◇ 金星の上に重なった木星 ◇
◇ 和船の舵(山形県酒田市の日和山公園)◇
◇ 二種のかせ(糸枠タイプ)◇
◇ 漁具の金突き ◇
◇ 突き出た二つの眼 ◇
犂の構造模式図
※各部の名称は文0447による
さて、在来犂の分布状況をみると、日本の犂耕は西高東低という特性がみられ、北 日本での普及は福島県までとする見方がある〔『近世農業と長床犂』文0448〕。西日 本では渡来人が多く、また政府モデルの普及促進によって定着度が高い一方、犂密度 が比較的高い関東地方を除く東日本においては、相対的に低い傾向がみられるという。 そして、東北地方の状況については、大和政権の支配が及ばず政府モデルの犂が届か なかったのではないかと考えられている。以上、犂の形態や分布特性を概観してきた が、果たしてこれらの要素はカラスキボシの発生とどのようなかかわりをもっている のだろうか。 ◇ 犂とカラスキボシ 平安時代の『倭名類聚抄』には、犂についての詳しい記述がある。「犂 和名加良 須岐 墾田器也」などの解説に続き、耒底(爲佐利)や耒箭(太々利)など各部位の 呼称が記載されていて、当時すでに重要な農具であったことが分かる。『宇治拾遺物 語』(鎌倉時代)の「妹背嶋事」にも、「なべ釜すき鍬からすき」の表記があり、主 要な生産用具の一つであった。 同じ鎌倉時代の『字鏡集』には、「犂(レイ)カラスキ」の記述とは別に「參(シ ム)」を星名也とする説明があるものの、両者のかかわりはみられず、二十八宿の名 を示すに止まっている。カラスキが具体的な星名として登場するのは、『易林本節用 集』(1548年)で、この「犂(カラスキボシ)」が今のところ最も古い記録であろう か。その後は記載する文献も増え、『和訓類林』や『俚諺集覧』では「犂(犁)星」 の表記があり、また『和爾雅』や『合類大節用集』、『物類称呼』では「參」をもっ てカラスキボシとしている。これらの記述からは、オリオン座のどの星々を対象とし ているのか判然としないが、各地の伝承においても明確な星の配列を示した事例は少 なく、さまざまな見方があることに気付く。たとえば『星の和名伝説集』〔文0240〕 には、三つ星そのもの、三つ星と小三つ星などの伝承があり、さらに前者では三つ星 を犂の一部分と捉えたり、それぞれの星を牛の足と犂と人に譬えるなど、多彩な見方 があるようだ。桑原昭二氏は、和歌山県での調査記録も報告しているが、そこでは三 つ星と小三つ星を併せて犂の形とみている。 隣接する奈良県も、カラスキボシの伝承が多い地域である。近世の『四方の硯』に は、大和の農民が星を観て稲作を行っていたことが記され、その筆頭に挙げられた星 がこの星名である。『大和方言集』〔文0267〕をみると、カラスキボシは「犂星でオ リオン座の一部で七ツの星からなり、犂を連想し得られる物」と説明されている。こ こでいう七つの星とは、三つ星(δεζ)と小三つ星(42番θι)、それにη星を加 えたものと推察され、いわゆる方形の一角に小さな持ち手を付けた形が、カラスキボ シの正体ではないかと考えられる。特にη星の存在は重要で、その結果構成される四 辺形(δζη42番)は、犂の形態と深くかかわっているのではないだろうか。つまり、 カラスキボシの伝承地と、そこで使用された在来犂との密接な関係が注目されるので ある。 奈良県といえばかつての大和政権の中心地であり、周辺の河内や和泉、紀伊、伊勢、 山城、摂津、播磨なども影響力が強かった地域である。既述のように、当時の政府モ デルとされる犂は、四角枠曲轅長床犂という中国伝来の形態をもち、河野通明氏が示 した分布図〔文0448〕によると、畿内ではこのタイプが主流を占めていたことが認め られる。したがって、カラスキボシの見方は『大和方言集』で示されたように、七つ の星々をもって描くのが本来の姿と言えそうである。そうなると、次は夜空への具体 的な描き方が重要な焦点となるので、そのことについて考えてみたい。 各地の伝承などから、これまでに提起された描き方を整理すると、概ね二通りのタ イプを想定することができる。 ・タイプA:三つ星を犂柄とし、ζから小三つ星にかけてが犂床で、さらにδからη へのラインを犂轅(曲轅または直轅)とする見方 ・タイプB:三つ星が犂床で、ζから小三つ星が犂柄となり、42番星とηを繋ぐライ ンを犂轅とする見方 |
カラスキボシの描き方〈上〉タイプA /〈下〉タイプB
野尻抱影氏は、『日本星名辞典』〔文0168〕のからすきぼしの項で、紀州の古老の 話から「つまり、三つ星が柄で、それから〈小三つ星〉に至るカーブが牛をつなぐサ キに当たるわけである」と述べているが、このサキが犂轅であるとすれば、タイプA を代表する見方と言えるであろう。これに対し、岸田定雄氏は奈良県のカラスキボシ について、タイプBの描き方に同調する立場をとっている〔『大和のことば(下)』 文0266〕。また、岐阜県内の星名を記録した脇田雅彦氏が提示した図もタイプBであ る〔『岐阜県の星の方言』文0311〕。因みに、桑原昭二氏が前出書〔文0240〕におい て示した図は、タイプAの長床部と犂轅部を反転させた見方であるが、結局どれが正 しいというわけではなく、地域によってさまざまな描き方があることを理解する必要 がある。 これまでの考察から、カラスキボシが生まれた背景には犂という生産用具そのもの の歴史を軸として、その形態的な特性と伝播の状況などが少なからず影響を及ぼして いたことが明らかになってきた。文献上では、16世紀より古い星名の記録を見出せな い状況であるが、おそらく発生はさらに遡る時代であったと推察され、地域もやはり 近畿圏がその源と考えてよいだろう。近畿圏から離れた土地での伝承については、犂 の移入に伴う星名の伝播という可能性も否定できない。 【意 味】犂 【星座名】オリオン座三つ星+小三つ星+η 【伝承地】大阪府、奈良県、和歌山県 【分 類】配列/生業/用具 |
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カワハリボシの伝承分布(主な地域のみ図示)
カンムリボシの見方(図とイメージ)
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◇ 各地の九曜紋 ◇
〈左〉石灯籠(栃木県佐野市)/〈右〉太鼓(岐阜県大垣市)
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◇ 三日月神社の「剣」(栃木県)◇
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