ハンナ講座 やさしい社会問題 

第25回(2021年12月11日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

新型のオミクロン株の感染拡大が懸念される中、今年最後の講座を、これまで同様、マスクや換気などの感染対策をして行いました。

●Uさん

「能力主義が社会を分断させた」と題する、池上彰さんとマイケル・サンデルさんの対談記事を紹介。

サンデルさんは、世界的ベストセラーになった著書「これからの正義の話をしよう」で、「平等な社会を作る条件だと考えられている能力主義(メリトクラシー)が、実は格差や不平等を生み、エリートを傲慢にさせ、社会に分断をもたらしている」と主張する。経済的に恵まれた家庭に生まれ、いい大学に入れた人たちが社会のエリート・富裕層になり、それを自分の実力・努力で勝ち取ったものだと信じている。すると、持たざる者は実力・努力が足らなかったのだという驕った認識になり、持つものは持たざる者を助けるべきだという使命感を遠ざける。トランプ前大統領が労働者や貧困層から支持を得たのも、そうした、驕ったエリート層への労働者層の不満や反発があったからだ。トランプ氏はそうした不満や反発をうまく利用した。また、オバマ元大統領の「やればできる」というスローガンも能力主義を肯定するもので、国民の格差を拡大する一因となった。今後は、貧困層への現金給付やコロナ対策の助成金、就労対策など、格差を是正する政策をおこなうべきで、バイデン政権はそれを、完全ではないが、実施しようとしているのではないかと思う。

●Hさん

「アフガンの人々はいま」というTBSの報道特集についての新聞記事を紹介。

国際社会からの支援が滞っているアフガンでは、食料品の物価が上昇。干ばつで作物もとれず、栄養失調の子どもが増えているという。日本では、大食いを売り物にするようなテレビ番組が放映されていたりするが、自分も、そうしたことがおかしいという感覚が弱くなっているようで怖い。

●Hさん

引き続き、「老々介護で殺害、猶予判決〜82才妹、生活保護拒んだ末〜」という記事を紹介。

寝たきり状態の84才の姉を殺害したとして、殺人罪に問われた妹が懲役3年執行猶予5年の判決を受けた。被告は一人で姉を介護する老々介護の状態で、生活保護を受給して姉を施設に預ける提案を受けたが、「税金をもらって生きるのは他人に迷惑をかける」などと考えて受給せず殺害に至った。生活保護の対象になった人には、他人に迷惑かけたくない、世間体が気になるという考えの人が多いと専門家は指摘する。生活保護は権利で、恥ずかしいことではなく、迷惑をかけるという感覚は違和感を覚えるが、しかし、今の日本の、「何でも自己責任」という考え・風潮が、こうした意識を生み出していると思う。自己責任ばかりが強調されると、公的な福祉を受ける人が減り、経済的・社会的格差が拡大すると思う。

●Uさん

税金を使って生活困難な人を支援するのは当たり前だと思う。迷惑をかけるとか、自己責任とかが強調されて、こうした支援が必要な人に届かなくなるのはおかしい。生活保護などの不正受給とかが話題になったりするので、こうした風潮が広がっていると思うが、自己責任だけでいうと、生活困難な人への給付金などもできなくなり、おかしいと思う。

●SIさん

私は、地域で、社協(社会福祉協議会)の見守り行動に参加している。70才以上で独居の人と80才以上の夫婦が対象だが、70代の共同住宅に一人で住んでいる女性を訪問した時、「わざわざ来てもらって申し訳ない」「迷惑かけて申し訳ない」と私に頭を下げる。生活保護や物品の支給なども、恥ずかしくて受け取れないとか言う。人に世話をしてもらったり、お金や物をもらったりするのは、「迷惑をかける」「恥ずかしい」という意識を持ったお年寄りが多い。私も子どもに「他人に迷惑をかけるな」と言ってきた覚えがあるので、反省しなければと思う。他人に迷惑をかける、支援を受けて恥ずかしいという意識をなくし、みんなで互いに協力・支援しあって生きていく社会をつくっていかなければと思う。

●Fさん

助け合いが大切とか言ってるのに、結局、いろんなことが自己責任になってしまっている。生活保護で迷惑かけてるという感覚が多くの人にあると思う。以前、テレビで、ある芸人さんが、母親が生活保護を受けていることを言って、その後バッシングを受けてテレビから消えていった。税金を困っている人に使うのは当たり前と思うが、使い道がよくわからないような他のことに使われ過ぎているように思う。

●SEさん

生活保護を受けることは権利であり、基本的人権の一つだと思う。基本的人権は(納税などの)義務を果たした人だけに与えられているのではなく、すべての人に与えられている無償の権利と思う。日本では、生活保護や奨学金をもらうのが恥だと思う社会通念を多くの人が持っている。基本的人権だという社会通念を徹底させていく必要があると思う。

