2022/12/25 

ダイナンボシ

◇ダイナンの海  この星の名は、1976年に神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜において、50歳前後の地元漁師 からデエナンボシを記録したことに始まる。それから33年後の2009年にも、同じ鎌倉 市で別な漁師がやはりダイナンボシを伝えていた。デエナンとは、本来ダイナンが転 訛した呼称であり、当地では遥かな沖合を示す意味で伝承されてきたのである。  漁労に関する民俗知識のなかでも、通常であれば真っ先に消失してゆくであろう星 の伝承が、21世紀を迎えてもなお漁師らの記憶に留まっていたのはなぜであろうか。 その背景に、ダイナンという言葉がもつ不思議な力を認めることができそうである。  さて、ダイナンが星名として確立される過程を解き明かす有力な手掛かりについて、 東京湾における調査資料を参照してみたい。それは、青柳精三氏による『東京湾漁業 地の"ダイナン"の語感』〔文0140〕で、湾を取り囲む沿岸域の36地点から得られた伝 承を分類・整理したものである。それによると、各漁業地におけるダイナンの音形と して3分類(デーナン類、デーナンバラ類、ダイナミ類)が示され、このうちダイナ ンを含むデーナン類が全体の約8割を占めている。また、ダイナンが指示する海とし ては、東京湾内が66%、外海が30%である。これは多くの漁業地が、湾内の限られた エリアを地先の漁場としていることとかかわりがあるものと推察される。  それでは、東京湾沿岸漁業地の漁師らは、ダイナンという語をどのように捉えてい たのであろうか。青柳氏は、聞きとりの記録から危険感、難儀感、遠方感、広大感、 深海感、ただなか感、圏外感、波浪感、南方位感という9種の語感を抽出している。 とりわけ難儀感と危険感は、程度の差はあるものの各漁業地に共通して存在すること から、東京湾におけるダイナンの中核的な語感と位置づけ、「したがって"ダイナン" を"大難"と意識してきたとするのが、全国的な広がりで考える場合にも適当であろう かと思う」と述べている。  こうしたダイナンの伝承者は、ほぼ明治生まれの漁労者であるが、その後の漁船や 漁具・漁法の近代化に伴って急速に伝承力を失いつつあるのではないかと推測された。 ところが、2008年以降に開始した現地調査の結果をみると、意外にもダイナンの語そ のものは多くの漁業地で受け継がれていたのである。東京湾を中心に、東は外房から 茨城県沿岸域、西は相模湾および駿河湾沿岸域にかけての伝承を整理すると、ダイナ ンにかかわる呼称には地域的な特性とともに従来の多様性も継承されてきたことがよ く分かる。各地域の呼称は、以下のとおり。 @茨城県沿岸:ダイナンオキ A千葉県外房沿岸:ダイナミ、ダイナン、デエナ、デエナミ、デエナミオキ、   デエナン、デエナンバラ B東京湾沿岸:ダイナン、ダイラン、デエナン、デエナンバラ、デエナンパラ、   デエラン C相模湾沿岸:ダイナン、ダイナンボウズ、デエナン、デエナンオキ、デエナンパラ D駿河湾沿岸:ダイナ、ダイナン、ダイナンパラ、ダイナンボウ E日本海中・北部沿岸:ダイドウ、ダイナン  因みに、鎌倉市で記録されたデエナンボシのデエナンという音形は、東京湾から相 模湾に至る沿岸域が分布の中核をなしており、その外縁域では次第にダイナン系が主 体となる傾向が顕著である。  これらの各音形が示す意味は、ほぼ「海の沖合」を指しており、青柳氏の語感分類 に従えば遠方感や広大感、深海感、ただなか感などによって説明することができる。 ここで注目されるのは、同じ方位感であってもその距離感覚には明確な地域差が存在 することである。東京湾においては、すでに青柳氏の報告で詳細が判明しているが、 周辺地域および日本海沿岸を含めた事例を以下の5分類による距離感で整理すると、 約46%が分類Xの海域、つまり漁師らにとっては非日常の領域を示唆していることが 明らかとなった。
