王女達は、それぞれ嫁ぎ、城から出てしまった。残ったのは王子一人。この国の次の王のお妃は、誰になろうのだろうと、宮廷での話題の中心となっている。 必要に迫られての数々の舞踏会。他国の姫君や、有力な貴族の娘達がきらびやかな衣装に包まれて、王子に近寄る。 だが、王子は、そこそこ会話をするものの、それ以上の進展は一切無し。王子であるからこそ、結婚は国の政治と引き離されて語られる事は無い。だが、二人の王女が王の臣下に嫁いだ事もあり、この国では、その意識が気薄になっていた。現在、他国とのいざこざが一切無いせいもある。 ならばと、王子に近づく貴族達の攻勢は激化する一方だった。 「そろそろ、このような馬鹿騒ぎをどうにかせねばならんのだが…」 日課になっている夕餉の胃が痛くなるような会話は、嫁いだ王女達の為に、夕餉の前にやる事になった。今は、かなり胃に優しい夕餉となってきている。 「オディロンの事ですか?」 「あぁ、そうだ。はっきり言って、せっかく落ち着いていた浪費が目立ってきている気がする」 「そうですわね……」 王妃も小さく溜息をつく。 「オディロン、リディアーヌや、マリアンヌのように、望むお嬢さんは居ないのかしら?」 オディロンは、溜息をついて、フォークを置き、「いません」とはっきり答える。姉達の影で、もくもくと仕事をする寡黙な王子というのが、宮廷内での大半の評価。流石王の血筋だ、いや、王よりも強いかもしれぬと、剣の腕を賞賛するのは、軍関係の者達。そして両親は、頑固な息子だというのが一番先に出てくる彼への評価。必要な事はなんでもするが、納得のいかない事は、がんとしてやらない。それを彼に納得させ、行動させるのは、至難の業だった。 だが、その至難の業も、ナディーヌの言葉で、しばしば簡単になる事もあった。母は強しである。 「では、貴方の望む伴侶というのは、どういう方なのかしら?」 「私は、お二人に育てられて、王というものは、王妃というものは、こういうものだという、先入観を植え付けられたようです。 特に王妃というものは、教養に富み、国の運営、軍師としての采配、そういう事が優れている者だと信じていたのです」 その言葉を聞いた王とナディーヌは、二人同時に心の中で頭を抱えた。王もナディーヌも、そんな王妃は、めったに居ないという事を知っている。いや、皆無と言っていい。自分達の仕事の仕方は、世間から言えば、例外も例外、あり得ない王宮運営という事を自覚していた。 「ですが、自分の会った方々は、まったくもって、一般市民としか言いようのない方々ばかり」 いいや違う!と、王とナディーヌは、再び心の中でつっこみ頭を抱えた。どのお嬢さん方々も、高貴な者としての教養をしっかり教育された者ばかり。ただ、その教養というのが、ダンスだったり、刺繍や縫い物だったり、詩作だったり、歌だったりと、王子の求む方向じゃなかっただけだ。 「王宮の中では、私は、母上や姉上達を見すぎて、望む美意識が高すぎるのでは?という噂も聞きますが、別に、私は、外見はどうでもいいのです。 ただ、私と一緒に国を運営出来るだけの知識と行動力を求めているだなのですが……」 そんなお嬢さんは、めったに居ないと、王とナディーヌは、3度目の突っ込みを心の中でしていた。 「流石に最近は、この王宮が例外なのだと、分かってはいます。ですが、それでも、この王宮に住まう以上、私は、それを求めたいと思っています」 淡々と語られる言葉の端はしに、王子の頑固スイッチが入ってしまっている項目だという事を両親は察した。 そして、王子のスイッチが入ったまま日々は過ぎていく。一年経ち、二年経ち……そして、再び春がくる。城は、小さなお客様を迎えていた。王子、27歳の春。 「王様、王妃様、お久しぶりでございます。アージャントのシルヴァーナで、ございます」 事前にアージャント城から手紙をもらっていた。両国との関係は、友好。二つの国を横切った先にある国だが、商人も行き交い、交流もかなりある。 