ハンナ講座 やさしい社会問題 

第35回(2023年4月22日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

桜があっという間に散り、新緑が芽吹いてきた心地よい季節になり、コロナも少し落ち着いてきた中で、35回目の講座をおこないました。今回、新たにDさんが新規で参加されました。

 

Hさん

朝日新聞「ひと」欄の「新設される大阪コリアタウン歴史資料館の副館長・伊地知紀子さん」の記事を紹介。

伊地知さんは、大学院生のころ済州島で暮らしたことがあり、現在は大阪公立大学で文化人類学を教える。

今回、民間から約3千万円の寄付を集め、開館にこぎつけた。展示は世界のアイドルBTSから植民地支配まで幅広い。重い過去からではなく、今を起点にさかのぼる。過去の歴史を深く知ることができると同時に、誰にも邪魔されずに自分と向き合う場所になればいいと考えている。

資料館近くに設置された詩人・金時鐘さんの「共生の碑」に寄せられた「献詩」も紹介。

 

Uさん

「文芸春秋・日本の論点2023」の「なぜ岸田首相は一転して原発新増設に踏み切ったのか:青木美希」という記事を紹介。

昨年の参院選を契機に政権基盤が安定した岸田首相は、従来の原発再稼働否定から一転して、再稼働と新増設に方針を転換した。なぜ、方針転換したのか。もともと岸田氏には「再生エネルギーの主要電源化を目指すとともに、科学技術の進歩を踏まえて電力の供給バランスを考えていくことが大事だ」という考えがあり、それが、今回の方針転換の背景にあると思われる。岸田首相が推進しようとする「次世代革新炉」とはどういうものか?経産省資源エネルギー庁によると「今ある既存の軽水炉を含めて福島原発以降策定された新規制基準を踏まえてさらなる安全性、新しいシステムを備えた原子炉」というものだ。「事故リスク」「コストが膨大」「核のゴミ」といった問題が未解決のままの「次世代炉」であり、なぜそうした難題を抱えていながら原発回帰なのか疑問がわく。その背景としてあるのが、政・官・業・学・メディアが一体となった「原子力ムラ」だ。

「電力会社と経産省はずぶずぶ」「リスクは政府が税金で負担」「大学は電力会社から研究費をもらい、学生の就職も斡旋」「読売・産経など原発推進メディアは環境省などから広告をもらう」など、原発推進は、原発ムラの利害に直結しているのである。割をくうのは、税金をとられている国民と周辺自治体の人たちだ。政権には、原発被災者の声に謙虚に耳を傾け、「次世代」などという聞こえの良い言葉で事実を隠さず、国民に真摯に説明する姿勢が求められる。

 

Sさん

朝日新聞・オピニオン「分断に向き合う」というテーマでの二つの記事を紹介。敵と味方、人と人の彼我を分けてしまう分断や差別。歴史に学びながらなくそうとしてきた悲しみを、今も人類は繰り返したり続けたりしている。私たちは現実が見えているのか。何に向き合えていないのか。

  不安が人を右傾化させる 敗者取り残さぬ秩序を」政治学者・東京大学教授:板橋拓己さん

現在の世界は、過去の二つの世界大戦の間の「戦間期」に、「秩序構築の失敗」「社会の分断化」という点で似ている。また、冷戦後の秩序構築の失敗の結果として今回のロシア・ウクライナ戦争をとらえることもできる。ドイツも統一されたが、いまだに東西分断の傷痕を感じる。社会の分断という点では、米国が典型だが、リベラルや保守といったセクターごとにメディアも政党も固定され、対話がなくなっている。対話せず意見の違う相手はたたきつぶという姿勢がファシズムにつながった。社会の分断がファシズムに行きついたのは、「不安」が原因だ。失業の不安や生活不安がナチスを支持する基盤となった。不安をかきたてられた人が急進右派に走るのは現代も同じだ。こうした不安の暴走を防ぐには、権力者とメディアの責任が大きい。権力者が自由民主主義のルールを順守し、対立をあおるゲームに乗らないことが重要。メディアも行き過ぎた言論には抑制的になるべきだ。ロシアや中国など自由民主主義が根づいていない国に対処するためにはある程度「力の時代」に回帰せざるを得ない面もあるが、現状の西側中心の国際秩序に批判的な国も多く、真の包摂的な国際秩序を何らかの形で作る必要がある。分断を超え、どの国も取り残さない秩序をつくっていく必要がある。