ダイナンにおける距離感覚の地域別分布
伝承地域 距離感覚の分類
 T   U   V   W   X 
 茨城県沿岸    
 千葉県外房沿岸   14
 東京湾沿岸
 相模湾沿岸      
 駿河湾沿岸      
 日本海中・北部沿岸    
(事 例 数) 11 30
  〈分類の内容〉T:内湾域          U:内湾域より外側の地先沿岸          V:外海の沖合で陸が十分に見える海域          W:外海の沖合で陸が見える限界の海域          X:外海の沖合で周囲に何も見えない海域  では、分類Xの何も見えない海域とは、具体的にどれほどの沖合なのか。たとえば、 神奈川県横須賀市佐島では大楠山( 274b)が海中に没して見えなくなると、デエナ ンになることが報告されている〔『百姓漁師の漁場認識』文0450〕。そこで、関東地 域において漁労の目あてとなるであろうよく知られた山岳を例に地理学的光達距離を 求めてみたい。視認の高さを海上から3bと仮定すると、その限界値は富士山(3776 b)で約 244`、伊豆半島の天城山(1405b)で約 151`、房総半島の清澄山( 377 b)で約82`となる。各山頂から南に延長したラインで比較すると、清澄山が伊豆大 島と三宅島の中間辺り、天城山が三宅島と八丈島の中間辺り、富士山では八丈島の少 し手前という位置関係である。したがって、これらよりも遠方の海域が想定し得る最 遠のダイナンとなるわけであるが、その感覚を支えてきたのは手漕ぎ船の時代を含め た戦前生まれの漁師たちに他ならない。 ◇カノープスへの想い  明治生まれの漁労者にとって、ダイナンが危険感や難儀感を伴う海の領域であった のに対して、昭和初期から10年代生まれの漁労者になると、ダイナンは遠方感を第一 義的に捉えた沖合の代名詞的な存在へと変化したことが窺える。そうした状況で、神 奈川県横須賀市では「海へ出て難儀すること」がダイナンであると言い、秋田県にか ほ市象潟では「ダイナンは海の沖合で大きな難に出会うところ」と伝えている。静岡 県牧之原市でも「ダイナは海の沖合のことで大難の意味」とされており、本来の難儀 感はまだ健在であった。また、東京湾内の聞き取りではデエナンを「南方をさす」語 意と明確に示した事例もあり、関東沿岸の海域においては南方の遥かな沖合で難儀感 (危険感も含めて)を伴う世界が大難として強く意識されてきたものと考えられるの である。それは、同様の環境に出没するカノープスへの想いと容易に重ね合わせるこ とが可能であったに相違ない。今のところ、ダイナンボシあるいはデエナンボシの伝 承地が関東の沿岸域に限られているという点も、この地域特有の音形や語感と密接な 関連性を見出すことができるであろう。  ところで、ダイナンと海洋の結び付きについては明確に記した資料が見あたらない ものの、江戸時代後期の『俚諺集覧』には「大灘」の項に大灘海(ダイナンノウミ) とある。この時代は、千葉県匝瑳市(旧野栄町野田地区)に伝わる庄八盆踊り唄にも 「大難沖とておそろしや」という歌詞がみられ、少なくとも近世には大難と呼ばれる 海域の存在が認知されていたものと考えられる。  沖合の星として誕生したこの星名は、東京湾から房総半島にかけて伝承されたメラ ボシとともに、東日本を代表するカノープスの呼称である。ただし、メラボシに比べ るとダイナンボシの伝承力は早期に衰退したものと推察され、それが現在の分布状況 に反映されているようである。いずれにしても、背景となる歴史や自然環境、生業な どには共通する部分が多く、西日本で伝承されている方位感に満ちた多くの星名とは 発想の原点が異なる特性を有していると言えるであろう。 【意 味】大難星 【星座名】りゅうこつ座カノープス(α) 【伝承地】神奈川県 【分 類】時・季節/自然/地形

