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チベット
「私たちの全て、抑圧者も友人も含め、全員のために、私は祈ります。人間に対する理解と愛を通じて、より善き世界の建設に成功しますように。そうすることにより、生きとし生けるものの苦痛を、和らげることができますように...」(ダライラマ/ノーベル平和賞受賞スピーチより)
民族と文化の独自性を破壊されつつも非暴力に訴え世界平和のために活動をするダライラマの心のふるさと、チベット。荒涼とした世界の屋根にひっそり息づいているチベット仏教と聖山カイラスを巡る旅。
(2002.08)
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チベットの入り口麗江(雲南)
祈りの大地、チベットへ入国する前に訪れた、ナシ族の雲南の麗江。雨の似合う旧市街は、石畳が黒光りしてツルツル滑るが、静かでどんよりとしていて妙に落ち着く。道々では小川が流れ、洗濯や野菜を洗う。古い民家はおばあちゃん家の気分。
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Dr.ホーの漢方薬(雲南)
麗江では自転車を借りて郊外へサイクリング。雨季なのかあいにく玉龍雪山の姿は見えなかったが、少数民族の村々を探検する。漢方で有名なドクター・ホーはここにいた。世界中から薬の注文でいっぱいのようだ。漢方は個人ごとの完全オーダーメイド。自分も鼻の薬を分けてもらう。
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雨のルーグーフー(雲南)
チベット仏教を信仰するというモソ人の住む透明度が高く神秘的だといわれるルーグーフー(フー:湖)を訪ねた。モソ人は歌と踊りが好き。湖の中にある島へ行くためにボートで漕ぐときも(おばちゃんなので、実際は半分は自分が漕いでいた)、夜に村の広場で勇敢な踊りを繰り広げるときも歌う。モソ人は身体が大きい。そして母系民族らしく、男よりも女が強い。今でも夜這いがあるそうだ。
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青蔵公路をチベットへ向かう
雲南から一旦、西安経由で西寧へ。ここで闇バスに乗る。普通にラサへ向かうとしたら、飛行機か高いバスだけだが、交渉により中国人用のバスに乗せてもらえる。もちろん運が一番大事で、違反が見つかり検問で降ろされる旅行者もいるようだ。自分も30時間にも及ぶ寝台バスの旅を経て、無事ラサへたどり着いた。運が良かった。同じバスのチベット人の家族を撮る。
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同乗のチベット人
ラサへ向かうチベット人家族は、成都方面からの聖地巡礼のようだ。特におじいちゃんと仲良くなり、闇でコソコソ乗っている意味不明の日本人を良くしてもらう。チベット人の食べ物、ツァンパやヤクのヨーグルトを食べろと振る舞われたが、すみません...一口食べてギブアップ。この家族とはラサのジョカン前でも後日再会したが、若い奥さんはきれいに化粧をして照れていた。聖地ではきれいにならないと。
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ポタラ宮(ラサ)
ラサへ到着。早速、ポタラ宮へ赴く。チベットの巡礼者たちが一心不乱にポタラ宮の中を巡っていた。チベット人の心のよりどころ、ポタラ宮は写真で見るよりも大きく迫力がある。天空の城。残念ながらチベット人の色が残る旧市街から遠く、ほとんど中国人に侵された新市街の中心にドンと建っていた。ここは、ダライラマが亡命までを過ごし、チベット人蜂起の舞台になったところだと実感する。ラサの標高は3700m。
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もっとも聖なる寺院ジョカン(ラサ)
ラサの中心にあるジョカンの周りは、大げさではなく近づけば近づくほど祈りたくなる気分になる。チベット人巡礼者に混じって周りをコルラしたり、黄金のマニ車が整然と並ぶジョカン内部をコルラしたり。チベット仏教グッズの並ぶチベット人向けのお土産物屋台も多く、おもしろい(中国人のせいで残念ながらそれらはすべてネパール製)。ジョカン前ではチベット人が皆五体投地して祈りを捧げていた。
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ラサ旧市街(ラサ)
ジョカンの周りはチベット人の街。雰囲気は良い。食べ物から生活用品まで多くの店が軒を連ねる。ラサでは、"ヤクホテル"に泊まった。日本人も多く道連れを探すのにはもってこいの快適なホテル。カイラスへの誘いもこのホテルで受けた。ラサでの食事はチベット料理、中華、日本食、コンチネンタルと何でもある。近くの火鍋食堂で食べたモモ入り野菜煮込み料理や、スノーランドホテルのレアチーズケーキは美味しかった。レアチーズケーキは忘れられない味、夜7時からは安くなる...
