仕 事 と 星

星を見てイカを釣る

【 イカ釣り漁の変遷 】
 イカといえば、日常の食生活において寿司や刺身、燻製などと馴染み深い食物となっています。今では、日本 の沿岸域だけでなく、遠洋のさまざまなイカも食す時代になりましたが、かつては沿岸域で漁獲されるイカの大 半がスルメイカという状況でした。近年は、イカの不漁が続く状況であり、まずはイカ釣り漁の歴史を概観して みましょう。
 日本の近海では、7〜8種類のイカが漁獲されており、その漁期や漁法は種類によって異なります。通常は、 イカ鉤と呼ばれる道具で釣り上げますが、カゴを沈めて捕獲したり、他の魚類といっしょに網で捕獲する方法も みられます。ただし、実際に漁獲されたイカはほとんどがスルメイカであり、名前のように干しあげてスルメに 加工されていたのです。したがって、以後は特に表記しない限りイカ=スルメイカのこととして話を進めます。
 イカは、夜行性の生きもので主として夜間に活動するため、一般にイカ釣りは暗い夜の海で行われます。ただ し、ヤリイカのように昼間に釣り上げる種類もいます。現在のイカ釣り漁は漁船が大型化し、特別な光を放つ集 魚灯や自動で糸を巻き揚げる機械が使用されており、最早星を見てイカを釣るという時代ではありません。また、 昔のような専用の漁具を使ったイカ釣りを経験した漁師は、ほとんどいなくなりました。
 さて、夜のイカ釣りが始まったのは15世紀の室町時代と考えられていますが、各地で盛んに行われるようにな ったのは明治時代に入ってからです。その後1950年頃にかけては、北日本において重要な漁業の一つと位置付け られていました。その当時は、手漕ぎの船に数人が乗り込み、数種類の道具を巧みに操作してイカを釣っていた のです。しかし、まっ暗な海でどうしてイカが釣れるのでしょうか。イカは光に集まる性質をあり、古い時代に はかがり火を焚き、その後はカーバイトやガス灯などが使われてきました、現在は大光量の特殊な集魚灯を利用 しますが、光量の弱い手釣りの時代には、時間とともにイカを表層へ誘い上げて釣るのが基本でした。
 日本海では、春から夏にかけてまだ小さなイカの群れが北上し、9月を過ぎると成長して南下するという回遊 を毎年繰返してきました。そこで、北陸地方の沿岸や新潟県などでは、多くの船が出漁してイカ群を追い、漁を 続けたのです。こうしたイカ釣りが、やがて青森、秋田、山形、岩手、宮城などの各県に伝わり、最終的に北海 道南部の沿岸域にも伝播しました。北海道では、他県から移り住んでイカ漁をしていた漁師が多く、道具や漁法 とともに星の伝承も併せて伝わったと考えられています。

 

イカ釣り道具を持った昔の漁師たち
※こうした道具を使って星を目あてにイカを釣っていました。

【 利用した星 】
 イカは、日周鉛直移動を行うことが知られており、夜の海では昼間の活動域よりも浅い40〜70mの水深域で潜 行や浮上を繰り返しているといわれます。したがって、漁師も夜通し釣っていたわけではなく、水深に合わせて 釣具を交換したり、途中で休憩をとっていました。夜空では、東天を中心に次々と星が出現し、徐々に西空へと 移動していきます。そのような状況において、いつの頃からか漁師らは目ぼしい星々に名前をつけ、それらが東 から昇るときには「イカが釣れる」と言い伝えてきたのです。
 漁師らは、イカ釣りの目安として利用した星々をヤク星と呼び、主に以下の5種類の星あるいは星群が対象で した。

 @ おうし座のプレアデス星団(スバル)
 A おうし座のヒアデス星団またはアルデバラン
 B オリオン座の三つ星
 C おおいぬ座のシリウス
 D 夜明けの明星(金星)

