年 月 日 |
出 来 事 |
昭和15年11月 |
行政指令による自治会制度が施行される。 |
昭和16年 |
西戸越二丁目昭榮会が発足する。青島孝一氏が会長となる。 |
昭和16年12月 |
太平洋戦争勃発 |
昭和18年 6月 |
東京府と東京市が合併し、東京都制が施行される。
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昭和20年 5月 |
東京大空襲、24日夜半から25日未明にかけて、B29による焼夷弾攻撃により、品川、荏原両区の戦災者が20万人をこえ、5千人の死傷者がでる。当町会も一面火の海となり焼け野原となる |
同年 8月 |
終戦となる。 |
昭和22年 5月 |
地方自治法が施行され、品川・荏原地区が合併して品川区になる。 |
同年 6月 |
行政指令により、全国自治会制度が廃止となる。 |
昭和26年 4月 |
青島孝一氏が逝去され、臨時総会にて田中重次郎氏が会長になる。
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昭和28年 4月 |
民主町会として、西戸越二丁目西部町会(現南部町会の前身)として発足する。初代町会長は中田重次郎氏となる。 |
昭和32年12月 |
会館敷地を購入する。 |
昭和34年 5月 |
会館設立準備会結成。 |
昭和34年 8月 |
町会会館完成。 |
昭和35年 8月 |
神輿(中・小)二基購入する。
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昭和36年 4月 |
二代目町会長山崎正信氏が選出される。 |
同年 6月 |
町会会館披露式が挙行される。 |
同年 8月 |
平一南部高砂会が発足する。 |
昭和38年 5月 |
二代目山崎正信氏が逝去され、臨時総会にて、三代目町会長辻井小七氏が選出される。 |
昭和40年 9月 |
新住居表示の実施により町会名も平塚一丁目南部町会となる。 |
昭和45年 4月 |
四代目町会長に中田重次郎氏が選出される。 |
昭和51年 5月 |
五代目町会長に篠原六一郎氏が選出される。 |
昭和57年 3月 |
神輿購入募金開始。 |
同年 7月 |
神輿一基を購入する。
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同年 8月 |
神輿披露宴が挙行される。 |
平成 4年 7月 |
五代目町会長篠原六一郎氏が逝去され、六代目町会長柴野元一氏が選出される。 |
平成 8年 3月 |
平塚一丁目南部町会を法人登録する。 |
平成 9年11月 |
六代目町会長柴野元一氏退任、七代目町会長石井正氏選出される。 |
平成10年 9月 |
町会会館老朽化のため、鉄筋にて新築(建替え)。落成披露式挙行される。 |
平成17年 5月 |
七代目町会長石井正氏退任、八代目町会長小林一郎氏が選出される。 |
平成18年 9月 |
自然災害が相次ぐ中、災害時に備え、手狭になった地下倉庫とは別に、竹の子公園に防災倉庫を設置 |