2015/06/21 

サカマス

サカマスは酒桝のことで、かつて酒の量り売りが行われていた時代の生活用具である。 北海道ではイカ釣り漁の際に目あてとする星の一つとして利用され、地元において古 くから伝わる星の名の一つであった。マスボシと同様に、オリオン座の三つ星と小三 つ星、η星をつなぐ方形を四角い桝の形とみたものであるが、さらに地域によっては 桝の対角線上に柄(把手)を備えたタイプがあって、これを星空に投影するとちょう ど小三つ星がその部分にしっくりと納まる。いわゆる柄付きの桝をあてたわけだが、 北海道の漁師はその大きさを五尺くらいと表現していた。実際の桝では大きすぎるサ イズではあっても、夜空ではそのように感じられるのであろう。片手で扱える実用的 な桝の大きさは一合から一升までで、酒桝の場合も地域や用途によって使い分けられ ていたものと考えられる。一方、九州でもサカマスを伝えている地域があり、福岡県 北九州市の古い漁師は2014年の調査時にまだこの星名を伝承していた。類似の見方に マスボシやサカヤノマスなどがある。 【意 味】酒桝 【星座名】オリオン座三つ星+小三つ星+η 【伝承地】北海道、福岡県、鹿児島県 【分 類】配列/生活/用具

◇ 特徴的な把手を有する液用の五合桝 ◇

サカマスノアトボシ

オリオン座三つ星と周辺の星をサカマスと呼ぶ北海道古平町では、そのあとに現れる 大犬座のシリウスをサカマスノアトボシと称している。東の空で、三つ星から約2時 間後に昇ってくるシリウスをアトボシ(後星)と表現したものであるが、こうした見 方は、頭につく三つ星の呼称によってさまざまに変化する。 【意 味】酒桝の後星 【星座名】おおいぬ座シリウス(α) 【伝承地】北海道 【分 類】位置関係/知識/従属

サカヤノマス 

オリオン座の三つ星や小三つ星などをつないで、そこに桝や酒桝の形を描いた事例は 各地にみられるが、熊本県では同様の見方でサカヤノマスあるいはサカヤンマスなど と呼ばれている。当地方の酒桝は柄付きの一合桝などが知られ、こうした用具が発想 の源となっているようである。ただし、伝承者によると酒屋の桝は三つ星単独をさす ということで、最早実生活において利用されなくなった伝承が時代とともに大きく変 容してきた過程を如実に示すものとして理解する必要がある。 【意 味】酒屋の桝 【星座名】オリオン座三つ星+小三つ星+η 【伝承地】熊本県 【分 類】配列/生活/用具

◇ 熊本地方の酒桝 ◇

サキボシ

サキボシ系の星の名は、三つ星の先がけとしておうし座のアルデバランに対する命名 が一般的であるが、北海道の積丹町に伝承されたサキボシは、プレアデス星団を基準 としている。この場合、カペラがその対象であり、イカ釣り漁の背景からみても、ま さしく一日の漁の開始を知らせる先がけの星として捉えられていた。北海道における イカ釣りに関する星の呼称を概観すると、全体としてカペラに対する呼称は少ない傾 向にあるが、そのなかでも類例のない見方といえよう。新潟県にも同様の見方をして いた地域がある。 【意 味】先星 【星座名】ぎょしゃ座カペラ(α) 【伝承地】北海道、新潟県 【分 類】配列/知識/従属
2021/05/25 

ザマタ

この星名は、新潟県佐渡島での記録がほとんどであるが、北海道の襟裳岬周辺でも1例 だけ報告されている。かつての伝統的なイカ釣り漁で利用された星の一つとして注目を 浴びてきたものの、その語意や対象となる星(星群)については、長い間特定されない まま今日に至っている。情報量はある程度確保されているにも拘らず、それらを一元的 に集約できないことが大きな要因と考えられ、さらに情報内容の一部にみられる混乱も 見逃せない。  近年では、2014年に文献資料を中心とした論考〔『「ザマタ」という星と漁具に関す る一考察』文0415〕が発表されているが、結論は得られていない。そこで、これまでの 資料や調査記録について改めて見直しを行い、ザマタの語意や星の正体に関する考察を 進めてみたい。

◆ ザマタの語意  ザマタが、伝統的なイカ釣り漁で使用された漁具と深いかかわりをもつことは従来か ら指摘があり、ほぼ疑う余地はみられない。最も重要な手掛かりは、北海道広尾町の記 録(1948年から1951年の間)で「なるほど、確かに当時、北国のイカ釣りには、枝の二 本出た木を釣竿に使っていて、それがザマタと呼ばれていた」という記述である〔『星 の海を航く』文0309〕。  この漁具は、イカを手釣りする用具の一種で、木製の台座に2本の竹竿を股状に取り 付けた構造のもので、海面近くに浮いたイカを釣り上げるのを目的としている。北国で は、一般にハネゴあるいはハネグなどと呼ばれ、もとは佐渡から伝わったとされており、 聞き取り調査では、太平洋側の岩手・宮城両県を含めて福井県あたりまで標準的な釣り 具として使われてきたことを確認している。さらに、京都府から島根県にかけての沿岸 および隠岐や対馬などの島嶼部にも伝わっているようだ〔『佐渡のイカ漁』文0413〕。 では、これらの地域でハネゴに相当する漁具を何と呼んでいるのか、各地の聞き取り状 況を整理したのが下表である。

ハネゴ型漁具の呼称分布
                                                     
区分 道県別 地 域 ハネゴ型の呼称 ザマタという
漁具 *2
ハネゴ系*1 ツノ 他の呼称

 

 

 

*3
北海道 増毛地方
積丹地方
渡島南西部
青森県津軽地方
秋田県男鹿地方
象潟地方
山形県沿岸地方
新潟県佐渡地方 ミズカンダ 4例の記録
沿岸地方
富山県沿岸地方 ツデレッポウ
福井県沿岸地方



北海道 渡島南東部
青森県下北地方
八戸地方
岩手県北部沿岸
宮城県北部沿岸
*1:ハネゴ、ハネグ、ハネなどがある
*2:いずれの事例も漁具は特定できず
*3:福井県以西の沿岸域では、上層用の二本竿型釣り具の記録は得られていない

 佐渡を除くと、ほぼハネゴ系の呼称が定着しており、ザマタは特異な存在であること
がよく分かる。一方で、佐渡島内ではツノ系の呼称が一般的である。ただし、池田哲夫
氏によると佐渡における呼称はツノ、ハネゴ(ハネ)、ウワバネソウなど、地域による
違いがみられるという〔『スルメイカ釣具の伝播』文0414〕。すると、広範囲にわたる
ハネゴ系呼称の定着は、佐渡のなかでも特定の地域からの出稼ぎや移住などが影響を及
ぼしている可能性があるのかもしれない。
 さて、問題はザマタと呼ばれる漁具の存在であり、現地の調査では相川町下相川およ
び姫津、それに両津市玉崎で確認できたものの、これらはいずれもハネゴ型の漁具とは
別物(詳細不明)であった。また、同地域のイカ釣り具に関する資料をみても、ザマタ
という用具は見あたらない。ところが、北海道の資料からある重要な手掛かりを得るこ
とができた。それは、ハネゴを構成する部材の一つに「座又(股)」なる呼称を見出し
たことで、今のところ1908(明治41)年に函館市で発刊された『以可つり解説書』(著
者はイカ釣針の製造・販売を営む)に、ハネゴの台座を描いた図の説明として「桐座又」
と記されているのが古い一事例といえる〔文0413〕。同様に1951年発刊の『改訂漁具図
説』〔文0412〕にも、ハネグ図の台座部分にザマタの表記があり、本文にその解説とし
て「座股」がみられる。なお、双方の図をよく見ると、『改訂漁具図説』のハネグは台
座(ザマタ)にイカ鉤を差し込む二つの孔がある改良型と考えられ、孔のない台座を描
いている前者のほうがより古いタイプを示しているものと思われる。

◇ ハネゴの構造 ◇

 この座又(股)という呼称は、いつごろ、どこで生まれたものであろうか。前出の資 料〔文0413〕には、やはり函館でイカ釣針の製造・販売を営む人(1911年生まれ)の話 として、佐渡(河原田)から商いに来ていた人からザマタや竹などを仕入れたとあり、 佐渡においても既に明治時代には桐製の台座をザマタと称していたであろうと推察され る。さらに、相川町稲鯨出身の出稼ぎ漁民(1908年生まれ)が、1931(昭和6)年頃か ら八戸沖の漁場でイカ漁を続け、その後北海道の襟裳岬から釧路付近までイカを追って 出漁していたことが紹介されている。おそらく、北海道広尾町で記録された漁具ザマタ は、函館方面からの漁具の流入と、佐渡からの出稼ぎ漁民などによってもたらされたの ではないかと推察できるのである。  当初は、部材の呼称として誕生したと考えられるザマタが、なぜ漁具そのものの呼称 へと変化したのか、それは同じイカ釣り具であるトンボの変遷を辿ることで容易に納得 できるであろう。古い時代のイカ釣り具は、魚の漁と同様に針(鉤)に結んだ糸を直接 手で操って釣る漁法(一本釣り)が基本で、このイカ鉤はトンボと称されていた。その 後、一本竿にトンボを付けて釣るようになると、その漁具自体がトンボと呼ばれるよう になり、さらに鉤を2個装着した天秤タイプの釣り具(中層部用)が現れると、これも トンボという呼称で各地に広まったという経緯がある。ザマタの場合は、元が台座とい う主要部材であるだけに、より転訛しやすい状況にあったといえるであろう。  しかし、佐渡の場合は少し様相が異なっているようだ。今のところ、ハネゴ型の釣り 具をザマタと呼ぶ事例はなく、むしろ他の釣り具、たとえば海中に沈めるタイプで二股 (三股もある)のヤマデ(下層部用)や天秤状(二股もある)のソクマタ(底層部用) などをザマタとしていた可能性があり、今後も検討を要する大きな課題であるといえよ う。

 

◇ トンボとヤマデ ◇
〈左〉初期のトンボはイカ鉤単体/〈右〉ヤマデは下層用釣り具の一種

◆ ザマタの星  星名としてのザマタも、佐渡島内の事例を除くと北海道で1例だけ記録されているに 過ぎない。以下の図は、島内の記録(文献および聞き取り調査)をもとに作成した分布 状況で、ほぼ北部地域の沿岸に点在している。

◇ 佐渡におけるザマタの星の分布 ◇

 まず、Aは『佐渡海府方言集』〔文0074〕の記録であるが、残念ながら海府地方の具 体的な地名が明らかになっていない。その説明には「北方の空へ・・形に出る星の呼称」 とある。他の星名から判断して、おうし座のプレアデス星団やヒアデス星団、オリオン 座三つ星周辺の星々とは別な星と考えられる。次はBの『日本星座方言資料』〔0167〕 だが、両津町夷や河崎村に伝わるザマタについて、「昴の近くにある二列に並んだ七、 八個の星」と記している。ここでは、おうし座のヒアデス星団ではないかとの見解が示 され、島内の記録中で最も有力な考察といえる。C〜Fに関しては、いずれも現地にお ける聞き取り調査の記録で、ザマタという星名は伝承されていたものの、その正体はい ずれも不明のままとなっている。このうちFの伝承者は、Vの形をした星ではないと言 っていた。  結局、これらの記録からは、ザマタの星を特定できない状況となっている。そこで考 えられるのは、ザマタの星は地域によって見方が異なる存在であったのではないかとい う素朴な疑問である。たとえば、Aではふたご座の二星(α、β)、Bのケースはおう し座のヒアデス星団、さらにDの場合は、Eの聞き取り内容などと併せて考察すると、 おおいぬ座の通称サンカク(δ、ε、η)と呼ばれる股状の三星がかなり有力な候補に なり得る。また、それぞれに相応しい漁具としてY字形の釣り具を想定すると、やはり ハネゴ型が順当な選択であろう。その場合は、プレアデス星団も候補の一つに挙げられ る。ただし、Dの見方としてはソクマタ(ソク)と呼ばれる釣り具が適当である。これ は、底層部の深場にいるイカを釣る用具で、機能的には天秤型のトンボと変わらないが、 北海道の積丹地方では、この改良型とみられるヤマデやガッカラなどが使われていた。  では、北海道広尾町の事例はどうであろうか。このケースは、語意がハネゴに特定さ れるため、ザマタの星はおうし座のヒアデス星団と同定してよいだろう。記録されてい るオクサ(プレアデス星団)、ザマタ、サンコウ(三つ星)、アトボエ(おおいぬ座シ リウス)という出現順位の関係もそれを裏付けている。


