翌平成8年2月24日に秋祭り実行委員会は麻賀多神社責任役員あてに「秋の例大祭(神輿渡御)の日程に関する要望」を送り、3月4日麻賀多神社氏子総代懇親会を開催し、「佐倉の秋祭りの実行日」について協議しました。
その席で実行日について採決をとったところ、秋祭りの実行日は10月中旬の金、土、日曜日に決定し、文章に出席者全員の署名捺印の上、麻賀多神社責任役員を通じ宮司に提出してもらうことに全員一致で決定しました。
 
 このような経緯で平成8年、9年は10月第2金、土、日曜日に神社御神輿の渡御がおこなわれましたが、平成10年はおこなわれず、翌年11年は渡御がおこなわれましたが平成12年はおこなわれませんでした。その後、平成13年はおこなわれましたが、平成14年には神社御神輿の大改修があり渡御はおこなわれませんでした。

 一方、町方の多くは、神社御神輿の渡御がおこなわれなくても10月第2金、土、日曜日の週末に「佐倉の秋祭り」として御神酒所等の引き廻しをおこないましたが、中には神社御神輿の渡御のない年は祭礼をおこなわない町会もありました。

・平成26年、上町山車の構造材を新調し昭和12年以来80年ぶりに山車引き廻しを再開しました。

・平成20年の渡御より「麻賀多大明神」の幟が神社御神輿の行列に加わりました。

・平成22年より各町に渡御の際、祝詞奏上後、その町の氏子総代が玉串奉奠を行うようになりました。

・平成23年、御旅所の位置が約10m後ろに下がり現在安置されている場所になりました。

・平成25年、裏新町第1町内会(旧花屋)に渡御したあと御旅所に入る1日目神社御神輿渡御の道順を、裏新町第2町内会(旧警察署)まで渡御し仲町をぬけて御旅所に入る道順に一部変更しました。翌年も同じ道順で渡御しましたが、平成27年は、裏新町第1町内会から御旅所に入る元の道順に戻りました。

・平成4年、今まで佐倉市立美術館立体駐車場あたりにあった御旅所が現在の佐倉市駐車場に変更されました。

平成8年 秋の例大祭の日程に関する要望
平成5年7月3日 佐倉の秋祭り実行委員会が
「佐倉麻賀多神社例大祭を中心に弥勒八幡神社、本町神明大神社、田町愛宕神社など夫々の神社が有する歴史と伝統を尊重しながら、お互いに共同して秋祭りを開催し、佐倉の伝統文化の継承と発展に寄与するとともに、青少年の健全育成、新旧住民の交流を深め、市民の方々の心のふるさとづくりに貢献する。」
という事業方針のもと発足します。
昭和52年 仲町山車
 また、昭和52年より渡御から外れた裏新町ですが、その頃鏑木青年会世話人だった高橋さんの「裏新町が大年番の時に、今まで中断していた裏新町への渡御を裏新町第1町内会(旧花屋)までだが復活した」との談話より、裏新町が大年番だった昭和57年に、裏新町1町内会まで神社御神輿の渡御が復活したと思われます。
ただ、鏑木町を渡御し麻賀多神社に戻り休憩後裏新町に渡御し、来た道を戻って横町に向かっていた今までの道順ではなく、先に並木町、横町に渡御しその後に裏新町第1町内会(旧花屋)に渡御し、来た道は戻らずに二番町と仲町の境の道路を通って新町通りに出て二番町御旅所に入る道順となりました。

