ハンナ講座 第9回やさしい社会問題(2020年3月28日) 

「タイ山岳民のなまけもの暮らし」

今回の講座は、京都で町屋スタイルのカフェ&雑貨ショップ「ムーレック」を開店しておられるNさんから、タイ北部に住むカレン族の人たちの暮らしとその生活スタイル、ものの考え方などについて、写真スライドを交えながら、お話ししていただきました。

 Nさんはタイ北部のカレン族の村で7年半ほど暮らし、日本に帰ってから、タイの困難な状況にある子どもたちに関わり支援していきたいという思いもあって、ムーレック(タイ語で「小さな手」という意味)を開店され、カレン族の作った物品の販売やカレン族の村への支援金の寄付などを行っておられます。以下、Nさんのお話の要約です。途中、参加者の質問にも答えながらの、興味深いお話でした。

<森とともに生きるパガヨーの人たち>

 私が訪ねたカレン族の村は、バンコクから600kmほど離れたタイ北部にあります。カレン族は、日本では、首に長い装飾をつけた姿やミャンマー国境地帯での難民問題などが知られているくらいですが、私が訪ねた村の人たちは、自分たちのことをパガヨー(森とともに生きる人)と呼んでいます。それは、森があってこそ自分たちは生活できており、自然環境がないと人間は生きていけないという伝統的な考えに基づいています。

 私が訪ねた村には学校(コミュニティスクール)もありましたが、政府からの補助金が少なく、その運営は寄付に頼っています。私の父が鳥の写真のカレンダーを作って販売して得た収益を村に寄付をしました。今年は2万円を寄付しましたが、これは現地の教師の2か月分の給料にあたります。ハンナさんにも(カレンダー購入に)ご協力いただいてありがとうございます。

 私がお世話になっている村には木が多くありますが、他の近隣の村には木の少ない村も多いです。それは、木を伐採して農地に変え、とうもろこしやコーヒーなどの単一作物を栽培しているからです。単一作物の栽培は、お金は入るけれども、そのお金で(本来なら自給している)米や野菜を他から買わなければならず、また自然環境も壊しているので、そうした生活が良いのかどうか考えさせられます。

 私が訪問したパガヨーの村の人は、人間は、他の生物と同じように森の中に住むひとつの生物にすぎず、森とともに生きるのが当たり前だと考えています。パガヨーの人がすべてそう考えているわけではないですが、多くの人がそう考えているように思います。

 以前、家族とともにタイに行った時に訪ねた村は、電照菊の栽培をしていて、まわりはすべて菊畑でした。菊を売って経済的には豊かになったかもしれませんが、しかし、その村を歩いていると、川には入るなと言われました。菊の栽培で使っている農薬が川に流れ込んでいて危険だというのです。経済的な豊かさと引き換えに自然環境が破壊されているのです。

 パガヨーの人たちは、山の中で自然に開けた土地などを畑にしていて、自然環境を破壊せずに、自然の中で農業をしています。また、焼き畑もしていますが、焼く場所は限定的で、5〜7年で場所を変え、その場所の回復を待ちながら次の場所に移動します。循環型農業というべきもので、自然に負担をかけない農業をしています。

 パガヨーの人たちは、森には精霊が住んでおり、自分たちの先祖も森からやってきたと考えています。死んだら、みんな森に帰ると考えています。だから、森が無くなったら、死後、行くところがなくなります。パガヨーの人にとって、森は、自分たちが生きているよりどころであり、すべてなのです。

<なまけもの暮らしとは?>

 さて、今日のお話のテーマは、「タイ山岳民族のなまけもの暮らし」というのですが、どういう意味なのかお話しします。

 私のお店では、もう8年ぐらい、タイのオーガニックコーヒーを出しています。タイでは、その頃からコーヒーブームが起こって、多くの人がコーヒーをよく飲むようになり、タイのカフェでもいろいろなコーヒーを飲むことができます。それで、パガヨーの村の人もコーヒーを飲むようになり、やがて、自分たちでコーヒーの栽培もするようになります。もともと、カレン族の村ではケシの栽培をしていたんですが、(麻薬の取り締まりなどで)ケシの栽培がすたれて、果物や野菜の栽培がおこなわれるようになりました。その果物や野菜の実ととともにコーヒーの実も入ってきて、自然に自生するようになりました。もとと、タイにはコーヒの木はなかったのですが、若い人たちが、自然に根付いて大きくなったコーヒーの木に着目して栽培するようになったのです。