 
◇ さまざまなザマタの星 ◇
〈上〉おうし座/〈左下〉ふたご座二星/〈右下〉おおいぬ座三星

 ところで、ザマタに関する記述では、資料の取り扱いについて留意すべき点があるの で少しふれておきたい。それは、『日本の星』(新装版)〔文0175〕と『日本星名辞典』 〔文0168〕の記述である。ここで紹介されているのは、石橋正氏からの報告による越後 (中頸城)の漁夫が伝承していたザマタであり、佐渡以外の新潟県沿岸域における貴重 な記録となるはずであった。しかし、以前から「ムヅラ・ザマタ・ムヅレ(オリオン) の順で出る」という記述に違和感があったため、この件について石橋氏本人に確認した ところ、新潟県ではザマタを記録していない旨の返事をいただいた。違和感というのは、 プレアデス星団のムヅラとオリオン座のムヅレという同類の星名を並べている点である。 ムヅラ系の呼称は、おうし座あるいはオリオン座のどちらか一方に充てられるのが一般 的で、双方に類似の星名を付与した事例はこれまでのところ記録されていない。 『日本星名辞典』には、イカ釣りと星に関する報告が多くあり、石橋氏以外からもさま ざまな情報が寄せられていたものと推察される。したがって、そうした情報整理の手違 いによって生じた可能性が高いと思われる一方で、石橋氏の報告として単純に地名を取 り違えて記述したという見方も捨てきれない。野尻抱影氏は、石橋氏からのザマタをは じめとする報告に対して、1952(昭和27)年にお礼のハガキを出しており、そのなかで ザマタの語源が判明したことに深い喜びを感じていたと記している。北海道広尾町の記 録は、1948〜1951年の間に行われた調査とみられることから、ハガキは北海道のザマタ 報告を念頭に書かれたものであろう。広尾の調査は『星の海を航く』に詳しく紹介され ており、その内容が『日本星名辞典』の記述と符合する点が多くみられることから、こ こに記されたザマタは、新潟県ではなく北海道の記録として捉えるのが適当と考えられ る。ただし、星名の記述は全く異なるので、その点は別な解釈が必要であろう。  これまでみてきたように、ザマタの語意や星名が、いずれも佐渡で生まれたことは明 らかである。一部の事例ではあるが県外への伝播も認められ、さまざまな観点から正真 正銘の「佐渡の星」と位置付けてよいであろう。今後、新たな記録や情報が加われば、 ザマタなる漁具と星の正体の解明に大きな力となることは間違いない。 【意 味】座股 【星座名】おうし座ヒアデス星団、他 【伝承地】新潟県 【分 類】配列/生業/用具

サンカク 

文字通りに星の配列を三角形に見立てた呼び名である。夜空には、一見して三角形と 見做しうる星の並びがいくつかあるが、おおいぬ座の場合はδ星を頂点としてεとη の二星が底辺を成す、いわゆる山形の安定した三角形を示す。このため、明るい星々 で賑わう冬の夜空にあっても比較的よく目立つ存在となっているのであろう。さらに、 恒星の中で最大光輝を放つ主星のシリウスが近くにあることから、人びとの注目を集 めやすいという好条件も備えた星といえる。それを具体的に示した事例が三陸沿岸の 一部地域に伝えられていた。そこでは、伝統的なイカ釣り漁で利用された一連の星々 のうち、シリウスの後に続く星としてサンカクが捉えられており、他地方のイカ釣り と星利用に関する伝承とは一線を画した利用体系の構築がみられるのである。 【意 味】三角 【星座名】おおいぬ座三星(δεη) 【伝承地】岩手県 【分 類】配列/知識/感覚

◇ おおいぬ座のサンカク ◇

サンカラボシ 

海老取川を介して羽田空港と接する大田区羽田地区は、かつて江戸前の海を代表する 漁師町の一つであった。ここでは、オリオン座の三つ星をサンカラボシと呼び、他の 沿岸地域とは異なる伝承がみられる。三は星の数に由来すると考えられるが「から」 の意味については不明である。ただし、江戸時代の大名である前田家、島津家、伊達 家を三柄(さんがら)大名と称した言葉があることから、これが三つ星と結びつき、 伝承の過程でサンカラに変化した可能性も考えられる。 【意 味】三から星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】東京都 【分 類】数/知識/その他
2020/01/25 

サンギ 

千葉県の内房地方には、三つ星の呼称としてサンギあるいはサンギボシが伝わってい る。主に沿岸域の漁師らに親しまれてきた星の名で、富津ではサンギリボシと転訛し ていた。また、東京湾をはさんだ対岸の横浜市にも同様の呼び名がある。この星は夏 の早朝に東から縦一文字となって現れ、やがて西空へ移ると三つ星の傾きが変わるこ とから時刻をみる目安になったという。  サンギは「算木」で、文字通り計算に用いる道具のことである。古代に中国より伝 来したもので、算盤上に並べて使用し、基本的な形状は四角い棒状の木片であった。 初期の時代は、マッチ棒のような細長いタイプであったようだが、その後はもう少し 太くて短い角棒タイプへと変化している。明るい色(無地あるいは朱色)と暗色(黒) があり、それぞれ正の数と負の数を表示できるようになっている。その後に伝来した そろばんとともに、和算でさかんに利用された道具の一つである。ただ、日常的な計 算においては、そろばんが庶民の間でも広く普及した一方で、近世前期に伝来した天 元術により算木の利用はより高度な算術へと特化した経緯があり、人びとの暮らしに とって馴染み深い存在であったとは考えにくい。  ところで、算木には計算とは異なる利用法が知られている。それは、易用としての もう一つの顔である。形状はやはり角柱の棒であるが、一般的に計算用のものより大 きめに作られている。易用の場合は四面中二面の中央付近に溝状の加工と彩色を施し ているのが特徴で、その面の違いは陰と陽を示し、これらを6本組み合わせて卦の相 を表すようになっている。しかし、算木自体は易占に使われたわけではなく、筮竹に よって得られた卦の相を分かり易く表示するための用具に過ぎない。とはいえ、易占 となれば日常生活とのかかわりはより密接となり、算木は多くの人びとの目にふれて いたはずである。それを裏付けるような事例を山形県で確認することができた。  山形市西方の中山町には、十八夜観音でよく知られた岩谷観音堂があり、かつては 多くの信者が参拝に訪れていた。その目的のひとつが、オナカマと呼ばれた口寄せ巫 女である。岩谷地区は昭和55年に廃村となったため、観音堂は荒廃し、関連する資料 の大半は現在町立の歴史民俗資料館において保管・展示されている。特にオナカマの 習俗に関わる資料は、国の重要有形民俗文化財に指定され、この中には易占用具の筮 竹と算木も含まれていたのである。これらが、口寄せ巫女らによって実際に使われた ものかどうかは不明だが、少なくとも岩谷観音の信仰をとおして多くの人びとが算木 の存在を知り、また目の当たりにする機会があったことだけは確かである。これは、 他の地域でも同じような状況であったと考えられ、算木が星名の対象となり得る素地 は十分に満たされていたとみてよいであろう。  さらに、算木を意匠とした家紋の存在も見逃せない。家紋は、血縁や地縁といった 社会的要素と直結しているほか、クヨウノホシ(おうし座)の事例にもみられるよう に、紋の意匠そのものが星を連想させる要素を持合わせている。サンギ(ボシ)は、 関東ばかりでなく東北地方や西日本などでも記録があり〔文0168〕、場合によっては 地域によって発想の原点が異なるということも認識する必要がある。 【意 味】算木星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県、神奈川県 【分 類】配列/生活/用具

 

◇ 異なる用途の算木 ◇
〈左〉計算用具の算木(北陸地方)/〈右〉口寄せ巫女の算木(山形県)

サンゲンボシ

この星の名は、神奈川県横須賀市周辺に伝承されている三つ星の呼び名である。地元 の漁師は、この星の出をブリ漁のはじまりと認識しており、また、この星の動きで時 刻を知ったとも説明していた。サンゲンのケン(間)はいわゆる間隔を示す際のいい 方であるが、これを三つ星にあてはめると、一間が約1.82bなのでδ星からζ星まで の間隔を約5.5bとみていることになる。ただし、横山氏の調査によると星の数を一ケ ン、二ケンと数えていたそうであるから、実際の距離を示したものではなく、単に三 つの「間」があるという認識であったかもしれない。この見方は、同地でいうシチケ ンボシにも通じるものがあるとみられる。 【意 味】三間星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】神奈川県 【分 類】配列/知識/感覚
2022/10/25 

サンコウ

三光はいわゆる日月星の総称で、オリオン座の三つ星をそれらに譬えた呼称である。 平安時代末期の『色葉字類抄』には「三光」の記載があり、「日月星又説三辰」の記 述がみられる。さらに、日は観世音菩薩=寶光天子、月は勢至菩薩=名月天子、そし て星は虚空蔵菩薩=普光天子として説かれる法華経の教えに沿った解釈が添えられて いる。また三光神としても信仰され、天照大御神(日)、月読神(月)、天之御中主 神(星)の三柱を祭神とする青麻神社や三光神社などがその代表と言える。  日本人と三光のかかわりを探るうえで欠かせないのは、昼間に三光が現れたという 記録である。今のところ最も古いのは、『三代実録』に記された貞観17年6月3日〜 5日(西暦 875年7月9日〜11日)の記録で、3日間に亘って「星月並晝見」という 状況であった。このとき(西暦 875年7月9日午後12時を想定)、太陽は高度約77° で南中し、その東側に黄経差約31°で月齢 2.4の月があり、さらに黄経差14°ほど東 に金星が認められていたはずである。その後、近世末までに記録された三光の出現と 考えられる事例は24件ほどあるが、そのうちの8割以上が月齢2〜4、あるいは月齢 25〜28の細い月と金星が近接する位置関係において発生していることが分かる。いず れも、金星が太陽から最も離れる最大離角の時期かそれに近い状況であり、しかも月 に近いという条件が揃ったために認知が可能であったと思われる。ともかく、三光の 出現が稀な現象であることに変わりはなく、各時代の人びとはそれを怪しみつつも次 第に吉祥の兆しと受けとめるようになった経緯を窺うことができる。  さて、星名としての三光については、『物類称呼』(1775年)に「江戸にて三光と いひ又三ッ星といふ」とあるものの、それ以前には明確に記述した文献が見あたらな い。この星名の背景にあるのは、信仰上の神仏としての日月星であり、それが三つ星 の姿を借りて夜空へ投映されているのではないかと推察される。愛知県などでサンコ ウサンと呼ぶ事例は、星を尊い存在と捉えている証であろう。東京都西部の山間地で は、「ヒチヨウ(北斗七星)、クヨウ(プレアデス星団)、サンコウ、シコウ(から す座)」という山の暮らしとかかわりの深い星々を表現した言い回しが伝わっている。 ここに挙げられているのは、基本的に信仰的な要素をもつ星名ばかりである。また、 埼玉県小川町で「ミツボシサマを見たらツルコ・ヒカリコ・タマアリコと唱える」と いうのも、三光と同じような見方が伝承されてきたことを示唆しており、単なるもの の譬えではない命名と言えるだろう。  星名の分布状況をみると、聞きとり調査では愛知県から北海道にかけての地域で記 録されているが、多くは漁業での利用が大きな特徴となっている。特に北国では、伝 統的なイカ釣り漁において重要な指標星であった。かつては、サンコウの星の出にイ カの豊漁を託した漁師が各地に存在したのである。こうした伝承からは、信仰的な要 素はほとんど感じられず、生業をとおして星名だけが伝播した可能性が高いものと思 われる。地域によってサンコウサン、サンコウノホシとも呼ばれる。 ※三光出現の記録は『日本天文史料』〔文0170〕、『近世日本天文史料』〔文0449〕  等に記された古典資料を参照。シミュレーションについては「お星様とコンピュー  タ(http://www.star.gs/)」のデータによる。 【意 味】三光 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】北海道、青森県、岩手県、秋田県、山形県、東京都、新潟県、石川県、愛知県 【分 類】数/自然/天文

サンコウノアトボシ

サンコウの伝承地が北国に多いことから、必然的に類似の分布をもった星の名である。 サンコウノアトヒカリと同じであるが、こちらは、シリウスを三つ星の後に続く星、 つまり「後星」とみた星の名である。ただし、三つ星とシリウスの出現時間差は約2 時間もあり、一般的な後星の感覚とは異なる。イカ釣り漁においては、ぎょしゃ座の カペラからシリウスに至る「星の出の連続性」が重要であり、このような表現が多数 伝承されている。 【意 味】三光の後星 【星座名】おおいぬ座シリウス(α) 【伝承地】北海道、青森県、岩手県、山形県 【分 類】位置関係/知識/従属
2020/03/25 

サンコウノサキボシ

サンコウ(三つ星)に対するサキ(先)の星は、一般的におうし座のアルデバランを さすことが多い。プレアデス星団と三つ星の間に位置しているので、プレアデス星団 からみればアトボシ(後星)の関係である。このような関係の呼称は、ほぼ同じライ ン上に特徴的な星が連なるという状況なくしては発生しなかったものと思われる。 ところで、青森県の下北半島沿岸域では、アルデバランではない事例が伝承されてい た。ここでは、アルデバランと三つ星の間にある星が対象となっており、この地の星 名体系や星の出現順位との関係から、オリオン座のベラトリックス(γ星)をイカ釣 りの際のアテ星としていたことが分かる。普段はほとんど注目されることのない星だ けに、生業と星利用の関係の深さを改めて示唆するものと言えよう。 【意 味】三光の先星 【星座名】オリオン座ベラトリックス(γ) 【伝承地】青森県 【分 類】位置関係/知識/従属
2015/07/20 

