日本の十五夜 2020/05/25

 

●●●月見と農耕儀礼

 

〈左〉 東京都東村山市 /〈右〉 神奈川県横浜市(横山好廣氏撮影)

 日本の民間で行われた十五夜行事は、どのようなものだったのでしょうか。基本的な構図として、それは古来の月を祭る 信仰に外来の思想や行事が習合したものと考えられます。もとより、月は神話の世界において「月読命」として現れ、人びとは 日々変化する月の姿に豊饒の願いを重ね合わせていました。特に望の月(満月)に対する信仰は篤く、旧暦の十五日は特別な 日であったわけです。さらに中秋は、豊年祭や放生会などの行事ともかかわりの深い時節です。そのような背景をもとに、 本来の農耕儀礼的な慣習に観月の要素が加わって今日的な十五夜へと定着していったのではないでしょうか。
 さて、十五夜といえば、多くはススキや花を飾り、さまざまな供えものをするのが全国的にも一般化した行事の形態です。 この供えものには、団子や饅頭、おはぎなどの作りもののほか、里芋、さつま芋、豆類、大根などの畑作物、さらに柿や栗、 梨、りんごなどの果物があります。その他、水や酒、灯明なども含めて、これらは地域によってさまざまな組合せがあり、 またその供え方ひとつとってみても、たいへん興味深い変化がみられます。特にススキと里芋をめぐっては、この行事が単なる 「月見」ではなく、農耕儀礼としての性格を強く示唆する要素として注目されます。中国においても地域によって家庭ごとに祭壇を つくり、月餅や芋の煮物、柿、栗、蓮根、菱などを供えたといわれ、これに類似した習俗は、他のアジア諸国でも見出すことが できます。

 

●●●月とススキ

 十五夜にとってススキは欠くことのできない植物です。それを敢えて供えないという事例が群馬県や埼玉県、長野県、琉球諸島の 一部などにみられるものの、古くから秋の七草のひとつ(尾花)として親しまれてきました。そればかりでなく、かつては屋根を葺く 素材として大量に利用され、また炭焼きのさかんな地域では炭俵を編む材料としても使われるなど、人びとの生活に有用な植物として 位置づけられてきたのです。農山村の里山では、ススキの群生地はごくありふれた景観を形成していましたが、このような環境を関東 などで「カヤト」と称し、人びとが地区の共有地として大切に維持・管理を行ってきました。ただし、同じカヤでも一部の地域では チガヤやオギ、ヨシ、スゲ類などを指す場合がありますので注意が必要です。
 ススキには、本来的な役割として呪術力をもつとする見方がありますが、一つの事例として千葉県袖ケ浦市では、かつて田の代掻きが 終わりいざ田植えを始めようとするときに、田のクロ(畔)にススキを2本さしていました。こうした特別な力が信じられたのは、チガヤ も同じです。ススキの霊力は、南西諸島の島々で広く行われるシバサシにもよく表れており、「時間と空間を守る」ための魔除けの意味 合いが強いと考えられています〔『軒端の民俗学』文0186〕。
 沖縄県うるま市勝連浜では、今でもシバサシを行う家があり、ここではグシチ(ススキ)の茎を残して葉の部分だけを丸め、屋敷の 入口と四隅にさして魔除けとしていたようです。同県島尻郡の八重瀬町でも、旧暦8月10日に採ってきたグシチの葉先を丸め、屋敷の 出入口や四隅などにさしました。当地では、これをさしておくと縁起がよいとされています。また、夏越の大祓として各地で行われる 「茅の輪くぐり」は、穢れを祓うという意味からカヤのもつ霊力を信じることでその目的を果たしているといえるでしょう。なお、茅の 輪は本来チガヤを利用していたようですが、地域によってススキなどさまざまな茅類が使われています。
 ススキが農耕のさまざまな場面で利用されている事実は、国内ばかりでなく中国や台湾などでも多くの事例が知られており、いずれも ススキに秘められた霊力に対する信仰がその基盤にあります。こうしたいくつもの流れが、互いに影響を及ぼしあいながら十五夜のススキ へと連なっていることを考えれば、農耕儀礼としての位置づけが一段と鮮明になるでしょう。十五夜、十三夜ともに作神様に対する感謝の 行事という側面をもち合わせているのです。
 それでは、十五夜におけるススキの重要性について、調査資料から関東地方を中心にその概要をまとめてみましょう。
 