 そして、現在も概ね同じ道順で神社御神輿の渡御がおこなわれています。
 また、昭和52年には、鏑木町町会が「御神輿渡御奉仕者募集について」の回覧を回し神社御神輿の担ぎ手を初めて募集しました。
鏑木青年会OBの方にその頃の鏑木青年会についてお聞きすると、「それ以前は神社御神輿の渡御が決まると鏑木青年会世話役の呼びかけに応じて自然と担ぎ手が集まり、白丁の衣装が足りないぐらいだった。しかし「若潮国体」の頃になると鏑木青年会の組織が機能しておらず渡御の際に担ぎ手が集まるか不安があった。そこで、今後を考え、会員名簿作成と引き継ぎ事項を文書化することからはじめた」と言われていました。鏑木青年会にも新たな動きがではじめました。
 昭和48年の「若潮国体」大祭以降、49年、50年、51年と神社御神輿の渡御はおこなわれていませんが、まず氏子町会に変化が現れます。

 昭和51年、鏑木町神社世話人が書き残した麻賀多神社祭礼協議会の議事録によると、この年も神社御神輿の渡御はおこなわないことが決定されましたが、「並木町は御神酒所の町内引き廻しをおこなう」と書かれています。
通常、御霊をのせた神社御神輿が各町会を回られ人々は神さまをもてなし、その年の五穀豊穣を感謝し、神さまから「力」を頂くのが「祭礼」ですが並木町は「渡御が無くても祭礼をやる」という今までにないスタイルで祭礼をおこないました。
 今よりさかのぼる事40年。当時各町会で中心になって祭礼を仕切っていた方々は少なくなってしまいましたが、当時を知るある方は「若潮国体の時の祭りを見ていて、自分たちが子供の頃おこなっていた祭りの楽しさを思いだし、自分の子供たちにも同じ思いを体験させたかった」と言われていました。
 他にも「若潮国体の時、他町会の御神酒所の引き廻しを見ていて、自分たち町会の子供たちにも御神酒所の引き廻しをさせてあげたかった」と言われていました。
 そしてある方は「軍隊がなくなり大店や御用商人がいなくなり、町内の寄付が減った。そこで、今まで職人に頼んでやってもらっていたことを町内の若衆に出来ることはすべてやらせた。また、自前のお囃子連を育成し、お囃子方を頼んで叩いてもらう資金や職人に払う資金を修繕費用に回し、飲食代を節約して資金を集めた。そしてその資金で御神酒所の車輪を直し御神酒所の引き廻しを復活した。修復資金を得て復活するまでに4,5年かかった」と言われていました。
 今までの「お金のかかる祭礼」から、できる事は自前でおこなう新しいスタイルの祭礼がこの辺から始まったのかもしれません。
 また、昭和40年に本町から、京成佐倉駅の前を通り田町に抜けるバイパスが完成し新町通りの交通事情の変化も引き廻しの復活に関係したのかもしれません。
平成20年 幟が行列に加わる
平成17年 祝詞奏上に鏑木青年会参加
平成15年 万灯行列復活
佐倉の祭礼の歴史 昭和49年~現在 復興期

・平成元年、栄町御神酒所が諏訪の宮大工、富士小松工務店によって新調されました。

・昭和62年、鏑木町御神酒所が鏑木町の宮大工、川名辺良一氏によって新調されました。

平成26年 上町山車 引き廻し復活
平成元年 栄町御神酒所 新調

・平成16年より祭礼初日の大祭式に各町会祭礼委員長が参加するようになりました。

・平成15年の神社御神輿渡御より万灯行列が復活しました。ただ、以前は各町会の万灯たちは夕方神社等に集合し揃って神社御神輿の周りに付いて行列していたのが、今回からは各町会の入口で待ち、神社御神輿の行列が来たらその先頭にたち町会の休憩所まで案内するような形になりました。

