知らないままでいれば、このまま道が離れるはずだった T  

  「ん…」 「ちっ…」   バルフレアとバッシュが同時に言葉を漏らす。既に足元は崩れ始めていた。   「先に!必ず追いつくっ!」 「フラン、頼んだっ!」   その言葉を残し、二人はガラガラと崩れていく石くれと共に下へ下へと落ちていった。   ◆知らないままでいれば、このまま道が離れるはずだった T   音が止む。 静寂が二人を包む。 彼らは、その場で手足が動くのをゆっくり確認した後、静かに立ち上がった。   「大丈夫か?」 「あぁ、俺の方は問題ない。あんたは?」 「私も大丈夫だ。お互い、幸運だったようだな」 「幸運?……ここに落ちてか?」   見上げた遥か上方に、自分達が落ちた穴。   「登るのは不可能か…」 「空気が流れている。そっちへ行くしかないだろ」   バルフレアは、バッシュの返答を待たずに歩き出した。 将軍という地位。空賊という肩書き。 既に、仲間という言葉が似合うぐらいの時間、二人は同じ時間を過ごしている。だが、未だに無駄な会話を一切せず、纏う空気は冷ややかだった。   「バルフレア」 「心配すんな。ちゃんとアーシェの所に連れて行ってやるさ」   バッシュは、その言葉に素直に頷くが、そこで会話が途切れる。言葉は出ない。 その根底にあるのは、負の感情。 バッシュは、彼がアーシェの結婚指輪を取り上げた事に強い怒りを感じていた。 未だ未成年の女性、そして愛する者を失ったばかりの者の、唯一の形見を取り上げた事。それがどういう物なのか分かっていて、それを手にした彼の態度は、心無いものに見えた。元々彼の率直な言葉を持たない、もって回った言い回しがそれを増長させる。 奪う空賊という生業は、下種な人種がやるものだと思うようになっていた。   バルフレアは、彼の忠犬根性が大嫌いだった。 自分の意思を一切感じさせず、鎖に繋がれる事を喜んでいる変態。折角鎖を外したにも関わらず、犬は、尻尾を振って鎖につながれる為に、主に向かっていく。その主が、彼を疎み、排除しようとしていたとしてもだ。 指示されなければ動けない人形。無様な生き物だと、軽蔑していた。   狭い洞窟の横道。 話す言葉は一切無く、歩く音だけが響いている。 二人は、非常に気まずかった。 だからと言って、意味も無く話す気にもなれない。 その時、前方に動く影を見つけた。 魔物。 二人は安堵の息を吐きながら、現れた魔物に感謝する。 なにせ、会話をする必要一切無し。 銃を構える。 剣を構える。   「あんたは、目の前だけ気にしてろ」 「分かった」   それだけで十分。 二人は、戦闘時だけ、息が合っていた。 お互い戦う者としての役割、バッシュは前衛として、バルフレアは後衛として動くだけ。相手の仕事を侵さず、バッシュは敵を背後に行かせぬ様切り伏せ、バルフレアはバッシュの状態を見ながら魔法や銃を使い補助に徹していた。 そこには、負の感情を一切感じさせない信頼というものがあるのを、お互い気づいていない。 今は、重い沈黙を解消してくれた魔物に感謝する気持ちしかなかった。   「…少し多すぎやしないか?」 「そうだな…」   魔物の影は、一体だけでは無かった。 そこは、魔物の巣だったのか、大量の気配と影が見える。   「だが、空気が流れている元はあっちだな?」 「あぁ…」   魔物が黙って自分達を通してくれる訳もない。 巣であるなら、尚の事。 二人は無言で頷き合い、魔物に向かって走った。       戦闘の音が止み、辺りに静けさが漂う。 あちらこちらにあるのは、魔物が落としたアイテム。 バルフレアはそれらを物色し、毒消しを一つ拾い上げた。 その動作が酷く鈍い。   「バルフレア?」   バッシュは、その様子に慌てて駆け寄る。 近寄るにつれ濃くなる血の匂い。そして、青ざめた顔。   「手持ちの薬…………」   バッシュは、続く言葉を紡げなかった。 