山車人形「竹生島龍神」の赤頭には、龍戴(りゅうたい)をのせ、黒髭(くろひげ)の面を付け、両手には珠玉(しゅぎょく)を持ち、背中に打杖(うちづえ)を背負っています。能の演目「竹生島」で、珠玉を持った龍神が琵琶湖の湖上に現れ、朝廷の臣下(しんか)にそれらを捧げ勇ましい舞を見せる場面を表しています。

 能面「黒髭」とは、海中に住み魔力を持つといわれている龍神の意味で、髭が黒々と描かれていることから、黒髭の名が付きました。また、能面の裏には、金の粉で江戸を代表する面打師「出目洞水打」(でめ とうすい うち)と書かれています。

 人形の首のつけ根部分には、「横山朝之作」と焼き印があり人形の作者は横山 朝之によって制作されたことがわかり、天下祭で徳川将軍の上覧を許されていた山王祭廿一番・田所町・通油町・新大阪町(現在の東京都中央区大伝馬町)が所有していたと言われています。

 人形頭を納める収納箱のふたの裏には「明治十二年十一月三日 肴町」の墨書きがあることから明治12年に購入したと思われます。

山車    三層せり出し構造の江戸型山車
山車制作年 不明
山車購入年 明治12年(1879)



山車人形  竹生島龍神
人形制作年 不明
人形作者  横山 朝之(よこやま ともゆき)
人形購入年 明治12年(1879



肴町の山車は、能の演目「竹生島(ちくぶしま)」の龍神を題材に「水中」と「波」で統一されています。

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下段幕「魚づくし」 現在御神酒所の幕に使用
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 かつては「魚づくし」の下段幕には、魚の目に宝石類が埋め込まれていたと言われています。また、町名「肴町」と刺繍があることから、肴町が山車を購入した時に制作されたのではないかと考えられます。

肴町(さかなまち) 竹生島龍神(ちくぶしまりゅうじん)人形山車
山車人形 横山 朝之作「竹生島龍神」
 人形をせり出す構造は、せり出しの構造材が残っており「□」型の鞘が依代空間の真ん中に立ち、その鞘の中に人形を支える柱を通し人形をせり出す構造と考えられます。

 江戸時代後期に多く作られた一本柱せり出し型の山車を、三層せり出し構造に改造したものでではないかと想像されます。
 三層せり出しの構造は、中段の幕板をささえる平桁が現在も残っており、桁には下段幕を吊す金物がある事から、上段をせり出す構造は、横町の山車と同じで親柱の外側を櫓行灯(やぐらあんどん)が上下する構造だと推定されます。
三層せり出しの構造

  現在、肴町には井桁台部分と、依代空間の通し柱1本、人形をせり出し部分の構造材と、山車人形、上段、下段幕のほか、彫り物類、囃子台、下段勾欄部分の一部漆化粧部材が残っています。
人形をせり出す棒及び支える「ロ」型の鞘
現在残っている肴町山車 下段構造材及び漆化粧部材
現在残っている肴町山車 下段漆化粧部材

 山車人形
  山 車

また、中段の欄間に3枚、囃子台欄間に3枚、下段腰幕板にも3枚の「波」彫刻が施されています。
 三味線胴は一枚板で仕上げられた「波」の透かし彫りが施され、勾欄の周囲には、棒の先に玉を付け、「竹生島の龍神」が波間から湖上に現れる波しぶきを表現しています。

 上段四方幕には、緋羅紗地(ひらしゃじ・赤い下地)で金糸銀糸が使われている「貝づくし」の刺繍が施され、下段幕には緑羅紗地(りょくらしゃじ・緑の下地)で「魚づくし」の刺繍が施され、幕全体で「水中」を表現しています。

 

肴町「竹生島龍神人形山車」推定復元図 合成写真


中段欄間、囃子台欄間、下段腰幕板「波」
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三味線胴「波」 四方幕「貝づくし」