ハンナ講座 やさしい社会問題 

第31回(2022年11月26日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

コロナ第8波かという報道がなされる中、マスクや換気などの感染防止策を継続しつつ、講座を開催しました。今回も、新聞記事や本の紹介などを中心に交流をしました。

 

●Hさん

ノンフィクション作家・安田浩一さんの「中国人実習生からの言葉」という記事を紹介。中国から来た技能実習生の中国人女性は、劣悪な環境で働かせられ「私たち人間なんでしょうか」と涙を浮かべて言った。安田さんは、外国から来た全国の技能実習生たちを取材するうちに、「劣悪な労働などの人権侵害の制度を成り立たせている要因に日本の外国人差別の構造があるとわかった」と言う。そして、「人間を人間として見ない社会はおかしい。人間としての権利を主張していきましょう」と外国人労働者に返していきたいと思っている。

Hさんは、国際交流会館のある講座に参加した折に、「ウクライナがんばれ」という看板を、講師が「運動会のようで違和感を感じる」と言ったことに共感した。自分がヘイトスピーチ反対のビラを配っていた時は罵声を浴びせられた。そんな日本で「ウクライナがんばれ」は他人ごとのようで、日本人は本当に外国人のことについて真剣に考えているのか疑問に思う。安田さんの記事もそういう思いで紹介した。

 

●Sさん

「旧統一教会問題と宗教(毎日新聞オピニオン記者の目・花澤茂人)」という記事を紹介。

「教団による反社会的な行為を明らかにして被害者を救済し、見過ごされてきた政治家との関係を追及することは重要だ。しかし、高みから「悪い宗教」を懲らしめ、社会から追い出すことを正義とするような風潮には疑問を感じる。宗教は単純に色分けできない。その危うさを見極めて共存していくには、誰もが自分自身の問題として向き合うことが必要だ」と花澤さんは言う。そして、「私を含めて誰もが程度の差はあれ、何らかの宗教の影響を受けている。特定の宗教の反社会的な活動を罰して思考停止するのではなく、一人一人が宗教と丁寧に向き合うことが大切。両親が新宗教に傾倒した人で、祈り弔う文化が生きる支柱になった人もいる。他者の決めつけではなく、日頃の自分の宗教観を確かめることで見えてくるものもある」と言う。

Sさんは、旧統一教会の霊感商法による被害者の問題はゆゆしき問題だと思うが、一方だけを非難するという報道の仕方には疑問を感じる。この前議論した死刑の問題もそうだが、宗教の問題も、一面的な意見だけでなく、みんなで考え、意見を出し合うことが大切だと思う。

 

このあと、宗教について、少し意見交流をしました。

▲旧統一教会の問題は、最近テレビでもよくやってるが、Sさんと同じく報道の仕方に違和感を感じる。事件の背景とかもう少し丁寧に探って報道してほしい。宗教では特に仏教に関心があり、佛教大のシンポジウムに参加したりした。お経にどんなことが書いてあるのか関心を持った。

▲オウムや旧統一教会の事件は、世間の関心を引くので、メディアが(視聴率目当てに)利用している感じがする。オウムの事件はあかんことやと思っていたけど、オウム事件を扱った映画「A」の森達也監督が「オウムの信者は純粋な人が多い」と言っているのを聞いて、一人一人は善良で純粋に(教義や教主を)信じてしまうのかなと思った。社会から疎外された人が宗教に救いを求めるというのは理解はできる。社会ではなく、宗教が居心地の良い場所になっているのかもしれない。

▲宗教は個人的なものだと思う。私は、仏像や神社に心ひかれる。比叡山の阿闍梨の修行の様子にひかれるものもあるし、町の小さいお寺の門に掲げてあるちょっとしたコトバに心ひかれる時もある。でも、自分の生活を壊してまでのめり込むとうのは理解できない。また、政治が宗教を利用したり弾圧したり、

政治と宗教の問題というのは昔からずっとあると思うが、今、みんなで真剣に考えていかなければいけない問題だと思う。

 

●SIさん

①「住み続けられる地区へ 協同労働」という記事を紹介。

雇われるのではなく、地域や社会に必要な仕事を自ら作り自ら働くという「協同労働」と呼ばれる働き方に法人格を与える「労働者協同組合法」が10月に施行された。SDGSが目指す課題解決や働きがいに通じる動きとして注目されている。取材した沖縄・宮古島の狩保地区では、自治会の役員が協力して大量にとれて余った魚の直売や幼稚園の再開、弁当販売、高齢者などの送迎サービスなどをおこなってきたが、労働者協同組合法の施行を機に、ワーカーズコープ(日本労働者協同組合)から講師を招いて学習会を開き、労働者協同組合の設立・登記を目指している。協同労働の特徴は地域で必要な仕事を自分たちで作り、雇われるのではなく一人ひとりが主体的に働くことだ。狩保地区の人たちの目標は、地域に住む人間が、地産地消の仕事を協働で行い、地域経済を潤し、地域の活性化を促すことだ。
「道徳的な不自由さ ほえる犬は嫌われる けれど(朝日新聞多事奏論 編集委員・高橋純子)」とい
う記事を紹介。車が通っていない横断歩道でずっと青になるまで待つ人。コロナが常態化した今も屋外で多くの人がマスクをはずさない状況。何となく違和感を感じていたら「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて(熊代亨著)」という本が目に留まった。その本、曰く「今の日本は、清潔で健康で安心できる街並みを実現させると同時に、そうした秩序にふさわしくない振る舞いや人物に眉をひそめ、厳しい視線を向けるようになった。私たちは通年や習慣の奴隷になってはいけない。法制の枠組みを順守し、人々に特定の行動を促す空間設計に覆われながら暮らすことと、それらに盲従し何も考えなくなることはイコールではない」昨今、大臣などへの記者会見で記者の習慣化した丁重さ・従順さが目に付く。権力を監視する番犬である記者がしっぽを振り、ほえない犬しかいなくなった社会は終わっている。権力や同調圧力と対峙する姿勢を意識的に示し、内面化された「当たり前」に小さなつぶてをぶつける。ただ従うのではなく、ともに考えましょうという姿勢が大事だと思う。

 

このあと、大臣や国会議員の姿勢などへの批判を中心にした意見交流、映画「俺の記念日」の感想交流などをおこないました。えん罪についてもいろいろと意見が出されましたが、詳細は割愛します。

 

●Mさん

「宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて」(佐々木実著 講談社現代新書)という本を紹介。宇沢弘文は戦後日本を代表する経済学者にして思想家。格差の拡大や環境破壊など、資本主義が持つ「陰」の部分に1970年代から気づき、「社会的共通資本」という概念をベースに新たな資本主義の枠組みを構築しようとしていた。彼は、現在から半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための新たな経済学づくりに挑んだ。すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大に享受できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため「社会的共通資本の経済学」を構築した。社会的共通資本は、広い意味での「環境」を経済学の対象にすることを意図して、宇沢がつくりだした概念で、「大気・水・森林などの自然環境」「道路・上下水道などの社会的インフラ」「教育・医療などの制度」の三つの範疇に分けられる。地球環境問題、格差問題、SDGS、資本主義の終焉論、脱成長論、新コミュニズム論、コモンズ論など、現在、大きな課題となっている資本主義と社会の問題を半世紀前から考え続けた宇沢弘文の思想と行動を簡潔に学べる一冊である。

  

今回、少し意見交換した宗教の問題は、非常に幅広く様々な内容を含む問題なので、今後、機会があれば単一のテーマとして交流できればと思います。次回は12月10日(土)の予定です。