手紙には、「すまない、姫の我侭を一回、聞くだけは、聞いてもらえるだろうか?」という不思議な、低姿勢の内容、サインは、アージャント国王その人。目の前にいる、今だ子供と言っていいい、11歳の姫君の父親である。 「お久しぶりです。お手紙は、姫の父上から承っております。どうぞ、御ゆるりと、おくつろぎ下さい」 王は、親しげに会話をする。初めて会った時は、まだ4歳の小さい子供だったのに、随分と大きくなったと、時の流れに感心をする。 「必要なものがありましたら、どうぞ言って下さいね」 ナディーヌは、柔らかな笑みを浮かべる。 「あの…それでは、着いた早々ではありますが、王妃様、どうか私に勉強を教えてもらえますでしょうか?」 笑みが固まった。 「何の勉強でしょうか?」 「国を運営する事と、戦いに於いての戦術論を特にお願いしたいと思っております」 笑みが消えた。 「どうして、そのような勉強をなさりたいか、お尋ねしてよろしいかしら?」 シルヴァーナの頬が少し赤くなる。だが、真っ直ぐと王と王妃を見つめたまま。 「はい。結論から言いますと、オディロン様に好きになって欲しいと思ったからです」 王とナディーヌは、呆然とその言葉を聞いていた。 シルヴァーナがギュールズに来たのは、4歳になりたての時。 事前に夢のような沢山の話を聞く。シルヴァーナが生まれた時、既に魔法使いは、御伽噺になりかけていた。その、魔法使いを無くした国。その代わり、術士という名の医者を生み出してくれた国。その国は、人間とは思えないぐらい強い王様と、女神様のような王妃様が居て、豊かな国を作っているという。 物心つく前から、その話は聞いていた。いつか訪れてみたいと思っていた。きっと、夢のような国なんだろうと思っていた。 それが目の前にある。綺麗に着飾った人々が、光の中で、語らい、踊り、食事をしている。父親と自分の為の歓迎会。だが、こんなものは、自国で、いくらでも見てきた。王様が強いのは、戦う姿を見た訳では無いから分からない。唯一夢が叶ったと思ったのは、王妃様の姿だった。想像以上に綺麗な姿。まるで可憐な楽器のような声。見ているだけでドキドキした。ずっと一緒にいたいと思ってたのに、自分は、子供すぎた。王子と名乗る者に連れられ、王宮見学に行くはめになった。 「ずっと、この国に憧れていました」 無口な王子様に、どう接していいか分からず、思いついた事を言った。 「どこに憧れていたのでしょうか?」 綺麗な庭園が目の前に広がる。だがそれも、姫君にとっては、あまりにも普通すぎた。 「……魔法使いをなくし、術士を生まれたさせた国だと、強い王様と女神様のような王妃様が国を豊かにしていると教師から教わりました。何もかもアージャントとは、違うと思っていました」 「変わらないでしょう?」 「……そう、ですね」 「がっかりしましたか?」 「いいえ、王妃様がいらっしゃいました。想像以上でした」 その時、初めて王子様は、ほのかに笑った。先ほどずっと見つめていた顔と同じ色の瞳が、柔らかい光を湛える。シルヴァーナは、それをとても綺麗だと思った。 「ですが、シルヴァーナ姫、母の美しさは、表面だけで輝いているのでは無いのですよ」 王子様の言う事が分からなくて、シルヴァーナは小首を傾げる。 「アージャントの王様も王妃様も、同じだとは思いますが、私の母は、沢山の知識を持ち、時には父よりも巧みに、仕事をしているからなのです」 シルヴァーナは、分かりやすい言葉で話してくれる王子様の言葉を、一生懸命噛み砕く。言葉を話すようになってから、ずっと教師が付き、姫君としての教育を受けてきた。だが、この王宮と彼女の王宮は違っていた。王妃は、社交界で女性を束ねるものであって、夫よりも仕事をするという事は無い。彼女も、相応な教育を受けている為、仕事という言葉が理解出来なかった。 「お仕事というのは、お茶会や、貴族の女性達とお話をする事ですよね?」 「いいえ、違います。貴族の男性を束ねる為に会議をしたり、戦う為、主に戦争の戦略を練ったりする事です。