ハンナ講座 やさしい社会問題 

第13回(2020年10月10日)、第14回(2020年11月14日)まとめ

 

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

 前回まで、3回にわたって、格差の問題について学習と意見交換をしてきたが、それは、つきつめると、今の社会のあり方(労働、福祉、資本主義、民主主義など)や人間のあり方(哲学、宗教、倫理など)にいきつくと思うので、次回は、大きなテーマだが、社会や人間のあり方などについて学習・意見交換していければという、コーディネーターのMさんの提言をもとに、各自、新聞記事や書籍などの資料を持ち寄り、2回にわたって、学習・意見交換を行いました。


第13回講座(10月10日) 

●Mさん

前回、Fさんから紹介があったべーシックインカム論の山森亮さんが、ムーレックさん関連の「オンライン哲学カフェ」でお話をされるということで、Fさんと共に参加をした。とてもわかりやすく興味深いお話で、ベーシックインカムについての理解が少し深まった感じがする。現在の労働のあり方や人としての生き方、社会のあり方、現行の福祉制度などについて、ベーシックインカムは抜本的な見直しを提起するものだと思ったのと、山森さんの、女性・労働者・障がい者など、社会的に厳しい状況に置かれた人たちへの思いには深く共感するものがあった。

(ヘブライ大学歴史学教授ユヴァル・ノア・ハラリさんの新聞記事を紹介して)コロナ禍の中で、政治や社会のあり方が問われているが、ハラリさんの「最大の敵はウイルスではなく、人間の心の中にある悪魔だ。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると人びとは互いを憎み合い、外国人や少数者を非難し始める。憎しみより連帯や共助・信頼を高めていくことでこの危機を乗り越えていかなければならない」という言葉が強く印象に残った。

●Uさん

ドイツの新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルさんの本の内容を紹介。ガブリエルさんはポストモダニズムによる相対主義(絶対的な真実など存在しない)を批判して、「物事はそれぞれの意味の場において思った通りに存在している」という「新実在論」を唱えています。そして、新実在論の考えに基づいて、真の民主主義の確立が大切だと言います。民主主義とは私たちが物事を正しく行う可能性を高めるための一つの思想であり、真理の体制なのだとガブリエルさんは言います。

「現在のような民主主義の危機の時代にあって、何が事実か、何が明らかな事実かを知りさえもしなければ、民主主義の出番など絶対にない。民主主義とは、明白な事実の政治であり、それが守るべき価値だ。お互いが明白な事実(知識)を出し合い、議論し、事実を「共有」し、そのコンセンサスに基づいて政治が行われる。そこでは、少数者の意見も平等に尊重され、多数者の意見だけで政治が行われることはない。民主主義とは十分な議論によって、事実(知識)を共有していくことだが、日本には、そうしたスタンダードな民主主義が根付いていない。多数決というのは日本独特なもので、不思議なものだ。民主主義とは、議論・対話によって真実を追及するもので、数で決めるものではない。日本人は集団の中で「空気を読む」という慣習があり、多数派に同調する傾向がある。協調性という面では社会の安定をもたらすが、多数派が唯一の真実だという大きな誤りをもたらす危険も大きい」

 

●Mさん

Uさんの話を受けて、ガブリエルさんの「新実在論」について少し補足。新実在論は、簡単に言えば「世界という全体的なものは存在しないが、個々の意味の場における個々の事柄は実際に存在している」というものである。新実在論では、相対主義の「絶対的な事実などない。道徳や倫理も相対的なもの」という考えを批判し、道徳という一つの意味の場においては、「子どもを拷問するべきではない」といったような絶対的な道徳的事実があるということを認める。道徳的事実に選択肢などないのである。それは、すべての人間にとって譲ることのできない普遍的事実である。同じように、深い議論の末に合意された「共有された事実」も普遍的価値を持つ。それが、民主主義政治の根幹であり、新実在論は、民主主義という意味の場において、人類共通の普遍的事実を大切にする。現在のような、フェイクや偏見・誹謗・対立が満ちている時代にあって、ガブリエルさんの考えは、希望をもたらす考えかもしれない。