●SEさん

「政府公認では見えぬ現実」という新聞記事を紹介。

タリバン支配が復活したアフガニスタンの情報が新聞でも大きく報道されているが、それはどれもアフガンで直接取材したものではなく、外からリモート取材したものが大半だ。遠く離れた場所からの取材には限界があり、欧米メディアの情報に引きずられ、タリバンを極悪視する論調に陥りやすい。

そんななか、TBSの報道特集では、フリージャーナリストの遠藤正雄氏が隣国パキスタンから陸路でアフガンに入り、首都カブールのいまを生々しくリポートした。そのリポートでは、市場や街角には人が行き交い、市民がタリバンへの評価や不満を率直に口にし、他の市民と議論し、取材にもかなり自由に応じている。遠くからのリモートでは見えない生の現実がそこにはある。しかし、あるテレビ局の記者がアフガンへの取材を上司に相談すると「政府が退避勧告を出している場所には行かせられない」と言われた。

政府が公認した場所にしかいかず、政府公認の情報しか伝えないメディアなど存在意義はなく、そんなメディアばかりになれば私たちの目と耳はふさがれてしまうのではないか。

●SEさん

以前、紛争地帯や独裁政権が支配する現地に取材に行って拉致され、政府の介入で解放されたフリージャーナリストなどに対する激しいバッシングがあった。殺害された人もいたが、勝手に現地に行ってそういう目にあったのだから自己責任で同情の余地は少ないというのが世間の論調だった。しかし、危険をおかしてまで生の現実を伝える人がいなくなれば、私たちは事実を何も知らないまま、日常生活を送ってしまうことになる。危険な取材は避けるべきだが、事実を知らない、知らされないことは怖いことだと思う。

●SIさん

政府が出す情報だけでは、生の現実はわからない。本当は、政府が、マスコミなどが幅広く取材・報道できるよう支援しなければいけないと思う。

●SIさん

いくつかの新聞記事を紹介。

「天声人語:親ガチャ」の記事

「親ガチャ」が今年の流行語大賞の候補に挙がっている。諦めにも似た今の若者の人生観を表す絶妙な言葉だ。若者の甘えや努力不足を指摘する声も多いが、格差社会が広がり、努力が報われず、弱音をはけば自己責任にされる若者は、希望を持たず宿命と受け入れたほうが幸せを感じられるという。親ガチャが関心を呼ぶのは、親世代の築いた社会のひずみを鋭く突いているからに違いない。

「コロナ禍の困窮〜ジェンダー格差 身近なところに」

コロナ禍は女性に深刻な影響を与え、「女性不況」とも称される。昨年4月の男性の就業者数は前年同月か39万人減だったのに対し女性は70万人減と2倍の開きがあった。自殺者数や家庭内暴力、性暴力なども増え、女性の安全が脅かされている。あるシングルマザーは「私みたいな末端の人の存在は国には見えていない」と言う。別のシングルマザーはコロナ禍で収入が減った元夫から養育費の支払いが止まったが、子どもに恥ずかしい思いをさせたくないと、国の給付金や手当には手を付けず教育費に回していた。多くのシングルマザーが、「そんな相手・生き方を選んだ私も悪い」という自責の言葉を口にしていた。女性の問題となると自己責任を追及する声が聞かれるが、個人の選択の背景には社会の価値観や男女の不平等な現実があり、すべてを個人の責任に帰すことはできない。一人一人が自らの価値観を問い直すことが、ジェンダー平等の社会をつくる第一歩ではないだろうか。

・「かわいがられる女 なぜ目指す? 上野千鶴子先生、教えてください」

京都の平安女学院高校で、上野千鶴子先生を講師に招き、ジェンダー問題を考えるオンライン授業が行われた。上野さんが平安女学院短大で教壇に立っていたころ、同短大の学生は「どうせ、しょせん(私なんて)」を繰り返していたと振り返り、生徒の質問に答えた。

「性別役割分業はいつ何のためにできたのか」の質問には、「古代では、小型動物を捕まえるなどして女性が栄養の6割を取ってきていた。『男が狩猟、女は採集』は現代を投影した思い込みで、サラリーマン専業主婦体制になったのは戦後、住宅と職場が分離してから」

また、「自分は今まで、めんどくさい女にならないようにと、周りにかわいがってもらえるようにと思って生きてきた。なぜそんな風に思ってしまったのかわからない」という質問には「かわいがられる、選ばれるは受け身の言葉。それは脇役としていきる能力。女性は人生の脇役だと周りがあなたに思わせてきた」また、傍聴していた母親からの「娘が自分の人生の主役になるために親ができることは何か?」という質問には「娘にとって一番身近なお手本であるお母さんが娘の目の前で人生の主役として生きてみせてください。私は自由に生きているから心配せず、あなたも自由に生きていいのよと背中を押してあげて」