母は、元々貴族の娘でしたから、領地運営について、かなりのレベルを勉強したと聞いています。それが、役立っているようです」 「会議は、王がするものではないのですか?」 「いいえ、我が国では、王と王妃の二人が行います」 目がまん丸に見開いた。 「戦争というのは、男の方が行うものではないのですか?」 「我が国でも、王が戦いますが、戦略を練るのは、王妃の役目になっています」 目が瞬いた。 「領地運営というのは、貴族に生まれた長男がやられるのではないのですか?」 「普通はそうだと思います。ですが、母の父上。私のお爺様は、とても変わっている方だったようで、母にも、領地運営に必要な事を全て教え込んだそうです」 シルヴァーナは、一生懸命王子様の言う事を理解しようとした。だが、彼女が教わってきたものとは、まったく違うものばかり。どう理解していいか分からなくて混乱していた。 王子様が、小さく苦笑する。 「貴方は、アージャントの姫君なのですから、理解する必要の無い事でしょう。ですが、我が国では、これが普通になってしまった事なのです」 シルヴァーナの眉間に皺が寄る。まだ4歳の子供が、必死になって、言葉を消化しようとしている。首が自然と横にふられた。 「いいえ」 「いいえ?」 「はい。いいえです。私は、王妃様がとても綺麗だと思いました。王子様は、それは、多くの事を知っているからだと言いました。 私は、王妃様のようになりたいと思ったら、勉強しなくてはいけないという事ですよね?」 今度は、王子の目が瞬いた。 「何を勉強したらよいのでしょうか?」 「勉強をなされる?」 「はい。私は、王妃様のように綺麗になりたいと思いました。だから、同じように勉強したいと思います。可笑しい事でしょうか?」 王子の表情は、驚きから、ゆっくりと笑みの形変わっていく。 さっきまでの無表情とは違い、王子様もとっても綺麗だとシルヴァーナは思った。 「いいえ。とても素敵な事だと思います」 笑みのまま、肯定された言葉が嬉しかった。 同じようにシルヴァーナも微笑む。 「そうしたら、王子様も、私を好きだと思って頂けますか?」 無意識に、言葉が出てしまった。シルヴァーナは、慌てて口元をおさえるが、言葉は出てしまった後。 「はい。私は、そうなったお姫様を好きになると思います」 王子は、シルヴァーナの前で一礼し、跪き手の甲にキスを落とした。 シルヴァーナは、どんどん赤くなっていく。こんな事は、城にいたら、普通に見かける事で、些細な事なのに、目の前の王子様にされるのは違った。心臓がドキドキ言っているのが分かる。日を背にした人は、眩しい光を纏ってにっこり笑った。 「では、どんな勉強をしたらいいか、お教え致します。図書館に行きましょう」 シルヴァーナは、真っ赤になったまま、コクリと一つ頷いた。 王とナディーヌは、話が進むにつれ、硬直と言っていいほど、固まった。 真っ先に出てきた言葉は、あり得ないの一言。いつも数少ない舞踏会では、仏頂面か、仮面のような笑みを顔に貼り付けている姿しか見ていない。そして、うんざりとした表情で、姫君や貴族のご令嬢の元から帰って来る。それの繰り返し。間違っても、自分から進んで手の甲に口付けなんて、あり得ない!まったくもってあり得ない! 「私は、国に帰ってから、オディロン様の勧めて下さった本を読み、ご指導頂いた事を知っている教師から勉強して参りました。ただ、それだけでは心配だったので、一応剣も習いました。戦術を勉強するのに必要だと思ったからです。 ですが、残念な事に、私の腕は、普通なのだそうです。精一杯頑張ったつもりであるのですが、レイピアの普通では、勉強に役立ちませんか?オディロン様に呆れられてしまいますでしょうか?」 11歳とは思えぬほど、しっかりとした言動。真っ直ぐ王と王妃を見つめる真摯な視線。それが、初めて下がる。 その時、ノックの音が部屋に響いた。 今、この時、このタイミングでこの部屋に訪れるのは、王子しか居ない。王は、「入りなさい」と静かに告げた。 