〈左〉ススキを利用したシバサシ(沖縄県) / 〈右〉茅の輪の一事例(埼玉県)


〈左〉門口にさされたススキ(埼玉県) / 〈右〉畑に立てられたススキ(山梨県)

 
@ススキを利用した習俗
* 十五夜の茅箸(ススキ)は2本、十三夜の箸はダイコン2本を供える(栃木県)
* 十五夜の晩には茅の箸で食事をする(埼玉県)
* 十五夜や十三夜に2尺ほどの茅箸を供える(埼玉県)
* 十五夜の膳に茅の箸を供える(東京都)
* 十五夜には家族全員の茅箸を作り、初めの一膳は必ずこの箸で食べる(神奈川県)
* 戦前までは十五夜に赤いご飯を炊き、茅の茎で作った箸で食事をした(神奈川県)
* 茅で作った箸を15組供え、子どもたちが各家をまわって茅箸で野菜ごはんを一口ずつ食べる(山梨県)
* 十五夜や十三夜のときは、虫歯にならないように茅箸でご飯を食べる(山梨県)

Aススキの処理に関する習俗
* 大根畑や他の野菜畑にさしておく(茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、山梨県)
* 蜜柑の畑にさしておく(神奈川県)
* 畑の畔にさしておく(静岡県)
* 家の門口や垣根などにさしておく(栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都)
* 屋根の軒などにさしておく(埼玉県、東京都)
* 庭にさしておく(神奈川県)
* 堆肥場にさしておく(埼玉県)
* 庭の木にしばり付け、翌年の小正月に取り外す(埼玉県)
* 床の間に飾る(埼玉県)
* 子どもの神様である稲荷さまへ供える(群馬県)
* 踏まないように川へ流す(栃木県、群馬県、埼玉県)
* 道路の辻におく(埼玉県)
* ヤマにおいてくる(栃木県)
* 海へ流す(神奈川県、静岡県)
* 燃やして灰にし、人が踏まない場所に埋める(千葉県)
* 燃やして、そのカス(灰)を屋敷の周囲に撒く(茨城県)
* 玄関や勝手口、便所においておく(和歌山県)

Bススキに関する他の習俗
* 十五夜には月が供えものを食べる箸として2本のススキを、また十三夜には2本の大根を供える(茨城県)
* ススキの茎を1b程に切り揃えて縁側に敷き、そこに供えものを載せる(山梨県)
* ススキの葉を台の上に敷き詰め、その上に供えものを載せる(静岡県)
* ススキをさした瓶の水は、お呪いになるので大切にとっておく(大阪府)

 以上の事例は、関東甲信地方の畑作地域や山間部を中心にのこされていることがわかります。特に、行事が終了したあとの ススキの処理については実に多様な展開がみられます。これらの習俗そのものは、一部の地域で現在も継承されていますが、 その目的や意義についてはほとんど失われてしまいました。

 

●●●十五夜花

 ススキの一般的な供え方としては、花瓶や適当な空き瓶(特に一升瓶)にさすのが典型的なスタイルです。地域によっては、かつて 「ハクチョウ」と呼ばれる注ぎ口の長い徳利も利用されていました。これは「白銚子」のことと考えられ、本来の意味をもつ銚子の 姿ではなく、現在の徳利と同義語の形状をさしています。多くは、一升や二升などの徳利が利用されていたようですが、その根源は 神前に供えられる容器としての「白銚子」へとつながっていたのではないかと推察されます。なお、供えるススキの本数は、まれに 15本というところがあるものの、通常は5本(十三夜は3本)というのが基本です。
 ところで、地域によってはススキといっしょに季節の花を供えるところがあり、これは「十五夜花」と呼ばれています。利用される 花は地域ごとに特徴があり、代表的な植物を以下にまとめてみました。このほかに、リンドウ(群馬県)やミソハギ(群馬県)、 ケイトウ(静岡県)、コスモス(福島県)などの稀少事例があります。
 利用される花の多くはいわゆる秋の七草とされる種で、ススキ(尾花)を含めると5種類となり、いずれも里山の植生を代表する 植物でしたが、里山景観の消失とともに各地で野生の姿が次第に見られなくなったことはたいへん残念です。七草の他の二種はフジバカマと クズですが、前者はもともと野生種が少ないという事情があり、後者はどこにでもある反面、つる性の植物ゆえ十五夜花としては 敬遠されてしまったのかもしれません。

 
 

 