・「新しい資本主義では問題を解決できない〜思想史家の斉藤幸平さん記者会見」の記事

脱成長をキーワードに唱える斉藤さんは「ファストファッションや工業的な畜産、スポーツ用多目的車はやめる。労働時間も減らす。必要のない成長のために週40時間働く必要があるのだろうか」「もちろん実際に脱成長に向かおうとすれば資本主義の論理とぶつかるが、その道を選ぶ政治家が出てきてほしい」「必要なのは富裕層への課税や奢侈税。大きい車に乗りたい人は相応の負担をする。フランスの経済学者トマ・ピケティは相続税90%を提言している」荒唐無稽に響きかねない提案だが、斉藤さんは「ばかばかしく聞こえるのは、それだけ私たちの社会が成長にとらわれているということだ」と言い切った。

●SEさん

「男は狩猟、女は採集」というのは、博物館の古代の生活再現場面の展示や資料の挿絵など、みんなそうなってる。だから、私もそういうものだと思っていた。

●SIさん

私も、学校でそういふうに教えていた。資料の挿絵などもそうなってたし。

●Hさん

私は、平安女学院高校の出身で、上野さんの講演の時もいた。みんな、上野さんの授業に出るのに、私は出なかった。私は「女は高校出たら結婚するだけ。お嫁さんになるだけ」と思ってた。しかし、その後、あることがきっかけで、上野さんとの出会いがあり、40代ではじめて上野さんの本を読んで感化された。今も少しつながりがある。私は、子どものころ、親にまったく相手にしてもらえず、ほったらかしにされてた。たぶんネグレクトだったと思う。勉強もそんなにできるほうではなかったし、なんかボーっとしてるような子だったし、期待されてなかったと思う。弟もほったらかしだったが、勉強、スポーツ万能で、自分で好きにやってる感じだったが、それなりに期待はされてたのかと思う。家庭環境で、自分に期待せず、ただ結婚するだけとか、自己否定的な考えになってしまうのかなと思う。

●SEさん

私は、親が「女も職を持たなあかん」と言っていた記憶がある。ネグレクトの話が出たが、子どもはそれがネグレクトだとわかっていない。あとで、それがネグレクトだったと気づく。だから、大人が気づいて、しっかりとみてあげないといけないと思う。

●SIさん

少し話は違うけど、ヤングケアラーのことを思い出した。テレビの番組で、ヤングケアラーが流行語大賞になったという話題を取り上げてて、トミーズの二人が出ていて、その言葉を二人とも知らなかった。芸人で成功した人は、そういう経験はなかったのかと思った。

●Uさん

会社は男性優位社会で、男は度胸、女は愛嬌という感じで、女性社員はお茶くみなども当たり前のようにやっていた。あることで、警察に行った時、女性の警官が上の方の役職で出てきてびっくりした。また、お茶を持ってきた人が定年間際くらいの年配の男性で、それもびっくりした。職場の男女の仕事も、公務員と民間でこうも違うのかと思った。でも、私の会社でも、この10年ぐらいで、男女の役割なども大きく変わって、昔とは違うようになった。私も上司になって、部下の結婚式などに参加することが多かったが、式で、新郎が泣く場面があって、「男が泣くな」とか思って、自分も「男だから、、女だから、、」というような考えに染まっていたのかと思った。

斉藤幸平さんはこの前紹介した本に登場した小川淳也さんと対談とかしていた。親ガチャについては、運というのもやっぱりあるし、あきらめた気持ちになるのもわかるし、難しい。

●Mさん

いくつかの新聞記事を紹介。

「自立と助け合い 日常のアナキズム」文化人類学者松村圭一郎さんの「くらしのアナキズム」という本の紹介記事。

本書で表明されるアナキズムとは、秩序を壊す思想ではない。自分たちの問題を話し合い、解決を目指す。困っている人が手を差し伸べる。そういう自律と相互扶助の思考、そして態度である。強調するのは、遠くなってしまった政治をいかに自分たちの生活に取り戻すか。アフリカの社会や中世・近世の日本でも、名もなき人々が強制でないやり方で仲間の同意を取り付け、共同性を維持する取り組みがあった。こうしたアフリカの村や日本の寄り合いに根付く対話と相互扶助のアナキズムを現代にも取り戻し、政治を取り戻す知恵を手にする出発点として、想像力の源泉として生かしていければと松村さんは言う。

・「オピニオン&フォーラム 政治とSNSの闇」の記事

野党批判をする匿名ツイッターアカウント「Dappi」について、自民党と取引のある企業との関係が取りざたされている。政治とSNSの関係はどう考えるべきか、3人の識者の意見を紹介。