「失礼致します」 「丁度良かった。シルヴァーナ姫が、いらっしゃった所だ」 無表情は動かない。まるで機械のように動いて、立ち上がったシルヴァーナの前に立ち、優雅な礼をとる。 「オディロン、お前は、彼女に約束したそうだな?」 王子の眉間に皺が寄る。何の事だか分からないと、はっきり言っていた。 「王様」 「なんでしょう?」 「オディロン様は、覚えていらっしゃらないと思います。日々お忙しいと、あの頃も、そのように仰っていました。会というのは、仕事の時間を減らすものだとも言っておられました。 あの日も、その役目をさっさと終えて、きっと仕事を遅くまでしていらしたのでしょう。 ですから、その間に、私の事など、忘れてしまっているはずです」 王と王妃は、何てことを4歳のお姫様に言うんだと、心の中で再び何度目かの頭を抱える。そして、当のお姫様も、それが当然だとばかりに受け止めているのは、良い事なのだろうかと心配になる。そして王子は、驚いたように、初めて姫君を見つめた。 「覚えていらっしゃらないとは思いますが、私が4歳の時に、この国に来ました。 その時、オディロン様は、私に、どういう勉強をしたらいいかを沢山教えてくださったのです。今回お伺いしたのは、自国だけで勉強しているでは足りないと思い、王妃様に教えを請いに来たのです。 ですから、オディロン様の邪魔は、極力しないよう心がけます。王妃様から、いくつか指導を頂ければ、私一人で、勉強を続けるつもりです」 シルヴァーナは、そう言って優雅にお辞儀を返した。 「母のように綺麗になりたいと、おっしゃっていた姫君ですか?」 シルヴァーナは、目を見開いた。 「一緒に図書室に行かれた姫君ですね?」 「は…はい」 「随分と大きくなられたのですね」 そう言った王子は、先ほどまでの無表情を払拭して、柔らかな笑みを浮かべている。 王は、大雪が降るかもしれないと思い、ナディーヌは、まぁ懐かしい笑みだわと、小さかったオディロンを思い出し、ほっこり笑った。 「勉強が捗らないのですか?」 「いえ……あの……、今のままでの勉強でいいのかが……知りたく……て……その……」 「では、母の前に私が、確認いたしましょう。 母上、よろしいですか?姫君と図書室に行きたいのですが」 「は?…え、えぇ、今日の貴方の仕事は、私が引き受けましょう。貴方は、しっかりと、姫君の成果を見るべきですわ」 「はい。私もそう思います」 そう言って王子は両親に頭を下げ、シルヴァーナを従え、部屋から出て行った。 「………ナディーヌ…今の、私の息子だよな?」 「そうですわ。うふふ…懐かしい笑顔でしたわね。随分と久しぶりだこと」 婚約、結婚の二文字が出てきてから一切見せなくなった笑顔。両親でさえ、十数年ぶりの笑みだった。 「まさか、こんな積極的なやつだとは思わなかったぞ」 「あら、上二人が、ああでしたのに?末っ子というのは、ちゃんと上を見て育つものですわ」 「……姫君は、うちへ来てくれるのだろうか?」 「来て頂けると嬉しいですわね」 気の早い両親は、心配そうに、嬉しそうに、図書室の方を見つめた。 「頑張られましたね」 優しい笑みと共に、最高の賛辞をもらったシルヴァーナは、嬉しそうに微笑むが、すぐに俯いてしまう。王子を見ていられない。 「私が示した以上に、貴方は勉強してこられた。それに、その手は、剣の修練をしてきた手。剣の練習もしていかれますか?」 姫君が普通持っている白い美しい手では無い。剣だこがしっかりできている手。シルヴァーナは、慌てて両手を隠す。 「あ、あの……私には、才能が無いので……先生には、普通だと言われました。オディロン様の相手など、到底勤まりません……」 「ですが、貴方は、沢山の勉強をしながら、女性にも関わらず、普通まで到達したのでしょう?それは、素晴らしい事だと思います」 シルヴァーナは、真っ赤になったまま俯いて、「ありがとうございます」と小さな声で答える。動揺していて、声がそれ以上出ない。 「貴方は、あの時の、図書館に行く前の会話を覚えておいでですか?」 