ハンナ講座 やさしい社会問題 

第20回(2021年6月26日)まとめ

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

コロナ非常事態宣言は解除されたものの、まだまだ感染の不安が消えない中、ワクチン接種の話などをして、講座を始めました。

今回は、UさんとMさんの持ってきた資料の読み合わせを中心に、交流しました。 

●Uさん

前回の講座で、ジェンダー関係の資料の紹介があって、改めてジェンダーのことに関心が向いて、上野千鶴子さんの本などを読んだ。上野さんはジェンダー研究だけでなく、「おひとりさまの老後」「在宅ひとり死のススメ」など、「ジェンダーと老い」の問題にも取り組んでいて、今度、7月のNHK・Eテレ「100分de名著」で、ボーヴォワールの著書「老い」の講義を4回シリーズで行う。以下、Uさんの説明とNHK・Eテレテキストの「はじめに・・老いてなにが悪い!」の要約。

老いや介護の問題は、これまで個人や家族の問題と考えられてきたが、最近では社会の問題と考えられてきて、社会の成熟度を示す指標ともなっている。昔は、家族内で介護の問題は処理されていたので、社会的な介護という問題はなかった。介護は、社会変化の結果生まれた現代の問題であり、これからの社会的課題だと言える。それを最初に提示したのがボーヴォワールだった。

上野さんはボーヴォワールの「老いは文明のスキャンダルである」という言葉に大きな衝撃を受けた。ボーヴォワールは、現代社会において、老人が人間として扱われておらず、老人の人間性が棄損されていることを怒りを持って述べている。文明社会でありながら、老いた人間を厄介者にして廃物扱いする。そのように老人を扱うことが文明のスキャンダルであるとボーヴォワールは言っている。すなわち、老いは個人の問題ではなく(文明)社会の問題だと、今から50年も前にボーヴォワールは指摘しているのである。

上野さんは、30代の頃に書いた本の「おんな並みでどこが悪い」という論考の中で、「女の解放に不可欠なのは、女の努力ではなく社会の変化だ」と主張した。「(男と)同じになならなければ排除される社会」ではなく、「違っていても差別を受けない社会」は、女性のみならず、社会的弱者と言われる人々に共通する課題だ。そこから上野さんは、高齢者や介護の問題を研究するようになる。ボーヴォワールは、厄介者になった高齢者をどう扱うかでその社会の質が図られると言っている。老いは社会の質の問題であり、その社会の質の変革のためには、まず現実を知ることが必要だ。ボーヴォワールの著作「老い」は、高齢者の現実を直視し、高齢化社会に突入した現在の老いの問題を先取りした先駆的な本である。

今回、「老いを自己否認するしくみ」「さまざまな社会や職業別の老い」「老いと性」「老いの社会保障」という4つの視点から本書を読んでいきたい。テキストの副題は「年齢に抗わない、怯むことなく、堂々と老いさらばえよ!」である
あと、「Bunshun Woman 2021年夏号」の上野千鶴子さんの「在宅ひとり死のススメ」の紹介記事。以下、Uさんの説明と、記事の大見出し・小見出しと、要点となる短文を記載。

Uさん:
上野さんの、老いと介護や研究・運動などに関する考えが要約されている記事。上野さんは研究だけでなく、介護の現場や「看取り」にも立ち会ったり、介護の実践家でもある。田嶋陽子さんのことも載っているが、田嶋さんはテレビなどであえて叩かれることで男女差別のおかしさを真摯に訴えた人だったのではないかと思う。

「私利私欲の学問こそ社会を変えられる」「在宅ひとり死の提唱は究極のフェミニズム」「介護保険は嫁もおひとりさまも救った」「『家事も労働』に専業主婦から猛反発」「私にとって『研究』と『運動』は両輪」「介護は他人に頼ってよい」「家族は背負いきれる程度の負担でいい」「介護保険がもたらした大きな変化の一つはこれまで女が家でやってきた介護という労働はタダではないという常識が定着したこと」「在宅ひとり死のススメの要点3つ・・①在宅ひとり死は介護保険がないとできないこと②介護制度施行から20年間で現場が進化し、かつてできなかったことができるようになってきたこと③介護保険制度は今改悪されて崖っぷちにあり、改悪阻止が必要なこと」「弱者の視点から社会を作りかえるのがフェミニズムだと私は思っている」

●Nさん

老いというのは身近な問題だが、つきつめて考えることは少なかった。今、自分もひとりでの生活なので、今後の老いの中での生き方を考えさせられる。

●Fさん

若い人には、老いて体力的にしんどいというのはわからないのではと思う。年をとればできることは減っていくが、廃品のように扱われるのではなく、誰もが一人の人間として生きていける社会でなければと思う。コロナ禍になってから、一生懸命働いているのにしんどくなっている人が多いと感じる。田嶋陽子さんのことを人権に取り組んできた友人が嫌いだと言っていた。それは自分のアイデンティティを否定されるように感じるからなのか。

●Mさん

コロナ禍の中で、感染者や医療関係者が理不尽な差別や偏見に晒されている現在の社会状況に関連した二つの新聞記事を紹介。参加者で読み合わせする。

一つは、ハンセン病家族訴訟原告団副団長の黄光男(ファングァンナム)さんのインタビュー記事。両親と姉二人の家族全員がハンセン病患者で、国立ハンセン病療養所長島愛生園に収容され、自身は孤児院で8歳まで家族と離れて暮らした黄さん。長く家族のハンセン病罹患のことを隠してきたが、在日朝鮮人の差別問題に取り組む中で、ハンセン病に対する差別のおかしさに気づき、家族のことを語り、家族訴訟の原告として活動をするようになった。コロナ禍で感染者などへの差別が広がっている中、孫の代にまで差別が残らないような社会を一緒に作りましょうと、自身の経験を語る講演会で黄さんは呼びかけている。

二つ目は、水俣病が公式確認されてから65年になる今、コロナ禍の中で、命の尊厳や社会のあり方を問う作品に注目が集まっているという記事。この秋には、ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」や原一男監督の映画「水俣曼荼羅」も公開される。石牟礼道子さんの「苦海浄土」に触発された、文学や写真、絵画、音楽、演劇など、さまざまな分野の質の高い表現も数多く生まれている。NPO法人「水俣フォーラム」の実川理事長は「水俣の闘いは専門家の指導で展開されたのではなく、その土地や自然に根づいた普通の生活民が追い詰められ、動いたもの。地域や一般社会から差別を受けながらも患者自身が体をさらけだし、自分たちの言葉で語ってきた。その力が表現者たちを刺激し、作品を生んできた」と語る。

コロナ禍の今、経済的利益が優先されて人命が犠牲になった水俣病を描く作品に触れる意味は大きい。

このあと、在日朝鮮人やアジア人への差別、コロナ禍の中での政府の対応への批判など、最近の社会的できごとに関するいろいろな発言がありましたが、記録が十分とれなかったこともあり、割愛します 

今回、Uさんの紹介された「老いと介護」の問題は、現在の社会のあり方を考える上で大きな問題であり、今後とも引き続き考えていきたいと思います。

次回は、7月24日を予定しています。