太陽の民俗

日の神と太陽系

 わたしたちは、太陽から受ける多くの「めぐみ」によって生活しています。朝、東の空から現れて夕方の西 空に没するまで、そこに現出されるのは明るい昼の世界であり、翌日には再び東の空に姿をみせるのです。現在 使われている暦(カレンダー)は、こうした太陽の動きをもとに作られたもので、いわゆる太陽暦です。暦に限 らず、どの国の人びとも昔から太陽と深いかかわりをもって生きてきたのです。日本の神話に登場するアマテラ ス大神という女性神は、高天原という天上の世界をおさめる日の神であり、同時に昼の世界の主でもありました。
 太陽は、銀河系に属する恒星の一つで、年齢は約46億年といわれています。夜空に輝く星たちと同じ仲間です。 地球は、この太陽を中心とした太陽系の一員であり、仮に太陽が誕生しなければ地球も存在しないことになりま す。したがって、人間にとっての太陽とは生命の根源であると同時に、唯一無二のパートナーといえるでしょう。 夜空の星々とは、全く異なるかかわり方が必要なのです。太陽が地球にもたらす事象はさまざまですが、それら を受け止める側の捉え方や考え方もまた然りです。日本人が太陽という天体とどのように向き合ってきたのか、 伝承や信仰、行事などを通して見えてくるものがあるかもしれません。



 
太陽のある風景
〈左〉東京湾の海にかがやく太陽 /〈右〉濃い霧につつまれた朝の太陽



太陽をめぐる伝承

 いつも同じように輝いて見える太陽も、太陽系全体の運行や自身の活動、さらには地球環境や気象の変化など、 多くの要因によってめずらしい姿あるいは光景をみせてくれることがあります。こうした現象を人びとがどのよ うに捉え、行動し、そして伝えてきたのか、具体的な事例を紹介します。

【 消える太陽 】
 『古事記』や『日本書紀』には、日の神であるアマテラス大神が弟のスサノウノ命が乱暴な振舞をしたことで 天岩屋に隠れてしまうという話があります。これは、消える太陽をモチーフにした神話とされていますが、そこ に「日食」という現象がかかわっていることは疑いの余地がありません。科学的な知識を持ち合わせていなかっ た昔の人びとにとっては、紛れもなく消える太陽そのものであり、この世の一大事であったはずです。
 東京都の奥多摩町という山里に行くと、写真のような日食供養塔が遺されています。全国的にもたいへんめず らしい存在で、江戸時代に造立されました。当時の人びとにとっては非日常的な天変であった日食を供養し、社 会と日常の安穏を祈願していたのでしょう。かつて日本では、日食の際に井戸にムシロをかけたり、蓋をしたり、 あるいは畑に傘を立てるなどの行為が各地で行われてきました。その理由は、日食という現象を「太陽が病気に なった状態」と捉えていたからです。したがって、昔は日食のときに手を合わせて太陽を拝む人がたくさんいた のです。



 
皆既日食と日食供養塔
〈左〉オーストラリア日食(撮影:箕輪敏行氏)/〈右〉日食を供養した石塔

【 幻の太陽 】
 ロシアや中国、韓国、日本、台湾など多くの国には、太陽がいくつも現れ、それらを弓矢で射落としたという 話が伝わっています。太陽の数は3個、9個、10個などとまちまちですが、いずれの伝承にも「もともと太陽は 一つ」という考え方がみられます。どうして、このような伝承が生まれたのでしょう。実は、ある特別な気象条 件において本物を含めた太陽が2個あるいは3個、まれに5個も見ることができるからです。これは、日暈(ハ ロ)が出現した場合などに、本来の太陽の片側あるいは両側(5個の場合はさらに外側に2個)に虹を切ったよ うな光芒として認知されることが多いようです。つまり、本物以外はニセモノの太陽ということで、日本では 一般に幻日と呼ばれます。おそらく、このような現象が「太陽を射る」話の原型にあるのではないかと考えられ ます。ニセの太陽に関しては、関東地方を始め各地で「コヒ」あるいは「コビが出た」などと伝承されており、 なかには「海が荒れる」と言い伝えている漁師もいます。



