氏名 石橋 直樹   naoki ishibashi
生年月日 昭和31年8月15日生まれ 46歳
家族構成 妻 まゆみ、 長男 一紘、 次男 慧、 母 とし子
住所 愛知県豊橋市内
職業 営業従事
性格 気難しくお茶目、研究熱心、慎重派
天文趣味 もっぱら写真専門。だがCCDにも興味あり。
小学校5年の頃顕微鏡のカタログの裏に天体望遠鏡のカタログがあり興味を持つに至り親父にせがんで6センチの屈折を買ってもらった。
これが今思うとひどい望遠鏡であったがこんなものかと認識していた。
笑い話であるがピントという概念が無く恒星のスケッチを丸い円を書いて模様を描いていました。おかしい話だと思われますがピンボケの恒星像をスケッチしていたのです。ある日接眼部をまわすと点像になってハタッと気が付いたのです。今までのスケッチは何だったのか?と挫折感を味わいました。
その後高校生になってタカハシ10センチ反射を買っていろんなものを覗いていましたが特に二重星に興味がありました。この頃はまだ写真を撮ろうとは思ってもみませんでした。
1976年の大学受験そして大学生活を経て就職しご多分にもれず天文は小休止。よってウエスト彗星も見ておりません。
30歳(1987年ごろ)で結婚後1年たらずで天文ガイドを買って読み始めました。フローライトって何?、屈折望遠鏡にカメラを直接つけて撮れるの?など浦島太郎状態でした。嫁さんに何で結婚する前に器材を買っておかないの!としかられつつタカハシのFC76を購入しました。すぐさま天体写真にとりつかれガイド鏡が必要になりFC50を購入しました。
1989年頃だと思います。豊橋天文サークルに入会して及部さんと知り合ってからは怒涛のごとく撮影に一緒に行きました。フジのHG400の全盛時代でした。ペンタックス105EDHFを購入したのもこのごろでした。
1990年にはしばらくして天文雑誌のフォトコンテストに初応募初入選を果たしました。それからは投稿すれば入選するといったあんばいで連戦連勝で狂ったように撮影に出かけた頃でもあり望遠鏡はペンタックス125SDHFに変わっていました。
1992年には
中部天体写真同好会という写真専門の会を立ち上げたのですが写真技術の向上というコンセプトが受けたのか20人以上の盛況な同好会となり10年以上続いて今では30名近くになりメンバー全体ののべ入選数も400点を突破しました。撮影地では同好会メンバーが占有している状態でした。
1995年ごろには2枚重ねのおかげで入選も安定してきましたが粒子の荒れには閉口しておりました。スカイウオッチャー誌で入選20回を達成したのもこの頃です。
ペンタックス125SDPが登場してすぐ手に入れてポジの時代が到来してE100Sが登場したのもこの頃です。2枚重ねはすたれてE100Sオンリーの状態で今に至っております。
よく行く場所 近くの本屋や家電屋、ラーメン屋など
友達 中部天体写真同好会のみんな。時にIさん、Oさん、Kさん、Tさん、Nさんなど
PC エンデバーPro600L PV866MHZ RAM512MB SONY17インチ
ニッサンプリメーラ

自己紹介