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佐倉の祭礼
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 活動履歴

「佐倉の祭礼 初日 鏑木町渡御」
祭礼の歴史

 江戸幕府がこの地に佐倉城を築城する以前、ここ一帯は「鹿島郷鏑木(かしまごおかぶらき)」と呼ばれていました。麻賀多神社はこの鏑木の産土(うぶすな)神社です。このことから神社御神輿は、まず鏑木町に御渡になると考えられます。
 その後、神さまは樋ノ口橋のたもと、高崎川で禊(みそ)がれ、鏑木町を後にして並木町(なみきちょう)、横町(よこまち)、裏新町(うらしんまち)、二番町(にばんちょう)を渡御し御旅所(おたびしょ)に入られ祭礼1日目の渡御が終わります。
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新町通りに出ると、神社御神輿は「もみ」仲町御神酒所に花棒を掛けます。

鏑木(かぶらぎ)町渡御
神社御神輿の行列が鏑木町の御休憩所に入ってきました。
御休憩所には、斎竹(いみだけ・若竹四本が立てられ、しめ縄が張られている)と盛り砂があり砂には、榊がさしてあります。
神社御御輿が御休憩所に近づくと、青年会世話役が先行し御休憩所に祭ってある斎竹を外し、神社御神輿を安置するところを浄めるために盛り砂を馴らします。
青年会世話役は「台」を持って神社御神輿の到着を待ちます。

神社御神輿は鏑木町内では進行方向に、他の氏子町内では麻賀多神社に向けて安置されます。

神社御神輿を「台」に安置すると白丁たちは神社御神輿を囲み大輪になり、宮司が祝詞奏上を行い、氏子総代が玉串奉奠をおこなうのを見まもります。

そして「接待(飲食)」を受け、休憩します。

休憩後、再び神社御神輿を囲み大輪になり、青年会世話役のかけ声で3度手打ち(八平手)をします。そして、神社御神輿を「さし」、御休憩所を出発します。


浜下祭(はまおりさい)
神さまは樋ノ口橋のたもと、高崎川で禊(みそ)がれます。
午後4時頃、樋の口橋の手前には、鏑木町の御神酒所が神社御神輿の渡御を待っています。
そして、御渡になると神社御神輿は、御神酒所お囃子台の勾欄に花棒を「掛け」ます。
神社御神輿が御神酒所から離れると白丁たちは御神輿を「もみ」「さし」樋の口橋の「上」まで進みます。
樋の口橋のたもとに神社御神輿を安置すると白丁たちは神社御神輿を囲み大輪になり、宮司が祝詞奏上を行い、大年番、鏑木町氏子総代が玉串奉奠をおこなうのを見まもり、休憩します。
休憩後、再び神社御神輿を囲み大輪になり、青年会世話役のかけ声で
 「吉例によりまして 八平手をお願いします」
 「もう一対」
 「三ぷく一対」
と、3度手打ち(八平手・やひらで)をします。

担ぎ手の白丁たちは、「さらばさし」と発声し神社御神輿に付くと、青年会世話役が「明神まつり」のかけ声をかけ、続いて白丁たちの「さらばさし」と声をあわせ神社御神輿を担ぎだします。そして、神社御御神輿を「さし」、樋ノ口を出発します。


神社御神輿は麻賀多神社前まで戻り休憩し、その後、並木町、横町、裏新町、二番町に渡御します。
神社前で休憩中の神社御神輿。鏑木青年会世話役2人が神社御神輿を警護しています。
午後7時30分頃神社御神輿は、神社前を出、8時頃並木町へ渡御し町内で待っていた御神酒所に掛けます。

午後9時頃、仲町御神酒所は、仲町と二番町の境界、仲町側で神社御神輿を待っています。
並木町、横町を御渡になった神社御神輿は、新町通りの後側の道から裏新町に渡御しその後、新町通りに出られます。
その後、神社御神輿を「さし」二番町に渡御します。

午後9時20分頃、神社御神輿は御旅所のある二番町に渡御します。
御旅所に入り神社御神輿を安置すると、白丁たちは、かつぎ棒に巻いたさらしをとり、御神輿に載せていた自分の七丸提灯を持ち整列します。
その回りに、各氏子町会の祭礼関係者が並び御旅所祭が行われ、最後に神社宮司の発声で「八平手」の手打ちを打ち祭礼1日目が終わります。
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午後9時30分頃、神社御神輿は、祭礼1日目の渡御を終え御旅所に入ります。
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