7.11号 サンデー毎日 「専門家警告 住宅LDKタイプが家族引き裂く」とショッキングな見出しが表紙を踊っています。

  内容を見ますと「子供部屋の密室化」が問題だと言っていますから、LDKタイプではなく、nLDKタイプの間違いですね。nと言うのが個室を表わすのですから。
そして相も変わらぬ個室化が事件を起こしていると言う主張。相変わらず「ではどうすれば家族の会話がよみがえるのか」とばかりに、廊下の無いリビングを通って個室にゆく間取りを奨めている。いいかげんにしてくれと言いたい。
  問いは「ではどうすれば家族の会話がよみがえるのか」なのだから、親の子への過干渉=口うるさい躾や、教育最優先で子を時間的にも追い回すことを止めて、ゆったりした子供の固有の時間を確保することや、家族のゆったりした時間を回復することしか無いじゃないですか。これが何で住宅の間取りの所為や、間取りを変えることで家族が変わるかの錯覚が起こってしまうのでしょうね。

  家族に問題(家庭内暴力)が起こっているのは間取りの所為ではなく、あくまで家族の関係の過剰にあると捕らえることだと思う。そう押さえられるなら、家族の関係の修正は家族の関係そものもとしてしか変わることは無いではないか。間取りを変えるることで家族の関係が変わると言うのは、あまりにも家族観の問題を、自分の建築と言う職業の問題とを混同している。家族が関係し変わっていく次元と、住宅の関る次元とは余りに違いすぎる。それはあの研究者の言うような家族が会話を交わすことでさえ、間取りが影響するとは考えられないではないか。家族の関係が会話を交わすことが良いと考えること自体が、家族の在り方に対して外から干渉しているだけで、なんの影響もできる訳が無いではないか。
  かの研究者は非行が家族の会話が無いところに起こるのだと一元化しているが、家族の問題は家族の関係の過干渉に由来しており、子供達の自然な欲求を受け入れて行こうとしていないところに起こっていると思う。そういう家族がワンルーム化によって会話する機会を増やして行くなら、ワンルーム化は過干渉家族を、もっともっと超過干渉にすることになり、最悪の自体に追い込むことになるのだが。勿論こんな力は間取りには無いが。

  反対に家族の軋轢が高まっているから、個室化することによって関係が過剰にならないで済むようにしている、とも言えるのではないか。


  ちなみに我が家は典型的な3LDKのマンションで、批判されている玄関廊下に個室が二つ付いていて、居間に寄らずに個室に行けるタイプだ。
  けれど我が家では使い方が違っている。個室のドアはすべて開け放したままという(夏冬とも)使い方になっている。お客さんが来た時にのみ個室のドアは閉められる。


  肩書きで解った風に意見を発表する人。
言っていることは素人考えそのまま、なにを研究しているんでしょう。研究室と言う肩書きだけが普通の人と違っているだけで、普通の人の言ってしまうことを=そのまま同じことを言う為に誇大なデーターを並べる研究者というのはなんなんだ。


  indexを書いていた頃はいろんな方向がそのまま広がっていて、定まらない感じでしたが、3)を書いたあたりから明確になってきました。
  メーカーハウスがもう一度昔のテーマをリメイクして、ワンルーム化で新たな建替え需要を喚起していこうと言う戦略のようです。わたくしも間取りとしてのワンルーム化は好きですが、我が家も子供が大きくなってくると、特に成人の子供がいるとなると、個室化は避けられないと思うのです。わたくしとしては本当は成人したら一人暮らしをはじめていいと考えていますが、家族にはいろんな事情がありますから、それぞれでして、その時に子が同居するなら個室の方が良いと考えます。
 このように「ライフサイクル」の中で子と親との関係が変化しますから、変化した関係なりに、家族それぞれの領域を設定し直して行くことを間取りとして考えそのつど変えてゆくことなのだと思うのです。


  (一つ気にしていますが、文章が大変に解りずらいと自分でも思います。何とか解る文を書いていきたいのですが、今だに自分の言いたいことを明確にすることが精一杯の段階ですので、こなれた解る文章はまだまだこれからなのです。それでも、解る文章への書き方のアイデアを練ったり、あらたに書き直したり、更に解る文章をも目指して行きます。)



 4)個室化とはなにか? 

