ハンナ講座 やさしい社会問題 

第17回(2021年3月13日)まとめ

 

「格差の問題から今の社会や人間のあり方について考える」

前回、UさんとSIさんから、環境問題と資本主義社会のありようについての斎藤藤幸平さんの著作の紹介がありました。今回は、SIさんに斎藤さんが講師をされた「NHKテキスト100分de名著:カール・マルクス資本論」を、Uさんに、ベストセラーとなった斎藤さんの著作「人新世の『資本論』」をレポートしてもらい、学習と議論を深めました。

 

●SIさん

今回紹介する「NHKテキスト100分de名著:カール・マルクス資本論」は、NHKEテレで斎藤さんが全4回にわたって講義をしたテキスト。まず、マルクスの年譜を紹介。

日本のマルクス研究の歴史は古く、日本は世界的にみてもマルクス研究がさかんな資本主義国家だった。しかし、戦後、高度成長などで経済が発展すると「資本主義の矛盾は国家によって十分に制御することができ、完全雇用のもとでの経済成長は実現可能だ」というケインズ主義のほうが説得力をもつようになり、マルクス研究は後退した。現在、資本主義が危機に陥り、その暴力性がむき出しになっている中で、マルクスの問題意識や考えが見直されてきている。

第1回は、マルクスの理論的土台となる「物質代謝論」を軸に、自然との関係で人間の「労働」について分析し、モノに振り回され、大事な物を失っていく私たちの生活について考察する。第2回は、マルクスが資本論で展開している「剰余価値論」をもとに資本主義のもとで長時間労働や過労死がなくならない理由を明らかにする。第3回は、イノベーションや生産性の向上が労働者を貧しくし、「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」が増えるメカニズムを考える。第4回は晩年の自然科学研究や共同体研究の足跡を示す新資料も踏まえつつ、資本主義が自然破壊を止められない理由とポスト資本主義社会の可能性を展開する。

<第1回講座の要旨>

資本論は「商品」「労働」の分析から始まるが、資本論そのものは「富」で始まる。資本主義社会における労働は「商品」を生み出すが、裏を返せば、資本主義以外の社会における労働が生み出す「富」は必ずしも商品として現れるわけではない。「富」とは例えばきれいな空気や水、緑豊かな森や公園、知識や文化・芸術など、人間を豊かにするものだ。本来、労働はこの「富」を維持発展させるものであったが、資本主義社会では、「富」がすべて商品」となっていく。労働はそのための手段として使われる。資本主義社会では、資本家が、誰もが使える森や水などの「コモン(社会的に共有され管理される富)」を解体して独占し、商品にして売る。それまで潤沢であったものがお金を出して買わなければ手に入らない希少なものとなる。資本主義は人工的に希少性を生み出すシステムだ。そして、商品生産の担い手である労働者は、自らの労働力を提供するだけでなく、商品の買い手となって資本家に市場を提供する。商品は、人々が必要とするものではなく、希少で売れるもの、資本家に利益をもたらすものだけが生産され、人々はそれを買わされる。その結果、物に振り回され支配される人間が生み出される(人間の物象化)。労働者だけでなく、資本家も、商品のもたらす利益だけに捕らわれ、自動化された価値増殖運動の歯車となってしまう。

<第2回講座の要旨>

資本主義社会では、価値を生み出す労働力という商品に資本家が賃金を支払って、一定の時間働かせて、商品生産をおこなう。労働力への対価としての賃金が変わらなければ、一定時間を超えた超過の労働時間は「剰余価値(絶対的剰余価値)」として資本家の利益となる。したがって資本が利益を増やそうと思ったら、一番手っ取り早い方法は、労働者の一日の労働時間を増やすことだ。こうして、資本主義的生産のもとで、労働者の長時間労働は恒常的なものとなる。労働者がこうした苛酷な長時間労働から逃げ出さないのは、自分は自由に仕事を選んで自発的に働いているのだという思い込み(資本による魂の包摂)と、生きていくために必要なものを生産する手立てがなく、唯一持っている労働力を売るしかないという理由による。つまり、資本主義は、労働力という「富」を「商品」として閉じ込め、労働者から自由な時間を奪うシステムだ。日々の豊かな暮らしという「富」を守るには、自分たちの労働力を「商品」にしない、あるいは自分が持っている労働力のうち、「商品」として売る領域を制限していかなければいけない。それが労働時間の短縮であり、労働以外の自由な時間を増やすことだ。現在のコロナ禍でのテレワークなども、労働時間と自由時間の区切りがなく、これまで以上に労働時間が延長され、データという商品を量産している。労働時間を短縮しようという動きは、フィンランドの「週休3日一日6時間労働」やドイツ最大の労働組合IGメタルの週休3日制など、世界的に広がってきている。