シルヴァーナは、顔を勢いよくあげ、コクリと頷く。 「私は、沢山努力されている貴方が大好きです」 王妃様と同じ水色の瞳が、真っ直ぐにシルヴァーナを見ている。シルヴァーナは、もう赤くなる所が無いぐらい体中真っ赤に染まっていた。 「婚約者として、将来一緒に歩む者として、この城に来てはもらえませんか?」 「こ、婚約者…?」 「はい。未だに母の方がお好きですか?」 喉に何かが詰まって答えられない。必死になって、首を横に振った。 「オ、オディロン様が……だ、大好き、で、す……」 「嬉しいです。私も貴方が大好きです」 シルヴァーナの目が見開き、瞬時に潤んでいく。 「姫?」 ぼたぼたと、涙が落ちていく。 「シルヴァーナ姫?」 王子は、慌ててハンカチを取り出し、小さな頬を優しく拭いていく。 「う、嬉しいです…………けど……わ、私なんか……全然……綺麗じゃない、し……よ、要領わ、悪いし……だ、だめです。ご、ご迷惑、です。好きと……言ってもらえた……だけで……っ……じゅ、十分……」 王子が拭っても、拭っても、溢れてくる涙。 「たった7年で、これだけの成果を出していて、要領がお悪いのですか?それに、シルヴァーナ姫は十分お綺麗です」 「………私が?」 シルヴァーナは、兄二人、姉二人の末っ子だった。兄と美しさを競うつもりはないが、姉達とは、よく比べられた。勉強を始めてからというもの、アージャントの末っ娘は、変わり者というレッテルを貼られ、剣を使うようになってからは、一切着飾る事に頓着しなくなったせいもあって、一層姉達と比べられ、姫君とは思えないとまで言われていた。 今回、ギュールズに来るにあたり、いつものように剣を腰にさげて行こうとしたら、流石に両親から止められた。最初だけでも姫君らしく装って欲しいと嘆願された。それは、これから会う人達に嘘をつくようで嫌だったのだが、王に王妃に会うという事は、外交と同じなのだからと言われてしまっては、今まで勉強してきただけに、納得せざる得なかった。 だが、足にまとわり付く、ひらひらとした布地、自分に合うとは思えない薄いピンク色のドレス。鏡を見た時、姉達との違いに愕然とした。 シルヴァーナの首が横に振れる。 未だ幼い姫君は、髪を結い上げない。後ろに流すだけの、ほんのりと淡い色の金髪が、淡いピンク色のドレスの上で小さく揺れる。太陽を浴びても日焼けをすることのない白い肌、ドレスと同じ色の小さな唇、そんな淡い色彩の中で唯一はっきりとした真っ青な海の色の大きな瞳が不安げに、王子を見ていた。 淡い色彩の中の唯一の青。王子は、その瞳に純粋に見惚れていた。なんて綺麗なんだろうと心から思っていた。 「私の率直な意見を聞いて頂けますか?」 シルヴァーナは、鏡の中の自分を忘れていない。姉達のように、はっきりとした顔立ちも、綺麗な金髪も無い。未だ子供のままの細い手足。確かに自分が未だ子供だと分かってはいたが、それでもあまりにも違いすぎた。 だから、聞いたからと言って何も変わらないと分かっている。ただ、目の前の真摯な瞳を見ていたら、自然と頷いていた。 「貴方の持っている全体の色彩は、とても淡くて、光を放っているように見えます。そうですね、シルヴァーナ姫は、精霊のお話をご存知でしょうか?」 小さく頷く。魔法使いが消え、術士が生まれた時の話の中に出ていた精霊達。詳しくは無いが、本だけではなく、術士からも話を聞いていた。 「精霊は、火、水、風、土に分類されるそうです。その中に光の精霊というものは、ありませんが、存在するとしたら、きっと貴方のような姿をしているのでしょう」 シルヴァーナは、王子の言葉に驚いて自分の髪を、その傍にある掌を見る。 「なのに、貴方は、瞳に海を宿している。きっと、光の精霊であるのなら、瞳は、金色なのでしょう。ですが、そんな一律な色合いよりも、その、眩しいまでの澄み切った青い海の色に憧れます。特に今の貴方の瞳には、涙が浮かんでいて、海が溢れそうになっていますよ」 王子は指を伸ばして、シルヴァーナの瞳に浮かんでいた涙をすくう。 