タケノフシ

この星は、北国においてイカ釣りにおける指標星として利用されていた。タケノフシ とは、真東から縦に連なって昇る三つ星を、成長した竹に喩えた星の名である。北海 道積丹町では、これを「竹の節のように星が三つ並んでいる」と説明していた。確か に、星を節とみれば、その間に二つの節間をもつことになる。 竹は、日常生活ばかりでなく信仰や行事などとも深いかかわりをもつ植物である。 季節の食材としての利用は現在もなじみ深いものだが、かつては農山漁村のそれぞれ において、生業や暮らしを支える用具類の重要な素材の一つであった。日本に自生す る主な竹・笹類は20種以上が知られ、このうちモウソウチクは稈が太く、マダケと並 んでもっともポピュラーな竹であるが、元来は中国原産の移入種である。木本の竹類 では、地下茎によって毎年新しい稈(茎)を出して増えるが、よく手入れされた竹林 は景観的にも見事である。しかし、近年は里山の荒廃に伴って放置されたままの竹林 が目立つようになり、野生化した竹が付近の樹林地に侵入して植生の混乱を招くなど 新たな問題も顕在化してきている。これらはモウソウチクやマダケの竹林でよくみら れるが、いずれも暮らしに不可欠な笊や籠類の材料として用いられた。 信仰や年中行事などで竹が使われる事例は意外と多く、竹を神の依り代とみて四方 に立てる光景は、現在でもいろいろな場面で見ることができる。七夕の竹なども、本 来は同じ意味合いをもつものと考えられ、いずれも神聖な領域を示しているわけであ る。さらに、竹がもつ呪術的な役割については、ひとつの流れとして古い時代から竹 の霊力に強い関心が示されてきた。その背景に、生長の速さや稈の構造、旺盛な繁殖 力、それに植物体に含まれる物質の効用などがある。竹をめぐる多彩な民俗は、日本 ばかりでなく東南アジアなどでも広く伝承されている。 三つ星の並びを生長した竹の節間に喩えることは、ごく自然の見方であったと思わ れるが、この場合、東から直立して昇る姿がもっともふさわしいのではないだろうか。 この星名の発祥地とみられる八戸付近では、かつてタケノフシがイカ釣り漁における 重要な指標星(目あてにする星)の一つであったことが聞きとり調査で確認されてい る。おそらく、当地のイカ釣り漁師らは、東の海上に立ち上がる三つ星に勢いよく伸 びる竹のイメージを重ねあわせていたものであろう。この星名が海峡を越えた北海道 でも一部の地域で伝承されてきたことは、その背景にイカ釣り漁を介した漁民の移住 などが深くかかわっているものと推測される。それを裏づける事実として、積丹半島 における聞きとり調査の記録をみると、積丹町の美国でタケノフシを伝承していた漁 師は紛れもない八戸出身者だったのである。 【意 味】竹の節 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】北海道、青森県 【分 類】配列/自然/生物

◇ モウソウチクの節間(左)と四方竹◇

タケボウキボシ

彗星の標準和名といえるホウキボシに同じであるが、具体的な箒の形をあてためずら しい呼び名である。埼玉県所沢市の畑作地域で記録したが、比較的新しい時代に生ま れたものと考えられる。 【意 味】竹箒星 【星座名】彗星 【伝承地】埼玉県 【分 類】配列/生活/用具

タナバタサマ 

夏の夜空の星物語といえば牽牛・織女の説話がよく知られている。この二星伝説は中 国伝来のもので、乞巧奠などとともに日本のタナバタ由来の行事と習合して定着した とする考え方が一般的である。「七夕」は江戸時代には五節供の一つとして定型化さ れ、民間における伝統的なタナバタ行事と星の伝承がより関わりを深める過程で、自 然発生的に呼称されるようになったのではないかと推察される。したがって、通常は 二星を対象とする地域が多いものの、福岡県では織女星だけを七夕様と呼んでいる。 単にタナバタともいう。 【意 味】七夕様 【星座名】こと座ベガ(α) 【伝承地】福岡県 【分 類】時・季節/生活/行事

