ハンナ講座 やさしい社会問題 

第45回講座(2024年3月23日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

寒の戻りと菜種梅雨で、雨模様の寒い日が続く中、いつも通り講座を開催しました。今回、Tさんが初めて参加されました。

 

●Uさん

京アニ放火殺人事件の公判をめぐって、4人の方の意見が載せられた新聞記事を紹介。

・作家の中村文則さんは、公判で語られたような苛酷な家庭環境でなかったら、青葉被告は罪を犯していなかったのではないかと言う。その上で、苛酷な環境の中でも、人は誰しも救われる契機があるはずなのに、青葉被告にはその契機がなく、追い詰められ、最悪な生活を変えたくて出口を求めた結果が凶悪な犯罪につながった。彼に足りなかったのは、外部の「空気」だったのではないかと言う。

・同じく作家の平野啓一郎さんは、このような痛ましい事件が起こったことに、同じ社会に生きる人間として考えないわけにはいかないとした上で、事件が起きてしまったリスク要因を細かく分析する必要があると言う。そして、国家や社会は、憎しみの感情にだけ寄り添うのではなく、残された家族が今後生きていく上で本当に必要なものは何か、この声に耳を傾け、経済的、精神的な支援を充実させるために法整備を進めていくことが大切だと言う。

・京アニ事件の司法判断を受け、二人の識者に、死刑制度について意見を聞いた。

弁護士の杉本吉史さんは、死刑制度は現時点では廃止すべきではないと言う。もし廃止されたら遺族は裁判の場で死刑を望むことさえも許されなくなり、あまりに酷だ。遺族の処罰感情も考慮に入れた上で国民一人ひとりにもっと刑事司法に関心を持ってもらうことから始めるべきだと言う。

一方、僧侶で歌手の鈴木君代さんは、オウム真理教の元死刑囚と交流を続ける中で、死刑は事件の真実をつまびらかにするという使命を奪うだけでなく、死刑執行に際して公にされる情報も少なく、矛盾を抱えている。遺族の感情を考え多くの人が何となく死刑は当たり前という考えになっているのは疑問で、単に死刑に賛成・反対ではなく、終身刑も含め違う償い方もあるのではないかと考えるべきだと言う。

 

●Tさん

高槻市に住む梅田洋一さんと妹さん夫婦が、人形劇団クラルテとともに、サン=テクジュペリの「星の王子さま」を高槻市で上演する演劇を紹介。同時に、高槻の地域で、インクルーシブ教育のもとで、多くの仲間と共に育ち、多くの人とのふれあいの中で、お母さんの和子さんと共に移動本屋として活動してきた洋一さんの人生を取材した雑誌の記事を紹介。

洋一さんと和子さんは、移動本屋という、本屋と読者が顏を合わせる関係を作る中で、地域の中で生きる意味を見い出す。「農業でも商売でも、小さい規模のところは親子で経営して、地域に溶けこんでやっているじゃないですか、それと同じことをしているだけなんですよ」と和子さんは言う。

学校や地域で、個性豊かな洋一さんは友だちといろいろ試行錯誤しながら成長していくが、友だちのだれもが洋一さんが自閉症だと認識してなかったという。友達としての自然な関わりの中で育った洋一さんは、「人とつながり、人を喜ばせたい」という強い思いを持っている。移動本屋の活動で、施設や学校を訪問し、職員や教員と親しく接し、かけがえのないつながりをつくってきた。しかし最近、地域であたりまえに生きようと続けてきた移動本屋の仕事がインターネット通販などの普及で難しくなってきている。学校の職員室に顏を出す洋一さんと自然にコミュニケーションをとれない教員もいる。自閉症の人はコミュニケーションが苦手と言われたりするが、実はコミュニケーションが貧しくなっているのは障がいのない人のほうではないか。洋一さんの「人とつながり、人を喜ばせたい」という思いに私たちの社会はまだまだ応えられていない。

 

●Hさん

安孫子旦監督のドキュメンタリー映画映「決断」を紹介。2011年3月11日、東日本大震災福島原発事故により人生最大の「決断」を迫られたある10家族の証言。震災前、この家族はどこにでもあるような日常を送っていた。「いってらっしゃい」子どもたちが学校まで競争しながら駆けていく。団地の公園では幼い子を砂場で遊ばせる若いお母さんたち。その何気ない平和な時間を3・11が止めた。原発事故により放射能が降り注ぎ、予備知識のまったくなかった人たちにとってただ右往左往するしかなかった。的確な指示がないまま、一人ひとりがかすかな情報を頼りに最後は自分の身は自分で守る「決断」をするしかなかった。それは円満な家庭の崩壊の始まり、人生最大の「決断」を迫られた瞬間であった。

 

●SEさん

斉藤幸平著「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」という本の「今も進行形、水俣病問題。誰もが当事者」という章を紹介。この本は、斉藤さんが、声をあげられない人々の代わりに「共事者」(誰もが当事者であり加害者でもあるという考え方)として、現場で体験し、他者と出会い、さまざまな問題に連帯して社会変革に取り組む作業の一端を書いたもので、私たちもこの本を通して「共事者」として社会を変えていく力になれるかもしれないという、未来に向けた希望の一冊である。

水俣の章は、市職員の吉本さん、想思社の葛西さん、患者運動の元リーダー緒方さん、漁師で語り部の杉本さんなどとの出会いを通じて、「被害者の苦しみ」「差別と偏見」「分断」「制度」などの問題に改めて向き合い、そして、近代のシステムの一員である自分自身の加害性にも気づく。そして、生命の長い歴史の中で「生かされている」ことの意味を考え、「人を変えることはできないから自分が変わる」という意識のもとで、水俣病を人類の加害責任という普遍的問題にまで高めつつ、地元での漁業や無農薬の農業などを通じて、新しい未来を水俣で作ろうと実践する姿には、私たちの誰もが学ぶべき倫理学がある。

 

●Mさん

「在日を生きて75年95歳の詩人 両親眠る済州島 刻んだ永遠の場所」という金時鐘さんの、4・3事件と故郷や両親への思いについて取材した記事を紹介。

 

 

Uさんの紹介記事をもとに、京アニ事件をはじめとする犯罪事件におけるさまざまな被疑者の生い立ちや家庭環境、背景としての非正規労働や貧困の問題、少年院や更生に関わる問題、死刑制度に関わる考えなど、活発な意見が出されました。また、民博での水俣病に関する展示やイベント・講演などの情報と水俣病に関する意見も多く出されました。犯罪と死刑制度の問題、水俣病と公害の問題などは、これまでも取り上げてきましたが、大切なテーマであり、今後とも交流・議論していければと思います。

 

次回は4月13日(土)の予定です。