上に金の瓔珞(ようらく)、四隅に金の宝鐸(ほうたく)、八寸(約24cm)の鏡を一か所に三面吊る。
御神輿の大きさや装飾については
「以前の神輿よりひとまわり大きくして、屋根に巴紋と卍紋の蒔絵をし、全体は黒漆塗り金メッキ、孔雀が稲穂を咥え、葉は青金、茎は焼金、穂は五色の小玉水晶、四隅のつばめは金で拵え、孔雀は田辺権太夫が寄進し、足に田辺権太夫と家名が彫られている。
瓔珞(ようらく)
扉わきの「昇り龍」と「下り龍」
担ぎ棒は黒漆塗りで小口金物を張る。四方より本紅唐打ち大紐にて吊る。
江戸より十数人の職人を呼び、勝蔵院不動堂で御神輿を作り、飾り金物も飾り職人を江戸より呼び、薬師堂前に小屋を建てて作った。二月頃より九月十五日頃までの約八ヶ月の歳月と三百両の費用をかけ、江戸深川永大寺八幡神社の神輿を模して制作したが、ことのほか結構な出来ばえだ。」
と記述されています。
御神輿正面 唐戸(からと)鳥居,勾欄,台輪
享保6年(1721)制作 麻賀多神社御神輿
麻賀多神社御神輿(佐倉市有形文化財)は、台輪巾五尺の非常に大きな御神輿で、白丁を身に着けた鏑木青年会の若者達により二天棒のみで担がれ、城下町の狭い通りを渡御されます。
屋根 金梨地に「巴紋」
桝組と狛犬
麻賀多神社御神輿制作の様子
この神社御神輿を新調した時の様子は、江戸時代中期の文献「古今佐倉真佐子」に詳しく書かれていて、
「古くからある御輿に不具合が生じた為に、享保六年に家中、町方、氏子にて神輿を拵え直す。」
とあり、享保六年(1721)に制作されたことがわかります。
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また、明治8年修理の時に、屋根に巴紋と卍紋二様あった社紋を巴紋だけにし、黒漆塗りだったものを金梨地(なしじ)に改められました。
この御神輿屋根中央の大鳥「孔雀」はその後「鶏」に、そして平成13年には「鳳凰」に変えられています。
屋根中央の大鳥「鳳凰」
担ぎ棒先端の「小口金物」
宝鐸(ほうたく)
扉は唐戸、玉垣の鳥居は朱漆塗りで金の金物、台輪は黒漆塗りで金の金物が付く。
扉わき四方共に極彩色の昇り竜と下り竜の彫物、屋根裏に三重の垂木、小口に金が張られた。