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サイパン&テニアン戦跡完全ガイド
―玉砕と自決の島を歩く











 
小西 誠/著
出版元: 社会批評社 
A5判 227頁 並製
本体1600円+税
ISBN4-916117-91-5 C0036

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目 次
戦跡ガイドの読み方  5
戦跡の歩き方のヒント  8
 
Part1
玉砕と自決の島・サイパン  9
――楽園の島はなぜ戦場になったのか
 
*常夏の島・サイパン
 ――サンゴ礁に囲まれた七色の海  10
 
■米軍上陸地点その1
 日米の激戦地―チャランカノア・ビーチ@  14
 
■米軍上陸地点その2
 日本軍の戦車隊が全滅したオレアイ―ラン  ディング・ビーチA  20
 
*アジア太平洋戦争その概観
 開戦1年後に敗勢に追いつめられた日本軍   26
 
*サイパン戦
――その日米軍事力  28
 
■米軍の砲爆撃で壊滅
 日本海軍のアスリート飛行場跡B  32
 
■日本軍砲撃の激戦地・ヒナシス台地
 日本軍野戦重砲大隊の戦跡C  42
 
■激しい砲爆撃をうけて残る
 アギンガン岬の砲台跡D  44
 
■使用されなかった堅固なトーチカ
 アギンガン―オブジャンのトーチカ跡E  48
 
■空襲と砲撃で破壊された街
 生々しい戦争の跡が残るガラパンF  52
 
■リーフ内のマニャガハ島を望む
 日本灯台跡G  60
 
*日本統治下のサイパン
 ――先住民への皇民化教育と住民の戦争動員  62
 
■砂糖キビ工場で栄えた街
 ススペ―チャランカノア周辺の戦跡H  68
 
■山頂争奪と洞窟を巡っての攻防 
 サイパン最高峰のタポチョ山I  72
 
■傷病兵が自決を強いられた
 ドンニイと極楽谷の野戦病院跡J  80
 
■日本軍の最後の玉砕の地
  タナパグ―地獄谷の司令部跡K   84
 
■日本軍の敗残兵と住民が追いつめられた
 ラストコマンドポストL  90
 
■住民たちが辿り着いたもう一つの自決の地
 マッピ山―スーサイドクリフM   100
 
■住民たちが追いつめられた最後の自決の地
 バンザイクリフ―マッピ岬N   104
 
■戦では米軍にもたくさんの犠牲
 アメリカン・メモリアルパークO  110
 
■未だ知られざる住民たちの犠牲
 マリアナズ・メモリアルP  114
 
■軍艦島と呼ばれた景勝の地
 リーフ内の小島・マニャガハ島Q   118
 
■サイパンのリーフ内に沈む
 今も海底に眠る艦船と戦闘機R  124
 
*チャモロ人もカロリニア人も戦争の犠牲者だった
 ――ススペに設置された島民たちの収容所   128
 
*戦闘後のサイパンは本土空襲の拠点になった
 ―― アスリート飛行場の米軍とB29  134
 
*米軍の全島占領後も戦い続けた日本兵
 ――玉砕を拒んで戦い続けた大場隊  136
 
*常夏の島・サイパンの自然と社会
 ――合衆国主権下のコモンウェルスとは  146
 
Part2
この世の楽園と謳われたテニアン  151
――原爆基地ともう一つの玉砕・自決の島
 
■サイパン戦直後に上陸した米軍
 テニアン空港玄関口の戦跡@  152
 
■星の砂のある美しい砂浜は米軍上陸地点に
 チュル・ビーチのトーチカA   158
 
サイパン戦からテニアン戦へ
 ――圧倒的な戦力を誇った米軍  166
 
■米軍の空襲と砲爆撃の激しさを物語る
 第1飛行場跡に残る日本海軍司令部跡B   170
 
■ハゴイ飛行場は囚人労働で造られた!
 東洋一の飛行場と言われた第1飛行場跡C  176
 
■上陸した米軍はゆっくりと南部へ進撃
 島の北・中部に残る戦争の跡D   178
 
■米軍の砲爆撃で破壊された街
 サンホセに今も残る戦争の傷跡E  182
 
■南洋興発はテニアン戦に動員された
 テニアン町と南洋興発の跡F  190
 
■日本軍はテニアンでまたも玉砕
 司令官も突撃したカロリナス台地G  194
 
■テニアンでも起きた「集団自決」の惨劇
 テニアン・スーサイドクリフH  198
 
■テニアン戦後、全島は日本爆撃の基地に
 ノースフィールド跡の原爆ピットI  206
 
■米軍基地はジャングルに埋もれていた
 ノースフィールド跡の米軍飛行場跡J  212
 
*しかし、テニアン島は今も巨大な軍事基地だった
 ――島の70パーセントを借用する米軍  214
 
*テニアンの自然と社会
 ――南国の楽園と言われる美しい自然  218
 
おわりに  226
 
 
■戦跡ガイドの読み方
 本書は、サイパン、テニアンの各地に散在する戦跡について、1944年6〜8月当時の戦争―サイパン戦、テニアン戦の戦闘経過に沿って記述した。
 当時の戦争について詳しくない読者には、この戦闘経過の流れはいささか退屈かもしれないが、やはり、このサイパン戦、テニアン戦全体の知識なしには、戦跡の理解は難しいので、これを詳しく述べた。
 また、本書では、現地に残されている日本軍の戦跡だけでなく、米軍のメモリアルや先住民たちのメモリアル、そして、当時これらの島々に在住していた民間の沖縄や朝鮮半島の人々、また先住民たちの戦争との関わりも、紙数の許す限り紹介している。
 
 サイパン、テニアンには、アジア・太平洋戦争の戦跡が今なお、生々しく残されている。日本では戦争の傷痕は、戦後の都市開発などでほとんど消えてしまったが、この地では至るところで見ることができる。これらの戦跡は、年々、戦争体験者の生存と記憶がかすかになっていく中で貴重なものだ。
 この戦争の記憶を、次の世代に残すべきではないか、伝えるべきではないか。このような目的で本書は編集された。 なるほど、サイパン、テニアンの戦跡ガイドもなくはない。サイパンの「バンザイクリフ」などは、観光の名所にさえなっている。だが、そうした一部の観光名所を除いて、これらの島々の至るところにある数々の戦跡は、ほとんど訪れる人もない。時より、ここで亡くなられた戦没者の遺族の方々が、慰霊のために訪れるだけだ。
 
 北マリアナ諸島自治政府には、「北マリアナ歴史保存部」が置かれているという。この保存部では、日本軍・米軍の数々の戦跡はもとより、日本統治時代の刑務所跡・病院・家屋、神社跡地、そして、古代チャモロ人の遺跡に至るまでしっかりと管理され、保存がなされている。確かに、サイパン、テニアンなどの島々を歩くと、これらの戦跡が丁寧に保存されていることがよくわかる。
 年々、戦争体験者が少なくなっていく中で、戦争の記憶を引き継ぐことが、今ほど大切になっているときはない。それには、文字や映像による記録も大事だ。しかし、戦火にさらされ、風雨に耐えてきたこれらの戦跡そのものは、なによりも戦争の実像を雄弁に語っているのではないか。
 読者の方には、ぜひとも一度、これらの島々の戦跡を訪ねてみていただきたい。
 
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