タナバタノホシ

記録は少ないが、実際には各地で呼ばれている。中国伝来の行事に付随する牽牛・織 女の二星伝説が民間に普及し、それらをタナバタノホシと称しているケースが多い。 ただし、地域によってはベガあるいはアルタイルのどちらか一方を対象としている場 合もある。 【意 味】七夕の星 【星座名】こと座ベガ(α)、わし座アルタイル(α) 【伝承地】栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、京都府、徳島県 【分 類】時・季節/生活/行事

タマンジャク

利根川中流域の茨城県猿島郡では、北斗七星をその地域で使っている杓子の一種とみ ていた。タマンジャクとは、「玉の杓」の意味で、丸型の器に柄を付けた汁杓子であ る。一般には、杓子あるいは御玉などと呼ばれることが多い。現在でも、一般家庭で 味噌汁などを掬う用具として使われており、なじみ深いものである。基本的には、ヒ シャクボシやシャクシボシと同じ見方といえる。 【意 味】玉の杓(転訛形) 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】茨城県 【分 類】配列/生活/用具

◇ 玉杓子の一種 ◇

ダワボシ 

イカ釣り漁で利用された星といえば、おうし座のプレアデス星団やオリオン座の三つ 星、おおいぬ座のシリウスなどがよく知られているが、これらは秋から冬にかけてス ルメイカの一本釣りが盛んに行われた時代に指標とされた星々である。北国を中心に 西日本まで広く伝承されている。  ところが、島根県の一部ではこれらの系列とは異なる星をイカ釣りの指標としてい る地域がある。その星は、夏の代表的な星座であるさそり座で、アンタレスを含む三 星が山の端に上るのを見てイカ釣りを行っていたという。しかも、対象となるイカは スルメイカではなく、地元でシロイカと呼ばれるケンサキイカであることから、従来 より知られていた「イカ釣りの役星」とは一線を画した伝承として注目される。  ところで、ダワとはどのような意味であろうか。山岳地名には現在も「大ダワ」な どど呼ばれる場所があるが、これは稜線が窪んだ地形、つまり鞍部のことで峠などを 意味している。本来は「撓(たわ)」であり、文字が示すように撓んだ状態あるいは モノの譬えから派生した見方である。したがって、ダワボシも本来は「撓星」のこと と考えられ、アンタレスを中心とする星の配列を撓んだ状態とみた命名といえる。た だし、この場合は通常の下向きにはたらく撓みではなく、上向きの撓み(両端が撓っ て見えること)と理解するのが適当であろう。このような見方は他に例がなく、今の ところ伝承地も限られていることから、地域特性の強い呼び名の一つとみられる。 【意 味】撓星 【星座名】さそり座三星(αστ) 【伝承地】島根県 【分 類】配列/知識/状態

チカボシ

月の近くに現れる星に対する総称の一つである。いくつかの呼称が知られるが、その なかでもっとも広範な分布を示している。いずれの地域でも、月の近くに見慣れない 星が現れたときに、これをチカボシ(近星)と称したもので、この星の出現を凶事の 前触れとする伝承が各地で記録されている。類似の名にチカボシサンやチカボシサマ、 チカヨリボシなどがある。 【意 味】近星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】宮城県、秋田県、福島県、栃木県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、      富山県、山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、三重県、滋賀県、大阪府、奈良県、      山口県、長崎県 【分 類】位置関係/知識/従属

ツカマフシ

ツカマあるいはシカマ、スカマなどは、いずれも八重山地方で仕事を意味する言葉で ある。仕事星と命名されたそれは、夕方現れる大きな星で金星をさしている。竹富島 の伝承によると、同島では人頭税時代に日が暮れてからも自分たちが食べる作物を作 らなければならない暮らしがあったとされ、こうした際に明るく輝いていたのが宵の 明星(金星)であった。スカマブシ、シカマブシなどとも呼ばれる。 【意 味】仕事星(転訛形) 【星座名】(惑星)金星 【伝承地】沖縄県 【分 類】時・季節/人/行動

ツキガネ

北海道で記録があり、イカ釣りの指標星として利用されてきた。ツキガネは、撞木で ついて音を出す鐘の意味である。ツリガネボシと同じようにヒアデス星団の「>」形 を鐘の形とみたもので、意味から推察して、寺院などの梵鐘が連想される。 【意 味】撞き鐘 【星座名】おうし座ヒアデス星団 【伝承地】北海道 【分 類】配列/生活/信仰

