ハンナ講座 やさしい社会問題 

第15回(2020年12月12日)まとめ

 

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

 

第13回〜14回の講座に引き続き、今回も、新聞記事や雑誌などの資料を持ち寄り、今の社会や人間のあり方について、学習・意見交換を行いました。

●Uさん

今回のコロナの問題について、雑誌の記事をもとに話をされた。

感染症はこれまでもあったのに、なぜ、今これほどアタフタとしているのかと思い、「感染症の日本史(磯田道史著)」や「感染症の世界史(石弘之著)」などの本を読み始めている。その中で、「私たちは、感染症から生きのびた人間の末裔であり、幸運な人間だ」「感染症で亡くなっている人は戦争による死者より多い」という言葉が心に残った。本については全部読んだらまた紹介したいが、今日は「Bunshun Woman」という雑誌に載っていた二つの記事を紹介したい。

一つ目は米UCLA教授のジャレド・ダイアモンド氏の取材記事。

氏によると、16世紀の南米インカ帝国の滅亡はスペイン人が持ち込んだ病原菌(天然痘)が原因だという。今回のコロナ禍で、日本やアメリカでは定額給付金が給付されたが微々たるものだ。オーストラリアでは、日米両国の4倍近い額が支給されていて、そうした手厚い資金援助が感染拡大の抑止に成功している要因の一つだ。日本のマスク配布やわずかな給付金はないよりマシという程度の対策で、全く不十分だ。

氏は、最新の著書で、ドイツや日本など7つの国が軍事クーデターや大量虐殺、西洋列強による侵攻などの歴史上の国家的危機を克服した12の要因をあげているが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大という国家的危機において、日本は12の要因のいくつもが機能していないという。たとえば、安倍政権では「自国が危機にあると認識する」や「公正な自国評価」などができておらず、そのため「行動を起こすことへの国家としての責任の受容」ができていない。また「他国を問題解決の手本とする」こともおこなっていない。日本は明治初期、西洋を手本にして政治社会制度の改革をおこなって近代化に成功したという経験があるのに、新型コロナの対応で同様のことをしなかったのはとても不思議だ。今回、日本が手本とすべき国はベトナムとフィンランドだと思う。

ベトナムは、2002年、中国で発生したSARSの影響で多くの国民が死亡した経験から、パンデミックに対する準備態勢ができていたので、今回の危機でも、感染者とその接触者の早期収容などの対策によって死者をゼロに抑えている。また、フィンランドも、第二次世界大戦の経験から、災害対策やパンデミックへの準備が万全で、マスクや食料、医薬品を備蓄しており、早期の感染対策ができている。反対にインドネシアやイギリスなどは感染対策に失敗している。日本の安倍政権の対応はインドネシアよりましだが、ベトナムやフィンランドに比べたら悪い。もっと悪いのはトランプ大統領で、国民をミスリードして数々の混乱を招いた。しかし、トランプ氏の支持率は極端には落ちていない。その理由は、危機が発生した場合、リーダーが効果的な対策をおこなっていなくても、国民はリーダーを応援する傾向があるからだ。中国は独裁政権ならではの特徴がみられ、最初は危機の隠蔽を命令して感染拡大の要因をつくったが、途中で武漢にロックダウンを命じ、徹底的な感染の封じ込めに成功した。独裁政権下では、良きことも悪しきことも迅速にことが運ぶ。

新型コロナの起源は野生動物市場だ。市場で取引されているハクビシンなどの食用の野生動物が持つコウモリ由来のウイルスが人に感染したと思われるので、野生動物市場は閉鎖すべきだ。

氏はWHOがトランプ大統領に批判されているのはおかしく、WHOは真剣に今回の危機に向き合い対処しているという。トランプ大統領はWHOからの脱退を表明しているが、脱退と聞いて思い出すのは第二次世界大戦前の日本の国際連盟からの脱退で、日本は国際協調路線から自国を優先させるナショナリズムへと舵を切った。現在のアメリカや多くの国が自国を優先させる状況はナショナリズムへの回帰を思わせるが、世界はグローバル化へと向かってほしい。新型コロナは一国だけで解決することは困難な世界レベルで対応する問題だからだ。

