ハンナ講座 やさしい社会問題 

第57回講座(2025年4月12日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

今回は、『いちむらみちこさんの著書「ホームレスでいること」(創元社・2024)を通して社会をみつめる〜本を読んだ人もまだ読んでない人もともに〜』というテーマで、特別講座を開催しました。

 

●Fさん

ハンナと交流のある京都のムーレックさんの知り合いのHさんの、「それぞれ異なる様々な状況に置かれている一人ひとりの人間の生の尊さをこの本を読んで改めて強く感じた」という感想を紹介。

●Hさん

2020年に東京でホームレス女性が殺害された事件について、いちむらみさこさんが「ふぇみん婦人民主新聞」に寄稿した記事を紹介。いちむらさんは、異質なもの、弱い者を排除し差別する社会のあり様とそれを助長している行政の姿勢を批判し、命が選別される社会に警鐘を鳴らす。

●Oさん

いちむらさんの本を読み、自分のそれまでの様々な経験と重ね合わせた丁寧な感想文を持参された。Oさんは、「釜ヶ崎のふるさとの家」「部落の識字学級」「夜間中学」などでの、差別や貧困の中で文字を奪われた人たちとの出会いや浪速少年院でのホームレスの教材化、横浜寿町の大沢敏郎さんの「沈黙の文化」や釜ヶ崎の本田哲郎さんの「アンダースタンド」などとの出会いを、いちむらさんの「対等な人間関係に基づく共に生きる社会」と重ね合わせて、ホームレスの人たちや困難な状況の中で生きてきた人たちへの深い想いと共感を示す。

●Kさん

子ども時代の、西成での自身のホームレスの人たちとの出会いを通じて、誰もが自由で気楽に生活していける場や偏見や差別のない社会の大切さを想ってきたが、今、かつての自由な場が失われ、管理と差別の社会になっていると感じる。以前の西成は、ホームレスの人をはじめ困難な状況を抱えた人を含む様々な人が暮らすカオスのような自由な街だった。なぜホームレスでいたらダメなのか、異質なものを排除し管理する社会は息苦しく、自由な社会ではないと思う。

●Uさん

ホームレスの人にもかけがえのない人生があり、「同じいのち」を生きている。どんな状況で生きる人でも認め合い、一人ひとりを大切にするという考えや教育が大事だと思う。ただ、ホームレスのことを学校現場であつかうのは難しいかなとは思う。

●SIさん

以前、Kさんが紹介してくれた奥田知志さんの本の中で、奥田さんが炊きだしのボランティアをしている時に、炊きだしの食糧をもらいに来た人たちに「はい、並んで」という上から目線の言葉を発したことに自戒の念を持っているという話があった。対等な人間関係を築くことの難しさと大切さを感じる。

●SEさん

本を読んで、自分の生き方について考えさせられることが多かった。ホームレスの人が当たり前に生きられない社会は、誰にとっても息苦しく、出ていきたいような社会だと思う。

●Nさん

以前、天王寺動物園に行った時、ホームレスの人がいて避けるように通った。家の近くにもホームレスの人がいて、食べ物を提供するべきかどうか迷ったが、思い切って声をかけて話すようになり、自然とつながりが持てるようになった。ホームレスの人のことをもっと知るようになっていけたらと思う。

 

●Fさん

Oさんの、差別や貧困の中で文字を奪われた人たちの識字の取り組みを聞いて、石川一雄さんが刑務所で看守の人の助けで字を覚え最初に書いた字が「無実」という字だったということを思い出した。いちむらさんの本の「はじめに」を読んで、国家に属して普通に暮らすということが当たり前なことだろうかと疑問を感じ、以前に読んだ「くらしのアナキズム(松村圭一郎著)」という本を思い出した。誰もが国に所属して税金を納めなければいけないのか、(ホームレスを排除する)公共の場とは何か、土地は誰のものか、など、当たり前だと思っている社会のあり方や国家について、改めて考えさせられた。

●Mさん

いちむらさんの本は、改めて、今の社会がどんな社会かということをつきつけてくる。「共に生きる」「助け合い」などといいながら、異質なものを排除し、違いを認め合わず、差別や偏見が横行している。資本主義の利益追求ばかりが前面に出て、困難な状況にある人をはじめ、一人ひとりが大切にされているとはいいがたい。こういった状況は現在の社会だけでなく、歴史的に過去の社会にもあった。河原者、白拍子、傀儡女など、社会の中で疎外・差別された人たちがいた。過去と現在の状況は違うが、歴史にも学びながら、どんな社会にしていくかを誰もが真摯に考えていく必要があると思う。

 

 

次回は、5月10日(土)の予定です。次回は、いつもの社会問題の交流は少なめで、Oさんが平和や人権に関連した歌を歌う予定です。