ツキソイボシ

チカボシと同じで、月の近くに現れる星に対する総称の一つである。この場合は、月 に星が付添っているとみた呼び名で、基本的な発想はソエボシに通じている。地域に よって単にソイボシと呼ぶ場合がある。 【意 味】付き添い星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】埼玉県、山梨県 【分 類】位置関係/知識/従属

ツキボシ

月の近くでは、惑星も含めてときおり明るい星が観察される。このような不特定の星 に対する関心は高く、呼称にも変化がみられる。ツキソイボシよりは、伝承範囲が広 い利用である。ツキボシは「月星」と解すこともできるが、現象から由来を考えた場 合は、やはり「付く」の意味であり、月のそばに見慣れない星が付いているとみた呼 称といえる。 【意 味】付き星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】群馬県、埼玉県、東京都、宮崎県 【分 類】位置関係/知識/従属

ツボアミ 

岡山県備前市の日生漁港で、頭島出身の漁師から聞いた星の伝承の一つがこのツボア ミである。これは漁網を意味し、定置網漁法の桝網の一種とされる。所により「壺網」 あるいは「坪網」などと呼ばれ、瀬戸内海地域では一般的な漁法であり、他の地方で も行われているところがある。 つぼ網には、主に沿岸の浅海に設置されるタイプと沖合に設置される二種類があり、 備前市日生では前者のつぼ網を利用した漁が古くから行われてきたようである。この 網の構造は、直線状に張られた道網(垣網)とその一端を取り囲むように配置された 囲い網、そして最終的に水産物を捕獲する袋網から成り、通常は四つから六つの袋網 が設置されている。浅海のつぼ網は道網と囲い網が海面上に出ているので容易に識別 が可能である。 『日本星名辞典』〔文0168〕には『星の和名伝説集−瀬戸内はりまの星』〔文0240〕 の記録を引用したとみられるツボアミボシ(岡山県日生)の記載があり、おおぐま座 の北斗七星のこととされている。網の形状が北斗七星の配列に似ているからとの説明 であるが、頭島の漁師の話によるとツボアミは北斗七星とは別の星であった。この漁 師はつぼ網を「まるい網」と表現しており、実際囲い網の部分は、上から見ると少し ひしゃげた半円形をしている。そして網を固定するための支柱を点々と辿れば、夜空 の特徴的な星の配列を連想させる。これはまさにかんむり座の半円形にぴったりであ る。日生には、もう一つ網に因んだ星の名としてタテアミボシ(建網星)が報告され ているが、こちらは旗を立てた形ということで北斗七星に間違いないであろう。しか し、つぼ網に関しては地元の漁師が「まるい網」と認識していることを踏まえると、 この星の正体はかんむり座の星々が最も相応しいのではないかと考えられる。 【意 味】つぼ網 【星座名】かんむり座半円形(αβγδεθι) 【伝承地】岡山県 【分 類】配列/生業/漁業

◇ かんむり座の星の配列〈左〉とつぼ網の形 ◇

ツリガネボシ

ヒアデス星団の「∧」形を釣鐘に喩えた星の名である。ツキガネボシと同じ発想であ るが、ひとくちに鐘といっても、その対象は寺院にあるような大きな梵鐘から小型の 半鐘までいろいろなタイプが想定される。また、実際の夜空ではまっすぐに吊りさげ られた「∧」形は見られず、せいぜい「>」形を確認するのが精いっぱいである。 『佐渡海府方言集』〔文0074〕には、ハンショノツッカラカシという星名の記載があ るが、この見方を端的に表現した呼び名として注目される。東天から昇るヒアデス星 団を眺めると、横倒しになった半鐘の姿を確認することができる。寺院の梵鐘は荘厳 な響きがあるものの、半鐘のほうが暮らしに密着した対象として捉えやすい。おそら く、その土地によってさまざまな鐘が連想されたのではあるまいか。なお、すぐ近く にはオリオン座のツヅミボシ(鼓星)があり、冬の夜空に鐘と鼓の音が響く情景を思 い浮かべると興味はつきない。 【意 味】釣鐘星 【星座名】おうし座ヒアデス星団 【伝承地】埼玉県、東京都 【分 類】配列/生活/用具

