最初のアリスが去った後  

  ◆最初のアリスが去った後   「よぉ、帽子屋」   相変わらず修理されていないドアは、軋んだ音を立てて開く。   「帽子屋?」   返事が無い。 だが、目の前に帽子屋は居て、のろのろと扉の前に立っている男を見上げた。   「二日酔いか?」   苦い笑みを浮かべた顔。それが再び腕の中に消える。   「帽子屋?」   その、あまりにらしくない態度に不安を感じた眠り鼠は、帽子屋の横に座る。   「どうした?」 「どうしも」   くぐもった声が答える。   「お前さんらしくねぇなぁ」 「はは……俺らしくねぇ……」 「帽子屋」   眠り鼠の手が、帽子屋の顔をすくい上げ、瞳を覗き込む。   「何やってんだよ」   振り払う手が、震えている。   「くっ……ふっ………はははははははは…」 「帽子屋っ」   仰け反って狂気を帯びた笑い声をあげる帽子屋を、きつく抱きしめた。 眠り鼠は、怯えてた。 こんな帽子屋を見た事が無い。 おかしい。 こんな反応をするはずが無いのに。 自分は、彼が何をしたか知っている。 自分は、情報屋。 全て、知っている。 彼は、帽子屋。 今、それ以外の名は無い。 なのに、彼の震える指が自分の手に爪を立て、傷を作っている。   「帽子屋」 「はははは…、どうしたんだよ……。お前…らしく…ないなぁ、なんだ………その顔」   腕の中に収め、きつく抱きしめる。 普段の帽子屋なら、こんな事を許すはずがない。 3秒で、あの世行きだ。 帽子屋の背中を撫でる。 今の自分には、これしか出来ない。 あまりにも哀れだった。 全てを知っているだけに、何も言葉を持たない自分。 全てを知らないのに、心が悲鳴をあげている相手。   「帽子屋」   びくんと体が震える。   「いい事をしてみるか?」   のろのろと自分に合わせる視線は、怯えている。   「何もかも忘れて寝られるぜ」 「お前に…出来んのか…よ…」 「あんたが、いつもより大人しく言う事を聞いてくれるんならな」   頬に手を沿わすと、小さく震える。 彼の、震えが止まらない。 頤にずらした手が彼の顔をあげた。   「忘れな」   口の中に消えた彼の返事は、音にならなかった。   -End-    

 

08.02.05 砂海