 村の人に、コーヒー畑に連れていってもらったのですが、一般の畑という感じではなく、森の他の木に交じってコーヒーの木がまばらに生えているんです。

コーヒーの木は、高い木の下で、そんなに日があたらないジメジメしたところが好きだそうです。パガヨーの村では年間150キロぐらいの生産で、規模は小さいです。山を切り崩して畑を作って大量生産するのではなく、森の中で、自然の木と一緒に育てるので、たくさんはできないし、作らないんです。

 そのことを、村の人は「自分たちはなまけものだから、たくさんは作らないんだ」というふうに言います。「なまけもの」というのは、「自然を大切にした農業で大量にものをつくらない」ということを、直接的な言い方ではなく、別の独特な言い方で言ったものなんです。そのほうが、「なまけものだからたくさんものを作らないんだなあ」と、町の人にわかりやすいと思っているようです。

 コーヒーの実を採る時も、全部採らなくて、熟した実だけ採って、あとは残すんです。そうすると他の動物、鳥やネズミも食べられるし、その糞などが森の肥料にもなるというわけです。人間が全部採る必要はない、森の他の生物の分も残すという考えなんですね。

 採ったコーヒーの実は水につけて、実は腐らせてタネをとり、さらに薄皮をとってコーヒー豆にしていきます。実は食べません。肥料や豚の餌などにします。作業はすべて手作業です。

パガヨーの村の農業は、人工の肥料は一切使いません。自然のまま、水も自然のままの水で、結果として、自然環境に配慮した農業になっています。

作ったものは、自家消費だけでなく、余ったら売りますがが、売ること自体が重要ではなく、自分たちの「自然と共に生きている」という考え方や生き方を知ってもらうために売っているのだと村の人は言います。私が、(ある農産物を)売ってほしいと頼むと「もうないよ」と簡単に断られたことがあります。商売っけがないんです。自然(森)と共に生きてて、その副産物が収穫なので、余分にたくさん作るという発想がないんですね。まさに「なまけもの暮らし」というわけです。

<ハチミツを採る村の話>

別の村で、ハチミツを作っている村に行きました。高いゴムの木の上にある天然のハチの巣を、命綱もつけずに、木に打ち込んだ楔を伝って登っていって採るんです。下で煙でいぶしたり、服も3枚くらい重ねて着たりしてますが、ハチに刺されることもあるようです。このハチの巣採りも、来年のためと、それから他の動物とハチのために、全部はとらず一部は残します。

ハチミツができるかどうかはハチまかせなので、採れる年とそうでない年があります。採れない年は、森の精霊が(採り過ぎで)怒っているというふうに考えているようです。

天然のハチミツなので、ハチまかせで、どんな味のハチミツになるかわかりませんが、自然に百花密のようになります。日本の百花密は単花蜜を混ぜ合わせたものですが、ここのは天然の百花密です。

このハチミツは年1回しかとれません。村の人は、ハチミツは身体の作用を助けるものと考えて、薬として使っています。傷に塗ったり、髪を洗うのにも使います。

このハチミツ採りの村でも、森の環境に影響が出るようなこと(多く採りすぎること)はしません。そして、負担にならない程度の労働をするというのがこの村のポリシーです。私たちから見ると、朝の5時頃起きて畑や森に行き、夕方までずっと働いていて、けっこうな働き者だと思いますが、それは、自分たちが必要だからしているのであって、必要としないことはしないという考えがあるようです。

森の中で生活していると、生物みんな、自分のペースで生きているということがわかるようです。自然と共に生活していると、ゆっくりでもいい、自分のペースで生きたらいいということがわかる。パガヨーの村の人たちは、森があるからこそ、そういうことがわかるし、そういう生活ができるというふうに考えていると思います。