サンコノアトボシ

おおいぬ座のサンコウノアトボシと類似の呼び名であるが、こちらはふたご座の二星 (カストル、ポルックス)に注目した星の名である。青森県下北地方の伝承では、サ ンコボシよりも少し北寄りに、一つまた一つと出てくる星とされている。北尾浩一氏 の検証によると、南関東や西日本では確かに三つ星より後に出現するものの、下北地 方においてはカストル−三つ星−ポルックスの順に出現することが明らかになった。 つまり、カストルに関してはアトボシになり得ない事実が確認されたのである。しか し、聞き取り時の内容から判断してふたご座二星の可能性が高いことに変わりがない ことから、この事例では二つの星を一続きのアトボシと見做していたのではないかと 推測される。今のところ確証は得られていないが、かなり特異的な見方であると言え よう。 【意 味】三光の後星(転訛形) 【星座名】ふたご座カストル(α)、ポルックス(β) 【伝承地】青森県 【分 類】位置関係/知識/従属

サンコボシ

北国で、イカ釣りの指標星の一つとして記録されている。三つ星に対する星名という ことで、サンコを三個とする見方もできるが、他の伝承事例などから判断して、やは りサンコウが転訛した呼び名とみるのが順当であろう。横山氏の調査では、秋田県南 部の沿岸域でサンコノボシと呼ぶことが確認されている。 【意 味】三光(転訛形) 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】北海道、青森県 【分 類】数/自然/天文

サンジボシ 

オリオン座は冬の星座であるが、日本ではさまざまな生業において、真夏の夜明け前 に東天に姿を現す三つ星に注目していた。類似の伝承が各地に見られ、神奈川県真鶴 町では、この星が三時ころに出るといって三時星と呼んでいる。その背景には、おそ らく「三つ」の星と「三時」という数の共通性が意識されていたものと考えられるが、 実際に三時ころの星の出を実感できるのは8月上旬の限られた期間である。 【意 味】三時星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】神奈川県 【分 類】時・季節/知識/その他

サンジャクボシ

利根川下流域に伝承された星の名である。千葉県関宿町の伝承では、三尺くらいの幅 で三つの星が並んでいるという説明があった。三つ星の並びを、長さにして三尺ほど の幅に喩えたことに由来している。一尺というのは約30.3aであるから、三尺は約 90.9aということになり、夜空の実感としても適度な感覚ではないだろうか。 ただし、単に長さだけでなく、ここに三尺帯などを連想した可能性もある。同じ利根 川下流域には、シャクゴボシという三つ星を物差しに見立てた星の名があり、そのよ うな発想の経緯を考えると、具体的な物とのかかわりも浮かびあがってくる。古くは 三尺手ぬぐいがあり、後の三尺帯はかつて人々の暮らしにとって馴染み深い生活用品 であった。その奥に隠された長さの単位は鯨尺と呼ばれるもので、これはシャクゴボ シの原点としても知られている。実は先に示した一尺=約30.3aというのは、曲尺 (かねじゃく)をもとにした単位であり、鯨尺のそれは曲尺の約1.25倍で約37.9aと なる。したがって、この星名が発生した当時は、おそらく三尺の長さを現在の私たち の感覚よりもより長く見積もっていたものと推測される。ところで、現代の三尺帯は その名称とは裏腹に、相当長い帯と化しているものが多いのは残念である。 【意 味】三尺星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、千葉県 【分 類】配列/知識/感覚
2017/02/19 

サンジャサマ

群馬県邑楽町で記録された三つ星の名であるが、意味に関する伝承はない。この地域 では、一般に三つ星をサンジョウサマと呼んでおり、当初はその転訛形の一つと推測 された。しかし、その後隣接する栃木県西部地域で三つ星を「三神様」と呼ぶ事例が 確認されたことから、サンジャはやはり「三社」を示すものと考えるようになった。 この場合、三社の対象が何であるかは不明だが、一般的には三社託宣でよく知られた 伊勢神宮、石清水八幡宮、春日大社と解するのが適当であろう。かつては、天照皇大 神、八幡大菩薩(大神)、春日大明神を掛け軸に描き、その託宣によって信仰が広ま ったという経緯をみても、三社が三つ星の呼称と結びつく可能性は十分にあったとも のと思われる。 【意 味】三社様 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】群馬県 【分 類】数/生活/信仰
2023/03/25 

サンジョウサマ

利根川中流域の埼玉県北西部から、群馬県にかけて伝承されている星名である。地域 による転訛事例が多く、他にサンジョウサン・サンジョウノホシ・サンジョウボシ・ サンジョサマ・サンジョノホシ・サンジョボシなどが記録されている。利根川本流域 の分布圏は、下流域を主な伝承地とするサンチョウ系と接しており、関東地方におけ る三つ星の主要な星名系の一つである。  サンジョウは「三星(サンショウ)」の意味と考えられ、よく知られた明星と同じ 捉え方といえる。近世初期の『易林本節用集』に「七星(シッシャウ)」とあるのを はじめ、同時代の『運歩色葉集』なども含めて、各星名について貧狼星(トンラウシ ャウ)・巨門星(コモンシャウ)・破軍星(ハグンシャウ)などと記されている。ま た、『訓蒙図彙』(1666年)の「星(せい・しゃう)」という記述をみても、近世に おいては一般的な字音仮名遣であったようである。尤も、福島県ではサンジョノホシ を三女の星と伝えているので、本来の意味が失われたことを示している。  この星名系に関する伝承では、埼玉県寄居町に「サンジョウサマがおひる(南中す ること)になるまで夜なべ仕事をした」というのがあり、群馬県長野原町でも「サン ジョウサンが山に入ると夜が明ける」と伝えていた。三つ星が夜明け時分に山入りす るのは晩秋から初冬の頃で、当地でもかつては夜なべ仕事が行われていたのであろう。 それらはおそらく機織りのことで、当時は毎晩10時過ぎまでサンジョウサマを見なが ら働いていたようである。そのほか、埼玉県の岡部町や川本町・東秩父村、群馬県の 中之条町でもこの星の位置や動きから時を計っていたことが分かる。さらに、寄居町 ではサンジョまつりと呼ばれる行事があり、月のない星がよく見える夜、家の中に灯 明(ロウソク)をあげて収穫された野菜などを供え、サンジョウサマを拝むものであ った。戦前までは各家で継承されていたようだが、残念ながらサンジョウサマを祭る 目的は不明で、他地域での事例も見あたらない。  ところで、サンジョウ系の分布域では、月待行事としての二十一夜あるいは二十二 夜が信仰されてきた。その主体は安産祈願に特化しており、多くは「二夜さま」と称 する女人講によって運営されてきた経緯がある。埼玉県花園町の調査では、「昔は、 二夜さまの行事へ出かける道で、よくサンジョサマを眺めた」と聞いている。分布域 の重なりだけでなく、このような場面においてもサンジョウの星と月待信仰が結ばれ ていたのである。  サンジョウは、サンチョウとともに三星を語源として、利根川流域の自然や文化に よって育まれた星名といえるであろう。 【意 味】三星さま 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】福島県、群馬県、埼玉県 【分 類】数/知識/数詞
2017/02/19 

サンジンサマ 

この星名は、栃木県足利市郊外の農村市域で伝承されている。サンジンとは三柱の神 のことで、オリオン座の三つ星をそれぞれ神に譬えた呼び名とされる。ただ、一口に 神と言っても、単に漠然とした神の存在を捉えたものなのか、それともある特定の神 名を想定したものなのかはっきりとしない。当地では、星宮神社境内に三日月塔(造 立年不詳)や「三光待講中」によって寄進された石灯籠(1801年建立)があり、仮に こうした信仰を背景として生まれた星名であるとするならば、三柱の神に該当する神 名は自ずと絞られてくる。星宮神社の主祭神は瓊瓊杵尊で、明治期には月読尊も祭神 として祀られていたようであるから、ここに日の神として知られる天照大神が加われ ば正に「三光」を司る三神となるであろう。ただし、隣接する群馬県南東部地域では、 三社(伊勢神宮、石清水八幡宮、春日大社)の託宣に由来すると考えられる星名「サ ンジャサマ」が記録されており、それらの象徴として掛け軸などに描かれた天照皇大 神、八幡大神、春日大明神を対象としたのではないかとする見方も残されている。 【意 味】三神様 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】栃木県 【分 類】数/生活/信仰

サンズイボシ 

この星名は、東の空に次々と現れる三つ星の様子を表現したものである。サンズイの サンは言うまでもなく星の数をさすが、ズイには後から従うように出てくるという意 味があるものと考えられる。東京湾岸の内房地方にあって、ごく一部の地域に伝承さ れた星名であり、強い地域特性に支えられた伝承といえる。 【意 味】三ずい星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県 【分 類】動き/自然/感覚

サンダイサマ 

オリオン座の三つ星をサンダイ云々と呼ぶ事例は福島県に多くみられるが、隣接する 宮城県や茨城県北部にも類似の星の名が伝わっている。当初からサンダイだけの呼称 であったのか、あるいは福島県の事例のようにサンダイシが簡略化されて変化したも のか明らかではないが、地理的なつながりを考えると後者の可能性が高いのではない かと思われる。いずれにしても、サンダイは三つの大きな星をイメージした発想であ ろう。サンダイボシともいう。 【意 味】三大様 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】宮城県、茨城県 【分 類】数/生活/信仰

サンダイシ 

茨城県や福島県の浜通り地方で記録された星名である。いわき市四倉町では漁師によ って伝えられており、サンダイシサマとかサンデェシサマなどともいう。福島県内に は類似の呼び名としてサンダイショウやサンタイボシなどがあり、これらとの関連も 考えられるが、今のところダイシというのは大師の意味と解釈されている。同県内に は11月4日、14日、24日をそれぞれ初大師、中の大師、あがりの大師として三大師と 称し、各家庭で大師様に粥などを供える行事が行われていたそうであるから、そうし た地域の信仰が星の名へと結びついたものと推測される。 【意 味】三大師 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、福島県 【分 類】数/生活/信仰

サンダイショウ

福島県の中通り地方で記録がある。霊山町では、ムヅラ(プレアデス星団)の後から 出る三つ並んだ星と伝承されていた。ショウは、明星などと同じ「星」の意味と考え られ、三つ星を大きな三つの星とみた呼称である。 【意 味】三大星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】福島県 【分 類】数/知識/数詞
2019/04/25 

サンタイボシ

三つ星の名として福島県北西部で記録され、その後西日本の滋賀県にも伝承されてい ることが判明している。ただ、いずれのケースもサンタイの意味は明確でなく、三つ 星を「三体」とみたものか、あるいはサンダイボシが転訛した「三大」なのか判然と しない状態であった。従来の記録によると、『日本星名辞典』〔文0168〕や『日本星 座方言資料』〔文0167〕では、サンタイボシを「三体星」の意味と推察しており、福 島県や富山県、新潟県が伝承地と報告されている。また、類似の星名として富山県に サンタイブツサン(三体仏さん)があり、愛知県にもゴサンタイ(おそらく御三体) という星名を確認することができる。こうしてみると、滋賀県のサンタイボシも東日 本からの伝播もしくは類似の発想から生まれた星名といえそうである。三体といえば、 先の三体仏のように星を信仰の対象として捉えたのではないかと考えられるものの、 確証は得られていない。今のところ、岐阜県内の記録にはサンタイボシは見当たらず、 滋賀県での分布も不明であることから、さらなる具体的事例の収集が不可欠である。 なお、ずっと西へ移って長崎県にはサンタイヨコジキと呼ばれる星がある。これも三 つ星の呼称とされているが、この場合のサンタイは後に続くヨコジキ(漁網の一種) と深くかかわっている可能性があるため、別な切り口からのアプローチが必要であろ う。地域によりサンタイボシサマとも呼ばれる。 【意 味】三体星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】福島県、滋賀県 【分 類】数/知識/その他
2023/03/25 

サンチョウボシ

◇ 利根川流域の三つ星呼称  これは、安永年間の『物類称呼』〔文0198〕に、「東国にて三ちゃうの星と呼」と 記された星名のことである。調査による分布状況をみると、この場合の東国は広義の 領域ではなく、関東を中心とした地域が対象と考えられる。特に、群馬県東部から栃 木・埼玉・茨城・千葉各県の利根川中・下流域において、集中した分布を示している。 なお、これより西側の地域にあたる埼玉県北西部や群馬県中部から西部・北部にかけ ては、サンジョウ系の星名が主体となる。ただし、サンチョウ系の分布域内では、千 葉県北西部から茨城県南西部を経て栃木県南部までシャクゴボシが分布し、これら三 つの系統が利根川流域におけるオリオン座三つ星の伝統的な星名圏を形成しているの である。前出の『物類称呼』には、常陸地方でものさしを「しゃくご」と呼ぶことが 紹介されているものの、シャクゴボシ自体の記載はない。おそらく、サンチョウ系の 分布域の一部で、後にシャクゴボシへの置換わりが生じたものと推測される。  さて、こうしたサンチョウ系とサンジョウ系の棲み分けは、一体どのような意味を もっているのであろうか。そこには、関東地方を代表する二つの星名系の関係や由来 にかかわる重要な手掛かりが示されていたのである。