「不思議ですね。なぜ、貴方の涙は、青くないのでしょう?」 指に残った涙に小さく口付けをする。 「海のように塩の味がしますのに」 にっこりと、シルヴァーナ姫に向かって微笑む。 「私は、貴方のその瞳が好きです。一生懸命で、真面目な瞳です。瞳は、心を映すというでしょう?貴方そのもののように美しい瞳ですね」 もう、余すところ真っ赤に染まってしまっていたシルヴァーナは、激しい眩暈を抱えながら、現在どうしていいか分からない中。あまりの台詞に自分の事とは思えないけど、あまりにあまりに恥ずかしくて、目の前の王子様の口を手で塞ぎたいと切望していた。だけど、手は動かない。足も動かない。唯一かろうじて、なんとか動いた唇。必死になって声を出す。 「オ、オディロン…様」 「何でしょう?シルヴァーナ姫」 「あ、あの……もう、もう分かりました!」 「何がですか?人というのは、己の事がなかなか理解出来ない生き物だそうです。だから、沢山自分の事を聞いた方がいいと思いますよ」 「で、ですが…あの………来ます!ここへ私来ます!!オディロン様!私の手を取って下さいっ!」 はっきり言って、この状況回避する為の逃げとしか言えない台詞。物凄い勢いで、悲鳴のような声で、シルヴァーナは言い切った。一応シルヴァーナは、王子が大好きだったから、問題は無い台詞なのだが、あまりに必死すぎる言い方。畳み掛けるような言い方。物凄い勢い。甘い雰囲気は、皆無である。 だが、王子にとって、そんな些細な事は、どうでも良かった。目の前の唯一自分の傍に居て欲しいと思った姫君が手に入るのであれば、雰囲気など、どうだっていい。王子の顔に笑みが広がる。 「シルヴァーナ姫」 「は、はい」 「前言撤回は、無しですよ」 シルヴァーナ姫は、はっきりと頷く。 王子は、笑顔のまま姫の手をとり、愛しげに指先に口付けた。 「うちの息子は、こんなだったのか?随分と軟派な台詞が聞こえたような気がしたのだが……幻聴か?」 盗み聞き中の王様が、ぼそりと呟く。 「あら、あの子は、必死なのですわ。だって、今まで女という性をもっているだけで排除してきた子ですもの。女性の扱い方どころか、何を話していいかも知らない。本当に心底朴念仁ですから。 心からあの子を好きだって思って下さっていたお嬢さん達も居たのに、素気無くしてきた報いですわ。少しは、反省するいい機会でしょう」 盗み聞き中の王妃が、コロコロ笑いながら囁く。 「さぁ貴方、アージャント国王様にお手紙を書かなくてはいけませんわ。あの子の様子からして、帰そうとしない気満々ですもの」 「それは……まずいだろ」 「えぇ、ですから、あの子が姫を送るついでに、結婚の申し込みをしに行きますという手紙を書きましょう」 「なるほどな」 二人は、静かに扉から離れる。一番急がなくてはいけない手紙の内容を考えながら、執務室へそおっと戻って行った。 「……その王子様って、物凄い真面目な人なんですよねぇ?」 沙美が訝しげにプランタンに尋ねる。 「うん、子供の頃は、笑顔の可愛い子だったけどー、途中から、もう、無愛想を絵に描いたような子になっちゃったー」 「……それで、あの台詞?」 「だから、笑えるでしょ?普段との差がありまくりでさーーーー、僕、ずっと笑っていたよーって 、面白くなかったぁ?」 沙美は、その王子を知らないだけに、いまいちファビさんみたいな事を真面目に言う変な人分類に入れてしまっている。実感無し。 「サミ」 「はい」 「そこの金色の騎士が、満面の笑みで、中身強大な魔術師が、あの台詞を言ったらと考えるのじゃ」 オトンヌの言葉に、沙美は、まじまじーっと、ローランとフレデリクを見る。頭の中でローランの声とフレデリクの顔を使い、先ほどの台詞を再生。既に、ファビオは、噴出している。なるほどと思いながら、沙美は、慌ててうつ伏した。肩がぐらぐら揺れている。 「物凄いギャップじゃろ?」 返事が出来ない。沙美はコクコクと頷きながらも、笑ったら二人に悪いと思い、必死になって声を抑えている。