太陽の民俗
|
わたしたちは、太陽から受ける多くの「めぐみ」によって生活しています。朝、東の空から現れて夕方の西
空に没するまで、そこに現出されるのは明るい昼の世界であり、翌日には再び東の空に姿をみせるのです。現在
使われている暦(カレンダー)は、こうした太陽の動きをもとに作られたもので、いわゆる太陽暦です。暦に限
らず、どの国の人びとも昔から太陽と深いかかわりをもって生きてきたのです。日本の神話に登場するアマテラ
ス大神という女性神は、高天原という天上の世界をおさめる日の神であり、同時に昼の世界の主でもありました。 太陽は、銀河系に属する恒星の一つで、年齢は約46億年といわれています。夜空に輝く星たちと同じ仲間です。 地球は、この太陽を中心とした太陽系の一員であり、仮に太陽が誕生しなければ地球も存在しないことになりま す。したがって、人間にとっての太陽とは生命の根源であると同時に、唯一無二のパートナーといえるでしょう。 夜空の星々とは、全く異なるかかわり方が必要なのです。太陽が地球にもたらす事象はさまざまですが、それら を受け止める側の捉え方や考え方もまた然りです。日本人が太陽という天体とどのように向き合ってきたのか、 伝承や信仰、行事などを通して見えてくるものがあるかもしれません。
|
|
いつも同じように輝いて見える太陽も、太陽系全体の運行や自身の活動、さらには地球環境や気象の変化など、 多くの要因によってめずらしい姿あるいは光景をみせてくれることがあります。こうした現象を人びとがどのよ うに捉え、行動し、そして伝えてきたのか、具体的な事例を紹介します。 |
|
【 幻の太陽 】 ロシアや中国、韓国、日本、台湾など多くの国には、太陽がいくつも現れ、それらを弓矢で射落としたという 話が伝わっています。太陽の数は3個、9個、10個などとまちまちですが、いずれの伝承にも「もともと太陽は 一つ」という考え方がみられます。どうして、このような伝承が生まれたのでしょう。実は、ある特別な気象条 件において本物を含めた太陽が2個あるいは3個、まれに5個も見ることができるからです。これは、日暈(ハ ロ)が出現した場合などに、本来の太陽の片側あるいは両側(5個の場合はさらに外側に2個)に虹を切ったよ うな光芒として認知されることが多いようです。つまり、本物以外はニセモノの太陽ということで、日本では 一般に幻日と呼ばれます。おそらく、このような現象が「太陽を射る」話の原型にあるのではないかと考えられ ます。ニセの太陽に関しては、関東地方を始め各地で「コヒ」あるいは「コビが出た」などと伝承されており、 なかには「海が荒れる」と言い伝えている漁師もいます。
|
|
一見して星とは無縁のような現代人の暮らしですが、今も息衝いている太陽の信仰があります。その一つが元
旦の初日の出で、このひと朝だけは手を合わせる人が多いのではないでしょうか。これも、太陽信仰の名残です。
それでは、各地に伝承された太陽にまつわる信仰や行事を概観してみたいと思います。
【 弓 神 事 】
|
|
![]() 弓神事の的 〈左〉千葉県八千代市諏訪神社 /〈右〉埼玉県八潮市久伊豆神社
|
【 天道を祀る 】 昔の人びとは、太陽に畏敬の念を抱くと同時に、親しみをこめて「おてんとうさま」と呼びました。このよう な太陽を祀る行事は、春から夏にかけて日本の各地で継承されてきたのです。いずれも素朴な習俗であり、一部 は季節の風物詩として暮らしに溶け込んできましたが、近年は主体となる担い手を失い、多くが廃れています。 ◎天道念仏[てんとうねんぶつ] 春の彼岸時分に行われ、「おてんとうさま」に感謝を捧げながら豊作を祈願し、念仏を唱える行事です。地区に ある堂宇に大勢が集い、日の出から日の入りまで鉦を叩いたり数珠を回すなどして念仏を継続します。また、日 の廻りとともに山に登って念仏を行ったり、祭壇を造って念仏踊りを舞う地域も見られます。 ◎卯月八日[うづきようか] 卯月は旧暦で4月のことですから、その8日の行事になります。この日は、釈迦の誕生を祝う「花祭り」として 知られ、各地で天道を祀る行事が実施されました。その一つの形態が、主に近畿地方に伝承されたテントウバナ (天道花)やオツキヨウカ(卯月八日)です。一般的には、長棹の先端にツツジやフジなどの花を飾って立てる 習わしでしたが、近年はほとんど見られなくなりました。これらは、太陽や月のために立てる花といわれていま す。 ◎天祭[てんさい] 栃木県や福島県などの一部地域で、4月から9月頃にかけて行われます。山上や神社、寺院の境内などに天棚と 呼ばれる祭壇を設け、天祭囃子や踊り、御来迎など地域ならではの取組がみられます。
|
テントウサマの祭り 〈左〉千葉県船橋市の天道念仏 /〈右〉栃木県那須烏山市の天祭
|
このような行事は、かつての人びとが太陽とともに生きた証を伝えてくれます。残念ながら信仰面では本来の
目的が失われ、形骸化が進行している事実は否めません。しかし、歴史ある行事に直接ふれ合う機会が残され
ていることは重要な意味を持っており、今後も文化財としての役割を追求し、保全する努力が欠かせません。
|
◎「太陽の民俗」にもどる◎ |