<第3回講座の要旨>

技術革新によって、ロボットやAIに仕事を奪われ、人間の仕事がなくなるという恐怖とともに、多くの労働が無内容で無意味なものになってきている。介護や看護の仕事などのように、社会的に重要な仕事(エッセンシャルワーク)に従事するエッセンシャルワーカーたちに長時間労働と低賃金という負荷がかかり、社会的に重要でないブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)が増えている。やりがいのない無意味な仕事も苛酷な長時間労働も人間を貧しくするという意味では同じだ。現在の資本主義社会では、大部分の人々が労働から「疎外」されている。労働における構想と実行の分離を乗り越えて、労働における自律性を取り戻し、苛酷な労働から解放されるだけでなく、やりがいのある豊かで魅力的な労働を実現することが必要だ。将来社会の労働者とは、各人がその能力に応じて、「全面的に発達した個人」だ。構想にも実行にも自らの能力を発揮し、一人ひとりが自身の労働力という「富」を生かしながら社会全体の富を豊かにしていかなければならない。能力や感性を取り戻さねばならない。イノベーションの停滞が問題となっているが、その要因は行き過ぎた構想と実行の分離であり、過度の分業だ。労働の創造性、自律性、全体性を取り戻す必要がある。構想と実行の分離を乗り越え、労働の自律性を取り戻した例として日本の給食の取り組み(藤原辰史「給食の歴史」)がある。資本主義的生産方式の「センター方式給食」に対して、「自校方式給食」は、構想と実行を一体化させ、労働の自律性と給食の豊かさを実現した好例だ。

<第4回講座の要旨>

資本は、人間だけでなく、自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、その結果、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す。マルクスは同時代の科学者リービッヒの略奪農業論に感銘を受けて丁寧な研究ノートを作成し、それは資本論第三巻の草稿に反映されている。資本主義システムのもとで、人間と自然の物質代謝に修復不可能な亀裂が生じる前に、革命的変化を起こして別の社会システムに移行しなければいけない。資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能な形で制御することだ。「アソシエート」するとは、共通の目的のために自発的に結びつき協同すること。マルクスが目指していたのは人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした社会であり、古代ゲルマン社会のマルク協同体やアメリカ先住民のイロコイ連邦などの古代的な共同体がそのヒントを与えてくれる。古代の共同体では、富が一部の人に偏ったりしないように生産規模や個人所有できる財産に強い規制をかけて、いわゆる「定常型経済」を実現していた。

マルクスは、資本主義社会において、富が商品として現れないように、みんなでシェアして自治管理していく平等で持続可能な定常型経済社会を構想した。資本によって否定され、生産手段と自然を略奪された労働者が、将来社会では、資本の独占を否定し解体して、生産手段と地球を「コモンとして」取り戻す。水や森林、地下資源などの根源的な富は「コモンとして」みんなで管理していく。コモンに基づいた定常型社会、すなわち「脱成長のコミュニズム社会」が人間と地球を救う社会のあり方だ。GDPだけを重視する経済から脱却して、人間と自然を重視し、人々の必要を満たす規模の脱成長型経済への移行が必要だ。

そうした社会では、労働者はその能力に応じて労働し、その必要に応じて生活に必要な物をを得る。

コモンの商品化への抵抗とアソシエーションへの動きは、現在、ワーカーズコープやシェアリングエコノミーなどの「市民営化」やバルセロナなどのミュニシバリズム(地域自治主義)、アムステルダム市の「ドーナツ経済(生活に最低必要なものと環境保全の間で生活する経済)」など、大きな広がりをみせている。

 

Uさん

「人新生」は「ひとしんせい」「じんしんせい」と読み、オランダのノーベル化学賞学者のパウル・クルッツェンが提唱した地質学の概念で「人類の経済活動の痕跡が地球表面を覆い尽くした年代」という意味。

斎藤さんの問題意識は、「人新生」という環境危機の時代に、資本主義の限界がきているということ。

現在の先進国の豊かな生活は、発展途上国の人たち(グローバルサウス)の犠牲の上に成り立っている。

生活に必要な資源などの開発によって、グローバルサウスの自然破壊や野生動物の減少などが起こっている。チリでは、レアメタルなどのデジタル経済に必要な地下資源の採取によって地下水が枯渇し、地盤沈下が起こり、生活に大きな影響が出ている。先進国の経済成長は、発展途上国の資源や生活基盤を奪う。また、世界の温室効果ガスのほとんどは、環境問題より経済成長を優先する先進国が出している。

環境破壊が進む中、経済成長と環境保護の調和を目指すグリーンニューディールやSDGs(持続可能な開発目標)などの取り組みも行われているが、それは、問題の本質を隠蔽し、企業などの免罪符となっている。現在の新自由主義的政策のもとでの経済成長や技術開発によっては環境問題は解決しない。現在の環境問題の解決と人間の豊かな生活のためには、資本主義のシステムでは無理だ。「コモン」の領域を再建することによる「脱成長コミュニズム」こそが、環境問題を解決し、世界を救う。「脱成長コミュニズム」には、次の5つの柱がある。