平成16年 大祭式に祭礼委員長参加
 平成5年、6年の「佐倉の秋祭り」は麻賀多神社の例祭日と同じ10月14、15,16日の平日におこなわれましたが、平成7年には、秋祭り参加町会の大部分の人たちがサラリーマンになっていることから祭礼は週末におこないたいと主張する秋祭り実行委員会側と、あくまで神事としての祭礼をつらぬきたい神社側とがぶつかり合う事態になりました。
 平成7年7月16日、秋祭り実行委員会側のこの主張をもとに、麻賀多神社祭礼協議会が開催されましたが、神社側は協議の結果「平成7年度『麻賀多神社の祭礼』では神社御神輿の渡御は中止する」ことが決定されました。
 それを受けておこなわれた7月29日の秋祭り実行委員会では「平成7年度「麻賀多神社の祭礼」では「神社御神輿の渡御が中止」になったことで、「佐倉の秋祭り」の日程を麻賀多神社の例祭日とは違う10月13(金)14(土)15日(日)で実施する」ことが決まり「神社御神輿の渡御は無いが、御神酒所等の引き廻しはおこなう秋祭り」になりました。
平成5年7月3日 「佐倉の秋祭り実行委員会」発会式資料
 一方、氏子町会側も昭和52年以降、山車や御神酒所の引き廻しを復活しますが、中には1年遅れで引き廻しを再開する町会や、34年に1回は引き廻しをおこなわない町会等がありました。
昭和60年 渡御推定図

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佐倉の祭礼
 山車人形
 山 車
 活動履歴

・平成17年の神社御神輿渡御より浜下祭や各町渡御の祝詞奏上の際、担ぎ手の鏑木青年会が大輪になり参列するようになりました。

昭和52年 野狐台町御神酒所
昭和52年 宮小路町御神酒所
昭和52年 鏑木町「御神輿渡御奉仕者募集について」
祭礼の歴史

・平成23年、本町御神酒所が改修されました。


・平成6年、横町山車の車軸を直し昭和29年以来40年ぶりに山車引き廻しを再開しました。

・平成15年、祭礼3日目の神社御神輿渡御の道順を一部変更し最上町に渡御し、旧堀田邸での休憩をやめ野狐台町まで渡御し引き返しましたが、翌年からは元の道順に戻しました。


2 平成5年 秋祭り実行委員会の発足と神社御神輿の渡御のない秋祭り

商人達の没落により佐倉の祭礼は衰退していき、10年以上御神酒所の引き廻しをおこなっていない町会もでてきました。しかし、昭和48年「若潮国体」記念大祭をきっかけに新しい「力」が町会をまとめだし佐倉の祭礼復活を働きかけます。

平成23年 本町御神酒所 改修
平成6年 横町山車 引き廻し復活
昭和62年 鏑木町御神酒所 新調
現在の御旅所
昭和52年 御通知
昭和51年 祭礼協議会議事録

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・また同年、田町御神酒所が車輪部分は村山鉄工所で、木部は清宮木材によって新調されました。

平成26年 田町御神酒所 新調
 一方、佐倉の秋祭り参加町会では、
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3 現在の祭礼

 最後に平成時代以降の祭礼で変化があった所を麻賀多神社御神輿の渡御から記述してみます。
 現在、麻賀多神社は「10月14,15,16日と10月第2金、土、日曜日に祭礼をおこなう」という立場をとっており、平成15年以降は毎年10月第2金、土、日曜日に神社御神輿の渡御がおこなわれています。
  また、「佐倉の秋祭り」には麻賀多神社と共に六崎麻賀多神社、愛宕神社、神明神社、八幡神社の氏子町20町会の合同祭の形による祭が新町通りを中心に、毎年10月第2金、土、日曜日の3日間行われるようになっています。
1,昭和52年 神社御神輿の渡御復活

 昭和52年以降、麻賀多神社御神輿の渡御は復活します。昭和52年の「御通知」によれば、祭礼初日は、鏑木町を渡御し、樋ノ口橋まで進み、その後麻賀多神社に戻り休憩、その後今までおこなわれていた裏新町への渡御はおこなわれずに横町、並木町に渡御し、上町を通って二番町の御旅所に向かう道順になりました。そして祭礼3日目は、二番町側の坂を下り栄町に渡御し、仲町側の坂を上り、肴町、野狐台町、間之町、仲町、上町に渡御し神社に戻る道順です。