計算社会科学者・鳥海不二夫さん「政治とSNSの関係で留意すべきことは、ネット上では多数派の声のように見える現象でも、それはごく少数者の発信による場合があり、現実の反映とは限らいないということ。Dappiの場合でも、その投稿を他人と共有したリツイートを分析すると、その半分がわずか3%のアカウントによって拡散されていたことがわかった。SNSと現実との乖離を見抜く目が大切だ。一方、SNSから政治情報を得る時には、自分と意見が会う政治的メッセージだけを見ていないか気を付ける必要がある。客観的に正しく状況を判断するために、自分と違う意見にも接することが大切だ」

埼玉大学教授・平林紀子さん「政治と世論の関係は日米で大きく異なる。日本の政治家は後援会の民意を昔から重視してきたが、米国の政治家は有権者の市場調査を通じ、世論をフォローする同時にリードしていく。この双方向性が大前提となっている。選挙にネットを利用することにも前向きで、ネットが支持者の組織化に大きな影響力を持つようになった。ネット利用はブッシュ元大統領(息子)の頃から盛んになり、オバマ元大統領もマイクロターゲティングといわれる手法を駆使したが、トランプ前大統領は、ネットを利用して支持者との深い感情的なつながりを作ると同時に、反対者をあしざまに攻撃し、米国に元々あった分断を表面化させた。トランプ氏が中心となって助長させたSNSによる分断状況は、自由や多様性の理念共有を前提とする米国にとって、国の土台を揺るがす脅威となっている」

・「オピニオン&フォーラム 生きるための能力?」の記事

先行きが不透明な現代社会。生き残れるかどうかは能力次第と語られますが、人間の能力は学力だけでは測れません。これからを生きるために必要な能力とは何なのか、3人の識者の考えを紹介。

成蹊大学講師・廣津留すみれさん「米国ハーバード大に進学したが、受験時や在学中に感じたのは「自分について熱意を持って語れるもの」を持つことの大切さだった。受験で重視されたのは学力のほかに、課外活動の履歴や性格など人としての力。能力を測る基準が学力・学歴だけになるのは問題だ。学力・学歴は「努力した人」という指標にはなっても、創造力やコミュニケーション能力、人柄などは測れない。これからの時代に必要な人間の才能は色々な側面に隠れているので、それを生かすためにも、能力を測る基準はできるだけ増えたほうがいい。

アメリカ思想史研究者・会田弘継さん「米国では、建国以来、成功こそ善であり徳であるという考え方が深くしみ込んでいる。能力主義や学歴主義を意味する「メリトクラシー」が重視されてきたのはこのためだ。しかし、こうした能力万能主義は、生まれた時から階層が定められはい上がれないほどの格差社会へと変貌した現在の米国にとって弊害以外の何物でもない。たまたま裕福な親のもとに生まれただけなのに、それで十分な教育を受け、高い学歴を得てそうでない人を見下だす。こんなエリート層の驕りが非エリート層の怒りを生みトランプ現象を招いた。「イエス。ウイーキャン(がんばれば必ず成功できる)」というオバマ元大統領の言葉も能力主義を肯定するもだとの批判がある。能力主義は社会を分断させ、その結果、違う階層や党派の人の心理や行動が理解できなくなる。これからの時代に求めらるのは、意見の異なる相手を理解する「エンパシー」の能力だと思う」(会田さんの考えは先のサンデルさんの考えとほぼ同じ)

●Mさん

この講座も今日で今年最後となった。これまで、格差の問題を中心にさまざまな社会問題を皆で学習したり議論してきたが、社会の厳しい現状への怒りや批判も多くあった。さまざまな面で社会の現状は厳しいが、最後に、少し元気のでる詩を紹介したい。今年1月に、バイデン米国大統領の就任式で、若い詩人のアマンダ・ゴーマンさんが朗読した詩、「The Hill We Climb (私たちがのぼる丘)」

「夜が明ける時、私たちは自らに問う、終わりなき闇のどこに光を見出せるかを。(中略)新たな夜明けは、私たちがそれを解き放つとともに、一面に広がる。光はいつもある。私たちにそれを見る勇気がありさえすれば。私たち自身が光になる勇気がありさえすれば。」

このあと、参加者全員が、今年の講座に参加した感想や自分の思いなどを語り、今年の講座のしめくくりとしました。前回から新たに参加したHさんを含め、参加者全員が語った共通した思いは、この講座が自分にとって大きな意味のあるかけがえのないものであり、学習資料だけでなく、参加した人から学ぶことや感じること、共感することが多くあったということでした。ずっと講座を開催してくれているハンナさんへの感謝の思いも語られました。ハンナという講座の持つ意味が凝縮された思いであり、これからも大切にしたいと思います。

来年は、2月19日(土)の予定です。