●Nさん

寺島実郎さんの新聞記事を紹介。以下、要約。

「アメリカではコロナ禍で多くの死者が出ているが、あまり対策をしてない日本は少ない。要因は国民皆保険の有無や格差・人種差別の有無などが言われているが、日本でも、格差は拡大し、社会的に厳しい状況にある人がより厳しい状況に追い込まれるという「不条理」が生じつつある。世界的には、新型コロナ危機を通じ、「米中二極」jという構造が崩壊しつつある。アメリカや中国のリーダーシップの正当性が失われ、「大国の横暴」という「不条理」の時代は終わりつつある。世界は「全員参加型秩序」へ進んでいる。今、必要なのは筋道だった議論と正当性だ。歴史は曲折を経ながら着実に「条理」の側に向かっている。日本も、対米過剰依存から脱却しなければ未来は開けない」

●SEさん

「人口減少社会のデザイン(広井良典著)」の紹介。以下要約。

2060年の日本は持続可能な世界か?をテーマに、AIによる未来シミュレーションをもとに、危機の現状をふまえて政策を提言している。「都市集中型」か「地方分散型」かが最大の分岐点になるということを基本に、少子高齢化をめぐる問題や旧来型のコミュニティの危機と新たなコミュニティの創設、鎮守の森と自然エネルギーコミュニティ構想、持続可能な医療や福祉社会、死生観の再構築など、これからの日本の社会のあり方について、多くの示唆的な予想と提言を行っている。

 

■第14回講座(11月14日)

 

●SHさん

藤原辰史「パンデミックを生きる指針〜歴史研究のアプローチ(岩波新書HP・B面の岩波新書)を読む。以下、要約。

人間は楽観主義によりすがり、現実から逃避しがちである。今回のコロナ禍でも根拠のない希望を抱いてしまう。歴史をみても、為政者の楽観論を人びとが信じ、悲惨な結果を招いた事例が多い。ペストの猛威や世界大戦、スペイン風邪、原発事故など、世界史は生命の危機であふれているが、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。

人間と自然の関連を歴史的に考えるという観点から、現在のパンデミックの状況を生きる指針を探る手掛かりを得られたらと思う。

まず、現実を観察する。希望を託せる対象はあるのか?

第一に国家だが、国のリーダー(政府)が情報を隠蔽したり、異論を封じたり、重要データを改ざんしたり、部下に責任を転嫁したり、国家予算の無駄な浪費をしたりしている状況で、この国家が危機を乗り越える施策を打ち出せると希望を抱くことができるだろうか。

次に家庭だが、コロナ禍によって雇用不安や育児困難な状況が拡大し、子どもは、不安定な食生活や虐待にさらされ、女性への家庭内暴力も増加し、家庭が希望を託せる場とは到底言い難い現状がある。地域の諸団体も機能不全に陥っている場合が多く、救いとはなりがたい。

歴史的にみて、今回のパンデミックの参考になるのは第一次世界大戦時に発生したスペイン風邪である。世界中で、第一世界大戦の死者をはるかに上回る4000万人とも1億人ともいわれる死者が出たにもかかわらず、教科書に載ったり、一般に周知されていないが、現状のパンデミックとよく似ている。どちらもウイルスが原因で、どちらも国を選ばず、どちらも地球規模で、どちらも巨大な船で人が集団感染して亡くなり、どちらも初動に失敗し、どちらもデマが飛び、とちらも著名人が多数亡くなっている。

スペイン風邪の場合は、戦争中で兵士の移動や衛生状態の悪さなども拡大の要因と言われているが、今は、当時と比べようもないほど人の移動が世界規模で行われており、パンデミックの大きな要因の一つとなっている。

スペイン風邪の教訓としては、「流行は1回で終わらず、長引く可能性が高い」「体調が悪い時に無理をしてしまい症状が悪化する(兵士の無理な行軍や過労など)」「医療従事者に対するケアの弱さ」「各政府が機密保持のため世界への情報提供を制限」「政府も民衆も感情によって理性が曇らされること」「清掃崩壊が起こり衛生状態が悪化」「為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る」などがある。

今回のパンデミックは、人々の認識を大きく変えるだろう。人々の、不測の事態に対するリスクへの恐怖が高まり、ビッグデータの保持と処理を背景とした個別生体管理型の権威国家や自国中心主義的なナルシズム国家が増え、世界の秩序と民主主義国家は衰退していくかもしれない。

