山車人形「玉乃井龍神」
山車の経歴

 山車 歴史編でも書きましたが、二番町には囃子台裏の壁に「文化八未(ひつじ)年新規出来(しんきしつらえ)」の墨書きがある文化8年(1811)に制作された御神酒所(おみきしょ)が残っています。

 二番町は、明治12年1879に「関岡能装束店」より「玉乃井龍神人形山車」を購入しましたが、明治42年(1909)撮影の古写真には、この「関岡」より購入した「玉乃井龍神人形」の載った山車が写っておりますが、その破風屋根等の形状が、現在残っている御神酒所のものと同一であることがわかりました。
 現在の御神酒所を、山車に改造された時期については不明です。また、いつ山車のつくりから御神酒所の形にしたかの記録も残っていませんが、昭和8(1933)の古写真では、現在の御神酒所の姿で祭礼をおこなっている様子が写っています。
 三味線胴裏には「原 舟月作 明治廿五年 第十月新調」の墨書きがあり、明治25年(1892)に三代目 原 舟月によって、この部分が新調されたと考えられます。白木(しらき)で龍の彫物がはめ込まれており、目にはガラスを使用し、四隅の木金物は透かし彫りで仕上げられています。

 上段四方幕3面には、飛龍(ひりゅう)と波の刺繍が施されています。

 山車人形「玉乃井龍神」は、悪尉(あくじょう)の面(おもて)を付け、左手に巨大な釣針を持ち、右手には鹿背杖(かせづえ)を持っていて、日本神話「海幸・山幸」の話を元に作られた能「玉井」の中で、海神(龍王)が海幸の釣針を探しだし、喜びの舞を見せる姿を表しています。

 能面「悪尉」とは、強く恐ろしい表情をした老翁(ろうおう)のことをいいます。戦前の麻賀多神社祭礼では、神社御神輿をお迎えしたら面を外し、見送る時は面を付けたと伝えられています。

 また、この山車人形は、万延元年(1860)の山王祭りの番附絵に描かれている山王祭廿五番・檜物町(現在の東京都中央区八重洲一丁目)が所有していたものと言われています。

 人形頭を納める収納箱のふたの裏に「御舞扇子 馬喰町四丁目 御装束師 關岡 御冠烏帽子所」の「張り紙」が貼ってあり「明治十二年第十一月六日」の墨書きがあることから明治12年に購入したと思われます。
二番町(にばんちょう) 玉乃井龍神(たまのいりゅうじん)人形山車
三味線胴「龍」 上段四方幕「飛龍」
山車    破風屋根付き三層せり出し構造の江戸型山車
屋台制作年 文化8年(1811)
山車改造年 不明



山車人形  玉乃井龍神
人形制作年 不明
人形作者  不明
人形購入年 明治12年(1879
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二番町 御神酒所後方 この上に四方幕、依代が載っていたと思われる
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二番町「玉乃井龍神山車」推定復元図 合成写真

 山車人形
  山 車

 この事から二番町は、関岡能装束店から購入した「山車」とは別の、元々二番町にあった屋台もしくは山車を、明治になってから山車に改造し、その後御神酒所に作り替えたと考えられます。
現在の二番町 御神酒所
明治42年 二番町 山車 拡大図