<お茶を作る話>

パガヨーの村ではお茶も作っています。ダージリンティーのような感じのお茶の葉です。

お茶畑も森の中にあって、他の木と交じって、お茶の木が生えています。お茶も木陰で育つのがいいようです。村の人は何もせず、雑草を抜くぐらいです。精霊が育ててるんだと言っています。

お茶は生茶葉を炉にかけた鍋でゆでます。村の家は高床式で、2階に炉(囲炉裏)があって、マキで炊きます。炭はありません。お茶づくりは畑作業の合間に行います。必要な分だけ作ってなくなったら終わり。お金のために余分に作ることはしません。

<なまけものの村の標語>

パガヨーの村では、テレビやスマホもあり、インターネットもできますが、それは、自分たちの生活の様子を残すためや生活を発信するための道具だと考えているようです。文明の利器は使うけれど、それに振り回されることはしません。道具はコントロールしながら使えばいいと思っています。そして、必要以上の消費や生産はしないで、自分たちのペースで生活をするという、「なまけもの」の生活を大事にしています。

「なまけもの」の村は、リーダーが意識して若者をリードしています。村の伝統的な生活や考え方を守っていこうという意識が強いです。それを表すものとして、村の中にあるいくつかの看板に書かれた標語を紹介します。

・「残ったものを売ろう」

・「森がなかったら自分たちはどこに住むのですか?」・・森が生活のベースだということを若い人たちに伝えて、少しでもそういう考えになってくれたらと。

・「なまけものはいつでもなれるよ」

・「お金が逃げていくのを心配しなくていい」・・お金をもうけるための時間を他のことに使おう

・「水によって生かされる者、水を守るべし」

・「森によって生かされる者、森を守るべし」

<なまけものの村の伝統と習俗>

パガヨーの村では、自然と関わって生きることを大事にしてきたということを歌った歌がありますが、年長の人しか知りません。村の伝統はなくなりつつあるのですが、でも、残す努力はするべきだとリーダーたちは思っています。コーヒーやハチミツ、お茶などは、森と人をつなぐもので、森と人のつながりを作っていかなければとリーダーたちは考えていると思います。

私は、ノンタオ村(約600人)、ヒンラートノーク村(約150人)、ヒンラートナイ村(約120人)の3つの村に行きました。コーヒー栽培はノンタオ村、コミュニティスクールがあり、そこに私たちが寄付をしたのがヒンラートノーク村、ハチミツ採りはヒンラートナイ村です。ヒンラートナイ村は特に伝統を守る意識が強い村だと感じました。

パガヨーの村は、婚姻形態は基本的に入り婿制で、母系社会です。家は女性が継ぎ、男性は入り婿としてその家に入るのです。どうしてそうなったか理由はわかりませんが、その家の習わしとかは女性にしかわからないということでそうなったのかもしれません。だから、女性がすごく強いです。染物や織物も女性が手作業でやっています。

パガヨーの村の人たちは、自分たちの村の伝統や考え方に誇りを持っていると思います。愛国心とか民族愛とかそんな大きなものではなく、郷土愛のような、自分たちが住んでいる村とその伝統への愛着というものがあると思います。そして、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、若者、子どもたちなど、みんなが森と共に一緒に生活しているという一体感のようなものがあると感じました。

そして、最も感じたことは、「金もうけに走らず、現金収入は必要最小限にして、必要以上にものを売らず、お金ではなく、それ以外のことを大事にする生き方」が村の中に根付いていることです。「お金に困らされたり、振り回されたりしない」「森・自然とともにゆったり生きる」そういう、なまけものの生き方がいいなあと思って、今のムーレックのお店もゆったりとやっています。

 

このあと、タイの香り高い美味しいオーガニックコーヒーとタマリンドをいただきながら、質問も交えて、Nさん家族(お父さん、お姉さん)と参加メンバーで交流しながら、ほっとしたひと時を持ちました。今回の講座は、パガヨーの村の人たちの生き方に触れるなかで、日本社会と資本主義のあり様をも考えさせられるとても深い内容だったと思います。