◇ 利根川流域の三つ星呼称分布図 ◇

◇ サンチョウの意味  サンチョウボシやサンチョウサマ・サンチョウノホシなどの星名は、従来からの解 釈として「三丁」が語源ではないかと考えられてきた。しかし、単純に丁という字を 充てるのが適切かどうか、改めて検証する必要がある。そもそも、三丁の見方は三つ 星をそのまま3個の星として捉えることが解釈の基本となっているが、このような数 え方は丁という字がもつ本来の意味にそぐわないものである。  丁は、「丁合」や「折丁」などの語からも分かるように偶数を基本とし、2および 2で整除される数(または2の倍数)で示される。サイコロを振って勝負するときの 丁と半も、丁は偶数の目を表象している。助数詞として丁を使う事例は少なくないが、 たとえば「豆腐1丁」の場合は、本来2個分の豆腐を指しており、1個だけ欲しいと きは「半丁」と称していた。おはじきも1個だけでは遊べないため、2個一組で1丁 としたのであろう。従来のように「三丁」の星と呼ぶならば、それは6個の星を意味 することになってしまう。したがって、星を数える助数詞としては相応しくないと言 えるのである。  では、チョウの正体は何なのか。いくつかの手掛かりについて検討してみたい。ま ずは『物類称呼』の記述に注目すると、「三ちゃうの星」のちゃの部分に傍線が施さ れている。凡例では「方言の読法」を示すとされており、何らかの方言として捉えら れていることが分かる。つまり、「ちゃ(ちょ)」は本来の語から転訛した可能性が あると考えてよいだろう。  ところで、サンチョウ系の星名を伝承している一部の地域では、類似の見方による 星名体系が認められる。埼玉県幸手市の場合は、ロクチョウボシ(プレアデス星団) やナナチョウボシ(北斗七星)・イッチョウボシ(金星)があり、他にも埼玉県加須 市と千葉県野田市のナナチョウや埼玉県川本町のヨンチョウノホシ(からす座)がみ られる。いずれも星の数が異なるだけで、共通した命名の原意が貫かれているのであ る。しかし、幸手市にはもう一つミョウチョウという星名が記録されている。イッチ ョウボシと同じ金星の呼称だが、星の数ではなく明らかに「明星」の転訛形である。 つまり、チョウの原意が星(ショウ)にあることを示す重要な事例といえる。 ◇ サンチョウとサンジョウ  ここで、再び利根川流域の星名分布に注目すると、サンチョウ系の分布域とサンジ ョウ系の分布域は、栃木・群馬・埼玉の県境が交わる付近からやや西寄りに存在する 境界ラインで接している。現在はシャクゴボシの分布となっている地域についても、 かつてはサンチョウ系が優占していたものと推察されるため、利根川流域では上流か ら下流域に至るサンジョウ系+サンチョウ系から成る一大伝承圏が形成されていたこ とが分かる。そして、いずれの星名系も本来は三星(サンショウ)を原意として発生 したか、あるいは伝播の過程で転訛しながら分布域を分かつようになったものと考え られるのである。そのことを裏付ける一つの事例として、埼玉県内の記録を比較して みたい。  対象となるのは、サンチョウ系の伝承地である幸手市と、サンジョウ系の伝承地で ある東秩父村の事例である。 〈幸手市の星名系〉  A1:オオサンチョウ(オリオン座三つ星)  B1:コサンチョウ(オリオン座小三つ星)  C1:ナナチョウボシ(おおぐま座北斗七星) 〈東秩父村の星名系〉  A2:サンジョウサマ(三つ星)  B2:ヨコサンジョウ(小三つ星)  C2:ヒチジョウノホシ(北斗七星)  以上のうち、三つ星と小三つ星の呼び分けは群馬県にもあり、片品村でオオサンジ ョ・コサンジョが記録されている〔『日本の星名事典』文0310〕。既に紹介した加須 市と野田市のナナチョウの事例などを含めて総体的に判断すると、これらの星名系は いずれも星(ショウ)で表現される命名を基本として派生したと捉えることができる。 そして、ショウからチョウへの転訛についても、北斗七星におけるシソウ→チソウの 事例が示すように、容易に起こり得るケースといえるであろう。  また、呼称そのものの矛盾点として「三星の星」や「三星星」など重複する語が含 まれることについては、サンジョウ系でも同様の傾向が認められる。こうした転訛は、 伝承・伝播の過程で「三星」という本来の意味が忘れられた結果としての所産である。 ◇ 星名と信仰をめぐって  これまでみてきたように、三星(サンショウ)を母体とする星名の多様性は、サン チョウ系とサンジョウ系という棲み分けに止まらず、系列内における転訛の特性にも 及んでいる。それらは、地域の文化や信仰・行事などと密接にかかわる分布を示して いるのである。その顕著な事例が、月待と産神信仰をめぐる習俗に表れていた。  利根川流域における月待信仰は、上流域から下流域に向かって二十一夜・二十二夜・ 十九夜と変化し、これらとは別に総体的な二十三夜待が存在している。注目されるの は、二十一夜を含む二十二夜と十九夜の信仰圏が、サンジョウ系とサンチョウ系の分 布域とほぼ重なるということである。利根川から離れるにしたがってその関係性は弱 まるものの、少なくとも本流筋一帯では明確な事象である。十九夜をはじめとする月 待は、いわゆる安産祈願を主眼とした特性を有しており、そのベースとなる潜在的な 産神をめぐる信仰形態の違いが、流域の言語特性と相俟って星名の多様性を促した可 能性は否定できない。  鎌田久子氏によると、当流域の産神は子安信仰と産泰信仰に二分され、前者は千葉・ 茨城の2県に、後者は埼玉・栃木・群馬3県を主体に分布することが報告されている 〔『利根川』文0150〕。つまり、東部におけるサンチョウ系伝承域では子安信仰が、 西部のサンジョウ系伝承域では産泰信仰が主流ということになる。埼玉県東部から栃 木県南部・群馬県東部の一部については、サンチョウ系でありながら産泰信仰圏に含 まれるが、元来十九夜信仰そのものが子安信仰と深いかかわりがあることを踏まえる と、違和感は感じられない。おそらく、在来の産泰信仰とは別に、下流域における子 安信仰の一部が十九夜信仰と習合しつつ、中流域へ伝播したものと考えられるのであ る。そこでは、両者に共通する習俗として犬供養の存在が重視されている。  安産祈願の月待講と星名伝承にみられる特異な関係は、利根川流域の文化を考える 上で新たな視点を生み出したといえるであろう。 【意 味】三星ぼし(転訛形) 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県 【分 類】数/知識/数詞

2023/03/25 

サンチョウレン

サンチョウ系の星名において、他の転訛形とは一線を画した分布を示すのがサンチョ ウレンである。サンチョウは「三星(サンショウ)」なので、三星連の意と解釈する のが適切であろう。千葉県神崎町では、「星が三つ並んでいるから」との説明があり、 同県山武市の農家の女性も「星が三つ連なっている」と表現していた。 ところが、 山田町で聞きとりを行った農家の女性は、星名をサンレンチョウと伝えていて、かつ ては年寄りからよく聞かされたということである。この場合は「三連星」の意味とな り、三つ星の見方としては「三星連」よりもしっくりする。  いずれにしても、調査記録の伝承地は、房総半島北東部の利根川下流域が主体であ る。今のところ、茨城県側や河口がある銚子付近では確認されておらず、比較的狭い 地域での呼称といえるであろう。九十九里沿岸の山武市の事例は、伝承者の出身地で ある芝山町の星名として伝わった可能性がある。  ところによって、サンチョウレンノホシとも呼ばれている。 【意 味】三星連(転訛形) 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県 【分 類】数/知識/数詞
2023/03/25 

サンチョロサマ 

千葉県山武市の九十九里浜で、地元の元漁師が伝承していた三つ星の呼称である。こ の一帯では、かつて半農半漁の暮らしが営まれていた。漁業では、和船時代からハマ グリを主体とした貝漁が継続され、帆掛け船で三角枠の漁具を曳くコロガシ漁が盛ん であった。しかし、この星名と漁労に関する具体的な伝承はなく、生業の主体も農業 であったとみられることから、漁業の星というよりはむしろ農業において利用された 星名ではないかと考えられる。それは、サンチョロの原意が利根川の中・下流域に分 布するサンチョウ系に求められることで理解できるであろう。ただし、サンチョウそ のものが「三星(サンショウ)」からの転訛であるため、そこからさらに転訛した事 例ということになる。したがって、サンチョロ自体は特に意味をもたない言葉とみて よい。  なお、同市内では農家の女性が伝えるサンチョウレンの記録があり、他の外房地域 とは異なる星名系が伝承されてきたものと推察される。 【意 味】三星さま(転訛形) 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県 【分 類】数/知識/数詞

サンテン 

東京湾の沿岸地域では「三」を基調とした三つ星の呼び名がいくつか記録されている が、このサンテンもその一つ。伝承されていたのは、埋め立てによる沿岸開発で都市 化が進んだ千葉県船橋市の船溜まりである。かつて、夜間のコノシロ漁やワタリガニ 漁に従事していた漁師らが利用していたそうで、時間とともに西へ西へと移動するこ とから、時を知る目安になったという。サンテンは「三点」の意味と考えられ、整然 と輝く星の連なりを単純明快に三つの点と表現したものであろう。今のところ他の湾 岸地域では見出されていないため、同県の内房地方で記録されたサンズイボシなどと 同様に強い地域特性に支えられた伝承といえる。 【意 味】三点 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県 【分 類】数/自然/状態
2018/10/21 

サンデッシャマ 

栃木県の三つ星呼称といえば、サンチョウボシ系やシャクゴボシ系が中・南部地域を 主体にやや広範な分布域を構成している。これは、県内ばかりでなく周辺の他県域も 含めての傾向である。そうした状況を踏まえると、サンデッシャマは栃木県内におけ る全く新しい系統の呼び名として特に注目されるものである。その原意は「三大師様」 の転訛形であり、本来は宮城県や福島県、茨城県などに伝承されている星名に連なる 事例の一つと認めることができる。記録されたのは県中東部の那須烏山市内で、地理 的に茨城県境に接しつつ福島県にも比較的近いという特性から、おそらく茨城県経由 で伝播した可能性が大きいと推測されたが、この時点ではまだ確証を得ることはでき ずにいた。しかし、その後の調査で隣接する茨城県常陸大宮市の鷲子地区でサンデッ シサマという星名を記録するに至り、ようやく伝播ルートの一端が明らかとなったの である。その舞台となった県境付近の低山地域では、微妙な転訛を繰り返しつつ伝播 したのではないかと考えられものの、今後はさらに北部地域の星名分布や伝播状況を 確認するなど、継続した調査が必要であろう。なお、三大師の意味については「サン ダイシ」の項で詳しい解説を行っている。 【意 味】三大師様(転訛形) 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、栃木県 【分 類】数/生活/信仰

サンバンボシ 

三つ星は、ほぼ真東の空に少し間をおきながら縦一文字となって上ってくることで知 られている。こうした情景が見られるようになるのは夏の土用のころが最初で、各地 にさまざまな伝承がのこされていることから、多くの人びとが関心を持っていた様子 が窺える。同じような明るさの星が一つ、二つ、三つと姿を現し、やがて端正な一本 の線となるわけであるから、これらを一番の星、二番の星、三番の星と捉えたとして もごく自然の成り行きであったと考えられる。したがって、サンバンボシの三番は単 に「三番目の星」という意味ではなく、三つの星全体を捉えて「三番」と名付けたも のと理解したい。この星名は、当初千葉県の内房沿岸で記録されたが、その後は遠く 離れた鳥取県でも聞かれ、その命名の類似性に驚かされている。 【意 味】三番星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】千葉県、鳥取県 【分 類】数/自然/状態

サンボウシ 

福島県いわき市の漁師町に伝承されている。同県内には、サンダイシサマやサンダイ ボシ、サンダイショウなど「三」を冠した星名が記録されており、サンボウシもそう した系列に連なる事例と考えられる。したがって、この場合のサンボウシは「三法師」 と解するのが適当であろう。文字通りに三人の高僧と見たか、それとも単に三人の人 間と見たか、あるいはサンダイシと同様に大師講に由来するものなのか判然としない が、いずれにしても信仰を背景として生まれた星名であることは確かなようである。 【意 味】三法師 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】福島県 【分 類】数/生活/信仰
2023/05/25 

サンボシ

 茨城県南部から静岡県の伊豆地方にかけて、沿岸域の漁労者を主体に伝承されてい る星名である。特に千葉県では、東京湾内奥部の市川市から太平洋側の銚子市まで房 総半島の沿岸全域で記録され、同県における三つ星の主要な呼称となっている。  サンボシは、ミツボシと同様に3星の特徴的な並びを単に「三星」と命名したもの で、各地の伝承をみると、東天から縦並びで出現する様子に注目していたことが分か る。具体的には、地域によって以下に示すような利用が図られてきた。 〈時刻を知る〉静岡県東伊豆町稲取では、かつてのイカ釣り漁でこの星を利用し、秋  の夜中の出現状況から時刻を認識していたのである。茨城県神栖市や千葉県南房総  市、神奈川県横須賀市でも、サンボシの位置や動きから時を計っていた。 〈夜明けを知る〉サンボシは、ほぼ真東から昇る。これを夜明けのサインと捉えてい  たのが、千葉県いすみ市と鋸南町の漁師である。後者の事例では、夜間の漁におい  て、この星の出を夜明けの前兆と捉えていたことになる。  〈夏の三つ星〉オリオン座は、一般的に冬の星座として親しまれている。しかし、多  くの漁労者が注視したのは、夏の三つ星であった。サンボシが東天に姿を見せるよ  うになるのは、夏の土用の頃となる。そうした状況について、千葉県市川市塩浜で  は、「夏の夜にマキ網漁をしていると、東にサンボシがあがり、ヨアケノミョウジ  ョウも出てくる。そろそろ漁を終えて港へ帰る頃だ」と伝えていた。また、同県鴨  川市吉浦の漁師は、「7月になると夜明けにサンボシが出てくる。若い頃はよく朝  寝坊をして、古い漁師からサンボシが天井くらいに上ったからもう起きろと言われ  た」と教えてくれた。夏の朝とサンボシの関係は、木更津市でも複数の漁師から聞  いたことがある。  このように、サンボシに関する伝承は、基本的にミツボシの星名にかかわる利用と ほぼ同じパターンである。漁労全般における三つ星の重要性を考えれば、当然のこと であろう。ただし、千葉県の場合は多様な三つ星の呼称が記録されており、そのなか にあってサンボシは卓越した存在感を示しているのである。 【意 味】三星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、千葉県、神奈川県、静岡県 【分 類】数/知識/数詞