夜空に連なるイカ釣りの星
※冬空の主要な星々が大切な目安として利用されました。なお
オリオン座の三つ星は、ほぼ真東からたて一列になって出現します。

【 各地の星の伝承 】
 ヤク星の伝承が多く記録されているのは、日本海側では北陸地方から北海道にかけて、また太平洋側では宮城 県から北海道にかけての沿岸域です。それぞれに星の呼称が伝承されていますが、なかには別な星に全く同じ名 が伝わるケースもみられます。ほとんどの地域では、プレアデス星団と三つ星についての伝承がある一方で、ア ルデバランやシリウスについては伝承が途絶えたところもあるようです。なお、北国においてヤク星が利用でき るのは、イカ釣りが盛んになる初秋から初冬にかけての季節に限られます。
 それでは、イカ釣りの漁師らがどのように星を頼りにしていたのか、各地の聞きとり結果を基に少し整理して おきましょう。漁師らの眼には、星の動きが正確に捉えられていたのです。
* 5月から6月の間はまだ星の出が遅いので、8月からヤクボシを目あてにするようになった 〈青森県下北郡東通村、1976〉
* 10月から秋イカ漁の季節となるが、昔は手漕ぎの船に乗って星が昇るのを待ってイカを釣った 〈北海道積丹郡積丹町、1976〉
* 星の出に間があるときは、船で寝て待った〈新潟県両津市(現佐渡市)、1976〉
* イカが釣れないときは、シバリ(プレアデス星団)の出やサンコウ(オリオン座)の出まで寝て待った 〈北海道小樽市、1976〉
* 夜中にほとんど釣れなくても、メシタキボシ(金星)が出ると朝イカが釣れた 〈北海道積丹郡泊村、1976〉
* 昔は、夕方から夜明けまで星を見ながら夜通しイカを釣った〈秋田県男鹿市、2012〉
* サンコウが遅く昇ってくるようになったら、イカ釣りをやめて帰る〈青森県三戸郡階上町、2015〉
* ムジナ(オリオン座)の星が出てもイカが釣れなければ、漁をやめて帰る 〈宮城県本吉郡南三陸町、2018〉
 このような伝承は、北へ行くほど多く聞かれます。

【 月とイカ釣り 】
 夜のイカ釣りで、イカを集めるための集魚灯(電灯)が普及するのは、1930年代以降のことです。それまでは、 小さなかがり火や石油灯、アセチレン灯などが時代を追って使われてきました。したがって、当時のイカ釣り漁 では月光の影響が大きかったようで、満月の頃にはイカは釣れないとされてきました。半月よりも細い月の出な ら釣れたようですが、満月のような明るい月に照らされた海では、カーバイトやアセチレン灯では光力が弱いた めに、イカを十分に引き寄せられなかった可能性があります。そこで、月の出や入りについて、漁師らがどのよ うな関心を寄せていたのかまとめてみました。
○月の出にイカが釣れるという伝承がある地域
 北海道、青森県、岩手県、宮城県、福島県、山形県、新潟県、富山県、福井県、鳥取県、島根県
○月の入りにイカが釣れるという伝承がある地域
 北海道、青森県、宮城県、新潟県、富山県、福井県、鳥取県、島根県
○月の出は細い月がよいという伝承がある地域
 北海道、青森県、山形県、新潟県
○満月の夜は釣れないという伝承がある地域
 秋田県、新潟県、福井県、京都府、鳥取県、佐賀県
 地域によっては、満月の出にイカが釣れるとする伝承も少しありますが、大方は満月を中心とした一定の期間 はイカ釣りに適さないというのが一般的な見方です。また、月の動きは潮の流れとも深くかかわっていますので、 そういう意味でも関心が高かったと考えられます。

 

イカ漁の風景
〈左〉集魚灯をもつイカ釣り船 /〈右〉するめ干し(岩手県)

【 なぜ星を見たのか? 】
 イカ釣りをめぐる星の伝承は、初期段階として漁場の位置や方位などを確認したり、時間の経過を知るために 利用されていたはずです。その後、特定の星の出現とイカの漁獲が重なる事象に気付き、やがて星に注目するこ とでイカの漁獲を予測できるという現実的な伝承へと変化したものと推察されます。それは、伝承が日本海の中 部から北部へと伝播する過程において確固たる伝承になったようです。
 例えば、それぞれのヤク星が出現するまでの時間をみると、新潟県付近でプレアデス星団とアルデバランが約 1時間15分、アルデバランと三つ星で約1時間50分、三つ星とシリウスでは約2時間となっています。北国では、 最盛期に夕刻から翌朝にかけて断続的にイカ釣りが継続されるものの、主要な星々の出とイカ群の浮上がどの程 度の頻度で重なるかは不明です。それでも、結果的に多くのイカが釣り上げられたとなれば、漁師らの星に対す る期待は相当に大きかったに相違ありません。
 九州から北海道に至る日本海沿岸域や福島県以北の太平洋沿岸域には、ヤク星に関する何らかの伝承が記録さ れ、特に北陸から北海道南部および宮城県以北の沿岸域では、多様なヤク星が伝承されてきました。しかし、星 の出とイカ群の行動には、今のところ科学的な根拠に基づく関連を認めることはできないのです。各地の伝承は、 夜空の星に豊漁を託さずにはいられなかったイカ釣り漁師の真剣な気持ちを代弁するものであり、それこそが星 利用の文化の特性といえるでしょう。


