は じ め に

 この展示室では、七夕の民俗について解説しています。
 七夕の物語や主体的な行事は、いずれも中国から伝来したものですが、日本では十五夜とともに天文民俗を代表す る年中行事として親しまれてきました。江戸時代に定着した五節供のひとつとしてもなじみ深い行事であり、夏の風 物詩として毎年全国各地で華やかな「七夕祭り」が開催されています。
 しかし、日本にはもともとこの時期に行われてきた在来の素朴な習俗がありました。外来の伝説や行事は、在来の 信仰や行事と習合しながら次第に変化し、独自の七夕民俗を創りあげてきたのです。在来的な要素は、今でも各地の 行事にのこされていますが、ここではそれらを「タナバタ」と表記することにしました。
 行事をめぐる歴史的な背景を史料によって概観し、農山村地域を中心としたタナバタ行事の構造とその特性につい て、日本各地における現地調査の記録を踏まえて紹介します。

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日本のタナバタ 2022/03/25

 

二星聚会の説話と乞巧奠

 日本の七夕行事に大きな影響を及ぼしているのは、中国で成立した二星聚会の説話と乞巧奠です。二星とは、言う までもなく織女星(こと座のベガ)と牽牛星(わし座のアルタイル)で、漢代の古詩などに星合いの原形を認め得る とする見方が一般的な解釈となっています。一方、乞巧の習俗については古くても後漢以降に起こったとみられ、両 者が七夕の行事として明確に位置づけられているのが『荊楚歳時記』〔文0060〕の記述です。そこには、「七月七日 爲牽牛織女聚会之夜」の章があり、二星の聚会とこの日の夕に行われた乞巧の様子が記されています。
 こうした七夕説話に基づく7月7日の行事が日本に伝わったのは、奈良時代と考えられますが、当時はまだ七夕が 「たなばた」とは読まれず、乞巧にまつわる確実な記述も見あたらないようです。『万葉集』には、二星聚会に関す る歌が多く見出せるものの、『続日本紀』の聖武天皇天平六年の条では、秋七月丙寅(七日)の夕に天皇が文人に七 夕の詩をよませたとあるだけで、いわゆる七夕行事としての性質はまだ現れていません。
 平安時代を迎えると、『延喜式』巻三十織部司の章に「七月七日織女祭」とあり、特別な行事を行う古来の節日で あったことが窺われます。ただし、この場合の織女は夜空の織女星というより、神御衣に深いかかわりをもつタナバ タツメが想定されます〔『平安期の年中行事』文0201〕。その後の『西宮記』や『江家次第』では、次第に乞巧奠行 事としての形態が整う様が認められ、宮中行事における七夕祭の定着が図られるようになりました。
 平安後期から末期の史料(『執政所抄』や『玉葉』)をみると、七月七日に「御節供」あるいは「節供」と記され ていますが、七夕がいわゆる五節供のひとつとなって定着するのは、近世になってからです。宮中の七夕行事は、や がて武家社会でも行われるようになり、特に江戸幕府や城下におけるあり様は、『御実記』を始めとして多くの日記 や随筆、地誌などで認めることができます。なお、中世から近世にいたる七夕行事は、各時代によって変遷がみられ、 たいへん興味深いものがあります。

タナバタの意味

 日本の各地では、毎年7月7日前後に華やかな七夕祭りが開催されます。それらの多くは、乞巧奠由来の行事です が、その一方でこの時節に行われてきた古い信仰に基づく習俗が、盛大な祭礼へと発展した事例もみられます。仙台 の七夕と並ぶ東北の夏祭りを代表する青森の「ねぶた」や弘前の「ネプタ」、秋田の「竿灯」、能代の「七夕燈籠」 などがそれです。これらは、いずれも夏越の祓を基本とし、祖霊信仰との深いかかわりが指摘されています。そこに は、古から格別で神祭的な節日であったという背景が存在し、日本の七夕を構成する重要な柱のひとつと捉えられて いるのです〔文0183、0201〕。
 今のところ、日本のタナバタは中国伝来の二星説話と乞巧奠、それに日本固有の神を祀る信仰が習合したものと考 えられます。ただし、近世末から近代にかけての民間信仰をベースとしたタナバタは、さらに複雑で変化の多い行事 となっていることも確かであり、地域によって特有の要素を認めることができます。
 さて、現在は七夕を「たなばた」と読みますが、『万葉集』の時代は、織女をタナハタとするものの、七夕のほう はナヌカノヨなどとよんでいました。行事の総称として「たなばた」が定着するのは平安期以降とみられ、『伊呂波 字類抄』では織女をタナハタツメと読むと同時に、七夕も同じタナハタとする記載があります。また、乞巧奠の別称 をタナハタマツリとしていることも、各要素の一元化が進んだことをよく示しているようです。
 日本では、民間信仰において古くから7月7日に日本固有の神を迎える行事があったと考えられてきましたが、そ のひとつに、湯河たなで神の来臨を待ちつつ機を織る兄處女を「たなばたつめ」として、これが中国より伝わった織 女星に結びついたとする見方があります〔『折口信夫全集第二巻』文0039〕。一年に一度の聚会説話が、神の訪れを 待つタナバタツメと習合したことで、七夕が「たなばた」として定着するに至ったのではないかと推測しています。
 これに対し、『日本書記』や『古事記』にみられるオトタナバタが中国の七夕行事と習合したとみる考え方があり ます。いずれも「棚機」とみるのは変わりませんが、棚をめぐる解釈に相違がみられます。前者が棚を湯河たなとい う神聖な場として捉えているのに対し、後者では、これを「棚のある機」そのものではないかと考察しているのです 〔『七夕と相撲の古代史』文0115〕。
 また「棚機」とは異なる見解もみられます。それはタナバタを「棚幡」とみるもので、この場合の棚は年神や精霊 などを祭る棚のことです。これも7月7日の古い信仰に基づくもので、かつては棚に標識としてのハタをつけていた ことに由来するといわれます〔『月ごとの祭』文0131〕。現状では「棚機」とみる考え方が一般的ですが、いずれに しても日本在来のタナバタ信仰において、特徴的な行事の展開がみられたことは確かです。