シカクボシ

四つの3等星が描く四辺形を、そのまま四角形とみた呼び名であり、埼玉県東秩父村 で記録されている。夜空には大小さまざまな四辺形がみられるが、四角星という見方 は少ない。からす座の場合は、ペガススの方形に比べるとかなりいびつな四角形であ るが、星名形成のポイントは形状よりも利用の可否に重要な視点があったものとみら れる。ヨツボシと同じように、小さくまとまった形と動きが注目されたもので、山の 暮らしにおいて欠くことのできない存在となっていた。 【意 味】四角星 【星座名】からす座四辺形(βγδε) 【伝承地】埼玉県 【分 類】配列/知識/感覚

シコウ

東京都の奥多摩町に伝承された星の名である。からす座の四つの3等星を、そのまま 光る星(四光)とみたもので、特に意味をもたない呼び名と考えられる。この地域で はオリオン座の三つ星をサンコウと称しており、日常生活において主に利用した星を 示す表現として「ヒチヨウ(北斗七星)、クヨウ(プレアデス星団)、サンコウ(三 つ星)、シコウ」といういいまわしが伝承されている。ここに登場するのは、山の暮 らしにおいていずれも重要な星であり、かつてはこのような伝承を通じて知識の共有 化が図られていたのであろう。 【意 味】四光 【星座名】からす座四辺形(βγδε) 【伝承地】東京都 【分 類】数/知識/その他

シシャグボシ 

ヒシャクボシにはいくつかの転訛形が知られているが、宮城県北部沿岸の一部地域で これをシシャグボシと呼ぶところがある。今のところ、同地域で使用された柄杓がど のような形状や材質であったかは不明だが、おそらく全国各地でさまざまな柄杓を連 想していたことであろう。 【意 味】柄杓星(転訛形) 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】宮城県 【分 類】配列/生活/用具

◇ 基本的な竹柄杓 ◇

2023/02/25 

シソウ

北斗七星の呼称において、古い歴史をもつ星名の一つである。シソウの原意は、四三 (数字の4と3の組み合わせ)で、2個のサイコロを振ったときに出る目に由来する といわれている。いわゆる桝の4星(αβγδ)と柄の3星(εζη)について、そ れぞれ賽に刻まれた点の数とみたようである。  サイコロは、それが使われた博戯などと深くかかわり、その一方で古い時代から営 まれてきたとみられる造船儀礼でも、重要な役割を担ってきたことが知られている。 そうした歴史を顧みながら、シソウと北斗七星の関係について考察してみたい。 ◇ 雙六とサイコロ    古代に遡る博戯の代表といえば雙六で、『日本書紀』にみられる 689(持統3)年 の「禁断雙六」という記述などから、さらに古い時代に中国から伝来したものと考え られている。その際にサイコロも伝わったと推察されるものの、その詳しい形態は分 かっていない。日本の出土品にみられるサイコロには、いわゆる立方体タイプのほか に、平城京趾や大宰府趾で発掘された木製角柱状のもの(いずれも8世紀頃)、さら に長屋王邸宅跡から出土した木製八角柱などの棒状タイプがあるが、「雙六は、立方 体の二つのさいころを用いる盤上遊戯で、ルール上他のさいころは考えられない」と いうのが一般的な見解であろう〔『さいころ』文0465〕。したがって、四三の目を示 すサイコロは、対面する点の和がいずれも7になるように作られた立方体タイプのも のと考えてよいだろう。  平安中期の『倭名類聚抄』には、雙六の一名を六采として俗に須久呂久ということ が記されている。その後の近世にかけての資料も、大方は雙六あるいは雙陸である。 一方、サイコロについては『倭名類聚抄』の雙六采をはじめとして、多くの資料に塞 や頭子・骰子・投子などさまざまな表記がみられる。  それでは、2個のサイコロによって生み出される四三の目とは、どのような意味を もっているのであろうか。古代歌謡集〔文0464〕所収の「催馬楽」には、大芹と題し た雙六に関する戯れ歌があり、その末尾に「四三さいヤ」がみえる。『箋注倭名類聚 抄』の雙六に関する記述では、スグロク(後にスゴロクに転訛という)の名の由来と されるサイコロの目の種類として畳一・畳二・朱三・朱四・畳五・畳六を挙げ、いわ ゆる1から6までの各目が重なるのを貴としていたことが分かる。この場合、畳は重 と同じ意味合いを示しているものの、3と4だけが重三や重四ではなくなぜ朱三・朱 四となっているのか、それは唐の玄宗帝が楊貴妃と雙六をした際の故事によるという ことが近世に及ぶ多くの資料で取り上げられている。その中で、少し解釈を異にする 記述が『下学集』で確認された。ここでは、玄宗帝の故事に倣った後一条院が雙六を 行った際に望んだ賽の目が、重三や重四ではなく四三になっていて興味深い。  それはさておき、『和字正濫要略』では重は「シュ」で「シュウ」の転語であり、 習三・習四と書くとも記している。また、天正期の『塵滴問答』には、雙六に関して 2個の賽を日月に譬え、それを振る筒は須弥山を表すとし、一六や五二の目とともに 「三四ノ目ハ三身如来ノ四弘誓願ヲ表ス」とあるのが認められる。このように、近世 以前の古典資料からは、古来より3と4の目が注目されてきた事情を窺い知ることが できる。 ◇ フナダマ信仰とサイコロ  フナダマは、船霊あるいは船玉などと表記され、主に木造船(多くは帆船)時代に おける主要な造船儀礼として知られている。その初見とされる記述が『続日本紀』に あり、 763(天平宝字7)年に高麗国へ派遣された船が帰朝の折に暴風雨に遭遇した とき、船霊への祈願によって無事に帰ることができたというもので、船の守護神とし て信仰されていたようである。  これを具現化したのがフナダマサマと呼ばれる造船儀礼で、ほぼ全国に分布してい る。調査では宮城県から宮崎県に至る14県で確認されているが、詳細な記録は得られ ていない。一般には、新造船の舟おろしに際して船大工(棟梁)が行うものとされて おり、木造船の帆柱を支える重要な構造部であるツツと呼ばれる一部に小穴を彫り、 その中に人形や女性の毛髪・サイコロ・古銭などを入れて封印するのである。こうし た習俗は、ゴシン入れあるいはゴシン納めなどと称され、祭文を唱える事例が多く見 受けられる。  ここで注目したいのはサイコロの扱い方で、通常は単体を2個、もしくは一面だけ 繋がった2個一組のものが使われる。そして1の目を上(天)に向け、6は下(地) に、3はオモテ(船首側)で4をトモ(船尾側)とし、5はオモカジ(左)で2はト リカジ(右)という納め方が広く伝承されてきた。最後の5と2の目については、外 側(左右)が5で内側に2を合わせる伝承も少なくない。いずれにしても、天1・地 6・オモテ3・トモ4という納め方は、全国的にほぼ共通した要素であることが分か る。聞きとり調査でも、神奈川県や岡山県・山口県・高知県・大分県・宮崎県でフナ ダマサマにサイコロを入れることは確認できたが、目の置き方に関する伝承は聞くこ とがなかった。元来が、船主などから見えないようにひっそりと行われることから、 漁師らが詳細な状況を把握していないのは無理からぬことである。文化年間の『廻船 安乗録』〔文0459〕にみられる「船頭船棟梁衣服を改ため身を清浄にして、子持の上 筒木(つつき)の下を彫、船神を納るなり。是を神入といふ。(中略)納め方は秘伝 あり」という記述が、それをよく物語っている。  さらに、サイコロの目は四象を表すともいわれている。前述のように、天が1で地 が6のほか、東5・西2・南3・北4という設定である。もっとも、資料によっては 東2・西5や南4・北3となっているものがあり、必ずしも統一されていない。それ でも、3と4の目が南北のラインを構成していることに変わりはなく、フナダマサマ のオモテ3・トモ4という納め方と併せて、何か共通の要素が隠されているのではな いかと思われる。  では、2個の賽が生み出す四三の目が、果たして北斗七星とどのように結び付くの か、その点が最も重要なポイントとなってくる。宝暦年間に刊行された『安倍仲麻呂 入唐記』をみると、「亦塞ノ裏目ヲ合レバ七曜也。六一ト四三ト五二ト皆ナ(中略) 此ノ七曜ノ星ヲ勧請ス」とある。四三に限らず、対面する目の数がいずれも7になる というサイコロの特性が、いつしか北斗信仰とのかかわりをもつようになったものと 考えられる。そして、こうした見方に新たな知見を加えたのが国分直一氏の論考であ った〔『船と航海と信仰』文0402〕。1973年に中国の泉州湾で発見された宋代の沈船 (外洋船)について、造船時の儀礼的な造作と奉納物を七星表象の証と捉えたのであ る。この発掘簡報の訳書〔『最近発掘された宋代の外洋船』文0454〕によると、竜骨 と呼ばれる船の主要な部材両端の接合部にそれぞれ7個の小円孔と1個の大円孔があ り、これらは保寿孔と呼ばれる。小円孔の配列は北斗七星を、大円孔は満月を示すと いうことで、造船場労働者の説明が「七星、月を伴う」を象徴するものであったと述 べられている。国分氏は、この宋船と日本の造船儀礼にみられる各要素の対比を試み ているが、サイコロと北斗七星を繋ぐ根本的な関係性については、依然として明らか になっていない。  そこで、各地のフナダマサマに関する資料を見直したところ、北九州の宗像地方に 伝わる造船儀礼が目に留まった。鐘崎を中心とするこの沿岸一帯では、他地域と異な る儀礼がみられ、地元でツバサミと呼ばれる木片をフナダマサマと称していたのであ る〔『鐘崎民俗誌その五・その六』文0456〕。かつては、ゴシン入れの際にツバサミ にノミで×印を刻み、和船の船梁に取り付けていたという。ツバサミは、本来ツツを 固定する役割をもった部材(ツツ挟み)であり、一般的なフナダマサマを納めるツツ とつながっている。最大の特徴は、その形状と表面に施されたカザリと呼ばれる彫り 込みである。今のところ、二重線刻による菱形1個のタイプのほかに、長方形の穴を それぞれ3個・4個・5個・6個有したタイプが認められる。これらは、楔を対称的 に連結したような木片の左右に彫られており、正に2個一組として作られたサイコロ の各面(特に1・6・3・4)とよく似た意匠となっている。  こうしてみると、宋船の保寿孔→ツバサミのカザリ→フナダマとしての賽という歴 史的な流れを想定することが可能であろう。おそらく、根底には北斗七星への信仰が 貫かれているはずであるが、残念なことにその裏付けとなる伝承や資料は、今のとこ ろ見出し得ていない。 ◇ シソウの星  星名としてのシソウを示した文献は、中世以降にいくつかみられる。1346(貞和2) 年の残巻が現存最古とされる『いつくしまの縁起』〔文0457〕には、「晝は日の入り かたを西とおもひ、夜るは四三のほしを目にかけとび行ほどに」とある。また、近世 の文献(写本)ながらその基となる口伝が中世に遡ると推察される『能嶋家傳』では、 日和見に関する事項の一つに「四三ノ星一ツ星ナトトテ舟中ニテ方角ヲ知ラムタメ也」 という具合に、具体的な星の利用に関する記述が目を惹く。類似の内容は、他の海事 史料である『船乗重宝記』〔文0459〕などでも認められ、漁労を含めた航海者の指標 とされていたことが分かる。  一方、海から離れた内陸部の大和地方にも、シソボシが伝承されている〔『大和方 言集』文0267〕。そこには「朝夕北空に現わる七ツの星」とあり、「死相星とも四三 星とも云われるが四三星のほうが適切らしい」として、四三とは異なる解釈のあるこ とが知られる。さらに「花加留多の手役に菖蒲札四枚に萩札三枚の如きを四三(シソ ー)と云う」の記述もあり、サイコロの目以外の四三に言及した貴重な資料である。 ちなみに手役というのは、配られた時の7枚の花札が同じ月の札4枚と3枚として揃 った状態のことで、確率が低いために高い点数が設定されているのである。  ところで、現地調査によるシソウの星の記録は4例あり、このうち神奈川県三浦市 三戸では、北斗七星のこととして「四つと三つで星が七つある」と伝えていた。また、 福岡県北九州市柄杓田漁港の老漁夫は、いつもシソウを注視し、7個ある星の動きに よって時間を計っていたという。残念ながら、星名の由来に関する伝承には出会えな かったものの、各地で星名が受け継がれてきた背景を考えると、どこかにサイコロや 造船儀礼との接点を見出せるのではないかという気がしてならない。  さて、シソウの星をめぐる考察によって得られた見解を整理すると、星名の発生に 関しては中世の資料以前に存在していたかどうか、判断できない状況である。ただし、 雙六伝来の歴史やその後の博戯やサイコロに関連した資料などの記述をみれば、シソ ウに纏わる星名が誕生する素地は十分に整っていたものと認められる。北斗七星との かかわりにおけるサイコロの重要性は、造船儀礼や妙見・北斗の信仰などと相俟って、 その後の廻船や漁労に従事する人びとに大きな影響を及ぼしてきた経緯をみても明ら かである。『能嶋家傳』に代表される村上水軍の口伝も、スマルとともに海戦や生業 を通して伝播の一翼を担ってきたのではないだろうか。  他方で、大和にのこるシソボシ系の星名は、『日本星名辞典』〔文0168〕で紹介さ れた紀州の田植歌や伊勢の神楽歌などに登場するシソあるいはシソウの星に連なる系 譜といえるであろう。これらは中世から上代へと遡る可能性があり、その伝播形態も 口伝による生業や信仰を介した構図が浮かび上がってくる。海洋から内陸部まで、さ まざまな伝承事例を有するシソウの星は、博戯の世界を象徴する存在であると同時に、 神聖な営みを飾る詞としての役割を併せもっていたようである。  なお、地域によってチソウと転訛した事例が記録されている。 【意 味】四三 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】千葉県、神奈川県、山口県、福岡県 【分 類】数/生活/娯楽