ダイアモンド氏が住むロサンゼルスでは、ビーチや公園にマスクなしの人々が大勢いて、レストランやジムなども行政命令に違反して再開しているところも多い。国により程度の差はあれ、人には個人主義的側面と社会的側面の両面がある。アメリカとオーストラリアは世界で最も個人主義を重視する国で、政府から「こうせよ、ああせよ」と命じられるのを嫌がる傾向がある。しかし、政府に従わない個人がいる状況はパンデミック終息を遅らせてしまう。

一方、日本人やドイツ人は社会的側面を重視し、命令を順守する傾向が強い。ドイツは欧州諸国の中で圧倒的に死亡者数が少なく、日本の死亡者数も(政府の対策や首相のリーダーシップが不十分なのに)少ない。それは、義務化されなくても皆がマスクを着用し手洗いも徹底するなど、日本人の社会的側面を重視する傾向が感染拡大の抑制に貢献したと思われる。

氏は、現在、人との接触を極力避けるライフスタイルを取り続けており、ワクチンができるか集団免疫が達成されるまで続けるという。

●Sさん

日本政府は、今の感染状況を第三波と言っていない。コロナの感染状況を過少評価したいのではないかと思う。学者がさまざまな警告や提言をしているのに、政府は知らないふりをしていて、感染防止より経済優先の姿勢に疑問を感じる。

 

●Uさん

Bunshun Woman」の二つ目の記事は、なぜ台湾がコロナ封じ込めに成功したのかという記事。台湾は中国との関係で語られることが多いが、「デジタル先進国」「オープンデータ推進」「ダイバーシティ社会」という側面がある。その中で、現・蔡英文政権のデジタル担当大臣オードリー・タンがコロナの感染防止に大きな役割を果たしたと言われる。彼女は、2014年、政府の不透明な姿勢を追求する「ひまわり学生運動」で、当時所属していたシビックハッカー(社会問題の解決に取り組む民間のエンジニア)「g0v」で、デモ現場のライブ中継をおこない、現場と現場にいない民衆を繋ぐ役割を果たして注目を集めた。そして当時の政府の女性閣僚が進めていた「vTaiwan(オンラインで法案改正のための討論を行うプラットホーム)」の外部コンサルタントとしてその実用化を進めた。「vTaiwan」は現在の台湾のオープンガバメント推進を象徴する存在となっている。

台湾には、第二次大戦後の約30年あまり、国民党による独裁と戒厳令によって多くの民衆が暴力的に抑圧されてきた歴史(白色テロ)があり、人々には、そうした時代には絶対に戻りたくないという強い思いがある。だから、政府が少しでも不穏な動きをすると民衆はすぐ反応する。台湾政府のオープンデータが目まぐるしい進歩をしている背景にはそうした過去がある。新型コロナ抑え込みにおいてオープンデータ推進は大いに役立ち、いち早い情報から1月には中国からの入国禁止や政府によるマスク管理、マスクマップの開発と活用がおこなわれた。マスクマップはシビックハッカーらによってアプリなどに応用され、利用者は1000万人をこえた。マスクマップが一般民衆に広く流布されたのは、販売拠点と連携してマスクの在庫を管理している政府機関があらゆる情報をオープンにしていたからだ。また、コロナ対策の指揮官・陳時中衛生福利大臣は、1月から6月まで140日間無休で累計164回の記者会見を行い、時間制限で質問に答え続ける姿勢は国民から絶大な信頼を得た。オードリーは、入閣の際、「公僕の中の公僕になる」と発言し、強力な統率力を発揮するリーダーではなく、様々な立場の人々のパイプとなる役割を果たすスタンスを取り続けている。それが見て取れる仕事の一つに「総統杯ハッカソン」というのがあり、台湾各地が抱える課題をSDGsに沿ってオープンデータを活用しながら解決する案が募集され、入賞したプランは総統の名の下で実行に移されるというものだ。企業の問題点や課題をオープンデータで明らかにし、それをもとに話し合って解決していくというアプローチは、従来の告発型とは異なる解決法として注目される。

また、台湾はダイバーシティという点でも世界の先端を走っており、同性婚がアジアで初めて合法化されたり、男女平等政策ガイドラインが制定されて、各省庁や地方政府に、政策等に関わる参加メンバーの男女比率等を示す資料を提出することを義務づけている。

