I long…U 8  

  「頼む、ラーサー様を護ってくれ」   その言葉に否は無かった。 彼の真摯な願い、ようやく伸ばしてくれた手を離すわけにはいかない。 自分の新たな道がそこでひかれた。     「バ……ジャッジ・ガブラス、これからも……よろしくお願いします」   泣きそうな顔。 それでも女王は、笑みを必死に浮かべ、手を握ってくれた。 それだけで十分だった。     「私は、貴方に、そして貴方の家族に恥じない者になりたいと思います」   泣きはらした瞳は痛々しかったが、その強い瞳と意志は、皇帝として、主として申し分ないと、もう一度思わせてくれた。 ジャッジ・ガブラスの鎧を兜を身に纏う。 バッシュ・フォン・ローゼンバーグは、今度こそ死人となり墓に入った。       「バッ………………っ〜…」   飛び起きた。 目に入ったのは、最近馴染んだガブラスの、自分の部屋。 虚空に伸ばした腕が、力なく落ちる。 誰も見てはいなかったが、酷く歪んだ顔を両手で隠す。 心臓の音が煩い。   「…ファーラム」   戦場では祈った事の無い神に、祈りを捧げる。   『なぁに、らしくない事してんだ?』   幻の声に、「そうだな…」と小さく呟き、立ち上がる。 最近多くなった一日の始まり。 日常に近い状態になりつつあるにもかかわらず、一切慣れる事はない。 ただ、心が磨り減っていく。     デートの約束は、彼が行方不明になった事で一方的にキャンセルさせられた。 もし彼が行方不明ではなかったとしても、自分がキャンセルしただろう。 あの瞬間から、戦後処理という膨大な仕事が目の前につきつけられた。 皇帝が年若い事、今までヴェインによって抑え付けられていた貴族達、今度の戦争で無くなった人的資源、そして他国との交渉……それらが一斉になって、ラーサーと彼を守る生き残ったジャッジ達に圧し掛かってきた。 しかし、それはバッシュにとって、目新しいものではない。 ダルマスカで将軍と呼ばれていた地位に居た時となんら変わりは無い。 ただ、違うのはジャッジ・ガブラスと呼ばれる事。 そして、思い出のノアを自身が再現しなければならない事。 忙しい日々。 それを、こんなに心から有難いと思った事は無い。   『あんたに惚れたおかげで、助かった。深刻になりたくても、カケラもなれないぜ』   そう言った彼の言葉の意味が、ようやく今になって分かった。 現実に必死にしがみつき、頭だけを動かし、心を動かさぬようにする。 仕事量が半端じゃないが故、夜寝るためだけの酒はいらない。 ノアになる事は、救い。忙しい事に酷く安堵する。   (お前に惚れたせいで、助かったと言えばいいのか?)   確かに、不慣れな環境に思い煩う事は無い。 しかし、その代わりにバッシュも、彼にずっと心を奪われたままだった。 時間の余裕は、ほんの少し前の過去が襲ってくる。 慌しい日々の中、一息の休憩が訪れる度、まざまさと浮かび上がる、皮肉な笑み。まるで耳元で囁いているかのように聞こえる自分の名を呼ぶ声。 そして、夢を見る余裕もない中で、ときおり思い出したように、繰り返される悪夢。あの生気に溢れた表情から色が消え、徐々に体温を失う体を、自分は眺める事しか出来ない。その度に、現実に響く自分の叫び声で飛び起きる。 怯える心が悪夢を見させ、信じる心が幻を見せる。 そのどちらもが、心の中で叫び続け、溢れるほどの仕事でも色あせない。   「卿は、少し休んだほうがよかろう」 「それは、卿も同じではないのか?」   お互い疲労の濃い顔。 だが、仕事は増えても減る事はない現状。 バッシュは小さ笑みを浮かべ、彼の持ってきた書類を受け取る。   「お互い、倒れる訳にはいかんからな」   その場で書類を一通り一べつし、中の一枚を取り上げる。   「なるほど、それで卿が来られたのか」 「あぁ、さすがに一局では収集つかないだろうからな」   背後にある武器を身につける。   「では、行くとしよう」   変わらない日常。 あの日々が、まるで夢だったかのように、毎日訪れる変わらない日々。 しかし、自分の前に幻のごとく現れる姿。 鮮やかな笑みを自分に返す。 心がギシリと軋む。 早く無事な姿を見せてくれと、兜の中に隠れた歪んだ顔が小さく呟いた。     -continue・・・-  

  07.11.15 未読猫