ツリボシ

夏の夜の北斗七星は、柄杓が逆立ちした姿に見える。東京都の多摩地域では、この形 を大きな吊り具の一種とみて、ツリボシと呼んでいる。北斗七星は、季節や時間によ って見え方が大きく変わるが、柄の三星を軸として、四辺形をつくる四星を鉤とみて いる点が特徴である。暮らしのなかでは、さまざまな吊り具が利用されたが、木の枝 を加工した素朴な用具がふさわしいであろう。 【意 味】つり星 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】東京都 【分 類】配列/生活/用具

◇ 夜空の巨大な吊り具 ◇

ツレボシ

月の近くに現れる星に対する総称の一つである。ツレは引き連れるの意味で、月が見 慣れない星を引き連れているとみた呼び名である。 【意 味】連れ星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】埼玉県、東京都、神奈川県、山梨県 【分 類】位置関係/知識/従属

デエナンボシ

ダイナンボシに同じ。 【意 味】大難星(転訛形) 【星座名】りゅうこつ座カノープス(α) 【伝承地】神奈川県 【分 類】時・季節/自然/地形

トウサンボシ 

瀬戸内海にある本島(丸亀市)で、子どものころに親から伝承された星の名である。 同じような星が二つ並んでいて、一方をトウサンボシ、もう一方をカアサンボシと呼 ぶと聞いたという。これは、ふたご座の主要な二つの1等星(α、β)を両親に譬え た見方と考えられ、おそらく二星の色合いから白色のカストルが「父さん星」で、オ レンジ色のポルックスが「母さん星」であろう。岐阜県には、これらを銀目(カスト ル)と金目(ポルックス)に呼び分けた事例が報告されている〔文0168〕。 【意 味】父さん星 【星座名】ふたご座カストル(α) 【伝承地】香川県 【分 類】配列(色)/人/家族

トオボシ 

月の近くに見慣れない星が現れると、これらを総称してチカボシと呼ぶところが各地 にあるが、トオボシとは月から離れた場所に出現する見慣れない星の総称である。し たがってチカボシ(近星)とトオボシ(遠星)は常に対の存在として認識されていた ことが分かる。ただし、実際にどの程度月に近づいたらチカボシになり、逆にどの程 度月から離れていればトオボシになるのかは不明である。こうした捉え方はあくまで も感覚的なもので個人差が大きいと思われる。新潟県のケースでは、チカボシの出現 が天候悪化の予知に利用されているのに対し、トオボシのほうは天候の回復を示す予 兆と捉えられている点が大きな特徴と言える。 【意 味】遠星 【星座名】月から離れた星 【伝承地】新潟県 【分 類】位置関係/知識/従属

トビアガリ

調査では、金星の呼称として関東地方を中心に記録がある。トビアガリとは、文字ど おり飛び上がるという意味であるが、この命名の背景には仕事とのかかわりが隠され ているようである。埼玉県の滑川町では、明け方に「山の上にトビアガリがのぼった ので夜が明ける」といわれて起床していたそうである。また、同県内の寄居町でも、 この星の出を夜明けの目安として朝食の仕度にとりかかったという。漁業関係では、 静岡県伊東市に「夜中から漁に夢中になっていると、いつの間にかトビアガリが現れ て夜明けが近いことを知った」という伝承がある。おそらく、このような感覚が星の 名の形成につながっているものと考えられる。一般的な見方としても、東天では白み はじめた空を背景に高さを増す姿が、また夕空では薄明中に忽然と現れるようすが 「飛びあがる」という印象に結びついていたものと思われる。類似の名にトンビアガ リなどがある。 【意 味】飛び上がり 【星座名】(惑星)金星 【伝承地】埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県 【分 類】動き/人/行動