背後から銃声の間を縫って、ハイポーションや毒消しが自分に使われていた。 その数は、敵の数に匹敵する。 自分には、一切使わなかったのだろう。いや、使えなかったというのが正しい。   「バルフレア……」 「ん?」   バルフレアが毒消しを飲んでいる間、バッシュは彼が負った怪我に手持ちのポーションを降り掛ける。   「すまない…」 「あ?」   バッシュは、俯いて彼の治療を続ける。自分が白魔法を覚えてなかった事に酷く後悔していた。 そんな姿に、バルフレアは忌々しげに舌打ちをする。   「あんたなぁ…、俺は、あんたと組んでの戦法に従ったまでだろ?  あんたが倒れたら、誰が前衛で戦うんだ?」 「だが…」 「俺は今も立っているだろ?戦闘不能にもなっちゃいないぜ」   それが、単なる幸運だという事をバッシュは知っている。 彼のサポートに甘え、背後を一切確かめようともしなかった。 もし、敵があと数匹多かったら…そう思うと、背筋が寒くなる。   「しばらく、ここで休もう…」 「あん?いいのか?アーシェ達に追いつくのが遅れるぜ。先を急いでんだろ?」 「いいや、まずは君の体調が回復する事が大事だ」   ポーションでは、塞ぎきらない怪我まである。 確かに数が多すぎた。盾となっていた自分が防ぎきれず漏らした敵。 間髪おかずに起こる立て続けの銃声に、大丈夫だと勝手に思っていた。 そこに、分かりやすいため息が聞こえる。   「バッシュ、戦っていたのは俺とあんたの二人だろ?  俺は、アーシェじゃないんだぜ。それとも、俺はあんたに見下されてんのか?」 「いや、そんな事は思った事がない。  君は、私が今まで一緒に戦ってきた仲間の中でも、一番安心して一緒に戦えると思っている」 「一番?一番は、あのおっさんじゃないのか?」   バッシュは、小さく笑う。   「ウォースラは、私と同じタイプだからな。一緒に戦う事はなかなかない…」   過去形には出来なかった。   「あぁ、あんたも、あのおっさんも、まるで猪だよな」   バルフレアは、バッシュの言葉に気づかなかった振りをして、皮肉げな言葉と笑みを送る。   「大抵は、背後に居る部下が迷惑をこうむる事になる」   笑っているバッシュを、呆れ顔でバルフレアは見ていた。 当然戦況や、背後の部下の状態を全部把握しながら前に進んでいるのだろうが、敵を目の前にして躊躇うような二人ではない。 文字通り切り伏せ、前に突進していたのだろう。   「部下が可哀想だろ」   こんな前衛では、無尽蔵の体力が要求される。   「その点君なら安心していられる」 「は?」 「戦況を見る目は鋭いし、君の戦力はウォースラと変わらない」   バルフレアの片眉があがる。   「そうだろう?」   バルフレアの眉間に皺が寄った。 最大級の賛辞。非常に面映い。そんな言葉を素直に受け取るような性格をしていないバルフレアは、正反対の表情しか返せない。 だから、さりげなくは無いが話題を変えた。 こんな恥ずかしい会話を続けていくつもりはカケラも無い。   「なぁ、聞きたい事があるんだが、いいか?」 「何だ?」 「何であんたは、今ここに居る?」   バッシュは、分からないと訝しげな視線を返す。   「鳥篭から出たんだろ?どうして自由を手にしない?」   バッシュの前に居るのは自由な魂。国に依存しない翼を持つ者。口元が、自然と苦笑を刻んだ。   「私は、一度逃げてしまったからな……」   バルフレアは、驚いてバッシュをまじまじと見る。   「ノアが…私の弟が言っていただろう?  私は自分の国を捨ててしまった。帝国に呑まれてしまうのを見ていられなかった…」 「それ、は…」 「耐えなければいけなかったのだよ。……子供だったからと言って、逃げていいものでは無かった。  