は じ め に

 暮らしと月とのかかわりでは、いわゆる「月見」の行事がもっとも身近な存在といえるでしょう。 一般には中秋の名月を観賞する日と考えられていますが、日本では古くから望月(満月)を拝する 信仰がありました。満月は豊饒のシンボルであり、月光には神霊が宿っているとも信じられてきたのです。 かつては、望月を区切りとした暮らしのリズムがあり、今日「小正月」と称される一連の民俗行事は、 その名残を示すものです。
 中秋の名月にかかわる行事は、中国から伝来したものといわれていますが、当初は宮中での風流な観月が 主体でした。したがって「月見」が一般庶民に広まるのは、近世以降のこととなります。ただし、これは 都市部を中心とした状況であり、農村や山村地域などでは観月よりも農耕儀礼としての性格が強く表れて います。望月に対する信仰が外来の行事と習合し、多分に日本的な「月見行事」の形成が図られてきたものと 考えられます。
 十五夜は月見行事の基盤を成し、代表的な年中行事の一つです。北海道から沖縄県にいたる各地でその習俗が みられ、現在も継続されている事例が少なくありません。その後に行われる十三夜を含めて一体的な月見行事と 捉えている地域が多く、さらに一部の十八夜や十日夜なども一連の月見行事として行われている場合があります。 こうした多様性は、十五夜が単なる観月に止まらず生業と深いかかわりをもった行事であることを示唆して います。その一方で、各地の特徴的な習俗は時代の変遷とともに一部が簡素化され、あるいは失われている ことは否めません。他のさまざまな行事と同様に、私たちの暮らしから離れ形骸化しているという事実にどう 向き合っていくのか、一人ひとりの心のあり様が問われているような気がします。
 この展示室では、十五夜を中心とした民俗について解説しています。

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十五夜と名月 2019/01/25

 

●●●八月十五夜

 十五夜の行事は、中秋つまり旧暦(太陰太陽暦)の八月十五夜に行われます。ただし「中秋の名月」というのは、 単に中秋の月のことをさしていますので、この月が必ずしも満月(望)になるとは限りません。
 「中秋」の意味は、8月15日が旧暦の秋である七月、八月、九月のちょうど真中にあたることによるもので、同じ 読み方でも「仲秋」となると、こちらは陰暦八月のことをさしますので意味が異なります。日本では、明治5年(1872) 12月3日を明治6年(1873)1月1日とする太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦が実施されて以来、旧暦によって 行われていた行事などは、毎年実施日が変わるという事態を招くことになりました。中秋も例外ではなく、現行暦では 年ごとに変化しています。これは、それまでの太陰太陽暦が暦法上の約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加え なければならず、1年の長さが太陽暦よりも短い12ヵ月の年と、反対に長い13ヵ月の年が組み合っていたためです。 これによって、現行暦における中秋は、早い年で9月上旬から遅い年では10月までずれ込むことになってしまいました。
 したがって、月の運行と直接的に関係しない行事は、次第に現行暦の日付で固定化されていきましたが、十五夜や月待 行事に関してはそれができなかったわけです。しかし、行事の本質が蔑ろになると、十五夜といえども新暦での固定化が 起こり、単純に現行暦でひと月遅らせた9月15日に実施している地域も少なくありません。もちろん、月齢は新暦に かかわりなく変化しますから、満月なき十五夜の祝いを行うことになります。このような現象は、都市化が進んだ地域ほど 顕著にみられるようです。因みに「月遅れ」という言葉は、グレゴリオ暦のなかで便宜上ひと月分移行させる処置ですので、 太陰太陽暦の日付とは全く関連性がありません。

 

●●●中秋の名月

 中秋の名月を観賞する慣習は、9世紀末から10世紀初頭にかけて中国より伝来した行事と考えられています。 中国においては、清時代の記述に「各家とも瓶花[いけばな]・線香・蝋燭を供え、空を望んで頂礼する。小児たちは 男女とも月下に膜拝[もはい]し、燈前にて嬉戯[あそ]ぶ」とあります〔『清嘉録』文0093〕。時代は下っていますが、 江蘇地方の民間で行われていた中秋節のようすを知ることができます。
 日本では、平安朝以降、宮中や貴族社会で観月の宴が盛んに催されてきたようで、その性格について、単なる内裏の 行事ではなく、風流を尊ぶ季節の象徴として重んぜられた行事と受けとめられています〔『平安朝の年中行事』文0201〕。 それでは、なぜこの時期の月に関心が集まったのでしょうか。それは、月の運行とかかわりがあります。
 月の動きは、満ち欠けを伴いながら毎日ほぼ同じ割合で空を西から東へ移動しますが、これを月が出る時刻でみると、 平均で1日約50分ずつ遅くなっていきます。ところが、この時間はかなりのばらつきがあり、秋分前後では最も長い 春分頃の約6割ほどの時間にまで短縮されます。したがって、これに近い満月(つまり中秋の名月)の頃でも、月の出は かなり早めに推移しているケースが多く、それほど待たずに月を拝することができるというわけです。しかも、月の出が 早いばかりでなく、地平線からの月の高さも高過ぎず低過ぎず、ほどよく夜空にかかるため、天候の影響さえ考えなければ 観月に適した季節であることがよく分かります。
 ただし、観月の慣習が一般庶民にまで広まったのは近世になってからのようで、江戸では隅田川の河口近くや深川、 品川、高輪、駿河台あたりが月見の名所として知られていました。

 

望の月と江戸の月見名所

〈写真左〉 撮影:箕輪敏行氏  / 〈写真右〉 高輪付近の高台「月の岬」

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