〈左上〉ワレモコウ/〈右上〉ヤマハギ/〈左下〉シオン/〈右下〉オミナエシ

◆ 十五夜花として利用される主な植物

分 類〈科〉 種 名 秋の七草
 キク科  シオン、ノコンギク、ユウガギクなど  − 
 キキョウ科  キキョウ  朝顔の花
 オミナエシ科  オミナエシ  女郎花
 マメ科  ハギ類(ヤマハギなどが代表種)  萩の花
 ナデシコ科  カワラナデシコ  撫子
 バラ科  ワレモコウ  − 

 十五夜花の地域的な分布を概観すると、北日本から東日本にかけては萩を中心とした秋の七草が利用されていますが、 西日本においてはほぼ萩のみとなっています。古来、萩が秋を代表する植物であったことと無縁ではないでしょう。 調査事例の多い関東地方では、地域によって多様な利用実態を窺うことができます。そこで、利根川流域の利用分布に ついて整理したのが下の表です。
 その結果、中流域ではほとんどの地域でシオンが利用されていますが、下流域ではオミナエシやハギ類を主体として さまざまな花の利用が認められます。また、流域以外の地域でも埼玉県などでオミナエシやハギ類、キキョウ、ワレモコウ など多様的な利用が図られていました。

◆ 利根川流域における十五夜花の利用

植 物 種中 流 域 下 流 域
群馬県南部栃木県南部 埼玉県北部 埼玉県東部茨城県南部 千葉県北部
 シオン
 キキョウ
 オミナエシ
 ハギ類
 ワレモコウ
 その他
注)◎:主体的に利用 ○:一般的に利用 △:稀に利用

●●●月とイモ

 十五夜を「芋名月」、十三夜を「豆名月」と呼ぶ地域があります。文字どおり十五夜には里芋やさつま芋などの芋類を供え、 その後の十三夜で小豆や大豆などの豆類を供えることがその由来です。特に里芋はこの行事と縁が深く、日本では十五夜ばかりで なく正月にも食べる慣習が各地にあります。中国においても地域によってイモ(多くは里芋)は中秋の夜に欠かせない作物で あったようです。また、同じ仲間であるタロイモは、東南アジアからポリネシアの島々にかけてたいへん重要な食糧でした。
 イモをめぐる習俗では、まず団子との関係についてみておく必要があります。日本では、「月見団子」の言葉どおり十五夜に 団子を供えるのが一般的ですが、丸い団子が望月を象っているとの伝承もあります。ただし、各地の事例をみるとすべてが丸い というわけではありません。たとえば、
・団子を平たくして、中央にくぼみを付けたもの(静岡県の一部地域)
・団子を楕円状に平たくし、その上に餡をのせたもの(奈良県の一部地域)
・団子の頭をとがらせたもの(新潟県村上地方、愛知県名古屋地方、京都、大阪など)
といったように、さまざまな形があります。このうち、最後の事例はイモ類の形を連想させるもので、団子がイモ類の代用として 利用された可能性を示唆しています。岐阜県や静岡県、鹿児島県など一部の地域で伝承されてきた「里芋だけを供える」という形態が、 農耕儀礼としての本来の姿であったのかもしれません。しかし、現況の聞き取り調査では、団子と里芋の両方を供えるところが大半を 占めています。
 さて、里芋はどのように供えられていたのでしょうか。これには大きく分けて三つのタイプがみられます。一般的なのは生のまま、 あるいは煮物(煮しめ)にして供えるというもので、さらに汁物(けんちん汁など)の具材として使う方法があります。地域的な特性は 認められませんが、汁物に関しては関東地方での記録が目立ちます。
 また、事例数は少ないもののイモに関する伝承があります。
・「芋の帯分け」といって、十五夜が近づくと里芋が食べられるようになる(茨城県)
・十五夜に供えた里芋はその家の主人しか食べられない(千葉県)
・十五夜には里芋のよい芽が出るように祈る(千葉県)
・里芋は十五夜の前に収穫してはいけない(岐阜県)
・供える里芋をよく洗うと子ができる(静岡県)
・供えた小芋に箸で孔をあけ、そこから月を見ると眼が丈夫で眼病にかからない(京都府)
など、いずれもこの行事における役割の重要性を実感することができます。十五夜に限らず、イモ類をめぐる伝承の多様性は奥が深く、 多面的なアプローチが求められます。

 

〈左〉里芋の一種  / 〈右〉葉とともに供えた事例

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