◇ 富士山の横を飛び上がるように移動する金星 ◇

トビボシ

流れ星にもいくつかの呼び名があるが、これはそのまま夜空を飛ぶ星とみた星名であ る。おそらく、この場合の「飛ぶ」という表現は、「流れる」という状態と同じ感覚 で捉えられたものと推測される。 【意 味】飛び星 【星座名】流星 【伝承地】埼玉県 【分 類】動き/知識/その他

トマスノホシ

四つの星がつくる四辺形を桝の形とみることは、ごく自然な発想と思われるが、対象 となる星座やそこに描かれる桝の形態はさまざまである。もっとも一般的なマスボシ はオリオン座三つ星付近の星群で、これを柄付きの桝と捉えている地域が少なくない。 似たような発想は、ペガスス座の四辺形や北斗七星などにみられる。  ところで、日本の桝には計量サイズによっていくつかの種類があり、一合桝や五合 桝、一升桝、一斗桝などが主に用いられた。さらに、これらは穀物用や液用などの用 途別、あるいは形状の違いなどによって実に多様な側面をもっていたことがわかる。 トマスは一斗桝のことであるが、その名の通り一斗(約18g)という単位の計量に使 う用具である。方形のタイプでは、向かい合う側板の一方がそれぞれ互い違いに外側 へ突き出した把手を持つものがあり、他に円筒形のものや桶のような形状の「斗桶」 と呼ばれるタイプなどもある。  さて、トマスノホシというのは埼玉県宮代町の農家で記録されたもので、「秋にな ると出てくる斗桝の形をした星」と伝えられていた。秋といえば収穫の時期であり、 昔は桝を利用する機会も多かったであろう。夜空では、ペガスス座の四辺形(一部は アンドロメダ座のα星)が頭上へと上ってくる頃である。オリオン座のマスボシより も大きな星の配列は、正に一斗桝に相応しい見方といえる。  なお、アンドロメダ座の星列をトカキボウ(斗掻き棒:一斗桝に盛った穀物などを 平に均す棒)と呼ぶ事例が報告されており、斗桝とともにこれらを一体のものとして 眺めると、昔の人びとの発想の豊かさに改めて気づかされる。 【意 味】斗桝の星 【星座名】ペガスス座(αβγ)+アンドロメダ座(α) 【伝承地】埼玉県 【分 類】配列/生活/用具

◇ 方形タイプの一種〈左〉と円筒形タイプ◇

トマリプシ

八重山の竹富島に伝わる北極星の呼び名である。天の北極付近にあって、ほとんど動 かない北極星を、止っている星とみたものである。 【意 味】止り星(転訛形) 【星座名】こぐま座北極星(α) 【伝承地】沖縄県 【分 類】動き/知識/その他

トモボシ

月と特定の明るい星が接近したとき、このような星に対する注目度は一様に高いのが 通例である。星名の種類としてはそれほど多くないが、各地にさまざまな伝承がある。 この名は、星が月のお供をしている、あるいは月が星のお供を従えているとみたもの であり、ツレボシとも通じる見方である。 【意 味】供星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】東京都、山梨県 【分 類】位置関係/知識/従属

トンキョボシ 

駿河湾沿岸にある沼津市馬込では、夜明け前の東天に現れる金星をトンキョボシと呼 び、まき網漁における網あげ作業の目安として利用していた。この静浦漁港は、昔か らまき網漁がさかんなところで、かつては夜間から夜明け前にかけてイワシの群れを 狙って網入れを行っており、夜明けが近づくと作業は俄かに忙しくなったといわれる。 そのようなとき、漁港の背後にある鷲頭山付近に突如として姿を現す金星に対する感 覚が、この命名につながっているものと推測される。トンキョとは、正しくは頓狂の ことであり、そこにはだしぬけに現れる星という意識が強くはたらいていることがわ かる。今のところ、この地域特有の呼称と考えられるが、似たような感覚の呼び名と して同じ金星にトビアガリがあり、こちらは各地に広く伝承されている。 【意 味】頓狂星 【星座名】(惑星)金星 【伝承地】静岡県 【分 類】動き/人/行動