返事なんかしたら、間違いなく笑い声が出てしまう。 「王子がどうなったか、知りたいー?」 プランタンの陽気な声に沙美は、必死になって頷く。肩は、ぐらぐらのまま。 「無事にアージャント王の許しを貰ってぇ、お姫様と結婚したよー」 物凄い勢いで、沙美は顔をあげた。 「11歳で、結婚?!」 「うん、ちょっと早いけど、国がらみじゃぁ、良くある事なんだってぇ〜」 「そうなの?」 沙美は、おっさん達を見る。 ローランは、笑われて憮然とした顔のまま、「普通は婚約ぐらいの年齢ですが、無いとは言えません」と言い。ファビオは、「あー、王族なら、相手がもっと年齢が低くてもありなんじゃね?」と、未だ笑いながらの言う。そして、フレデリクは、「どうせ、そんなヤツの事だ、勉強と仕事で一日が終わってるな。正式に夫婦になったのは、ずっと先だろ」しみじみとローランを見ながら、言った。 「そっかぁ…、そうだよねぇ……うん、頑張ってローランもお嫁さんもらわなくちゃだね」 「何で、そうなるのですかっ!」 悲鳴のようなローランの叫びに、沙美は「だってねぇ…」と、チラリとフレデリクとファビオを見る。「ローランって、ほっといたら、剣を振って、術の研究しているだけで、一生終わりそうなんだもん」という沙美の言葉に、その通りだとばかりに、フレデリクが頷く。 「それなら、ディックやファビだって……!」 「ファビさんは、絶対そんな事あり得ないし、ディックさんが、行き遅れたとしたら、その理由って、ローランだと思うけどなぁ……」 浮かんでいた長達も、沙美の言葉にしっかりと頷いている。ファビオとフレデリクは、言うまでも無い。ローランは、唸りながらも、かなりの所、自分でも、沙美の言ったような将来を歩みそうな、変な自信があったので、これ以上言い返すのあきらめた。結婚なんてしなくてもいいと言いたいのは、やまやまだが、墓穴を掘るのは、目に見えている。 「フェルナン王が、真面目に国を建て直し、その王子が、努力家の姫君を迎えたのなら、どうして、今こうなのでしょうか?」 思いっきりワザとらしい話題変換。一生懸命訝しげな表情を作り、ローランが長達を見上げる。オトンヌは、そんなローランを笑いながらも、その瞳は暗く沈んだ。 「ナデージュの孫、王子の子供の時代に、多くの国々を巻き込んだ戦があったのじゃ。この国も生き残る事が第一になり、戦いの日々が続き、そして戦が終わった後には、疲弊した国を立て直す事だけに目が向けられた。 その時には、王子もその姫もこの地には既に居なかった。残された王子の子供が作ったのが、今のこの国の元じゃ」 「……王子の子は、余裕の無い時代に生まれたのですね……」 「そうじゃ。あの子供の記憶は戦しか無かったじゃろうな。王として立った時、ほんの小さかった頃に受けた教えは、全て忘れてしまっていたのじゃ……」 沈んだ表情のままのオトンヌに、沙美は、心配そうな表情を一生懸命笑顔に変えて、「オトンヌさん、次はオトンヌさんのお話ですよね」と笑いかけた。 「そうじゃ」 オトンヌは、沙美の気遣いに、小さく微笑んで、沙美の傍らに降りてきた。 「オトンヌさんの話は、いつ頃の話なんですか?」 「聞いてからの、お楽しみじゃ」 エテは、静かに沙美の傍から離れ、自然な動作でファビオの傍へ行き、ガッシと首に腕を回す。 プランタンが、クルリと一回転して、ローランの肩の上に乗る。 イヴェールは、フレデリクの背後にゆったりと降りる。 オトンヌは、沙美の手を握り締め、ニンマリと笑った。 10.07.10 砂海
ようやくプランタンの話。ナディーヌの子供達のお話は終わりました。 王子様のせいで、長くなったんだ<をい 色々説明しないと、訳分からない話になっちゃうからねf(^-^;) 次は、最後のオトンヌさんです。 うふふ……頭の中では、既に終わっていますから、あとは、必死になって文字にするだけ。 ……ただ、どれぐらいの長さになるか未だ不明<をい 非常に心配です……f(^-^;)