オードリーは、台湾の現在の多様性のある社会や民主主義は、「白色テロ」や「ひまわり学生運動」など、数々の歴史を経て勝ち取ったものだと言う。今年初めの総統選挙の際には、蔡英文を続投させるべく、海外から投票のためだけに帰国する台湾人が後を絶たなかった。どこからかスーパーヒーローが現れるのを待つのではなく、自分たちが当事者として行動する。台湾の民主主義はどんどん前に進んでいる。

●Sさん

日本政府のコロナ感染への対応はとても不十分だと思うのに、前安倍政権や現菅政権の支持率は思ったほど落ちない。落ちても40%台にとどまっており、過去の自民党政権の中でもっと低い支持率の政権もあることを想えば意外だ。自民党への支持層は20代が多いようで、こういう状況だからリーダーを応援しなければという意識が強いのかなと思う。日本は統治者にがんばれという意識の人が多いのではないかと感じる。自分は批判票を投じていくが、世界的にパンデミックで不安な状況だから、政権によりどころを求める人も多いのではないかと思う。

今の政権は、本当に困っている人に目を向けず、必要な情報や支援が行き届いていないと思う。最近の菅首相のネットやマスコミでのインタビューの様子など見ると、危機感がまったく感じられない。

●Fさん

先日読んだ毎日新聞に「GoToトラベルは、東京オリンピックに向けての社会実験なのではないか?」という記事があった。感染状況がおさまらない中で、GoToを強く勧めるのは、こういう状況でも東京オリンピックは開催できるという、世界に向けてのPRなのではないかということだが、そうだとすると、GoToで旅行に行っている人は、本当の目的を知らされず恐ろしい。

●Nさん

日本やアジアの感染が少ないということについて。アジア人はお酒に弱いということが言われており、それは、アセトアルデヒドを分解する力が弱く、アセトアルデヒドが体内にたまって、それが免疫効果を高めていると聞いた。アセトアルデヒドをたくさん持っている人が感染症から生き残り、それがアジアに多かったのかなと思うが、、、よくはわからない。

●Sさん

新聞記事を二つ紹介。

一つ目は、京大大学院教授の佐野真由子氏の「生きた言葉を」という記事。ロックダウン下にあった大英図書館をはじめ、ヨーロッパ各所の公共図書館・美術館・劇場等から氏が受け取った利用者へのメッセージは、今の状況を真摯に伝え、利用者への配慮に満ちて心に響くものが多かった。一方、日本の図書館などのメッセージは、閉鎖や入場制限を伝える判で押したような文言だけで、胸にささる文言がない。

文化政策に関して日本はヨーロッパに学ぶべきというのが長く定石となってきたが、氏はそのことが日本の実情に根差した政策の発展を妨げてきたと考え、これまでの日欧比較は卒業すべきと主張してきた。しかし、今回のヨーロッパの図書館等からのメッセージは、「現場から個々の人間が生きた言葉を発することができているかどうか」を問うものであり、日欧の差は大きい。

現場を預かる人々の矜持や溢れる思いは同じはずなのに、日本では、人間の声にはすぐに組織のフィルターがかかり、発信されるときには無味無色になってしまう。それを変える一歩は組織から人への信頼、信頼してみる勇気だろうかと氏は問う。

二つ目は、米国在住の日本画家・千住博氏の「芸術が語る米国の現実」という記事。氏は子どもたちを米国で育てた経験から「子どもたちは多民族国家ゆえの多彩な仲間と同じ教室で学び、多用な価値観の存在を認識はするが、大半は隣人の持つ異文化に興味を示すことなく大人になる。そもそもアメリカでは、取り巻く環境が分断されているから出自の異なる人々を深く理解する必要性は簡単には生まれない」と言う。オバマ前大統領が当選した時、PTAの保護者たちが当選を伝える各国の新聞を学校の壁に貼ったところ、一部の保護者からクレームが入り、新聞は取り外された。分断は黒人が大統領に就任しても変わらないと氏は感じた。そしてトランプ大統領の登場によって、移民や外国人、黒人への差別は増大し、二極化した人々の分断と対立は深まった。アメリカは変わらないどころか矛盾は悪化しつつ顕在化している。そうしたアメリカ社会の中で、唯一変わり続けるものが芸術だと氏は言う。ここ数年の浮かびあがる人間性不信とシンクロするように、すばらしい黒人や女性の芸術が台頭し、人々の注目が集まっている。芸術は見えない理想に形を与えるものだと氏は言う。現代のアメリカ芸術は、何が今のアメリカに足りないのか、何を直視しなくてはいけないのか、何が封印されたかを雄弁に語っている。バイデン大統領の時代になって、アメリカの芸術が映し出す希望や絶望は果たしてどのようになっていくのか注視したいと氏は言う。