あの時逃げさえしなければ…最後まで戦っていたのなら…こんなみっともない姿を晒す事も無かった……」   バッシュの拳が震えている。   「だから、私は二度と逃げないと誓った。生きている限り、国に仕えると誓った。二度と恥さらしな態度を取るつもりは無い。  それが、私が生きているという事だ」   その声音は、繋がれた犬というイメージをバルフレアの中から一切消した。 自分に課した厳しい掟の中で生きている者の言葉。彼を繋ぐ鎖など、何一つ無かった。   「そうか…」   バルフレアは、初めてバッシュを見た気がした。   「いい生き方だな」 「君にとっては違うだろう?」 「いや、あんたらしい。俺には出来ないがな」   二人が一緒に行動するようになって、十分な時間が流れている。だが、この時初めてバルフレアは、バッシュは、お互いをちゃんと見ていた。   「そうか……」   バッシュの口元に穏やかな笑みが浮かぶ。 初めて彼の言葉が、嬉しいと感じた。 だが、心の中で引っかかっている事が、素直に喜ぶという感情を受け入れない。   「私も君に聞きたい事がある」   素直に喜びたいと思ったから、拘りを無くしたかった。   「なぜ、報酬が殿下の指輪だったのだ?」   今度は、バルフレアが苦笑を浮かべる番だった。 だが、彼の過去をを聞いた今、自分だけが何も言わない訳にはいかない。   「あんたは国から逃げた……俺はな、父親が敷いたレールから逃げたんだよ」   自分が発した質問の答えとは思えない内容。だがバッシュは、何も言わずバルフレアを見つめ、言葉の続きを待った。   「俺の父親は、研究所の所長をしててな…そこで破魔石を研究していた」   バッシュの目が見開く。   「突然破魔石の研究を始め、それまでの研究を全て捨てた。  破魔石に囚われたと言っていいような言動。まるで狂人のように虚空と対話する日々。そして、それ以外一切省みなくなった。  それが、俺にも及んだ。  俺がやっていたものも全て奪い、重い鎧を押し付けた……」   バルフレアは、独り言のように自分の掌を見つめんがら話していた。その顔がバッシュに向けられる。 見た事もない、酷く苦い表情をしている。   「あいつが固執してんのは、自分の立場じゃなくて復讐だろ?」 「そうだな…」 「あの指輪がそれを思い出させるのなら、無くなれば別のモノが見えてくると思ってな」   父親の後ろに取り残された子供。 その父親は、破魔石しか見ない。 背後に残った子供は、石と違い触れる事も声をかける事も出来たのに、それだけでは父親を振り向かせる事は出来なかったのだろう。 彼の少ない言葉の中でバッシュの頭には、そんな映像が浮かんだ。   「国が、民が…見えるといいのだがな……」   復讐という名のもとではなく、国や民のために戦って欲しい。だが、それを二十歳にも満たない、寡婦になったばかりのアーシェには言えなかった。   「ありがとう…」 「は?」   バッシュは、心からの笑みを浮かべバルフレアに言った。   「私には出来なかった……」 「はん、あんたの立場じゃ仕方が無いだろ?俺は、単に親父みたいなヤツを二度と見たくなかっただけだ」 「いや…君は優しいな」 「はぁ?」   バルフレアは、忌々しげに舌打ちをする。 今の会話で、バッシュが今まで作ってきた自分に対する壁を無くしてしまった。 舌打ちに対し、笑顔まで返してくるしまつ。 それが、やけに気恥ずかしい。 バルフレアは、立ち上がりバッシュに背をむけた。   「もういい。行くぞ」   振り返りもせずに歩き出す。 バルフレアが何を思って行動しているのか、実は分かりやすいのだと気づいたバッシュは、笑いながら後をついていく。   「何笑ってんだよ」 「…言ってもいいのか?」 「ちっ……ちゃんとついて来いよ」   バルフレアは、苦りきった表情を浮かべていた。 バッシュは、楽しげに笑っていた。  

 

07.12.05 砂海