①「使用価値」経済への転換

利潤獲得のため市場価値の高い商品だけを大量生産しその大量消費を促す経済から、人間の生活に役立つ使用価値に重きを置いた経済に転換する。

②労働時間の短縮

労働時間を短縮して、余暇の充実などによって生活の質を向上させる。労働時間を減らすには、必要のないものの生産を減らしたり、意味のない仕事(ブルシットジョブ)を減らすことが必要。

③画一的な分業の廃止

画一的な労働をもたらす分業を廃止して労働の創造性を回復させる。画一的な労働によるストレスを減らし、人間らしい労働と生活を取り戻す。労働の全体性(構想と実行の一体化)を回復する。

④生産過程の民主化

生産のプロセスの民主化を進めて経済を減速させる。株主の意向だけが尊重される意思決定ではなく、労働者の意見も取り入れた民主的な意思決定を行う。時間はかかるが、成長優先・利益優先ではなく、人々の生活優先のより良い決定を目指す。

⑤エッセンシャルワークの重視

使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャルワークを重視する。ケア労働など、社会的に重要な仕事の賃金や条件を良くして、意欲を持って創造的に働ける環境をつくる。

 

資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで解決することなどできない。希少性を生み出しながら利潤獲得をおこなう資本主義こそが、私たちの生活に欠乏をもたらしている。資本主義によって解体されてしまった「コモン」を再建する脱成長コミュニズムの方が、より人間的で潤沢な暮らしを可能にしてくれるはずだ。

ハーバード大学の研究によると、「3.5%」の人が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるという。資本主義と気候変動の問題に本気で関心を持ち、熱心なコミットメントをしてくれる人を「3.5%」集めるのは、なんだかできそうな気がしてこないだろうか。すぐにやれること、やらなくてはならないことはいくらでもある。システムの変革という課題が大きいことを、何もしないことの言い訳にしてはいけない。ひとり一人の参加が「3.5%」にとって決定的に重要だ。

 

バルセロナコモンズ(反貧困の運動から生まれたスペインの地域政党。民間アパートの公営化や保育所増設、水道の再公営化などに取り組んでいる)の紹介。

 

BRUTUS「世の中が変わる時に読む本」1月15日号の斎藤幸平さんによる本紹介「豊かになるために資本主義を脱する」から。「人新生の資本論」と共通の問題意識を持つ9冊の本を紹介している。

・「地球に住めなくなる日」ディビッド・ウォレス・ウェルズ著 (NHK出版)

・「分解の哲学」藤原辰史著 青土社

・「地球が燃えている」ナオミ・クライン著 (大月書店)

・「官僚制のユートピア」デヴィッド・グレーバー著 (以文社)

・「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著 (太田出版)

・「マルクス 古き神々と新しき謎」マイク・ディヴィス著 (明石書店)

・「水道 再び公営化」 岸本聡子著 (集英社新書)

・「ドーナツ経済が世界を救う」ケイト・ラワース著 (河出書房新社)

・「ユートピアだより」ウイリアム・モリス著 (中公クラシックス)

 

SEさん

今、日本では何でも民営化が進んでいて問題だと思う。国鉄の民営化など最たるもので、北海道など地方のJRなど赤字になるに決まっている。高齢者の交通手段がなくなるなど、弱い立場の人が困るのはわかりきっているのに、民営化を進める。将来的に見ても、子どもの成長にとって何が必要かしっかり考えて、社会の基本的なものは民営化しないで、公営でいくほうがいいと思う。水道やガスなど基本的なものは公営にすべきだ。水道とめられて公園に水をくみに行ったとかいう話を聞いた。高速道路もあんなにいっぱい作って、本当に必要なのかと思う。

 

Nさん

リニア新幹線とか水道の民営化とか、新自由主義的な政策で行われている個々のことが、今回の話でよくわかった。私の中で、バラバラに疑問に思っていたことが、一つに結びついた気がする。

 

Fさん

マルクスというのは、こんな時代にこんなことを考えていたのかとわかって、驚いた。SIさんの説明のところで出た給食の取り組みの話で、藤原辰史さんの話やベーシックインカム論の山森亮さんの話を思い出した。コモンということで、つながるものがあると思う。

SDGSだけでは、今の環境問題は解決しないというのはそうだと思う。ただSDGSは環境問題を考える上で気づきになると思う。福島原発の映画を見たが、細かいところで、いろいろと気づくものがあった。でも、こういう映画を見るのも電気を使っているわけで、環境問題は、なかなか難しいと思う。

 

 

今回、SIさんとUさんによる斎藤幸平さんの著書の丁寧な説明で、「新たな視点での資本論」「コモン」「アソシエーション」「脱成長コミュニズム」など、これからの社会のあり方についての概念や考えを知り、理解を深めることができたように思います。

次回も、今回の理解も踏まえながら、さらに、今の社会の具体的な問題を考えていけたらと思います。