躾と言う悪習 



 6月17日民放のニュースで、二つの家庭内暴力の家で、ともに父親が息子を殺してしまった事件を報道している。精神科医と言われるものが完全に躾がなっていなかったんですと言っていた。6才迄にはちゃんとしないと中学以降に親に逆らうようになってしまうんだと言っている。精神科医がこんな状態だから、その後のコメンテイター達やニュースキャスター達の発言は押して知るべし。8才迄にがつんと躾ないと駄目なんだと。朝夕の挨拶ぐらいちゃんとできないようにしないと、ですって。家(うち)は大丈夫ですよ、だって。どうかしているよ。ずにのって親が殺されないように。(親が殺されることは、めったにありませんが。)
 何でこんないいかげんな発言がまかり通ってしまっているのか。
これらの発言は社会的な秩序の維持は権力的にやらなくてなできないのだと言う、社会的なフラストレーションの短絡なはけ口と言う、世間知に押し流されている。事実は逆だと私が得ている知見は言っている。躾をするから、親の好きなように子供に指示ばかりしてきたから、家庭内暴力が起こるのだと。不登校が起こった時に、子供の現実を受け入れられない親から、親の子殺しはおこるのでしょう。
 世の不登校児の気持ちを受け入れた親達はどう思っていることでしょう。私の理解と同じではないでしょうか。
 また’96年都内で家庭内暴力を繰り返す中学3年生の長男を金属バットで殺害する事件がありました。裁判長の親に同情した発言、刑を軽くしていることが、こんどはその次男も殺されるのではないか。またこれから社会的に悪い影響を及ぼすのではないかと、危惧を表明した批評家がいました。現実になってしまいましたね。

 躾は良くないのだと言う、文を書こうと思っていた矢先だったので、必ず書こうと覚悟するためにこの文をとりあえずアップしました。

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