交差する記憶 T  

  ◆交差する記憶 T   「今日付けで、うちに配属になった、バルフレアくんだ」   紹介された男は、興味なさそうに全体を見て、ほんの少し頭を下げる。   「彼は、設計から機械のメンテナンスまで出来る優秀な、エンジニアだ。コンピュータについても詳しいので、これを機会に分からない事は彼に聞いて、解消してくれ。  但し、彼には独自の企画を立ててもらうから、邪魔にならん程度にな」   部長は、促すように彼の背中を軽く叩く。バルフレアは、それを煩わしげな仕草で受け止め、ようやく顔をあげた。   「バルフレアです。今まで、こちらから出た企画物の検討という事で、多くの書類を受け取ってきましたが、機械屋からしてみれば、クズ籠行き同然のものが上がってくる事が多すぎな上、それにいちいち調査、コメントするのが面倒になったんで、ここに来ることにしました」   口の端をあげた冷ややかな笑みと共に、堂々と嫌味が提供される。そして、バルフレアは、部長も部員も無視して、自分の机にさっさと戻り、与えられたパソコンに電源を入れた。 その後ろ姿を見送った部長は、苦笑を浮かべ、「仕方がないねぇ〜」と一言おどけて言い、皆に解散するように手を振った。冷ややかな空気が、部長の一言で少し和む。だが、決して消えた訳じゃない。 しかし、その中でたった一人、鮮やかな笑みを浮かべている者が居た。   「バルフレア」 「あ?」 「あんたは、俺と同じチームになると思う。よろしくな」   やけに人懐っこい笑みに、バルフレアの片眉があがる。 今までの苦労に腹を据えていたバルフレアは、この部の人間と馴れ合うつもりは無かった。コンピュータを教えるなんて、そんな親切心などカケラも沸かない。だからこそ、孤立しようと、言った挨拶の言葉。それが、効かない相手が居た。   「バッシュだ。元々解析部に居て、ありとあらゆる解析をしていた」   なるほどと、バルフレアが頷く。こいつも同じ立場だったのだろうと、簡単に想像付いた。   「そうか、よろしくな。  なぁ、ここの今までの企画書ファイルは無いのか?一応目を通しておきたいんだが」 「あぁ、あそこの棚がそうだ。最近のを取って来よう」   バッシュと名乗った男は、バルフレアの返事も聞かずに、さっさと棚へ向かい、分厚いファイルを二冊、手に持ち帰って来た。   「これを見れば、どういう書式で、どういうデータが必要とされるかが、分かるだろう」 「分かった」   突然バッシュが、バルフレアの耳元に顔を寄せ、囁いた。   「お前の言いたい事は、十二分に分かってるつもりだが、あのやり方は止めてくれ」 「あ?」 「今までの手間を少しでも軽減したいなら、事前に自分達が何を知ってなきゃいけないかを、俺達が仕込まないといけないんだ。でなければ、一切変わらん」   バルフレアは、深々とため息をつく。   「俺が、見本になればいいと思ってたんだが……まじかよ?」 「あぁ、まじだ」 「勘弁してくれよなぁ」 「諦めろ」 「しゃぁねぇなぁ…、少しは、態度を改めるか」 「そうしてくれ、でないと俺がやりづらいからな」   今まで浮かべていたのとは違う、目の前の男は、たちの悪い笑みを浮かべている。   「なるほどな。  もしかして、解析部に居た、あの親切丁寧な結果を返してきていたバッシュって、あんた?」   丁寧に返事を書くのが、馬鹿馬鹿しくなっていた設計部は、ここの企画部経由のデザイナーが考えた無理難題図案を、親切な解析部に押し付け、それをそのまま、この部署に投げ返していた。   「あぁ、君の居た部署が丸投げしてきたやつだな」 「そうだったか?」   わざわざここで、礼を言うのも気恥ずかしく、適当に誤魔化した。   「そうだ」 「そりゃぁ悪かった。んじゃ、お礼に、今度酒でも奢ってやるよ」 「はは…、楽しみにしてる」   バッシュは、バルフレアの隣の椅子に座る。   「俺は、ここに居るから、聞きたい事があったら言ってくれ」 「ありがとうよ」 「それから、今夜はお前の歓迎会だ。ちゃんと、フォローしておくんだぞ」 「分かった」   バルフレアは気づいていなかったが、周囲の人間は、彼の楽しそうな笑みに目を奪われていた。