過去の歴史から学び、パンデミックを乗り越える指針は次のようなものが考えられる。

①うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を、誰もが誰からも奪ってはならないこと。

②組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり異議申し立てすることをいっさい自粛しないこと。

③災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家が精魂を費やすことは税金のみならず、時間の大きな損失となること。

④現在の経済のグローバル化の陰で戦争のような生活を送ってきた人たちにとって、新型コロナウイルスの飛沫感染の危機がどのような意味を持つのかを考えること。危機は、生活がいつも危機にある人々にとっては日常であるという当たり前の事実を私達は忘れがちだ。新型コロナウイルスが社会的に弱い立場に追いやられている人たちにこそ甚大な影響を及ぼすという予測は、現代史を振り返っても十分にありうる。

⑤危機の時代に、立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。

武漢で封鎖の日々を綴って公開した作家、方方は「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、弱者に対する態度である」と喝破した。

危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウイルスに匹敵する脅威にさらされてきた人々のためにどれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか、皆が石を投げる人間に、考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさをどこまで抑えることができるのか。「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れおちていくだろう。

 

●Uさん

コロナ禍については、社会的・経済的に厳しい状況にある人に、より多くの負担がいっているのだということは感じる。自分がどう行動したらいいのか、何をしたらいいのか、考えているが難しい。今は、自分が感染しないよう心掛けることが精一杯だが、自分の知らないところで苦しんでいる人がいるということはわかるし、自分が知らないところで何が起こっているのかを知りたいと思う。

●Fさん

(このコロナ禍の中で)見えないことが多いと感じる。感染の不安ということがあるので、家庭や職場でも、人間関係がギクシャクしていっているかもしれない。でも、今の困難な状況を解決していくのは自分たちで、国家の権力で解決していくというのは賛成できない。

在留外国人の人は(コロナの)情報が入らなくて、日本人より困難な状況にあるようだ。

 

●SEさん

この(感染の)状況の中で、自分たちのことしか考えないで、外国人に対して排外的になる人が多いように思う。

 

●Mさん

民主主義に関して、コロナ禍の中での米大統領選挙についてのフランシス・フクヤマさんの新聞記事を紹介。トランプ政治も反黒人差別デモも帰属意識の受け皿となっており、帰属集団の違いによって分断が進むアメリカ社会だが、民主主義のレジリエント(強靭さ)に期待し、過ちを自己修正していってほしいとフクヤマ氏は言う。

あと、資本主義の不平等を「土地の利用権入札制度」や「脱一人一票制」などで是正していくべきだという、「朝日地球会議」での、米政治経済学者のグレン・ワイルさんの発言の記事を紹介。

 

●SHさん

コロナ禍の中での政府の財政支出の増大と将来の財政破綻についての識者の意見が載った新聞記事を紹介。また、政府の経済政策ブレーンの一人で新自由主義者の竹中平蔵氏のベーシックインカム導入の考えについての記事も紹介。ベーシックインカムも、この人が言うと、経済成長策の財源確保のために現在の生活保護や社会保障の縮小が狙いなのではないかなどと、疑念を持ってしまう。

 

●SEさん

前回紹介してくれた「人口減少社会のデザイン」について、補足説明。これからの地域コミュニティのあり方などを中心に説明。これまでの農村型地域コミュニティの力が弱くなり、個人が孤立していってるが、都市型のコミュニティも育っておらず、社会的に厳しい状況に置かれた人がより厳しい状況になっている。公的な支援が必要だが、十分な支援がなく、経済的・社会的格差が拡大している。新たな地域コミュニティをどのように作っていくか、考えていかなければならない。

最近、女性の自殺者が増えていることなど、孤立して、助けがなく、厳しい状況に置かれている女性が多いのではと感じる。

 

●Fさん

最近、「ヤングケアラー(家族の世話をする18才未満の子ども)」が増えているということを聞いた。社会的・経済的に厳しい家庭内で、子どもたちの負担が増えている。公的な支援や地域の支援が必要だと思うが、本人はなかなか自分から周囲の人に言い出せず周囲も気づきにくいかもしれない。

 

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2回の講座で、哲学、民主主義、国際社会、人口減少社会、コロナ禍での政治・社会のあり方など、幅広いテーマで、学習と意見交換をすることができ、大変刺激的で有意義な講座となりました。次回以降は、さらに有意義な講座とするべく、参加メンバーで知恵を出し合っていきたいと考えています。