 「差別を生んだ分類の歴史 沈黙やめ繰り返さない」 文化人類学者・京都大学教授:竹沢康子さん

今世界で起きている差別や分断は、現在だけをみても理解できない。発展途上国の貧困や飢餓、環境破壊などの問題も、植民地主義やグローバル資本主義のもとで歴史的に作られてきたものだ。人種による差別の問題も、そもそも人間を皮膚の色などの外見的な特徴で分類できるという考えは現在否定されており、特性が集団単位で継承されるというのは誤った考え方で社会的に作られたものだ。人種分類は啓蒙主義の時代のヨーロッパで始まり、ユダヤキリスト教の世界観と自民族中心主義的な考え方が反映されており、先住民支配や奴隷制などの正当化に使われた。ものごとを分類する力というのは人間の持っている先天的な能力だが、何をどのように分類・区別するかは後天的で、人間集団を肌の色や文化・慣習などで区別し、それぞれの人間集団に固定的な偏見を抱きがちとなり、特定の人間集団などへの差別が生まれる。偏見に基づいた様々な差別は、現在、取り組みによって解消されつつあると思われているが、しかし、実際には、差別は長い歴史の中で積み重ねられており、多数派や支配的な立場の人たちは自分たちに有利な状態を維持しようとする。差別を受けた少数派集団は、不利な状態が再生産され、根強い差別が残り、時間が経てば自然解消されるわけではない。社会の意思決定の場に少数派も入り、沈黙せずに声をあげていく。誰も差別をせず差別されない世界、全ての人にとって生きやすい社会のために、一つ一つ差別の眼を摘んでいくという、私たち一人一人の決意が必要だ。

 

Mさん

「『知の観客作り』挑戦続け10周年 ゲンロンカフェ創設 東浩紀さんに聞く」という記事を紹介。

多彩な分野の論客が意見を交わすゲンロンカフェが10周年を迎えた。従来の論壇と違い、専門の壁や権威的イメージを払拭した、自由な言論の「場」として注目されてきた。ビルの一室で主催したイベントは約千回、登壇者数は約700人に及ぶ。イベントのテーマは、震災復興、民主主義、情報社会、ウクライナ侵攻など時事的な話題から、日本の批評の歴史を一望する企画、スポーツや将棋から考える思考力、宗教、人類学、歴史、科学、ファッションや食・酒まで幅広い。時間効率主義といわれるタイパに逆行し、時間制限なく話したいだけ話すという設定と観葉植物などを置いたホスピタリティある空間が参加者に好評だ。東さんは、極論をぶつけあう左右の二項対立は不毛としながら、脱権威、言行一致をモットーに、ゲンロンの持続可能性を模索する。「理念やスローガンを掲げるだけではなぜ挫折するのか、言葉が届くために必要なものは何か」という問いに、「市民の前に出て信頼されること、結局その積み重ねしかない」と言う。東さんは、50代に入り抑制的になったと話すが、あくまで戦闘的であり、「知の観客作り」を目指すゲンロンカフェの次の10年への決意は揺るぎない。

 

 

 

 

今回は、「大阪鶴橋のコリアタウンのこと」「在日への差別」「原発回帰の問題」「分断と差別の問題」「現在におけるゲンロンの問題」など、喫緊の問題について、興味深い記事の紹介と新規参加のDさんも交えた活発な意見交流があり、充実した講座でした。

ハンナのこの講座も、東京の東さんのゲンロンカフェには比すべくもありませんが、理念は同じだと思っていますので、今後も、細々ながら、ゲンロン・思索していくことそのものを大事にしていきたいと思います。

 

次の講座は5月13日(土)です。