ハンナ講座 やさしい社会問題 

第43回講座(2024年1月27日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

年明け早々、能登半島地震や羽田航空機衝突事故など大きな災害や事故が起こり、多くの人が犠牲になりました。亡くなった方々や被害を受けた方々に哀悼の念を示しながら、今年最初の講座を開催しました。

 

●Fさん

前回、Mさんから紹介があった「被差別部落に生まれて:黒川みどり著・岩波書店」を読んでの感想。狭山事件のことは知っているつもりでいたが、この本を読んで知らないことも多く、認識を新たにした。特に、石川さんが厳しい生い立ちの中で文字(漢字)を書けないまま冤罪で刑務所に入って、刑務官の助力のもとで文字(漢字)を覚えて、最初に書いたのが「無実」そして「助けてください」という言葉だったということに感銘を受けた。

 

●SIさん

「被差別部落に生まれて」の京都新聞と朝日新聞の書評を紹介。警察やマスコミが差別的な意識を持って犯罪の押し付けをした冤罪事件の経過が、石川さん本人から直に聞き取った肉声をもとに書かれており、狭山第三次再審請求の真っただ中の今、多くの人に読んでほしいと訴えている。

 

●Hさん

「京都芸術センター」で開かれている「当意即妙―芸術文化の対抗戦略」展について紹介。当展覧会では、2021年にミャンマーで起きたクーデターによってさまざまな困難を経験し、その状況を伝えるために、あるいはそこに生きる人々と共に、状況を変えようと努め、表現する5つの文化実践を紹介している。企画者の居原田遙さんは、「ミャンマーのクーデター以降の現状とそこで起きている困難、そして絶えず紡がれている希望に目を向け、訪れる全ての方々が希望の具体化の一端になる場を目指している。ミャンマーだけでなく、世界各地で戦争や災害などの絶望的な状況が広がる中、この展覧会が、困難に負けず、全ての人々が希望を見つける機会となることを願っている」と当展覧会の趣旨と願いを述べている。

 

●SEさん

①時代の嵐「昭和の旧弊一掃のとき」という記事を紹介。

昭和の旧弊の最たるものは、「強い立場の者が自ら改めるべきを改めようとせず、その傍らで弱い立場の者が筋の通らない我慢を強いられるという社会構造」だ。野放しの政党献金、森友事件被害請求の門前払い、沖縄の軍用滑走路強行施工など、昨年も昭和の旧弊が荒れ狂った。これらの旧弊に加え、「東京への一極集中」もそろそろ改めねばならない旧弊だ。地震や災害で東京が被災した場合、救援不能や首都機能のマヒで日本は危機に陥る。高齢者の人口も東京は増加し続け、医療介護の供給不足が続く。抜本対策が中枢機能と人材の地方分散以外にないことは明らかなのに、政治行政も大企業も動かない。地方行政は高齢者の自然減少と若者のUターンをきっかけに、東京一極集中に歯止めをかけ、災害や少子高齢化などの危機にも対応できる社会を目指すべきだ。

②京都アニメーション放火殺人事件の青葉被告に死刑判決が下った。社会的孤立が事件の背景にあるという点では、2008年の秋葉原無差別殺傷事件との類似性がある。事件の根底にある貧困、家庭環境、孤独、差別などの社会的背景に目を向ける必要がある。

 

●Mさん

2016年に起きた相模原障がい者殺傷事件もそうだが、被告の生い立ちなどの特異性や個別性だけを問題にするのではなく、孤立や差別など社会の問題として考え、自分と重ね合わせる視点が必要だと思う。個人だけの責任にして社会的背景の分析と問題の解決がされなければ、根本的な解決にはつながらない。

 

●Uさん

3つの新聞記事を紹介。

 公共性を守るのは有権者」(憲法学者・江藤祥平さん)

自民党派閥の裏金事件を形式犯だと軽く見て、目先の責任追及で満足する向きがある。しかし、それでは有権者の責任を果たしたとはいえない。裏金問題は自民党一党支配の緊張感のない政治風土と無縁ではなく、そうした政治風土を作ってきた有権者の責任を自覚すべきだ。政治資金規正法の目的は政治活動を国民の不断の監視と批判の下におき、金の流れを透明化し、健全な公共社会を作ることだ。今回の裏金問題をはじめ、公文書の改ざんや廃棄が繰り返されてきたのは、日本の公共社会の貧困さを象徴しており、私たち有権者の公共社会のとらえ方が問われている。投票に行き、公共社会を傷つける政治家に退場を求めるという戦略的行動をとることが民主主義を成熟させる手段だ。

 政治資金の使途 制限必要」(早大教授・高安健将さん)

 自民党の政治家は政治資金パーティで資金を集め、その金を選挙で使って当選する。お金で選挙での当落が左右される。しかし、政治資金は本来、国民の声を反映させた政策を立案するために使うお金だ。現職議員が自分の選挙を有利にするために政治資金を使う現状は本来のあり方ではない。選挙の公平性確保のためにも、政治資金の使途を制限し、その透明性を高める必要がある。

