労に関する民俗知識のなかでも、通常であれば真っ先に消失してゆくであろう星
の伝承が、21世紀を迎えてもなお漁師らの記憶に留まっていたのはなぜであろうか。
その背景に、ダイナンという言葉がもつ不思議な力を認めることができそうである。
さて、ダイナンが星名として確立される過程を解き明かす有力な手掛かりについて、
東京湾における調査資料を参照してみたい。それは、青柳精三氏による『東京湾漁業
地の"ダイナン"の語感』〔文0140〕で、湾を取り囲む沿岸域の36地点から得られた伝
承を分類・整理したものである。それによると、各漁業地におけるダイナンの音形と
して3分類(デーナン類、デーナンバラ類、ダイナミ類)が示され、このうちダイナ
ンを含むデーナン類が全体の約8割を占めている。また、ダイナンが指示する海とし
ては、東京湾内が66%、外海が30%である。これは多くの漁業地が、湾内の限られた
エリアを地先の漁場としていることとかかわりがあるものと推察される。
それでは、東京湾沿岸漁業地の漁師らは、ダイナンという語をどのように捉えてい
たのであろうか。青柳氏は、聞きとりの記録から危険感、難儀感、遠方感、広大感、
深海感、ただなか感、圏外感、波浪感、南方位感という9種の語感を抽出している。
とりわけ難儀感と危険感は、程度の差はあるものの各漁業地に共通して存在すること
から、東京湾におけるダイナンの中核的な語感と位置づけ、「したがって"ダイナン"
を"大難"と意識してきたとするのが、全国的な広がりで考える場合にも適当であろう
かと思う」と述べている。
こうしたダイナンの伝承者は、ほぼ明治生まれの漁労者であるが、その後の漁船や
漁具・漁法の近代化に伴って急速に伝承力を失いつつあるのではないかと推測された。
ところが、2008年以降に開始した現地調査の結果をみると、意外にもダイナンの語そ
のものは多くの漁業地で受け継がれていたのである。東京湾を中心に、東は外房から
茨城県沿岸域、西は相模湾および駿河湾沿岸域にかけての伝承を整理すると、ダイナ
ンにかかわる呼称には地域的な特性とともに従来の多様性も継承されてきたことがよ
く分かる。各地域の呼称は、以下のとおり。
@茨城県沿岸:ダイナンオキ
A千葉県外房沿岸:ダイナミ、ダイナン、デエナ、デエナミ、デエナミオキ、
デエナン、デエナンバラ
B東京湾沿岸:ダイナン、ダイラン、デエナン、デエナンバラ、デエナンパラ、
デエラン
C相模湾沿岸:ダイナン、ダイナンボウズ、デエナン、デエナンオキ、デエナンパラ
D駿河湾沿岸:ダイナ、ダイナン、ダイナンパラ、ダイナンボウ
E日本海中・北部沿岸:ダイドウ、ダイナン
因みに、鎌倉市で記録されたデエナンボシのデエナンという音形は、東京湾から相
模湾に至る沿岸域が分布の中核をなしており、その外縁域では次第にダイナン系が主
体となる傾向が顕著である。
これらの各音形が示す意味は、ほぼ「海の沖合」を指しており、青柳氏の語感分類
に従えば遠方感や広大感、深海感、ただなか感などによって説明することができる。
ここで注目されるのは、同じ方位感であってもその距離感覚には明確な地域差が存在
することである。東京湾においては、すでに青柳氏の報告で詳細が判明しているが、
周辺地域および日本海沿岸を含めた事例を以下の5分類による距離感で整理すると、
約46%が分類Xの海域、つまり漁師らにとっては非日常の領域を示唆していることが
明らかとなった。
ダイナンにおける距離感覚の地域別分布
伝承地域 |
距離感覚の分類 |
T |
U |
V |
W |
X |
茨城県沿岸 |
|
2 |
3 |
|
2 |
千葉県外房沿岸 |
|
2 |
1 |
5 |
14 |
東京湾沿岸 |
8 |