  ところで住宅が個室化した理由を問うていますから、これをやって見ましょう。直感にすぎないですが。

  まずは戦後の公団から始まった核家族のための2dkに、個室化した一つの部屋が追加されたタイプが登場した。3DK。ここには老人も入れることを想定した間取りだったと思う。ここに戦後日本の核家族の混乱が始まったと思う。個室の始まりは老人の為の個室から始まった。(和室2食堂連続タイプ、洋個室1)

  「パパは何でも知っている」などのアメリカホームドラマから、住居観が入ったと思う。子供室としてなのか、子供一人ひとりの個室だったのか明確ではないが。今までにない個室を持つ住まいに夢が広がったと思う。そして夫婦寝室の独立化への志向もここに始まっている筈なのだが。

  そして受験戦争と言う言葉が生れたように、日本的事情として子供の受験勉強の部屋が個室として取られるようになった。わたくしは戦後核家族が浸透して行く時、夫婦の性意識の高まりがあって、そのことをストレートに夫婦寝室の独立化を促しえなかったが故に、受験を踏まえた=性的にも大きくなった子供に個室を与えることで、夫婦の独立性をも2次的に守れると考えたのではないかと思う。洋個室2、和室1にDKが連続していて、この和室を夫婦寝室と居間に使った。

  それからこのDKがLDKへと展開し、子供数が1となった頃もう一つの洋1が夫婦寝室になった。だから和室が予備室として確保されるようになった。
  けれどもこの時すでに新しい変化が始まっていた。夫婦寝室と予備室である和室にと、夫婦の異室異床が始まった。この変化はなにも部屋数の余裕から始まったのではなく、実際の使われ方の中で、すでに早い内に=子供が産まれた時、母親が添い寝することで、父親は和室へと夫婦は床を別にしていた、ということでもあった。
  ところでこのことは夫婦の解体と読むのではなく、夫婦が自分達の関係を楽に維持して行く為に取られた、自然な方法と考えることだと思う。夜泣きする赤ちゃんへの、対処だったのであり、夫への配慮でもあったのだから。
  また夫婦の就寝時間の違い、趣味の時間を過ごすことが夫婦共に多くなったり、夫婦が仕事を家庭に持ち帰るなら必然とも言える、大きな時代の流れと言えると思う。ここに夫婦それぞれの個室化への本流=夫婦寝室の異室異床の流れとしてある。


     まとめ
  こうじて個室化の流れは、家族が個体性を大切と考えた時に表れてきた展開と捕らえるべきだ。もっと実際の家族意識のうちに改題するなら、どうしても過干渉になってしまう現在の家族が、間取りの個室化と言う方法によって、干渉を減らすようにしていると思えてしかたがないのだが。

  住居の間取りの個室化の在り方は、時代的な大きな家族意識の変容と捕らえることだとおもう。こういう住居の間取りの変化と、家族の関係の意識は対応しているが訳だが、正確に対応しているわけではない。例えば夫婦の一体性と寝室とは対応しているが、すでに一体的な夫婦の像は個体的な夫婦の像によって改変を迫られているはずだ。と言うことは夫婦を間取りが表現していたが、実情を表現している訳ではなく、表現たる間取りは遅れをとっている。新たな夫婦の表現は誰かがなさぬ限り、それを皆が気付き、一般的に間取りが変って行くことも無い。

  もう一度言えば、家族は、夫婦はすでに変わっているのだ。だから間取りが家族を変えるわけではなく、それは逆で、家族が間取りを変えるのだ。




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