◇ 賽の目の四三 ◇

シバリ

プレアデス星団の星の名として、北国のイカ釣り漁師らの間で使われていた。山形県 の飛島を含めて、北海道までの日本海沿岸を中心に点々と分布する。飛島では、この 星がぎょしゃ座のカペラよりも遅く現れて、やがて追い抜いていくと説明している。 シバリは、スバルから分化したグループの一つであり、先頭の語が「ス」から「シ」 に転訛したタイプの基本形である。同じ仲間に属する星の名として、シバリボシやシ ンバリなどがある。 【意 味】すばる(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】北海道、青森県、山形県 【分 類】配列/知識/状態

シバリノアトボシ

シバリをプレアデス星団の呼び名とする地域では、後に続くアルデバランを、シバリ ノアトボシと呼んでいる。一連の星の区切りを示すために、その位置関係から命名し たものである。プレアデス星団の呼称により、いくつかの類似事例があり、シンバリ ノアトボシともいう。 【意 味】すばるの後星(転訛形) 【星座名】おうし座アルデバラン(α) 【伝承地】青森県、山形県 【分 類】位置関係/知識/従属

シバル 

シバリと同様に先頭の語が「ス」から「シ」に転訛したタイプの基本形で、スバルか らの分化事例と考えられる。奥羽地方や山陰地方においては、こうした言語的特性の あることが知られており、それが星の名にも表れていることを示すものであろう。 【意 味】すばる(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】秋田県 【分 類】配列/知識/状態

シャアク 

近年、三浦半島の漁港で記録された呼び名で、シャアクはいわゆる柄杓のシャクが転 訛した言葉と考えられる。ヒシャクボシと同じように、北斗七星を柄杓の形とみたも のである。愛知県の三河湾沿岸ではシャアクノホシという。 【意 味】杓 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】神奈川県、愛知県 【分 類】配列/生活/用具

シャク

北斗七星には、ヒシャクボシをはじめとして類似の見方が多いが、埼玉県入間市や福 井県小浜市では、これを端的にシャク(杓)と呼び、香川県でシャクボシ、高知県黒 潮町ではシャクノホシという。 【意 味】杓 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】埼玉県、福井県、香川県、高知県 【分 類】配列/生活/用具
2011/03/06 

シャクゴボシ

オリオン座の三つ星は、夜空にすっきりとした一文字を描き、その端正な星の並びが 目を引く。さまざまなモノに譬えられているが、茨城県の利根川流域を中心とした地 域では、これを総体的な「ものさし」としてのシャクゴとみているところが多い。そ の分布は、千葉県北西部や栃木県南部にも及んでおり、特有の文化圏を形成している ことがわかる。  これまでの調査では、シャクゴがものさしを意味することはほぼ例外なく明らかで ある。江戸時代の方言集である『物類称呼』〔文0198〕にも「尺 ものさし 武州河 越にてしゃく共云 常陸にてしやくごと云」とあるから、古くから使われてきたこと ばであろう。しかし、その具体的な中身となると地域によって変化がみられる。まず、 茨城県つくば市では3ヵ所で記録があるが、いずれも長さ1尺のものさしに譬え、三 つ星をものさしの両端と中央の目印として捉えていた。同県牛久市でも三つ星が5寸 間隔で並んでいるので、これをシャクゴという伝承がある。ところが、同県猿島町で は、これを1尺5寸のものさしとみており、さらに同県新治村ではシャクゴは2尺の ものさしのように星が三つ点々と並んでいると説明している。いずれにしても、もの さしの目印を星ととらえている点が一つの共通項となっている。
 ここでいう「ものさし」とは、現在一般に使われているそれと異なり、いわゆる尺 貫法に基づく単位を用いた計測用具である。 かつての曲尺(かねじゃく)と呼ばれ るものさしの1尺は0.303bと決められており、一般に呉服尺はその1.2倍、鯨尺では 1.25倍とされている。はたしてシャクゴがどのタイプのものなのか明らかではないが、 その用途や長さ等から判断すると、鯨尺に近いものを想定することができる。  ものさしの機能といえば、まずモノの長さを数値的に測るのはもちろんであるが、 それとは別にある一定の長さ(尺、尋、間など)を区切る道具としての役割も併せも っている。たとえば、千葉県成田市では、杉材を利用して作られた6尺あるいは12尺 の棒状定規があり、シャクボウと呼ばれた。また、栃木県小山市西部には特殊な用具 としてのシャクゴがのこされている。この地域は、隣接する茨城県結城市とともにか つて結城紬の生産地としてよく知られたところである。こうした紬の生産に使用され たシャクゴは、糸に織り柄の標をつける道具で、いわゆるものさしとは異なる機能を もっており、特定の対象物(この場合は紬の糸)に合わせて作られた「枠」に他なら ない。いくつかのタイプがあるが、この中で割り竹を加工したものは、その一辺に細 かな刻みが施されていて、この部分を糸に宛がい墨で標をつける仕組みである。べた 亀甲と呼ばれる男物の柄を織るのに欠かせない用具の一つであった。  このように、シャクゴにはさまざまな意味があり、その形態や用途も変化に富んで いる。地域によってはシャクゴを尺五(寸)の意味にとらえている場合もあるが、本 来はそうした限定的な解釈ではなかったものと考えられる。要はある一定の長さの代 用となるもの、そうした用具全般をシャクゴと呼んでいたものと考えられる。そして、 この見方はそのままオリオン座の三つ星にも反映されているようである。前出の小山 市のシャクゴが、三つ星の呼称として立派に伝承されていたことは、それぞれの土地 で使用された代表的なシャクゴと星名伝承との深いかかわりを端的に示すものであり、 生活文化における星利用の多様な一面をのぞかせてくれる。 【意 味】しゃくご星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】茨城県、栃木県、千葉県 【分 類】配列/生活/用具/日常

 

◇ 多様な形態・用途をもつシャクゴ ◇
〈左〉紬の生産に使われたシャクゴ /〈右〉一尺の手作り品

2014/08/17 

シャクシボシ

シャクシは杓子で、ご飯や汁を掬う用具である。類似の用具に杓文字があり、基本的 には杓子と同じものといえる。一般的に杓子状のものをシャクシ、板状のものをシャ モジと呼んでいる。素材は木製や竹製が主体であるが、古くは貝製のものもあったと いう。しかし、杓文字(飯杓子)が現在も健在であるのに比べ、従来の杓子を台所で 見かけることは少なくなった。これは、食生活の変化とともに金属製の使い勝手のよ いお玉杓子にとって替わられた結果であろう。星の配列からみれば、従来型の杓子が しっくりするが、茨城県にはタマンジャク(玉の杓子)という星名が伝承されていて、 どちらかというと柄杓に近い見方である。単にシャクシともいう。 【意 味】杓子星 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】青森県、茨城県、栃木県、静岡県、鳥取県、愛媛県 【分 類】配列/生活/用具/日常

◇ シャクシボシの見方 ◇

ジャクノアトボシ 

おうし座のプレアデス星団をジャクボシと名付けた宮城県南三陸町の漁村では、その 後に出現するアルデバランをジャクノアトボシと呼んでいる。これは、主に伝統的な イカ釣り漁の際に利用された一連の星群のうちの一つとして、プレアデス星団の後か ら出現する目印の星という意味が込められた星名である。宮城県に限らず、北日本の 各地で〜ノアトボシと命名している事例が多い。おそらく、目標とする星の出現順位 やその前後の星との位置関係などを分かりやすく記憶したいとの思いから発想された ものであろう。 【意 味】ざくまたの後星(転訛形) 【星座名】おうし座アルデバラン(α) 【伝承地】宮城県 【分 類】位置関係/知識/従属

ジャクボシ 

三陸沿岸南部の宮城県南三陸町歌津地区で、プレアデス星団の呼称として記録された 星名である。しかし、その原意が不明のまま手がかりを探していたところ、宮城県内 の星名伝承をまとめた資料〔『ふるさとの星 和名歳時記』文0306〕の中に同じプレ アデス星団を対象とした「ザクボシ」なる記録を見出すことができた。採集地もほぼ 同じであり、類似の星名として「ギャクボシ」という記録も掲載されていた。ただし、 ザクの意味については千田氏も確定されておらず、密集した状態を表現した言葉では ないかと推察しておられる。千田氏の調査は1987年のことで、ジャクボシが記録され るまで30年の歳月が流れたことになる。因みにジャクボシの採集地は旧歌津町館浜で、 ザクボシの旧歌津町馬場とは直線距離にして1500bほどしか離れていない。  さて、いよいよ「ジャク」が「ザク」の転訛形であるということを前提に考察を進 めてみたい。まず、先の資料から宮城県内におけるプレアデス星団の星名を概観する と、やはり旧歌津町中山に「ザルコボシ(笊こ星)」があり、星団の主要な星の配列 を単なる笊ではなく、柄付きの笊とみた呼び名と推察される。また、歌津町からは少 し離れるが、旧牡鹿町祝浜(現石巻市)には「ハゴイタボシ(羽子板星)」もあって、 やはり持ち手のある用具と観ていたわけである。一方、北に目を向けると、気仙沼市 や岩手県沿岸域では、プレアデス星団を「オクサ」あるいは「モクサ」などと呼ぶと ころが多くなる。これらは、本来「種種(くさぐさ)」を意味する星名と考えられ、 たくさんの星が集まった様子を表現した呼称である。その他にも一般的なスバル系や ムツラボシ系の星名が多数みられるが、いずれも関連がうすいため対象としていない。 このように、同県内のプレアデス星団の星名には多様性がみられ、地域によって具体 的な物の形状を星の配列に当て嵌めていることが分かる。そこで、改めてザクの意味 を考えたとき、一つのかたち(意匠)が思い浮かんだ。それは、ほかでもない「Y」 の字である。  話は変わるが、関東の利根川下流域には十九夜信仰や子安信仰などに伴う習俗とし て二股の木片(片面に種子や経文などを記す)を道の辻や供養塔の前などに建てる地 域があり、現在もその名残を見ることができる。これは卒塔婆の一種で、利根川流域 のそれは犬供養と称して行われるケースがほとんどである。しかし、他の地方では犬 に限らず広く動物(特に馬や牛などの家畜類)全般を対象としているほか、人間の最 終年忌(一般的には三十三回忌)においても弔いあげ供養として二股塔婆を建てる地 域が各地に存在している。したがって、一見同じような二股塔婆であっても、地域に よって使用する樹木の種類が異なり、当然の如くその呼び名もまちまちである。そう した呼称を代表する一つの事例が「ザクマタ」で、「ザッカキ」や「ザガマタ」など の転訛形を含めて、利根川下流域の特に栃木県や茨城県、千葉県などで広く使われて いる。  そこで、ザクマタの語源を辿るとサカマタ(逆又)の言葉が出てくるのであるが、 これは他でもない大型海洋動物のシャチを示す古語であった。さらに、サカマタの語 源は古代中国の武器の一つ、戟(げき)に求められるというのである。戟は長い柄の 先に取り付けられた上向きと横向きの形状が異なる刃物を有する複合的な武器で、こ の構図は直感的に「股」の原点を思い起させる。その意匠がやがてシャチの大きな背 からほぼ垂直に立つ背びれとなっても、やはり横向きの直角な股を見出すことができ るので、これらは紛れもなく逆さまな股の姿とみて差支えないであろう。要するに上 向きに開いた「マタ」の形状こそがザクの正体に相応しいと考えられるのである。  再び星の考察にもどると、プレアデス星団には宮城県に伝承されたザルボシや西日 本にも分布するハゴイタボシ、埼玉県のスイノウボシ(柄付き笊の一種)など基本的 に「Y」の字をベースとした物の譬えが少なくない。また、横山好廣氏によると秋田 県仁賀保市の漁師はヒバリ(プレアデス星団の呼称)がY字形をしていると話してい たそうであるから、これは特別な見方ではなく、かなり普遍的に生じうる発想と言え そうである。  しかし、現在のところ宮城県内のザクマタにかかわる具体的な伝承事例は手許にな く、確証を得られていないのが実情である。それでも、三陸沿岸では近世から紀州人 や房州人らとの交流があり、生業や文化など幅広い分野での影響が指摘されているの で、ザクマタ文化の一部が房州方面から伝わった可能性は十分に考えられる。さらに、 各地の漁港を訪ね歩いていると、ときおりY字形の股木を取り付けた小舟を見かける ことがあるが、漁師にとってはより身近な存在であるごくありふれたモノが星名の発 想へと繋がっていったかもしれないと思えるのである。  それから、もう一つ冒頭で紹介したギャクボシについても考えておきたい。先ずは ザクボシの転訛形とする観方もできるが、これを字句どおり素直に受け止めて「股を 逆にした星」という意図を読み取るのはどうであろうか。ともかく、30年前の星名が 少しだけ変化を遂げながら立派に伝承されてきた事実に改めて感慨の念を抱かずには いられない。なお、歌津の泊浜ではジャクボシの転訛事例である「ジャグ」を記録し たことを付記しておく。 【意 味】ざくまた(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】宮城県 【分 類】配列/生活/用具