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僧侶たちの問答(ラサ)
ラサ郊外にあるセラ・ゴンパ。昼間、木陰の多い気持ちの良い中庭で若い僧侶たちが問答をしていた。威勢の良い掛け声と仕草で上の僧が「おまえ、これについてはどう思う?」と問い、下のものが「私は、こう考えます...」と言っている感じ。チベット仏教の学問はこの問答を重要視していると聞いた。ダライラマも本の中で、対話を大事にする。
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ガンデン寺(ラサ)
バスで1時間半強の場所にある、ガンデン寺。ゲルク派の総本山で中国による侵攻で破壊されたが、徐々に再建が進んでいるという。山の上に建てられているので、マチュピチュのように近くまで登らないと存在に気づかない。寺の外壁の色と紋と青空が見事にマッチ。お堂の中は華やかながらも落ち着いていた。巡礼路から見下ろす風景は格別。
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カイラスへの道
ラサでカイラスに近いアリと呼ばれる街まで寝台バスが今年から運行されているのを聞き、憧れのカイラス、夢だと思っていたカイラスコルラの旅をしようと決めた。カイラス巡礼の旅。通常のランクルツアーだと学生には高すぎる。寝台バスはラツェ、ラカを経由し、チベットを代表する大河ヤルンツァンボ河を避ける北周りのルートを取り、アリへ行く。3泊4日のバスの旅。途中で泥にはまって動けなることもあったが車窓はありえないくらい美しい。
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アリからヒッチハイクの旅
アリは中国でも超辺境だと思うが、たくさんのモノで溢れタクシーも走る意外な街だった。ムスリムのウイグル人も暮らしているのでシシケバブの料理もあった。カイラスから帰ってきたときは特に街だと実感する。まず、公安に出頭して罰金を払う(値切れず...)。アリを含め西チベットは非開放地域なのだ。罰金を払えば旅行許可証をもらえて自由に旅行が出来るようだ。ここからカイラスの麓タルチェンまでヒッチハイクをしなければならないが、なかなかトラックが見つからない。最終的にはタルチェン方面への街の出口で野宿し、トラックを射止めた。空が不気味なほど青い。天に近い。アリは標高4200m。
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トラックの荷台で夜を明かす
西チベットにいるというだけで自己満足してしまいそうだが、実際トラックの荷台は揺れが激しく、埃まみれで大変。せっかくヒッチハイクしたトラックも夕方泥にはまって動けなくなり、荷台で夜を明かすことに。カイラスを目指す日本人が7人も同乗していたから心配どころか、楽しくなってしまう。寝袋のない人は寒くて死にそうだったと言っていた。
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西チベットの子供たち
こんな辺境に学校があった。もう少しでカイラスという場所に子供たちは生活をしていた。近くにでっかい街はないので親元から遠く離れている、おそらく全寮制なのだろう。たまに通りがかり荷物を降ろすトラックにみんな集まる。しんどい道の中でほっとする瞬間。チベット人だけでなく中国人の子供もいるようだ。突然の日本人にビックリして泣いている子もいた。
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ダライラマの写真を胸に
アリからカイラスへ向かう途中の休憩場所にいた女性。お腹に子供もいると言っていた。首からさげたペンダントにはダライラマの写真が...この女性に限らずみんな密かに持っている、身体にダライラマを身につけている、愛している。見つかったら大変だと思うが、家の中にも飾ってある。チベット仏教は中国なんかにひるまない。
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ムンツェル
アリでヒッチしたトラックは残念ながら目的地タルチェンまでわずか手前のムンツェルまで。1泊することになったがチベットの民家に泊まれ、聖地のひとつ温泉も湧き出る、ティルタプリゴンパへも行くことが出来た。温泉は足湯程度であったが、寒いこの大地にあって温まる貴重な時だった。ムンツェルでは多くのチベタントラック(巡礼トラック)が休憩していた。
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川を渡る巡礼トラック
トラックは時には川も渡る。川床が石ころであれば途中で止まることはないようだ。それでも少しドキドキする。カイラスへはもう少し!チベタンではないが巡礼している気になる。大人も子供もみんなそれぞれの地方から長い時間をかけてカイラスへ向かう。一生に一度はカイラスへ巡礼しに来るのだろう。普通はこのような巡礼トラックなのだが、お金のあるチベタンはランクルで巡礼しに来る。カネモチベタン!五体投地で目指すすごい人もいる。
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初対面カイラス
とうとうカイラスが見えてきた。軽く曇り空だがはっきりとカイラスと分かる。カイラス...カン・リンポチェ(尊い雪山、神の山)。仏教の宇宙観がそのまま地上に現れたマンダラらしい。カイラスはブッダであり周辺の山々は菩薩であるとされる。とうとう見ることが出来たカイラスに感激し、声が出なくなる。カイラスはチベット仏教だけでなく、ヒンズー教やボン教の聖山でもある。
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タルチェン