 「黙ることは同意すること」(東大名誉教授・上野千鶴子さん)

介護保険の改悪が止まらない。加入中に保険契約の内容が保険者の意向で勝手に変えられて、使えるはずの保険が使えなくなるような改正案が出てきた。抗議集会やネット配信などをして周知・反対を図っている。権利と制度は黙って向こうから歩いてこない。要求しないと得られない。介護保険もがんばって手に入れたもの。監視し闘い続けなければ守ることはできない。無知は罪。黙っていれば同意を与えたことになる。あなたとあなたの親の老後の安心がかかっている。

 

●SIさん

二つの新聞記事を紹介。

 「分断の現代 学びたい多様性・江戸時代を再考する早稲田大教授・大橋幸泰さん」

江戸時代は、年貢や諸役を村単位で請け負う「村請制」の下で、宗教が違っても同じ村民としての意識が強く、協働で活動をしていた。宗教上も多様性のあった江戸時代が終わると、あいまいさや多様性が否定され、国家神道のもとに、一律・統制の社会になっていった。そして、現代社会は、異なる属性や多様性を否定し、分断と対立が深まる混迷の時代に入っている。分断を超えて、共生の社会を創るためには、江戸時代の人が村民という属性で結束していたように、地球人という属性で協力しないといけない。

②善良な人殺し 負の歴史から学ぶものがある・福田村事件を映画化した森達也さん

人間は集団をつくり、同調圧力を強め、異質なものを排除する。集団が不安や恐怖の下にあり、同調圧力を強めると個人はとんでもないことをやってしまう。それが善良な人殺しを生むメカニズムではないか。加害の負の歴史は世界中にある。間違った負の歴史から学び、これからに生かしていくことが大切だが、同じ負の歴史を持つ国でも、ドイツと日本では大きな違いがある。日本は負の歴史を消し去ろうとしている。福田村事件は映画というエンタメで負の歴史を描いた。多くのお客さんに見てもらっているが、この国の現状がおかしいと思う人が多いことの現れであれば希望が持てる。

 

●Mさん

二つの新聞記事を紹介。

①AIと私たち 「脳化社会」への直言  解剖学者・養老孟司さんへのインタビュー記事

AIというのは、質量のある物質的世界に「接地」していない。身体感覚に裏打ちされていない。宙に浮いた、僕がよく言う「脳化社会」の典型的な技術だ。「脳化社会」で見えているのは論理や計算で予測可能な世界のみで、コントロールできないものは排除する。「脳化」を超え、AIが自律的にものを考え判断するには、ヒトの五感に相当する「外受容」と空腹感など「内受容」を伴う必要があるがどちらも持っていない。

身体感覚の伴う人間の「自然知能」と「人口知能」とはハナから別物で比べられない。AIに意識があると主張する開発スタッフもいるようだが、意識とそのもとになると思われている細胞について解明も再現もできていないのに、AIに意識なんてあるわけない。生き物を甘く見るなと言いたい。

一方で、今、ヒトの脳がAIの一種で、すべてが脳の働きであるという考えがあり、人間がAI化し、情報・データがすべてを決めるという考えが各分野で広がっている。身体という「自然」を排除し、情報という意識の産物だけで世界を構成しようとする「脳化」そのものだ。メタバース(ネット上の仮想空間)は脳化の純粋系で、頭の中に世界をつくり、アバター(分身)としてそこに住む。人間の脳がネット上にコピーされ、身体のない脳だけの存在が生まれる。でも、そんなものは生き物でも何でもない。意識は身体を決して統御・把握しきれない。身体という思うにまかせぬ「自然」を意識の力でねじ伏せようとすれば必ず問題が生じる。コロナや災害での心身状況などを想いうかべるまでもなく、身体抜きに人間の存在はありえない。AI騒ぎが改めて浮き彫りにしたのは、ヒトとは何か、生きるとはどういうことかという問題だ。ヒトは「起きて半畳、寝て一畳」だ。

 「国家超えつながる人々の登場は  アントニオ・ネグリさんを悼む」

アントニオ・ネグリはイタリアの思想家で、スピノザを論じた「野生のアノマリー(異例性)」やマイケル・ハートとの共著「帝国」で知られる。グローバル化した政治権力である<帝国>に対し、身分も国籍も関係なくすべての生産活動を支えつつ国家の思惑を超え自由に横断的につながることをやめない人々の群である「マルチチュード」という概念を対峙し、反グローバル運動の象徴的存在となった。<帝国>も<国民国家>も政治的効力を示せなくなった現在、地球規模の「マルチチュード」は登場しつつあるのか?

 

*今回の講座に先だって、「自民党の派閥の裏金問題」「京都アニメーション事件の判決」などがマスコミをにぎわせていたこともあり、上記の新聞記事などの紹介と共に、主に「裏金問題などに象徴される今の政治の在り方」「あるべき公共性」「京アニ事件のような特異な殺人事件についての考え」などについて意見が出されましたが、記録不十分なため割愛します。

 

次回は2月24日(土)の予定です。