〔左〕茨城県筑波地方のザクマタ /〔右〕漁船の股木(岩手県普代村)

シャモジボシ 

シャモジは、もちろん炊事用具の杓文字である。類似の用具に杓子があるが、杓文字 は頭部が板状のため汁ものを掬うには適さない。素材は木製や竹製が主体であったが、 現在はほとんど合成樹脂製に変わってしまった。それにしても、杓子と同様に杓文字 の丸いへらに柄を付けた形状は、まさに北斗七星の配列そのものである。かつては農 家などで一般的な飯杓子よりかなり大きな杓文字が使われていたが、これは小豆など を煮ることを目的として作られたものが多い。 【意 味】杓文字星 【星座名】おおぐま座北斗七星(αβγδεζη) 【伝承地】岐阜県、宮崎県 【分 類】配列/生活/用具/日常

◇ シャモジボシの見方 ◇

ジャンジャラ 

神奈川県の名勝地、金沢八景周辺には、いくつかの漁師町が現存している。その一角 に位置する柴地区に伝承されたのがこの呼び名である。ジャンジャラの意味は明らか でないが、おそらく小銭などの小さなものが接触し合うときに出る音である「じゃら じゃら」に由来するのではないかと推測される。仮にプレアデス星団の星の集まりを 鈴の塊と見たならば、夜空に響くすき通った鈴の音が聞こえてくるようである。 【意 味】じゃんじゃら 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】神奈川県 【分 類】配列/知識/感覚

ショイボシ

夜空を西から東へ運行する月は、ときおり明るい星と接近する現象を起こす。まれに 星を隠してしまうこともあるが、いずれにしても昔の人びとにとっては異常な現象で あり、多くは不吉な前兆として捉えていた。月と接近する星は惑星が多いが、このよ うな不特定の星に対する名もいくつか記録されている。この事例は埼玉県北西部に伝 承された呼称で、ショイは「背負い」の意味であり、月と星の位置関係からちょうど 月が星を背負うような状況を捉えて生まれた呼び名である。ショイボシサマともいう。 【意 味】背負い星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】埼玉県 【分 類】位置関係/知識/従属

ショウギボシ

ショウギボシは、おうし座のプレアデス星団の名である。この呼称を初めて聞いたの は1993年の秋で、伝承者は秩父郡大滝村出身の炭焼き経験者であった。それは、プレ アデス星団の17番、19番、23番、η星が描く四辺形を片口箕の形状とみたものである。 これが、白炭生産で使用されたスミショウギをさしていることは容易に理解できたが、 それにしても、この小さな星の集まりに特定の用具の形を見出すとは何とすばらしい 観察眼と洞察力であろうか。秩父地方でプレアデス星団の星名といえば、まずスイノ ウボシがよく知られている。スイノウは、柄の付いた揚笊のことであり、主に釜揚げ 用具として使われた。こちらも星の配置を用具の形状に喩えたものであるが、暮らし に密着した用具と炭焼きの特殊な用具とでは、自ずと伝承の形態は異なっている。そ の後、ショウギボシは秩父郡小鹿野町で、やはり炭焼き経験者から採集する機会を得 た。 ところで、ショウギとはどのような意味であろうか。日本では片口あるいは丸口の 笊に対し、一般にソウケやソウギ、ソウビなどの呼称があり、これらはいずれもしょ うきを語源にしたものと考えられている〔『日本列島の比較民俗学』文0182〕。それ らを踏まえて大正11(1918)年に秩父郡浦山村(現秩父市浦山地区)で行われた調査 記録〔『武蔵国秩父郡浦山村』文0254〕をみると、さまざまな生活用具に混じってス ズミとショウギが記録されている。スズミは穀物扱用とあり、おそらく鈴箕の意味で あろう。ショウギについては用途の説明がないものの、当時は製炭用以外にもショウ ギと呼ばれる片口箕があったのではないだろうか。聞きとり調査では、比企郡小川町 でコエショウギとよばれる用具を確認しており、形状は長楕円形をした浅目の籠と聞 いている。この中にコヤシ(堆肥)を入れ、畑に撒くのに利用したらしい。これなど は、どちらかというと丸口型の笊に連なる系統である。  炭ショウギは、窯外で消火のためにかけられたゴバイの中から白炭を拾い出す用具 であるが、埼玉県や東京都、山梨県、神奈川県における呼称は、大別してフルイ系、 ショウギ系、その他に分類される。このうち26例ともっとも事例の多いフルイ系が1 都3県の広範囲に及んでいるのに対し、ショウギ系はこれまでのところ埼玉県内だけ で伝承されている。しかも、その分布は秩父郡の1市4町3村(秩父市・小鹿野町・ 長瀞町・皆野町・横瀬町・大滝村・東秩父村・両神村)と比企郡小川町に限られてい る。しかし、16例という採集事例からすれば、これらの地域では一般的な呼称であっ たと考えてよいであろう。にもかかわらず、星の呼称としてのショウギボシがわずか な地域でしか伝承されていないのはなぜであろうか。  日常的な生活用具から生まれたスウイノウボシが、広くプレアデス星団の代名詞と して親しまれてきたのに対し、特殊な用具を母体にしたショウギボシのほうは、炭焼 きに従事する人びとだけが伝承の担い手ではなかったかと考えられる。このような場 合、他の星の事例にもみられるように、生業の衰退とともに伝承そのものが急速に失 われていく傾向が強いようである。あるいは、星の名としてはごくローカルなもので あって、元来が限られた伝承であった可能性もある。さらに別な見方をすると、秩父 地域における白炭の製法や技術には、新潟県など県外からの影響が大きいと考えられ ており、そのような影響の一部に、ショウギボシをはじめとする星の伝承が含まれて いたかもしれない。  いずれにしても、ショウギボシは炭焼きという中山間地の主要な営みのなかで生ま れ、伝承されてきた呼び名であり、オリオン座の三つ星やからす座の四辺形などとと もに、里山の暮らしを支えてきた大切な星であったことに変りはない。 【意 味】しょうぎ星 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】埼玉県 【分 類】配列/生活/用具

〈左〉ショウギボシの見方 /〈右〉スミショウギ(埼玉県)

ジョウトウヘイボシ

北海道の岩内町では、オリオン座の三つ星をジョウトウヘイボシと呼ぶ。茨城県土浦 市でも同様で、戦時中は実際に使っていたという。埼玉県では、子どものころに使っ ていた呼び名で、当時はやっていた「のらくろ」の影響があるのではないかと説明し ていた。ジョウトウヘイ(上等兵)はかつての陸海軍を構成した兵の一つで、これを 表すのに三つ星をつけていたことから、その喩えとして星座の三つ星を呼んだもので ある。したがって、由来は新しい時代のもので、特殊な呼称といえる。単にジョウト ウヘイと呼ぶ場合やジョウトウヘイノホシともいう。 【意 味】上等兵星 【星座名】オリオン座三つ星(δεζ) 【伝承地】北海道、茨城県、埼玉県、新潟県、静岡県、三重県、大阪府、福岡県、長崎県 【分 類】数/人/その他

シロボシ

新潟県の佐渡地方では、イカ釣りの指標星の一つとしてシロボシの名を伝承していた。 オリオン座三つ星とおおいぬ座シリウスの間に出る白色の星は0等星のプロキオンで ある。冬の大三角形をつくる星としてよく知られている。その輝きを白色に喩えて命 名したものであろう。 【意 味】白星 【星座名】こいぬ座プロキオン(α) 【伝承地】新潟県 【分 類】色/知識/感覚

シンボシ 

北極星という漢名は、文字通り北の空の極にある星の意であるが、それは毎夜繰り広 げられる日周運動(星空の動き)のほぼ中心を示す名でもある。「芯」は、これを別 な言葉で置き換えたもので、正に雄大な星空の回転軸に他ならない。合理的な見方の なかにも、何かロマンを感じさせる命名といえる。 【意 味】芯星 【星座名】こぐま座北極星(α) 【伝承地】福井県 【分 類】位置関係/知識/天文

スイギュウセイ

滋賀県の湖北地方で記録された星の名である。スイギュウは水牛のことで、七夕説話 とのかかわりを示唆する呼び名であるが、古くから当地に伝承されてきたか否かは明 らかでない。 【意 味】水牛星 【星座名】わし座アルタイル(α) 【伝承地】滋賀県 【分 類】時・季節/生活/行事

スイノウボシ

この星の名は、埼玉県西部の山間地でプレアデス星団の一般的な呼称として親しまれ ている。すいのうは、茹でたうどんなどを釜から揚げる柄付きの笊のことで、用途に 応じていくつかのサイズがある。外枠の材料は、主として雑木林に自生するエゴノキ が利用され、網の部分は竹の皮で六つ目網みにしたものである。この地域に限らず、 類似の用具は農家の必需品として関東地方を中心に広く使われていた。ただし、呼称 は地域によって異なり、スイノウボシも伝承されているのは今のところ埼玉県の秩父 地方を中心とした山間地域に限られている。ごくローカルな星の名といえる。プレア デス星団の配列は特定の用具を連想しやすい形であり、見方によってさまざまなもの を思い浮かべることができる。 【意 味】すいのう星 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】埼玉県 【分 類】配列/生活/用具

◇ スイノウボシの見方 ◇

スバイドン 

西日本を主体に広く分布するスバル系あるいはスマル系の星名には、多くの分化形が 確認されている。それらの中には、地域によって特徴的な転訛を示すものがあり、伝 播ルートや変化の過程を解き明かす重要な鍵を握っている事例も少なくない。このス バイは、スバルから派生した星名と考えられ、類似のものにスバリという分化形があ るものの、それらとの関わりについては明らかでない。また「〜ドン」という語は薩 隅方言の特徴的な表現の一つで、用法によって意味が異なる。スバイドンの場合は、 一般的な敬称としての用例であるが、夜空の星に対する人びとの心情が素直に表現さ れた命名と言えるであろう。単にスバイと呼ぶ地域もある。 【意 味】すばるさま(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】鹿児島県 【分 類】配列/知識/状態

スバリ

スバリもスバルから分化した星の名である。調査では、東日本と九州地方の一部で記 録されている。新潟県佐渡地方では、いくつもかたまった星で10個くらいは見えると 伝承されていた。北陸地方も含めて、漁業における指標星としての利用事例が多い。 類似の星名にスバリサマやスイバリ、スンバリなどがある。 【意 味】すばる(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】千葉県、新潟県、富山県、石川県、福井県、佐賀県 【分 類】配列/知識/状態
2022/06/25 