タルチェンは巡礼者の言わばベースキャンプ。普通の旅行者にとっても宿や食堂がいくつかあり困らない。ここで食べた水餃子はとても美味しかった。ビールを飲みビリヤードをして遊んだ。タルチェンから湖が見え、あれが聖湖マナサロワールかと喜んだが正確には隣のラカスタル湖という聞いたことない湖だった...タルチェンは標高4600m。
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コルラを始める
タルチェンに着いた次の日からコルラ(巡礼)を始める。チベット人にまぎれて谷を進んでいく。いたるところに石積みのチョルテンがあり、タルチョがあり、ゴンパがあり、右側にカイラスが見える!訪れた年はどうも巡礼の当たり年らしく、普通は108周で解脱みたいな感じらしいがこの年は13周でOKのようだ。そもそもどうして当たり年なんだろう?健脚は1日で1周するが、途中で1泊するのが普通のようだ。カイラスコルラのクライマックス、ドルマ・ラ(峠)の手前のゴンパで泊まるように歩いていく。
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カイラス北壁に光が差す
カイラスコルラの中間点にあるゴンパで泊まる。雪も降り、はだしで川を渡る場所もあったため、寒さで冷えてブルブルしていた。さらにカイラス上空は雲で覆われていて残念な気持ちでいっぱいだった。しかし、ある瞬間だけ北壁がはっきり見え、光が差した!ここまで来た神様からの歓迎、ご褒美なのだ。来て良かった。この風景が自分の夢の地だあると共に一生思い出に残る旅であった。しかし食事は見事にカップラーメン...このゴンパは標高5200m。
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ドルマ・ラ
ゴンパに泊まった翌日、難所標高5630mのドルマ・ラを越える。ゴンパの河原で石を拾って峠を登り始める。高地チベットに長く滞在しているので高度順応は走り回れるくらい問題ないのだが、5600mは当然数字を見ただけで怖くなる。息がしんどい。チベタンもさすがにしんどそう。大人に混じって子供たちもがんばって足を進める。そしてついに峠を登りきった。これでコルラのほとんどを成し遂げた気分でいっぱいとなる。麓で買っておいた正方形の祈りの紙(ルンタ?)をチベタンの真似をしてかけ声と共にばらまく。手に持った石も少しはご利益がありそう。みんな満足顔。
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カイラスからの帰り道
カイラスへの巡礼の旅はドルマ・ラを越えたところで気が抜けたが、ラサへ戻るまた長く厳しい旅が始まる。同じようにアリ経由で帰る。自分はなぜが元気で身体の痛みもほとんどなかったが、やはり途中で体調を崩す人、身体の痛みを訴える人が多かった。トラックがこれでもかというくらい揺れて、肋骨が折れていたのをあとで知る人もいた。ラサへ帰れば、おいしい食事や温かいシャワーが待っている。
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シガツェのゴンパ
ラサへ一旦戻った後、ネパール国境を目指しチベットを後にする。ネパールへ行く日本人旅行者を集めてランクルをチャーターした。途中でエベレストの山脈も望める景色の良い道だった。ランクルの中では快適にも奥田民生や槇原敬之のテープを聞き、気持ちよく乗っていた。チベット最後に見た街、シガツェのゴンパ(タシルンポ寺)。どっしりとした巨大な僧院だった。
(2007.03作成)
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※チベットメモ
チベット旅行のルート 香港⇒[鉄道]⇒広州⇒[鉄道]⇒昆明⇒[バス]⇒大理⇒[バス]⇒麗江⇒[バス]⇒昆明⇒[鉄道]⇒西安⇒[バス]⇒西寧⇒[闇バス]⇒ラサ⇒[バス]⇒アリ⇒[トラック]⇒カイラス⇒[トラック]⇒アリ⇒[バス]⇒ラサ⇒[ランクル]⇒(ネパールへ)
カイラスへの巡礼 まず、アリへ行く寝台バスの情報とカイラスへの旅を誘ってくれたラサで出会った大学生に感謝。そして西チベットという超辺境へ向かうたまたま集まった日本人の心強さとおもしろさに感謝。中国語が操れる成都の留学生、ビリヤードや中国マージャン、ヤクの頭の解体(?)も一緒に楽しく遊んだ。彼がいないと旅が成り立たなかった。一緒にドルマ・ラを越えた横浜のおねえさん、しばらくして結婚して子供が生まれたそう。疲労困憊なのに楽しくしゃべってくれた川崎のおにいさん、自分の明るさとおもしろさ(アホさ)のおかげでカイラス巡礼を乗り越えたと感謝された。チベタン服で身をまとった同い年ぐらいの日本人、途中でチベタンのことが嫌いになったらしいが、他に服を持っていないためチベタン服を脱げなかった。チベタンになりきれなかったおもしろいムードメーカ。どの人も今となっては連絡がつかず、思い出となった。みんなに感謝。
日本人による日本人へのスリ カイラスへの入り口、アリではビックリすることが起こった。日本人による日本人へのスリ行為。ある日本人グループが同じ部屋に泊まり、その中のひとりの持ち金がほとんど盗られてしまったというもの。川崎のおにいさんなどと犯人は誰だ、現地の人間か?ホテルの人間か?という話で盛り上がったが、最終的に同じグループの日本人男の供述が絶対怪しいという結論となった。すられた日本人はカイラスを見ずに泣く泣くラサへ帰った。この日本人はチベットの研究をしている大学院生で見かけは旅をしなそうなのにカイラスへの思いは強かった。犯人と思われる日本人男は、カイラスを見ずに反対方向であるカシュガルのほうへ行くといって消えていった。こいつは雲南で会って話したとき、カイラスの存在すら知らなかった。興味ないのに来るな。最悪だ。
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