6 |
2 |
1 |
2 |
相模湾沿岸 |
|
|
|
1 |
5 |
駿河湾沿岸 |
|
1 |
|
|
3 |
日本海中・北部沿岸 |
|
|
1 |
2 |
4 |
(事 例 数) |
8 |
11 |
7 |
9 |
30 |
〈分類の内容〉T:内湾域
U:内湾域より外側の地先沿岸
V:外海の沖合で陸が十分に見える海域
W:外海の沖合で陸が見える限界の海域
X:外海の沖合で周囲に何も見えない海域
では、分類Xの何も見えない海域とは、具体的にどれほどの沖合なのか。たとえば、
神奈川県横須賀市佐島では大楠山( 274b)が海中に没して見えなくなると、デエナ
ンになることが報告されている〔『百姓漁師の漁場認識』文0450〕。そこで、関東地
域において漁労の目あてとなるであろうよく知られた山岳を例に地理学的光達距離を
求めてみたい。視認の高さを海上から3bと仮定すると、その限界値は富士山(3776
b)で約 244`、伊豆半島の天城山(1405b)で約 151`、房総半島の清澄山( 377
b)で約82`となる。各山頂から南に延長したラインで比較すると、清澄山が伊豆大
島と三宅島の中間辺り、天城山が三宅島と八丈島の中間辺り、富士山では八丈島の少
し手前という位置関係である。したがって、これらよりも遠方の海域が想定し得る最
遠のダイナンとなるわけであるが、その感覚を支えてきたのは手漕ぎ船の時代を含め
た戦前生まれの漁師たちに他ならない。
◇カノープスへの想い
明治生まれの漁労者にとって、ダイナンが危険感や難儀感を伴う海の領域であった
のに対して、昭和初期から10年代生まれの漁労者になると、ダイナンは遠方感を第一
義的に捉えた沖合の代名詞的な存在へと変化したことが窺える。そうした状況で、神
奈川県横須賀市では「海へ出て難儀すること」がダイナンであると言い、秋田県にか
ほ市象潟では「ダイナンは海の沖合で大きな難に出会うところ」と伝えている。静岡
県牧之原市でも「ダイナは海の沖合のことで大難の意味」とされており、本来の難儀
感はまだ健在であった。また、東京湾内の聞き取りではデエナンを「南方をさす」語
意と明確に示した事例もあり、関東沿岸の海域においては南方の遥かな沖合で難儀感
(危険感も含めて)を伴う世界が大難として強く意識されてきたものと考えられるの
である。それは、同様の環境に出没するカノープスへの想いと容易に重ね合わせるこ
とが可能であったに相違ない。今のところ、ダイナンボシあるいはデエナンボシの伝
承地が関東の沿岸域に限られているという点も、この地域特有の音形や語感と密接な
関連性を見出すことができるであろう。
ところで、ダイナンと海洋の結び付きについては明確に記した資料が見あたらない
ものの、江戸時代後期の『俚諺集覧』には「大灘」の項に大灘海(ダイナンノウミ)
とある。この時代は、千葉県匝瑳市(旧野栄町野田地区)に伝わる庄八盆踊り唄にも
「大難沖とておそろしや」という歌詞がみられ、少なくとも近世には大難と呼ばれる
海域の存在が認知されていたものと考えられる。
沖合の星として誕生したこの星名は、東京湾から房総半島にかけて伝承されたメラ
ボシとともに、東日本を代表するカノープスの呼称である。ただし、メラボシに比べ
るとダイナンボシの伝承力は早期に衰退したものと推察され、それが現在の分布状況
に反映されているようである。いずれにしても、背景となる歴史や自然環境、生業な
どには共通する部分が多く、西日本で伝承されている方位感に満ちた多くの星名とは
発想の原点が異なる特性を有していると言えるであろう。
【意 味】大難星
【星座名】りゅうこつ座カノープス(α)
【伝承地】神奈川県
【分 類】時・季節/自然/地形