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革命前後(上巻)






 
火野葦平/著
出版元: 社会批評社 
四六判291頁 並製
本体1600円+税
ISBN4-907127-06-0 C0093

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 目   次(上巻)
 第一章〜十八章 
 著者あとがき   283
 著者 遺書  287 
 社会批評社編集部  解説  288
 下 巻(第十九章〜三十六章)
 表紙カバーの写真は、報道班員として従軍した著者
 
 あとがき
 ひとつの作品を書き終えて、涙をながすということはめったにあるものではありません。また、そんなことは自慢にはならず、かえって笑われるにすぎないかも知れませんが、私はこの「革命前後」の最後の行を書いてペンをおいたとき、涙があふれて来てとまらなかったことを、恥かしいけれども告白します。奇妙なことに、フィナーレは、墓場で仲間たちがゲラゲラ笑う場面であるのに、これを書く私の方は泣いていました。元来、感傷癖が強く、それが自分の欠点だとハッキリ知っていながら、
性格はどうにもならないものでしょうか。作品を書く場合、私の悪癖をおさえるのにいつも苦労します。同時に、正直でありたいとも考えていて、その悪癖をいつか露呈してしまいます。とにかく、作品を書き終えて涙をながしたのは、終戦後、「青春と泥濘」「花と竜」に次いで、三度目の経験でした。
 それはいうまでもなく、自分がいつかは書きたい、書かなければならぬと考えつづけて来た題材とテーマとを、とうとう書いたというよろこびから来るものでありまして、いま、「革命前後」を書き終えてホッとしています。しかし、もちろん、それはこの作品が傑作であるという意味ではありません。それどころか、不備だらけで、たくさん大切なことを書き落していますし、不充分なことは作者自身がよく知っております。ただ、私は私流に、嘘をつくまいと考えて、身体をぶっつけるようにして書きつづけ、ともかく、千枚に近い作品になったことで満足しているだけであります。
 太平洋戦争の敗北は、日本人にとって大きな悲劇でしたが、この経験を日本人はけっして忘れてはならないと、私は考えつづけて来ました。そして、私自身は、作家として、人間として、日本人として、どうしても敗戦前後のことを作品に書かなければならないと思いつづけて来ました。以前にも、若干、終戦後の混乱について、短篇で触れたことがあります。「夜景」「追放者」などの作品です。また、今度のテーマである西部軍報道部に関しても、「盲目の暦」の題下にすこし書きはじめたことがありますが、中断して果しませんでした。今度、「中央公論」で、貴重な誌面を提供して下さって、「革命前後」として完成したことは感謝の他はありません。実は、「中央公論」昭和三十四年五月号から百枚ずつ四ヵ月という連載の約束ではじめたのですが、書く以上はお座なりを書きたくはなく、力をこめて書きすすめていましたところ、「中央公論」編集部の方から、十二月号まで誌面を解放するので、九月号からは毎号百五十枚ずつでも存分に書くようにといってくれ、うれしいことに思いました。しかし、十二月号まで書いてみると、最後の方はまだ一杯、書きのこしたことがあるようです。でも、とにかく、これで完結といたしました。
 昭和二十三年六月二十五日、私は、尾崎士郎、林房雄、その他の諸兄とともに、文筆家追放処分を受けました。そして、二十五年十月十三日、パージを解除されましたが、その間の事情は「追放者」に書きました。「夜景」には、太平街建設問題がとりあげられていますが、その中の一節、深夜、酔っぱらい電車に乗るシーンは、「革命前後」に再録いたしました。
 この作品を書くために閉口したのは、ほとんどのモデルが実在していることです。しかし、実録でもルポルタージュでもなく、小説ですから、登場人物には、五、六人、仮空の人物も加え、かなりのフィクションがまじえてあります。「麦と兵隊」や「土と兵隊」にも、私はフィクションを織りこみました。もちろん、虚構の真実を信じての文学的作業でした。しかし、「革命前後」を気に入らなかったモデルもたしかにあったでしょう。個人的感情をまじえないよう気をつけたつもりですが、おわびの他はありません。また、いっそ実名にしたらというすすめもあったのですが、あくまでも小説としてのたてまえから、明瞭な者を除いて、やはりみな仮名にいたしました。高田保氏とすぐにわかる高井多門も、中山省三郎と知れる山中精三郎も実名にはしませんでした。すくなくとも、「革命前後」の中では、高井多門は高田保ではなく、やはり高井多門であるからです。作中の高井の数通の手紙ももちろん私が作ったものです。登場するそれらしい大物のモデルたちも、作家としての私の勝手な描写を海容(かいよう)下さらば幸甚です。
 幸い、連載中も、完結後も、いろいろな反響があって、書き甲斐があったと思いました。河上徹太郎氏が、文芸時評で早速とりあげてくれ、「作者の意図はこの一篇で達せられたといえよう。再度の誤解をおそれず、客観的にも、主観的にも、これを書くべき時期に来たことはたしかである」と評してくれたのはありがたいことでした。また、若い批評家では、村松剛氏が、昨年度の問題作としてとりあげてくれ、「敗戦前後の混乱期を背景に、そういう彼の苦悶を、何の虚飾もなく、率直に物語り、
かつ告白しようとしたのがこんどの小説なのであって……つまり一口にいって、悔恨と怒りとのどす黒いカタマリであり、そのカタマリをなんとかして自分の中から掘り起こしておきたいという作者の情熱は、ぼくらの心をゆさぶらずにはおかないのである」と評してくれたのもうれしく思いました。いずれにしろ、私は、毀誉褒貶(きよほうへん)はともあれ、この「革命前後」を書きあげたことに或る満足をおぼえています。時代の流行や風潮の目まぐるしさには、いつも背を向けるようにしながら、やはり、時代におくれないように心がけながら、私は私流の道を歩いて行く他はありません。また、「革命前後」が、「麦と兵隊」以来、私の著書を、もう二十冊以上も装釘して下さった中川一政画伯の装釘(ママ)で、中央公論社から出版されることもよろこびです。
                       昭和三十五年元旦 九州若松にて
                                         火野葦平
 
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