人を寄せ付けない空気と冷ややかな表情を払拭したそれは、とても好感がもて、魅力的な笑みだった。 ようやくそれに気づいた、バルフレアの口元があがる。 ちょろいなと思いながら、昨日まで他部署との対応に使ってきた笑みを浮かべ、フロアを見回した。   (ま、これで半分はどうにかなるだろ)   「バルフレア…」 「頑張ってるだろ?」 「…確かにな」   バッシュは呆れながらも、今夜、彼がどうするのかが楽しみだと小さく笑みを漏らした。                  ◆◇◆                 部署の全員が参加した歓迎会。 今、バルフレアの周りには、多くの人が集まっていた。 それをバッシュが、遠目で眺めている。   (さすが、設計部の王。噂は、伊達じゃないな)   彼の噂は、そういう事にうとい自分でさえも知っていた。 彼は知らないだろうが、彼が設計したブツのほとんどを、自分が解析してきた。 設計部一の手腕を持つ、天才が創る設計書は、安心して解析出来る安定したもの。一部に強度のかかるモノ、振動が発生しそうなもの、騒音が出そうなもの、一見して不具合が出るようなものは、見た事が無かった。 だからといって、保守的ではなく、なかなか斬新なものを出してくる。 それだけで、十分に興味が沸いた。 一旦興味を持つと、彼が有名人だという事を簡単に知る事が出来る。 後輩の面倒見がよく、上からの評価も高い。そして、対外的な折衝も巧みだと聞いている。 それを今、目の当たりにしていた。 バッシュは、グラスを傾けながら、彼の手腕に心から感心していた。 自分の魅力を十分に知っている。感情を殺して、魅力的な笑みを顔に貼り付け、相手の望む言葉を与える。   (そんな、器用には見えなかったんだがな)   だが、彼が心から望んでそうしている訳ではないという事は、分かる。 午前中、自分に見せた笑顔は、今彼が浮かべている笑顔を偽者だと言っていた。   (確か、自分の二年ほど後輩だったか…)   バッシュがこの会社に入社して、既に十数年が経ち、34歳になっていた。   (どんな人生を歩んだら、あんな人間が出来るのだろうな…)   設計部から流れてくる企画部発行の書類処理があまりにも面倒な量になってきたので、自分は、元を正そうとこの部署への転属を希望した。 幸いな事に、ここの部長は、そういう事をちゃんと知っている人間だったおかげで、自分も彼も、転属をすんなり受け入れてもらえたのだろう。 自分が転属して半年。まだ、教育するまでには至ってない。 彼が入ってきた事によって、変わるかもしれない。   (いかんな…、自分で決めた事を人に頼ってどうするのだ…)   一瞬、そう思ってしまったほど、見せ付けられた彼の才能の一端に、惹かれる自分が居た。   「バッシュさん」 「あ…すまない」   手にしていたグラスの中身は、いつの間にか自分の口の中に消えていたらしい。 傍に居た女の子が、追加を注いでくれる。   「凄いですね…」   彼女の視線の先には、バルフレア。   「そうだな。  君は、あっちに加わらなくていいのかな?」   にっこり笑うバッシュを見た女性は、真っ赤になって顔を横に振る。 バッシュは、自分の柔らかな笑みがもたらす効果を、バルフレアと違いまったく分かっていなかった。   「わ…わ、私は、こ、ここで、…いいです…」 「おっさん相手じゃ、つまらないだろう?」 「い、いえ、そそそんな事…ないです」 「そうか」   そう言って穏やかに笑うバッシュも、遠くから観察されていた。 バルフレアは、周囲の言葉に相槌打ちながら、今日知ったバッシュとうい名前の男を、相手に悟られぬ程度に眺めていた。 名前だけは、知っていた。当然だ。自分が丸投げしていた先。懇切丁寧な解析結果を、分かりやすいデータ付きで、自分の元に送り返してきた男の名前。 あの書類の主と、まさか会えるとは思っていなかった。 車メーカーとして、一般市民の誰もが知っている巨大会社。部署によっては、中程度の会社の規模になる。自分の居た設計部も、車の大小、ファミリー向け、高級志向、そして、バイク、トラックという多岐に渡る課で分けられる。