 
日の暈と幻の太陽
〈左〉日本海の朝 /〈右〉両側に現れたニセの太陽



太陽と信仰

 一見して星とは無縁のような現代人の暮らしですが、今も息衝いている太陽の信仰があります。その一つが元 旦の初日の出で、このひと朝だけは手を合わせる人が多いのではないでしょうか。これも、太陽信仰の名残です。 それでは、各地に伝承された太陽にまつわる信仰や行事を概観してみたいと思います。

【 弓 神 事 】
 新年を迎えると、全国各地の神社などで弓を射る神事が行われます。行事の呼称や内容はそれぞれに異なるも のの、基本的には弓矢で的を射ることにより、1年という新たな時の廻りに感謝して豊かな実りと地域の安寧な どを願うのが主な目的です。関東地方では、この行事をオビシャと称する事例が多く、的にいくつかの特徴がみ られます。最も顕著なのは的に描かれた意匠で、一般的な多重円ではなく烏をモチーフとしたデザインにありま す。しかも、この烏は3本足をもつ特別な存在とされているのです。
 中国では、古くから太陽の中に3本足のカラスが棲んでいると信じられてきました。これが日本にも伝わり、 神話では八咫烏として登場し、アマテラスの使いで神武東征の際に道案内をしたとされています。やはり、日の 神との深い関係がみられます。なお、3本足の烏(現状は2本足に変化)は、弓神事だけでなく各地の祭礼や行 事においても注目される存在となっています。以上のように、オビシャの的の烏は、太陽の象徴として描かれて いることが明らかでしょう。地域によっては、月を表すウサギの絵を描いた的も併せて射ぬくところがあり、い ずれも新たな日と月の更新を図っていたのです。



 
弓神事のようす
〈左〉神奈川県大磯町の歩射[ぶしゃ] /〈右〉埼玉県鴻巣市の的祭[まとさい]
          

 
弓神事の的
〈左〉千葉県八千代市諏訪神社 /〈右〉埼玉県八潮市久伊豆神社

【 天道を祀る 】
 昔の人びとは、太陽に畏敬の念を抱くと同時に、親しみをこめて「おてんとうさま」と呼びました。このよう な太陽を祀る行事は、春から夏にかけて日本の各地で継承されてきたのです。いずれも素朴な習俗であり、一部 は季節の風物詩として暮らしに溶け込んできましたが、近年は主体となる担い手を失い、多くが廃れています。
◎天道念仏[てんとうねんぶつ]
春の彼岸時分に行われ、「おてんとうさま」に感謝を捧げながら豊作を祈願し、念仏を唱える行事です。地区に ある堂宇に大勢が集い、日の出から日の入りまで鉦を叩いたり数珠を回すなどして念仏を継続します。また、日 の廻りとともに山に登って念仏を行ったり、祭壇を造って念仏踊りを舞う地域も見られます。
◎卯月八日[うづきようか]
卯月は旧暦で4月のことですから、その8日の行事になります。この日は、釈迦の誕生を祝う「花祭り」として 知られ、各地で天道を祀る行事が実施されました。その一つの形態が、主に近畿地方に伝承されたテントウバナ (天道花)やオツキヨウカ(卯月八日)です。一般的には、長棹の先端にツツジやフジなどの花を飾って立てる 習わしでしたが、近年はほとんど見られなくなりました。これらは、太陽や月のために立てる花といわれていま す。
◎天祭[てんさい]
栃木県や福島県などの一部地域で、4月から9月頃にかけて行われます。山上や神社、寺院の境内などに天棚と 呼ばれる祭壇を設け、天祭囃子や踊り、御来迎など地域ならではの取組がみられます。



 
テントウサマの祭り
〈左〉千葉県船橋市の天道念仏 /〈右〉栃木県那須烏山市の天祭

          

 このような行事は、かつての人びとが太陽とともに生きた証を伝えてくれます。残念ながら信仰面では本来の 目的が失われ、形骸化が進行している事実は否めません。しかし、歴史ある行事に直接ふれ合う機会が残され ていることは重要な意味を持っており、今後も文化財としての役割を追求し、保全する努力が欠かせません。



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