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声と音の聴診法 ―医療機器被曝による発がんリスクを防ぐ
               








 
定塚 甫/著
出版元: 社会批評社 
四六判198頁 並製
本体2000円+税
ISBN4-907127-13-8 C0047
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目    次
 
はじめに 6
 
第1章 患者の声を聴く聴診とは 11
 
   その一 診察室への迎え入れ 11
  その二 患者さんの声を聴く準備を表現する 17
  その三 診察室での接遇と聴診 17
  その四 患者さんの訴えを傾聴する「聴診」を始める 21
  その五 自分が患者になった時――診察が始まる 22
  その六 再び、診察室での診察 25
  その七 現実の診療と診療録(電子カルテ) 27
   その八 本来の聴く診療(このようにありたい診察での応対) 30
  聴診(内診)の進め方/病歴の聴診/医師から患者へのオリエンテーション/医師の  行う聴診(問診)の重要 性/既往歴・家族歴・遺伝歴・体質の聴診の仕方/既往歴  /家族歴/家族歴の聴診/社会歴・社会的プロフィールの聴診/日常生活状況につい  ての聴診
  その九 患者の声を聴く 聴診のまとめ 99
 
第2章 先端医療機器依存に陥る日本の医学医療の危機的状況  111
 
  その一 先端医療機器導入による医学医療の変化と患者の被爆被害 111
   ――日本で聴診など身体に触れる診療が軽んじられるようになった歴史
  その二 日本独特の臨床医療評価(欧米との医療行為への評価の違い) 116
  その三 日本の医療評価の特殊性 123
 
第3章  医師の基本的臨床医学への取り組み姿勢の変化 127
 
  その一 臨床医学・医療の基本的取り組みについて 127
 その二 医師にしか見ることの出来ないはずの臨床像 133
 その三 基本的診療法から診断へ――触診・打診・聴診 134
 その四 聴診と触診の並行 140
      1 頭部の診察/2 頚部の診察/3 胸部の診察/4 腹部の診察/5       お臍から下の真ん中の診察/6 外生殖器の診療
 
第4章 現代的臨床知験 171
 
  その一 女性恐怖・接触不安の男性と少子化 171
  おわりに――医師に願う 177
  ●参考文献 194 
 
はじめに
 
 医師の基本的業務として、先ずは『問診』そして『聴診』が挙げられています。業務ですから、医師であれば誰もが行わなければいけない作業となります。
 聴診とは、いまさら申すまでもなく、どなたもご存知のはずである耳で聴く道具を使って行う診察の方法です。
 
 一つは、どなたでもご存知の聴診器をつかって耳だけで聞く方法です。最近では、誰でも知っているはずの聴診さえ行われないと嘆く患者さんたちの声を多く聞きます。この聴診器をつかった聴診という診察の方法が行われる前に、以外と知られていない聴診≠ニいう診察法が有ります。字の通り、医者が、患者さんの訴えに耳を傾けて聴く診察の方法です。
 
 あまりにも紛らわしいため、これは一般には、『問診』といわれ、医者がこれまでの知識を基本にして、患者さんに、患者さんの状態やいろいろな症状、環境、更には生い立ちなどに耳を傾ける方法になってしまいました。しかし、医者と言っても必ずしも問いただすほどの知識を十分に持ち合わせているとは言えません。さらに、患者さんの苦痛に医者の偏見をもって問いただすことも往々にして見られます。
 そのため、わたしは、『問診』という、医者が持ちもしない知識や、医者の権威とか権力でもって患者さんに問いただすというのはどうしても馴染めなかったのです。
 それゆえ、『問診』ではなく、患者さんの苦痛の訴えに耳を傾ける診療の方法としての『聴診』を行うようになったのです。
 
 なにか、こじつけのように受け取られるかもしれませんが、先ずは「医者から質問を投げかける」という問診より、自然に患者さんの口から出てくる『訴える声に耳を傾ける』聴診の方が馴染みやすくなられると思います。
 先に戻りますと、聴診器を使う聴診も、患者さんの身体から聴こえてくる、患者さんの有りのままの音に耳を傾けて聴くのですから、基本的には、両方とも同じ診療の一技法と言っても間違いないでしょう。
 
 「話し上手は聞き上手」という古事が有りますが、患者さんのお話を聴くのが上手な医者は、患者さんへの説明も上手ということでしょうし、聴診器で色々な音を聴き分けることの出来る医者は、聴診器だけで十分であると言われ、心エコーやCTスキャン・MRIなどの先端医療器械など無用の長物と言われます。
 
 ただ、聴診と一言に申しても、内容たるや一言では話しきれないくらいの広さが有ります。この『聴診』という一つではなく二つの技法を通じ、現在の医療のあり方について、少しでも良くなるように、乱造された医師への一言、それより先に、患者さんへの『医師判断基準法』をお伝えしたいと思い、ここに不可解な題名の本を書き始めたということをご理解頂きたいと存じます。
 
 ここにもう一つ理由があります。今日、医師を一人作り上げるには医学部を卒業するまでにと限定しましても、数億円を要していると言われます。ここでは個人負担を余儀なくされている方々と、税金が負担してくれる方々と、稀では有りますが、色々な団体が負担してくれる方々に分けられます。しかし、お金の出所が異なろうが、同じ教育を受けられて医師になられているはずですから、同じ技量をお持ちになっておられるはずでしょう。それゆえ、この本では、医師になられる為のお金の出所にはこだわらず、お一人お一人の医師には、同じように大金が遣われているという一致点でお話を進めて参りましょう。
 
 私どもの恩師であられる武内重五郎内科教授は、「聴診とは医師の芸術である」と言われました。「先ずは、患者のもっとも訴えたいところに傾聴し、苦痛を共有し、心を開いたところで、身体を開いてもらう」。先生のお言葉は、決して聴診器を使った聴診に限定されての教育ではなく、全ての聴診を含まれていたと思われます。事実、私どもが習った、患者さんの口からでる言葉を傾聴する時間は、概ね1時間とされており、これが十分として教授に認められない限り、身体には指一本触れさせて頂けませんでした。それほど、傾聴するという聴診を重要に考えられていたと思い起こします。勿論、聴診器を使った聴診についての教育に関しては、頭の先から、足の先まで行うのが常でした。
 
 詳細については、本文でご紹介することとして、『医師の芸術』とまで言われるには、先ずは、芸術家の心がこもっていなければなりません、そして、医療である以上、然るべき十分な知識と経験が必要となります。
 
 そしてその行為を芸術として評価するのは、自分ではなく、この行為に感じた相手が決めるのが常となっております。一人の芸術家が、どれだけ芸術品を披露したと言っても、これを芸術として認める人が多数いなければ、唯のガラクタでしょう。一般的な、絵画や彫刻であれば、皆、素通りして行ってしまうでしょう。音楽であれば、もっと明らかです。聴衆がいなくなるのですから。
 
 教授の言を借りるならば、聴診とは、医学という自然科学と芸術的評価の融合とも言えるかもしれません。
 ともあれ、最近の医師から聴診を受けたという人たちが激減しています。それに比べて、やたらと増えているのが、CTスキャンを始めとする、先端医療機器と言われる検査の激増でしょう。原発には、一言二言申す人達も、CTスキャンには、誰もが沈黙です。人間が被爆する放射線量に関しては、概ね変わりがないはずでしょうが、どこかに大きな違いが有るのでしょうかね。
 
 欧米では、めったにCTスキャンは行われません。その辺をも念頭に入れて頂き、本文に移って行きましょう。
           定塚メンタルクリニック院長室にて(平成27年3月)
                                   定塚 甫
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