 

〈左〉天棚機姫命の絵馬(静岡県)/〈右〉宗像大島の織女社(福岡県)

日本のタナバタ

 民間におけるタナバタ行事は、固有の信仰と外来行事の習合により地域ごとにさまざまな特色をもっています。た とえば、七夕には必ず笹竹を立てるものと考えがちですが、実際には竹を立てないところも少なくありません。同じ 地域でも、都市部と農村部では行事の形態に違いがみられ、タナバタに対する考え方そのものが異なる様相を呈して います。一般的に、都市部の七夕は外来行事の影響が色濃くのこり、農村部などでは旧来の固有信仰に一部で乞巧奠 の要素が取り入れられた構造が認められます。また、生業とのかかわりについても考慮する必要があるでしょう。
 そこで、日本のタナバタ行事を構成する民俗的要素について整理すると、概ね以下のようになります。
(1)タナバタの形態・習俗
★神迎えや神送り、精霊信仰などにかかわる要素:竹(笹)、タナバタ馬、タナバタ船、タナバタ提灯など
★禊祓、眠り流しなどにかかわる要素:ネムノキ、水浴、洗いもの、井戸替え、水神供養、七夕人形・紙衣、虫送り、 人形送りなど
★外来行事にかかわる要素:願いの短冊、五色の飾りなど
★その他の要素:供えものなど
(2)タナバタの伝承
★タナバタやオリヒメに関する説話や俗信
★タナバの日の雨、耕作地への立ち入りに関する俗信
★作りものや供えもの、習俗全般に関する俗信
★七夕の星空をめぐる伝承
 これらの要素がすべて網羅された行事はみられませんが、それぞれの要素には、地域社会に内包された特性が色濃 く反映されています。また、在来のタナバタ行事では、この日が神祭を行う節日であったことに加えて、祖霊信仰に よる盆行事との深いつながりを意識させる要素が多いようです。牛馬などの作りものや供えもの、水にかかわる習俗 などには、むしろ盆行事に由来すると考えられるものも少なくないのです。

 

〈左〉七夕の竹飾り  /〈右〉タナバタの馬作り(埼玉県)

タナバタの日

 タナバタをいつ行うのかということは、これまでほとんど関心をもたれることがなかったようです。江戸時代に定 着した七夕の節供は7月7日(旧暦)で、これが行事としての日程となります。しかし、都市部に比べると農村部な どでは、より複雑な様相を呈していることが分かります。その大きな要因のひとつが明治6年の改暦で、その後は旧 暦(太陰太陽暦)と新暦(グレゴリオ暦)が交錯したため、さまざまな日程が用いられてきました。
 全国を概観すると、旧暦で行う地域は聞きとり事例の5%余りと少なく、いわゆる月遅れの新暦8月に実施すると ころが7割以上を占めています。今のところ、旧暦の事例がみられるのは関東地方で、北部がやや多い傾向を示して いるようです。新暦8月の実施で多いのは、8月6日から7日にかけてと8月7日だけで行われるケースで、全体の 6割弱に及びます。
 また、ここに示した日程には、いくつかの特徴を見出すことができます。ひとつは、タナバタ行事の多くが二日間 乃至三日間にわたって継続されることです。特に目立つのは6日と7日の二日間で、6日に飾りつけを行って7日朝 や日中に供えものなどを済ませ、遅くとも夕方までには終了するというパターンが一般的になっています。さらに、 7日だけの場合も「朝に飾って夕方には終える」という事例がほとんどです。いずれにしても、この行事が単独のも のではなく、他の行事(盆など)と連続した「時」の共有化が図られていると推測することができるでしょう。それ は、タナバタを月遅れで行っている地域においては、盆行事もほぼ月遅れの8月15日前後に集中して行っているとい う事実からもよく頷けます。特に、岐阜県岐阜市内で8月7日から15日にかけて実施される行事では、タナバタ提灯 が供えられます。また、熊本県芦北町を中心とした神迎えや精霊迎え、悪霊退散などを目的とした綱張り行事も、8 月6日から13日あるいは8月6日から16日まで継続されて行われます。まさに、盆を迎える準備や物忌みとしての性 質がはっきりと表れているわけです。
 なお、タナバタを7日の朝もしくは夕方までに終了してしまうという実態は、7日という特異日の重要性を第一義 としたものであり、「星まつり」としての外来習俗とは一線を画す姿勢を示したものとして注目されます。

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