●もとは普通の「稲荷神社」でした。戦国時代(天正10年)神流川合戦の際、白いキツネが現れ北条氏が勝利を収めました。この御神得に感謝して、この地に社を構えたと伝えられています。
●この稲荷が「於菊稲荷」と名付けられたのは江戸時代です。
宝暦年間、宿場町となった新町に「於菊」という名の美しい娘がおりましたが、医者からも見放されるような重病にかかり、悩み苦しんだ末、この「稲荷神社」に救いを求めました...深く深く信心を続けたところ、不思議に病はすっかり治りました。その後、於菊は夢で「今後は人々の為に尽くすように」とのお告げを受け、稲荷神社の巫女となり、作物の出来具合や人の吉凶、なくし物のありかまでさまざまな事を言い当てました。ここから「困ったことがあったら於菊に聞け、稲荷の於菊に聞け」と言われるようになり、誰いうともなく「於菊稲荷」と呼ぶようになりました。

    <新町の町史に於菊稲荷の歌が紹介されています>(抜 粋)

     「知るも 知らぬも 菊の名は たちまち 上がる 大黒屋
                     新町宿は 名におう 中山道の 宿場町」
     「病もいやし ある朝 菊の脳裏を かすめしは
               不思議や 不思議 神の声 わずらい人を助けよと」
     「迷える者に 光明を いらだつ者に 安らぎを
                   悩める者に なぐさめを 菊の救いし 人多し」
     「時は宝暦年間の 菊の名前を そのままに
                    今も 伝えて 輝ける 於菊稲荷の 赤鳥居」