同じ部署の人間でさえ、知らない顔は多い。 そして、解析部も同じ。振動、音、応力等、いくらでも解析する事はある。新たに解析されるものも範疇に入ってくる。そのソフトウェア開発も兼務していた。それこそ設計以上に、十分独立して中規模の会社になりうる部署だった。 その中のたった一人。いつも自分が企画部に腹を立て、丸投げしていたものを、丁寧に返してきた相手、そして自分が設計したものも同様にきめ細かい結果を返してくれていた男。 それこそ、名前だけなら、長い付き合いだった。   (一度、会いたいとは思ってたんだよな)   目の前で艶然と微笑む女よりも、よほど興味がわく。   (書類通り、穏やかな雰囲気の男。あぁ、穏やかだけじゃない。小さな野心、俺とおんなじものも、あったな)   自然と口の端があがる。   (この後、誘ってみるか。お礼も、しなくちゃいけないしな)   今夜、自分の態度を訂正する作業は、8割がた完了している。 未だ、自分に冷ややかな目線を向ける者の顔も覚えた。 『バルフレア、ばりばりの文系の奴らなんかに、舐められんなよ!』そう言って送り出してくれた仲間達の声を思い出し、『あと、二割なんか、ちょろいぜ』とバルフレアは心の中で返していた。                  ◆◇◆                 「よかったのか?」 「あ?」 「女性の誘いを断ってまで、俺に礼なんかしなくてもいいのだが…」 「あんたなぁ…、俺に二次会まで演技をし続けろって言うのかよ。ったく、面倒くさい事は嫌いなんだよ」 「慣れている様だったがな」 「必要だったから、身につけた技だ。誰が、好き好んでやるかよ。肩が凝るだろ」   そう言ってバルフレアは、首を傾けボキボキと鳴らす。   「そうか。だが、お前は綺麗な女性も好きだろう?」   バルフレアの片眉があがる。   「お前、自分が有名人だって自覚が無いのか?」 「俺が?」 「あぁ。毎回書類を押し付けてくる相手が、どんな男なのか気になってな。いくらでも、お前の話は聞けたぞ」 「まじかよ?」   バッシュは、口の中で笑う。   「主に機械系の連中からだが、色々とな」 「どうせ、悪口だろ」 「お前の出してくる設計書や、今日のお前の態度を見ている限り、悪口が出てくるとは思えんがな。  評価は、高かったぞ」 「評価が高いだぁ?」 「あぁ」   あからさまに眉間に皺が寄り、「冗談きついぜ」と漏らす。そんな様子を見たバッシュは、彼の普段、彼の仲間と居る普段というのを見たいと思った。あの綺麗なだけの作った笑みじゃない、本当の彼とはどんな人間なのだろう?と、好奇心が沸いてくる。   「あれか?後で奢らされるってパターンか?」   あまりの言葉に噴出した。   「んだよ」 「お前は、俺と大して歳が変わらないはずだな?」 「32だよ」 「見えないな」 「それなりの場所では、それなりにしてるさ。普段ぐらいは、ほっとけ」 「あぁ、確かに、ちゃんとしていたな」   バッシュは、酒を一口飲んだ後、おどけたように言う。   「あんた…親父臭い」 「お前と、2つしか変わらんぞ」 「あれか?髭?俺も髭でもはやすか?」 「やめておけ、折角の綺麗な顔が台無しだ」   その言葉に、訝しげな視線を返す。   「綺麗だ?」 「あぁ、綺麗じゃないか」   バッシュの手が伸び、楽しそうに笑いながら、バルフレアの頬をペチペチと叩く。   「あんた、酔ってんのかよ」 「まだ、これしか飲んでいないが」 「一次会にどれだけ飲んだ?」 「普通程度だったはずだが」 「怪しいな」   今度はバルフレアの手が伸び、バッシュの髭を引っ張る。   「だいたい、30過ぎた男をつかまえて、綺麗って表現は変だろ?」 「そうか?」   あまりにあっさりとした返答にバルフレアの片眉があがり、ため息が漏れる。今まで自分の周りに居た仲間達とは、あまりに違う変わった人間。   「変なヤツ」   だが、そう言ったバルフレアの顔は、楽しそうに笑っている。 面白いと思った。あの書類を作ってきた男、その男に今まで以上の興味が沸いていた。     to be continued…     08.04.25 砂海