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グアム戦跡完全ガイド
―観光案内にない戦争の傷跡










 
小西 誠/著
出版元: 社会批評社 
A5判 192頁 並製
本体1600円+税
ISBN4-916117-93-9 C0036

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目 次
まえがき  5
 
●戦跡とリゾートが同居する街・タモン 10
 ――日本に一番近い米国は新婚旅行客と若者で賑わう
 *ホテル・ニッコー付近のガン・ビーチ 14
 *ハイアット・リージェンシー前のトーチカ 16
 *フィエスタ・リゾート前のトーチカ 18
 *マリオット・リゾート前のトーチカ@ 20
 *マリオット・リゾート前のトーチカA 22
 *ヒルトン・ホテル前ビーチのトーチカ 24
 
●米軍の主上陸地点 アサン・ビーチ 26
 ――米海兵師団が上陸したビーチは激戦につぐ激戦
 *米第3海兵師団のアサン上陸 26 
 *最後の激戦となった日本軍司令部壕 32
 *アサン岬の日本軍防空壕 34
 
●激戦から取り残されたアデラップ岬の戦跡 36
 ――アサン・ビーチ周辺にはたくさんの戦争の跡
 
 *アデラップ岬のトーチカ 36
 *アデラップ岬の高角砲 38
 
●予想上陸地点に掘られた無数の防空壕 40
 ――ハガニア郊外の迷路のような長い防空壕
 *サン・ラモンの長大な防空壕 40
 *ラッテ・ストーン公園内の防空壕 44
 *ウエスト・オブライエン通りの防空壕 46
 
●米軍予想上陸地点から外れた戦跡@ 48
  ――ハガニア湾とその市街地に残された戦跡
 *「大宮島」と呼ばれた時代のトーチカ 48
 *オンワードビーチ・ホテル前の火砲 50
 *日本海軍の第2飛行場跡 54
 
●米軍予想上陸地点から外れた戦跡A 56
 ――当時のまま横たわっているピティ・ガンズの砲
 
●アジア・太平洋戦争―1944年 60
 ――開戦1年後には敗勢に追いつめられた日本軍
 
●サイパン後米軍は圧倒的兵力でグアム上陸 72
 ――サイパンの玉砕は活かされたのか?
 
●グアム島における戦闘の概要 81
 ――戦闘終了後も兵士たちがジャングルに潜んだ
 
●米軍の第2の上陸地点・アガット湾 104
 ――砲爆撃で無惨にも破壊された日本軍トーチカ
 *アパカ・ポイント・ビーチパークのトーチカ@ 106
 *アパカ・ポイント・ビーチパークのトーチカA 108
 
●ガアン・ポイント・ビーチパーク@ 110  
 ――日本軍の火砲と機銃が据え付けられた米軍上陸地点
 *アガット湾に向けられた短20センチ砲 110
 *今も空を睨む高角機銃 112
 
●ガアン・ポイント・ビーチパークA 114
 ――米軍の砲爆撃に耐えて残ったトーチカ
 *2階建てのトーチカ 114
 *丘をくり抜いて造られたトーチカ 117
 
●激戦となったアルトム山腹の米軍戦車 120 
 ――山腹には米軍のM4戦車、水陸両用車が残っていた
 
●最後の戦場となった又木山@ 126
 ――人気もなく静かに佇む太平洋戦没者慰霊公苑
 
●最後の戦場となった又木山A 130
 ――小さな丘の下の谷地にあった司令部の壕
 
●敗残兵たちが追い詰められた最北端の白浜 134
――グアム島では住民の「集団自決」はなかったのか?
 
●最初の太平洋戦争国立歴史公園の建立 136
 ――広々としたアサン・ビーチに建てられた解放者記念碑                    
●ハガニア米海軍共同墓地 139
 ――戦争に従軍したチャモロ人たち
 
●先住民解放のレリーフがあるアサン展望台 140
 ――島は解放されたのか? 再び植民地にされたのか?
 
●グアム戦を紹介する米国ビジターセンター 144
 ――センター前に日本海軍の特攻兵器を展示
 
●兵器類が豊富にそろった太平洋戦争博物館 148
 ――博物館に展示される日米両軍のグアム戦争
 
●山中に佇むマネンガン創立記念平和公園 154
 ――反乱を恐れられたチャモロ人たちは強制収容所に
 
●メリッソのチャモロ人虐殺のメモリアル 158
 ――強制労働の末、日本軍に虐殺されたチャモロの人々
 
●米太平洋艦隊の拠点となるアプラ海軍基地 164
 ――空母と攻撃型原潜の一大基地へと強化 
 
●普天間移転で強化されるアンダーセン基地 170
 ――広大な空軍基地は拡大工事の真っ最中だった
 
●グアム島の文化と歴史・社会 176
 ――民族自決を求める先住民・チャモロ人たちの運動
 
凡例
本書の中の日本占領下のグアム島(「大宮島」時代)での日本名については、明らかな限り、当時及び現在の現地名で、ルビをふり表記した。
 
 
 まえがき
 
 おそらく、本書を手に取られた多くの読者は、映画『太平洋の奇跡』(11年2月封切り)をご覧になったと思われる。
 というのは、この映画のテーマや戦闘シーンは、マリアナ諸島のサイパンであり、この本のテーマであるグアム島とは、島の様相も戦闘も、ほとんど似通っているからだ。
 実際、アジア・太平洋戦争でのサイパン、テニアン、グアムなどのマリアナ諸島での戦いは、ほぼ同時に始まり、同時に終わった。また、戦闘の終始だけでなく、これらの戦いは、米軍においても、日本軍においても、軍の編成・指揮系列・態勢・戦術などすべてにおいて、同一であったのだ(もちろん、いくつかの違いもあるが、それは本文を参照してほしい)。
 つまり、マリアナ諸島での戦争と平和の問題を把握する場合、これらの島全体での戦争の様相を認識することが必要であるということだ。
 こういう意味から本書は、今年2月発行の拙著『サイパン&テニアン戦跡完全ガイド―玉砕と自決の島を歩く』の姉妹編として書かれている。
 筆者がサイパン、グアムなどのマリアナ諸島の戦跡ガイドを執筆する動機となったのは、これらの島々にアジア・太平洋戦争時代の戦跡が、当時のまま残されているからだ。
 残念ながら、本土大空襲やヒロシマ・ナガサキという悲惨な、かつ歴史的な経験をしたにも拘わらず、日本国内にはこれらの戦跡は、ほとんど残されていない。戦後の高度成長の開発政策の中で、大半は取り壊されたのだ。戦争を体験した世代の人々が、年々少なくなっている中で、この貴重な戦跡の喪失は、本当に残念である。
 ところが、サイパン、グアムなどのマリアナ諸島では、自治政府やアメリカ政府の政策もあって、これらの戦跡が当時のままにほとんど保存され、残されているのだ。
 おそらく、戦争と平和に関心を持つ新しい世代は、これからは、サイパンやグアムなどの戦争の傷跡を訪ねることになるかもしれない。現実に、これらの島々に当時のまま残された、サビついた火砲や戦車の姿は、文字や映像で描かれた戦争の記録よりも、はるかに戦争の実像をリアルに語っている。
 読者の方々も、ぜひ一度、これらの島の戦跡を訪ねてみていただきたい。
       2011年6月15日
                                        著者
 
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