星を見て麦を作る

 麦は、わたしたちの生活に欠かせない穀類の一つです。パンやケーキ、麦飯、麺類などさまざまな食物に利用 され、日常的に親しみを感じる食材といえるでしょう。とりわけ、小麦は多くの地域で栽培され、そこに星の利 用があったという事実は稲作の場合と異なるかかわり方を示唆しています。かつては日本の各地で見られた麦秋 風景も、今では一部の地域を除いてほとんど見かけなくなりました。
 さて、日本の麦は通常秋に種を播き、新しく出た芽が冬を越して春に生長し、6月頃に収穫されます。このよ うな作物を「冬作物」と呼びますが、関東地方では同じ畑で春に作付けする「夏作物」としてさつま芋や陸稲な どが栽培されました。限られた農地を有効活用し、多様な作物を栽培・収穫していたことがよく分かります。

   
   

麦作りと暮らし
〈左上〉めばえた麦 /〈中上〉小麦の穂 /〈右上〉収穫前の小麦畑(6月)
〈左下〉麦ふみの足跡 /〈中下〉昔の棒うち(再現)/〈右下〉十五夜の小麦粉饅頭

 その関東地方において、東京都や埼玉県、神奈川県などでは、からす座の四つの星やおうし座のプレアデス星 団を目あてに麦の播種をしていました。それは10月の終りから11月にかけての季節で、農家の人びとは夜明け前 に南東の空から昇るからす座や西の空に沈んでいくプレアデス星団の位置を注意深く観察していました。特に、 からす座については正確な播種の時期を把握するために、東京都の山里や埼玉県の西部で「カーハリたけ上がっ てからでは、麦播きはもう遅い」という伝承がみられます。
 カーハリというのは、本来カワハリ(皮張り)というからす座の四辺形に対する呼称で、この星の並びをムジ ナ(通常はタヌキのこと)という動物の毛皮を乾燥させるために広げた姿と見た呼称です。この伝承の真意は、 四辺形のうち最初に姿を現すγ[ガンマ]星を見て麦播きを始め、その後同じ時刻に最後のβ[ベータ]星が出 現する頃には、もう麦播きを終えなければならないという意味です。夜空の星々は、毎日少しずつ出現が早くな るため、その変化を季節のカレンダーとして利用していたわけです。また、埼玉県の西部地域には「麦は、遅く ても11月20日のエベスコ(恵比寿講)までには播き終える」という言い伝えがあります。人びとがカーハリを眺 めていたのは、11月上旬から20日前後と考えられますので、昔の人びとは星を見る確かな眼を持ち合わせていた のです。
 ただ、実際にどれくらいの人びとが星を頼りに麦播きを行っていたのか、よく分かりません。季節の変化は、 星だけでなく植物の芽吹きや葉が落ちる様子、渡り鳥の渡来時期などでも知ることが可能で、そのような自然の 一部として星が利用されていたのでしょう。

丘陵地から昇るからす座の四つの星


星を見て炭を焼いた人びと

 現代生活で、炭を利用するのは特別な用途がほとんどです。半世紀ほど前には、一般の家庭でも使われていた 燃料の1種ですが、今では炭の特性を活かした除湿や浄化、脱臭など目的は多様化しています。また、木炭だけで なく、竹を焼いた竹炭もよく利用されています。
 さて、木炭には黒炭あるいは白炭という種類があり、今利用されているのはほとんどが黒炭です。炭を焼くに は材料となる木材が必要で、かつては森や林のある丘陵地から山地が主要な生産の場でした。したがって、農作 業が少なくなる冬の間に多くの山村でたくさんの人びとが炭を焼いていたのです。そして、関東地方などでは、 星を頼りに炭を焼いた人びとがいました。