スバル

◆ 美須麻流之珠  スバルの語源は、『古事記』の美須麻流あるいは『日本書紀』の御統にあるとする 見方が一般的である。これを本格的に整理したのは新村出氏で、1925年の『南蛮更紗』 〔文0156〕において「昴星讃仰」を著している。その中で、「日本語でスバルといふ 語は、元来スブル(統括)シバル(繋縛)などの語と同源で、スベラギ(天皇)等の スベラとも亦同じ語根から出たのだから、初から散りぢりなものを統べくくってある 形になってゐる。即ち連珠とも呼んでよからう」と述べている。また、上古の麻行音 が婆行音になる事例をもとに、スマルが中古に至ってスバルに転化したとする見解が みられる。その後、野尻抱影氏は1934年に『星を語る』〔文0247〕で「すばる星の傳 説」を発表し、ほぼ新村氏の考察に沿った思いを綴っている。これが、最終的に『日 本星名辞典』〔文0168〕での解説へと繋がっているわけである。  古代の日本に伝来した星は二十八宿が基本で、その一部である昴宿がプレアデス星 団にあたる。この昴を星の名として明確に示した事例は、今のところ『倭名類聚抄』 (931〜938)が最も古い文献とされる。それ以前では、平安初期( 804年)の『皇太 神宮儀式帳』に天須婆留女命と須麻留女神が記されているが、星とのかかわりは見出 せない。一方で『倭名類聚抄』以降は、星としての昴あるいは昴星が中世から近世に かけて幾多の字書や辞典、随筆などに取り上げられている(一覧表参照)。
☆ スバルにかかわる古文献一覧 ☆
 このうち、多くの文献が昴の和訓をスハル(すばる)としているのに対し、スマル (すまる)を選択しているのは類似書を除くと5例だけである。少なくとも、中世ま での文献は『倭名類聚抄』の記述を踏襲しているものと推察され、それは近世にも受 け継がれているようだ。記述の内容をみると、中世までは昴あるいは昴星の字と和訓 のみが目立つものの、近世になると美須麻流(御統)と星の関係を解説したものが増 えてくる。たとえば『日本釋名』には、「此星の形いとをもって玉をつらぬけるがご とくつらなりてまるし」とあり、『夏山雑談』では「昴星ヲスバル星ト云ハ統星ナリ 一所ニ統アツマリタル故ニカクイフ」と説明されている。こうした状況について、野 尻氏は「この御統を《倭名抄》の星の名〈須八流〉の語源として考証し、今日の定説 としたのは江戸の国学者たちによるものだった」として、近世における語源確定の立 場をとっていることが分かる〔文0168〕。ただし、それが平安時代中期に『倭名類聚 抄』を編纂した源順の見方に沿ったものであるかどうかは詳らかでない。新村氏は、 先に紹介した天須婆留女命と須麻留女神にその拠り所を求めようとしているが、残念 ながら昴星の象徴を示す記述を文献上で確認することができない現状である。いずれ にしても、プレアデス星団を美須麻流之珠に譬えたであろう古代人の感覚は、現代も なお不変であると言えるだろう。 ◆ スバルボシの分布  星名の語源が美須麻流(御統)にあるとすれば、本来はスマルのほうが古い呼称で はなかったかと考えられる。ただし、スマルからスバルへの転化は、新村氏が指摘し ているように延喜6年の『日本紀章宴和歌』でも認められ、『日本書記』の八坂瓊之 五百箇御統が「やさかにのいをつすはる」と詠まれている。こうした音声変化が星名 においても発生したとするのが新村氏の考え方である。  文献上では、スマル派が少ないことは既に記したとおりだが、各地に伝承された星 の呼称はどうであろうか。現地調査の記録を整理すると、スバル系あるいはスマル系 の星名が確認されたのは34道府県で、このうちスバル系が北海道から鹿児島県まで分 布するのに対し、スマル系は西日本を中心に東日本の一部で伝承されている。なお、 山形県以北においては第一語がスからシに置き換わり、シバル、シバリ、シンバリな どと転訛するほか、さらにヒバリへの転訛が知られている。一方のスマル系では、こ うした変化はみられず、一部の地域でスマロなどの転訛形が認められる程度である。 特に、山陰や瀬戸内海地方でスマルが優占する傾向があり、民間伝承の分野では本来 のスマルが広く使われていたことを示している。  ところで、スバル系の伝承は沿岸域で多く聞かれ、漁業との深いかかわりがみられ る。北日本では、伝統的な漁具によるイカ釣り漁の指標星として重要な役割を担って いたほか、北陸から九州北部沿岸にかけても、イカ釣りを含む漁業全般の指標となっ ていた。具体的には、房総半島のウタセ網漁やスズキ網漁、サワラの流し網漁などで スバルが利用されたほか、岡山県備前市のミアミ漁や山口県長門市の日本海でスマル の出に注目していた事例などがある。

スバル系とスマル系の星名分布

◆ 漁具のスバル  スバルをめぐっては、同じ呼称をもつ漁具についてふれておく必要があるだろう。 各地のスバル伝承のなかには、プレアデス星団の配列を海中に沈めた縄や網などを引 き上げる漁具の一種と捉えている事例が少なからずみられる。これらをスバルあるい はスマルと呼んで、星名としているわけである。神奈川県横須賀市の場合、鴨居の漁 師が使っていたスバルは、長さ約11aほどの鉛本体の一端に小さな鉤を6個巻き付け た構造で、タイの延縄漁で利用されてきた。スバルボシというのは、糸を張った先に 星がごちゃごちゃかたまっていると言い、この糸というのが実は星の光で、ちょうど その様子が縄を引っ掛ける「すばる」という漁具に似ているからだとの説明であった。 この星の光を糸とみた表現は、古代の美須麻流之珠に通じているようで興味深い話で ある。  なお、江戸時代の『和漢三才図会』には、須波流と称する小型の四つ爪用具の記述 がみられ、瀬戸内海の能島村上家伝来の兵法書(『舟戦以律抄』)に記されたスマル も四つ爪の道具である。これらは用途こそ異なるものの、いずれもモノなどに引掛け る形状であり、おそらく古い時代から利用されていたことが推察される。しかし、星 名と同様に呼称の原意を確認できる文献はなく、現状ではプレアデス星団と用具の関 係を解き明かす手立ては見出せていない。  【意 味】すばる 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】秋田県、千葉県、神奈川県、新潟県、石川県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、      滋賀県、大阪府、兵庫県、和歌山県、山口県、徳島県、高知県、福岡県、佐賀県、      長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県(転訛形の分布を除く) 【分 類】配列/知識/状態

◇ 三浦半島の漁具スバル ◇

スバルノアトボシ 

スバルといえばプレアデス星団の代名詞となっているが、アトボシとはその後に続い て出てくる星という意味である。ほかにも類似の星名がいくつかあり、これらはほと んどがおうし座の主星アルデバランを呼んだものである。北日本では主にイカ釣りを 中心とした漁業における役星の一つとして利用されているが、西日本ではイカ漁に限 らず多様な漁業との関わりがみられる。 【意 味】すばるの後星 【星座名】おうし座アルデバラン(α) 【伝承地】大阪府 【分 類】位置関係/知識/従属

スパンカー 

スパンカーは、小型漁船などに装備される四辺形をした帆の一種で、一般的に船尾 (とも)にあることから艫帆とよばれている。帆船のガフセイル(スパンカー)を原 型とし、これを漁業用に改良したものとされる。この帆の形をからす座の四辺形にあ てた星の名であるが、北陸地方には「帆掛け星」の伝承があり、西洋でもこれをスパ ンカーとよんでいるという〔『日本星名辞典』文0168 〕。 古くから伝承された星の 名とは考えにくいことから、遠洋漁業などの航海知識から転用されて伝播したもので はないかと考えられる。 【意 味】艫(とも)帆 【星座名】からす座四辺形 【伝承地】千葉県 【分 類】配列/生業/用具

◇ 小型漁船のスパンカー ◇

2022/06/25 

スマル

星名としてのスマルは、西日本(特に近畿、中国、四国地方)で広く伝承されている。 全国的な分布を示すスバル系に比べるとやや限定的だが、語源としては記紀に登場す る美須麻流(御統)本来のことばを受け継いだ呼称と言えるであろう。平安時代の文 献にみられる須八流あるいは須波流などは、このスマル(須麻流)からの転化と考え られている〔文0156〕。  漁業での利用に関する伝承も西日本が中心で、山陰沿岸ではスマルなどの星の出に イカがよく釣れると言われ、大阪府や愛媛県などにはスマルの出や入りと気象にかか わる伝承がある。古くは『能島家傳』や『舟戦以律抄』などに日和見の方法として星 スマルを見ることが説かれ、『尊船』にも「スマルノ事」として昴星の説明とその見 方が詳細にまとめられている。いずれも水軍関係の兵法書であり、特に先の二書は瀬 戸内海を中心に名を馳せた各地の村上水軍が活用していた経緯を考えると、こうした 伝承が地元の漁労者にも広く伝播していた可能性が高いと思われるのである。  さらに、能島村上家伝来の『舟戦以律抄』(20巻書写本)には、スマルと称する戦 用の道具についての記載があり、付属図は四つ爪をもった碇状の外観を示している。 西日本では、各地でスマルと呼ばれる漁具がみられるが、まさにその原形を彷彿とさ せる。ところが、後日愛媛県の大島にある村上水軍博物館を見学した際、そこで見た スマル(寸丸)の絵は五つ爪で、その解説によると原図には「す波る」と記されてい ることが分かった。原図の確認はできていないものの、用具の呼称ではスマルもスバ ルも同義語として扱われていたのかもしれない。  なお、スバル系の呼称には多くの転訛形がみられるのに対し、スマル系では広島県 のスマロなどわずかである。このような傾向も、地域的な特性を示す一要素と考えら れる。 【意 味】すまる 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】新潟県、京都府、大阪府、兵庫県、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、      徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、大分県、宮崎県 【分 類】配列/知識/状態

◇ 西日本の漁具すまる ◇

スマルノアトボシ 

スマルは西日本で広く伝承されているプレアデス星団の呼び名であるが、その後から 現れるアルデバランをスマルを冠したアトボシという名で呼んでいるところが山口県 北部や愛媛県などにある。前者の場合は、他のアトボシ系と同様にイカ釣りを中心と した漁業における役星の一つと考えられるが、後者では瀬戸内海での一本釣り漁や底 曳き網漁などでの利用となっている。 【意 味】すばるの後星 【星座名】おうし座アルデバラン(α) 【伝承地】島根県、山口県、愛媛県 【分 類】位置関係/知識/従属

スマロ 

西日本でプレアデス星団の代表的な呼称といえば、スバルあるいはスマルである。他 にもいくつかの転訛形が知られ、多様な星名体系が構築されている。このスマロもそ の一つであり、おそらくスマルから転訛したものであろう。ただし、事例は少なく今 のところごく限られた地域の伝承となっている。 【意 味】すまろ 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】広島県 【分 類】配列/知識/状態

スワリサン 

おうし座のプレアデス星団といえばスバル。そして、その原意は記紀の美須麻流(御 統)にあるとされている。ほぼ全国的な星名だけに各地で多くの転訛形が知られてお り、スバリやスンバリは言うに及ばず、第一語がシに転訛した事例としてシバル、シ バリ、シンバリなどがあり、同じくツに転訛した事例としてツバルやツバリなども報 告されている。したがって、スワリに関してもこうした一群に連なる呼び名と考えら れなくもない。しかし、第一語がシやツの事例では今のところシワリとかツワリとい う転訛形は記録されていないようであり、また地域によってオスワリサンやスワリサ ンなどと親しみを込めた呼び方をされている事実を考慮すると、これはそのまま「坐 り星」の意味に解してよさそうである。では、これらの星名の発想は一体何が坐って いるとみたのであろうか。その重要な手がかりとなるのが、同じ愛知県内に伝承され ているオシャリサンという星名である。オシャリとは火葬によって遺された骨のうち、 俗に「舎利」と呼ばれる特殊な形状の骨(第二頚椎)のことで、これが坐した地蔵の 姿として捉えられている。おそらくスワリサンについても、その奥には類似の発想が 込められているものと推測される。単にスワリともいう。 【意 味】坐りさん 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】愛知県、熊本県 【分 類】配列/知識/信仰

スワリボシ 

奈良県では、プレアデス星団の呼び名としてスワリボシが広く伝承されている。ただ、 近世の書である『四方の硯』〔文0313〕には、大和の国の農民が伝えた星の一つとし てスバルボシを挙げていることから、時代とともにスワリボシへと転訛した可能性が 考えられる。また、中部地方や九州などでこのスワリを坐した仏の姿とみている伝承 が少なからずあり、奈良県内においても一部の地域ではそうした意味合いを含んだ伝 承があるかもしれないと思う。かつて岸田定雄氏は、妻入りの屋根の形がスワリで、 それが奈良県大宇陀地方のスワリボシ(この場合はヒアデス星団)に通じているので はないかと指摘しておられる〔『大和のことば−民俗と方言(下)−』文0266〕が、 それもまた一つの見方として注目される。現時点では、いずれの考え方も確証を得る には至っていないが、ここでは他の事例に倣って、とりあえずスワリサンと同様の立 場をとっておくこととする。 【意 味】坐り星 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】奈良県 【分 類】配列/知識/信仰

スワルボシ

佐渡地方で記録されたが、ことば自体に意味はない。スバルから転訛した事例と考え られるものの、スバルの原意である須波流(すはる)をスワルとして伝承した可能性 も捨てきれない。いずれにしても、スワリサンなどとは語源を異にした星名であろう。 【意 味】すまる(転訛形) 【星座名】おうし座プレアデス星団 【伝承地】新潟県 【分 類】配列/知識/状態

スワルノアトボシ

新潟県の佐渡地方では、プレアデス星団のスワルの後から現れるアルデバランを、そ のままスワルノアトボシと称している。 【意 味】すばるの後星 【星座名】おうし座アルデバラン(α) 【伝承地】新潟県 【分 類】位置関係/知識/従属

スワルノサキボシ

スバルに先がけて北東の空に現れるカペラを、先に出る星、つまりプレアデス星団の 先星とみて表現した呼び名である。スワルノアトボシとは逆の位置関係を示しており、 このような見方は、他にも類例がある。 【意 味】すばるの先星 【星座名】ぎょしゃ座カペラ(α) 【伝承地】新潟県 【分 類】位置関係/知識/従属

ソエボシ

月の近くに現れる星に対する総称の一つである。ソエには添える、あるいは寄り添う などの意味があるものと考えられるが、この場合は後者の見方で星が月に寄り添って いるとみた解釈が適当であろう。 【意 味】添え星 【星座名】月に接近した星 【伝承地】群馬県、埼玉県 【分 類】位置関係/知識/従属