躾と言う悪習(3) 

          チンパンジーの躾から

 古い話で申し訳ないのですが、2000年の9月頃だったと思いますが、NHK教育テレビだったと思う。チンパンジーの生態をリポートしている映像があった。
 彼らは石を使ってクルミを割って食べているのだが、親チンパンジーは黙々と割って食べている。それを子供のチンパンジーが、どう関係しているのかをリポートしていたのだ。
 低年齢ではジーと見ているだけなのだが、少し大きくなると、親から石を取り上げて自分なりにやってみようとする。初めは石を振り上げるが何処に下ろして良いか解らず振り上げたまま、クルミを何処に置くのかも解らないと言う状態。また親のやっているのを眺めたりするのですが、自分でやろうとするとどうもちゃんと理解していないから出来ないと言う状態です。これに対して親は一切無関心なのです。何のアドバイスもしないで、自分のクルミ割りをくり返しています。子が親のクルミを取って食べてしまったり、親の石を取ってしまっても平気でそのままなのです。こんな繰り返しで、3才ぐらいになるとやっと自分で道具関連や物の順序がわかって出来るようになると言うことでした。私の言う「無意識な躾」そのものですよね。

 これって親子関係の理想ではないか、と思いましたね。
親は子に全く無干渉です。子は親のやり方を一生懸命観察して自分で何とか工夫してやろうとしています。子は兎に角自分でやって見るしかない関係になっています。初めから親子が事は自分自身で創意工夫してやって見るしか無いと、自立した在り方を取っていると言っていいのではないでしょうか。
 これを見て私は我が家と同じだと思いました。
我が家では親は自分の趣味に無心に集中して、日々送っています。子供に何か言うことはありません。子供の方で写真とか、パソコンとか目標を見つけた子は親の方が知っているところは聞いてきます。親も聞かれれば一応やって見せても、後は自分で実際の加減は工夫すればと言うありかたです。今夏休みですからテレビとゲームに日々を過ごしている子もいるんです。それはそれで今のところそれが興味の対象と言うことだし、親がそうしていたと言うことかと得心しています。親は今も結構ケーブルテレビの映画を見続ける事が多いですし、昔は劇画が好きで毎日発行される週刊誌物を何冊か読んでいました。今はノンヒクションが興味の対象ですが。


 今、親の乳幼児への折檻死が幾つも報道されています。
親ははっきり躾としてやったと言っていますよね。躾がエスカレートすると死なせてしまう所までいかないと、親は正気に戻らないとでも言いましょうか。
 何が正気を失わせるのでしょうか。
共同性だと思うのです。それは世間であったり、テレビ報道であったり、新聞であったり。少年犯罪が起こるたびに「躾がなってないからだ!」と言われましたよね。おまけに教育熱が乳幼児のところに下がってきており、躾としてまずやっとかなきゃ−と言うことになっていると言うことじゃないでしょうかね−。みんながみんな「躾やらないなんて親じゃない!」と言っていますよね。そのプレッシャーと、「躾をやればいいんだ!」と言う短絡を生んでいると思うんですよね。やってやってやり抜いちゃう。それがどういうことになるのかをしっかり見つめようとしないで、兎に角やってりゃ文句無いでしょと言うことなんですかね。

 宅間容疑者の父親が、俺は躾はちゃんとした、挨拶することと目をちゃんと見て話せと言うのはしっかりやったとか、テレビで言っていましたね。それに宅間容疑者にお前みたいのは駄目だと厳しく言ってやったということを言っていましたね。
 こんなのは本当にとんでもない親だと思いましたね。こういうのは親の責任回避でしかないですよね。子供を口で散々いじめくさしてしまったと言っていいと思うのですね。本当に自分の子供をいじめていじめていじめ抜いてしまったと言う感じです。暴力も在ったと考えなくてはいけないと思うのです。躾と言う言い訳で。子供は物凄く根に持ったでしょうね。徹底した復讐ですよね。親にはできないので、親がしたように、弱いものに徹底的に返してしまった、社会的なフラストレーションを重ねてね。

                           20010722




back to home