炭焼きの星が伝承されていた地域(関東西部)

【 炭焼きの方法 】
 炭を焼くには、条件のよい場所に炭窯を造る必要があります。通常は石を積み、粘土のような特殊な土を塗っ て固め、平面的に卵のような形状に仕上げます。白炭用では奥行きが2.5〜3.5m、幅が1.5〜2mほどで、手前側 に口をあけ、奥にはクドとよばれる煙出し(煙突)を設えます。こうした窯を造るのは、代々伝承された技術を 有する人びとです。よい炭を焼くには、さまざまな要件に適った窯が必要でした。
 材料となる木は、関東では主にクヌギやコナラ、カシの仲間で、一般によい炭とされる堅炭に適しています。 もちろん他の木も炭に焼きましたが、これらは雑炭として扱われました。それでは、星の利用と深いかかわりを もつ白炭の生産は、どのように行われたのでしょうか。その手順は、概ね以下の通りです。
@木を伐り、一定の長さ(1〜1.5m)に揃える。これを原木とする。
A原木を窯内に立てる。その際、通常は窯が小さくて人が中に入れないため、先端が二股になった長い棒を使っ て押し込む。この用具は、一般にタテマタと呼ばれる。
B窯の口に焚きつけをおき、点火する
C火がまわったら、窯の口を閉じる。その後はクドから出る煙の色で内部の状況を判断する。
D最後にネラシと呼ばれる作業を行い、すぐにカキダシボウを使ってまっ赤な炭を窯の外へ掻き出す。
E掻き出した赤い炭にゴバイをかけて消火する。このとき使う用具はエブリと呼ばれる。
 作業が一段落すると、休む間もなく新たな原木を窯に立てます。以上を1サイクルとして、小さな窯では毎日あ るいは1日おきに繰り返すのです。

 

白炭を作る仕事の一部
〈左〉窯内に木を立てているところ /〈右〉ゴバイをかけた炭を整理しているところ

【 炭焼きの暮らしと星の伝承 】
 昔は、東京都を含む関東の山村で、晩秋から早春にかけて多くの人びとが炭を焼いていました。主体となった のは白炭の生産で、窯のある場所は家から徒歩で1〜2時間のところです。基本的に、毎日あるいは1日おきの スパンで家と窯のある場所を行ったり来たりする生活でした。冬という季節を考えると、夜明け前の暗いうちに 家を出、帰るのは日没後となるのが常であったようです。
 その当時は、時計がない家も多い時代であり、人びとの暮らしは動物の行動や植物の生長など、自然の変化に 依存する度合いが大きかったのです。その姿勢は、夜空の星々についても変りがなく、生業に限らず日々の暮ら しのさまざまな場面で星の利用が図られました。そして、特に重視された星(星群)として以下の3種を挙げ ることができます。

炭焼きの暮らしと利用された星の関係
※北斗七星はその動き(左まわり)を時計がわりに利用しました。

○ オリオン座の三つ星
秋の夜、炭焼きの仕事から帰って足を洗う頃、東の空に姿を現すこの星を眺めていました。そのことを表現した 呼称がアシアライボシ(足洗い星)です。また冬の朝には、西空に傾いたこの星の位置を見て時間を図ったり、 家を出る時刻の目安としていました。
○ からす座の四辺形
晩秋から早春にかけて、この星の位置によって時間を図ったり、朝の目ざめや家を出る時刻の目安として利用さ れました。カワハリやヨツボシなどと呼ばれていました。
○ おおぐま座の北斗七星
冬から春先きにかけては、この星が北の空に高くなるのを見て、夜なべ仕事を終える目安として利用しました。

 これらのうち、最も多く利用されたのがからす座の四辺形で、三つ星とともに山の暮らしにおいて重要な存在 でした。からす座には特に目だつ星はないものの、周辺に明るい星がないことや南の空を低くゆっくりと移動す る特性などから、人びとが注目するようになったものと推察されます。

 

炭焼きの暮らしを支えた星たち
〈左〉西へ傾いたからす座 /〈右〉北の空に立ち上がった北斗七星


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