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裁かれた防衛医大
 








 
井上 静/著
出版元: 社会批評社 
四六判 270頁 並製
1600円+税
ISBN4-916117-54-9 C0036
(品切)


 

 
プロローグ
       
 二〇〇一年一二月一八日、『朝日』『毎日』『東京』『日経』の各紙は、昨日の判決を掲載した。東京地方裁判所における医療ミス裁判で、患者が国立の大学病院に勝訴したというものだった。各紙とも基礎的事実を判決文に基づいて述べており、他に、手術同意書に手術名の記載がないことを判決は重視したのだと述べた記事もあった。また、特に『日経』は次のように、防衛庁にも取材して、その談話も載せた。
 
 十分説明せず手術し障害 防衛医大に賠償命令 東京地裁
 防衛医大病院(埼玉県所沢市)で十分な説明のないままあざの除去手術を受けて肩の筋力が低下する障害が残ったなどとして、東京都内の男性が国に約一三〇〇万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が一七日、東京地裁であった。高橋利文裁判長は「医師は手術の内容について、具体的かつ明確に説明する義務に違反した」と述べ、約五〇〇万円の支払いを命じた。
 判決によると、男性は一九八九年、背中のあざになった皮膚を除去する手術の際、脇の筋肉の一部を患部に移植され、背中の一部がこぶし大に盛り上がるあとが残ったほか、右肩の筋力が低下した。高橋裁判長は「男性は、その後の治療で長期間の時間的拘束を受けたうえ、大きな精神的苦痛を被った」と認定した。
 防衛庁の話 厳しい判決で裁判所の理解が得られず残念。判決内容をよく検討して対処したい。
 
 その結果、防衛庁()は控訴断念を通告してきた。
 私が患者として防衛医大病院に初めて行ったときから、くり返した手術とその被害のために裁判となり、この判決が確定して一応の決着がつくまで、約一五年である。人生の大半を費やしたことになる。
 しかもそれは、人間を作り上げ、人生を決定するために、もっとも重要な時期であった。学校に通う人、社会に出て働く人、遊ぶ人、友情を育む人、恋愛に夢中になる人、楽しんだり、悩んだり、努力したり。もちろんこれらはさまざまであり、人それぞれではあるが、普通に想像できるどんなものとも、私の場合は違っている。そんなものとは縁がなくなってしまったのだ。
 まず、身体の損傷とその回復のための苦痛があり、これに浪費される時間と、経済的損失があった。医療費と生活費で、蓄えは減ってゆく一方だった。日に日に窮乏してゆき、先の見通しがない不安が、傷の痛みに追い討ちをかける。
 また、周囲の無理解や偏見に耐えなければならなかった。自分が体験したことを、誰からも信じてもらえないし、誰もが信じたくないのだ。まさかそんなことがあるはずがない。いや、あるかもしれない。あってもおかしくはないだろうが、それは報道されるものであって、自分とは関係がないどこかで起こることなのだろう。みんなそう思いたいのだ。
 しかし家族なら関係がある。だから困るのだ。親きょうだいのことは、正直言ってつらい。他人事でないがために、むしろ目を背けたくなる。向き合わなければならないが、そうすると、その背後にある巨大な存在を意識せざるを得ず、身がすくんでしまう。
 そして何より、挫けそうになる自分との闘いである。社会からの疎外感を強烈に受け、世の中を憎み、たまたま近くにいる人たちに当たり散らしたり、愚痴ったりもした。恥ずかしいが、それが正直なところであった。
 自分一人では余りに非力であるが、誰も力を貸してくれない。身近な人たちからは、協力を得るどころか、避けられてしまう。口出ししてくる人ならいたが、それらは、なんだかんだと言いながら、いわゆる泣き寝入りをしろということでしかなかった。
 そんな中で出た結論は、最後まで自分一人でやり通すしかないということだった。そして得た結果は、想像していた以上の成果と、想像もしていなかった展開であった。
 以下はこの記録である。
 
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