●Mさん

二つの新聞記事を紹介。

一つ目は、「石牟礼道子 いま道しるべに」という記事。コロナ禍のいま、生の尊厳を求める水俣病患者たちの姿を描いた小説「苦海浄土」で知られる作家石牟礼道子に触発された表現が続けて世に出ている。石牟礼の思想を道しるべに、分断や生産性といった言葉で語られる現代社会を問い直そうとする試みだ。

「左手のピアニスト」として知られる舘野泉さんは、熊本市の作曲家光永浩一郎さんが書いたピアノソナタ「苦海浄土によせる」を演奏した。光永さんは、水俣病患者・杉本栄子さんが病と差別に苦しみぬいた末に、その経験を天からの授かりものととらえた「のさり」という言葉に触発されて曲を書いた。

苦しみの中、「のさり」だと思えば、決して通じ合えないと思われた相手にも手を差し伸べられる。光永さんは「分断という言葉がついてまわる世の中ですが、わかり合えるという希望は持ち続けたい」と語る。京都で開催されたシンポジウムでは、上智大の鎌田東二さんんが「どれだけ科学が発達しても人間は形を超えた何かに生かされているという感覚を持つ」と指摘し、石牟礼が描いた自然への畏怖、異形の念を思い起こすことの大切さを訴えた。

法政大学総長の田中優子さんは、石牟礼の残した言葉を考える試みが続く状況について「コロナ禍で世の中の仕組みがひっくり返った。近代以降の人間社会を根底から問い直した石牟礼さんの思想にこれからの時代の手がかりを求めているのでは」と言い、石牟礼が語った「共同体というのは、万物が呼吸し合っている世界だ」というのは、人間はあくまで生類の一員であり、つながり合う命そのものに価値があると考えた石牟礼の思想が現れた言葉だと言う。田中氏は、最近の著書で、近代以降の利益や経済成長といった生産性のものさしで人の価値を図る考えが、人間に本来備わっていた共感力を削り落としたのではと言い、石牟礼が人の苦しみに共感し、我が苦しみのようにもだえた「もだえ神の精神」を論じた。コロナ禍は立場の異なる相手への共感力が試される機会であり、「人の苦しみにもだえた石牟礼さんと同じ場所に立って社会のあり方を見つめ直す時だ」と田中氏は言う。

二つ目は、「IMAGINE ジョンがいる2020を」という記事。ジョン・レノンが銃で殺害されてから今年で40年。ファンは「2020年こそ、ジョン・レノンが必要だった」と言う。71年に発表された「イマジン」は、国籍や宗教、所有欲といった壁を越え、平和や人類愛を希求する歌だ。(皆でIMAGINEの歌詞を見ながら、ジョンの歌声をスマホで聴いた)

半世紀たった今も世界中で歌われ、今年の米国では特にそうした場面が目立った。レノンが伝えたかった「想像してほしい、なぜ世界を変えようとしないのか、十分な人がそれに賛同すれば世界は変えられる」というメッセージは、時を超えて今も人々の胸に響く。米国では国民の分断と相互不信が続き、共生の理念やジョンの命を奪った銃の規制もなかなか進まない現状があるが、ジョンのメッセージは、世界が分断の危機に直面している今、一人ひとりに響くだろうか?

 

今回、資料の紹介が主でしたが、一つ一つが深く考えさせられる内容ばかりで、今の社会、これからの社会についての学習を深められたと思います。

次回以降も、今の社会の課題や問題点、これからの社会のあり方などについて、参加者各自の主体性を重視しながら、皆で考える講座にしていけたらと思っています。