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パキスタン/イラン/トルコ
アジア横断のかなりの距離を占める、イスラム圏。モスクの静かな空間、日常とは違う異空間で目を閉じる、パキスタン〜イラン〜トルコの旅。同じイスラムの国でもパキスタンとイランでは宗派が違うためか少し文化や考え方が違う。パキスタン、国境を越えたとたんに雰囲気が変わった。インドを出た後のためかとても礼儀の良い人々に助けられたと感じた。イラン、世界のイランへの敵意に満ちた目線とは全く違って、青いタイルのモスクに、モノが溢れ、遺産を大事にする美しい国。女性も社会活動にしっかり参加している、意外と自由な国。そしてトルコ、イスタンブール。アジアとヨーロッパをつなぐボスフォラス海峡は4月の雪が舞う、アジア横断の終点だった。
(2001.03)
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アジアハイウェイ(パキスタン)
ラホールからクエッタまで鉄道で行く。その車窓から見えた風景。イスラムの1日5度のお祈りは列車の中でも行われ、駅にしばらく停車してムスリムみんながメッカへ向かって礼拝する。車内では、男と女が完全に壁で仕切られていたが、パキスタンではバスも同じ(女性が前より)。パキスタンの人は親切で、食べ物や飲み物をくれた。旅人をいたわれというアッラーの教えにもあるようだ。しかし熱心にアッラーは一番だと語りかけてくる。しまいには、エクセサイズだとお祈りまで教えてくれた。
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カラフルなバス(パキスタン/クエッタ)
パキスタンの乗り物、とりわけバスやトラックは装飾品に力を入れていて、互いに派手さを競争しているかのように思えた。クエッタでは、アフガンバザールというアフガニスタン人の市場があって、ステンレスのコップを購入すると共に、そこでイランのお金に闇両替が出来た。通常、目の前で数えているにもかかわらず、札が抜き取られるというアフガンマジックにひっかかる旅行者が多いと聞いたが、自分の場合、逆になぜか多く札束を受け取った。いいのか?逆アフガンマジック?
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クエッタの桜(パキスタン/クエッタ)
クエッタは桜の木が満開になっていた。高原都市なのか空気も澄んでいるように思った。映画館にも行った。記憶に新しい、アメリカのアフガニスタン攻撃...そのせいでアフガニスタンはクエッタを爆撃した。映画館は壊滅的なダメージとニュースにあった。この桜は無事なのだろうか?
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パキスタン/イラン国境へ(パキスタン)
クエッタから夜行バスに乗り、イランの国境へ。バスは日野(パキスタン)製。クエッタからイラン国境までの砂漠の道は、かつて三大悪路といわれたようだ。しかし、そこまで揺れなかったと記憶している。日本人に似た、同じモンゴロイドであるアフガニスタンのハザラ人がたくさん乗っていた。
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アルゲバム(イラン/バム)
イランに入国。国境を越えた瞬間、道路のアスファルトの厚さといったらすごい。イランは石油の国、道路はどこも日本の高速道路より立派。イランでまず最初の目的地が、バム遺跡。死の街を意味する。どこかのイスラム王朝のお城。これも記憶に新しい、イラン・バム地震で世界危機遺産のリストに入っているという。バムの街角で見た女子高生くらいの女の子たちの笑顔は、今はどうなっているだろう?
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ペルセポリス(イラン/シラーズ)
バムからケルマン経由で夜行バスの長い旅のあと、シラーズに着く。シラーズは鏡のモスクが度肝を抜く街。疲れから少しダウンしてしまったが、ペルセポリスには出かけた。その時代の絵巻が彫られた迫力のある石柱が多い。
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王様の行進(イラン/シラーズ)
ペルセポリスの王様の行進が描かれているような部分。多くのイラン人がカップルでこの遺跡巡りをしていた。昔、王様が行進したであろうアジアハイウェイをはじめとする、イランの交通はとことん安い!バスは3列シートの旧式ベンツバス100km約100円、ボルボの新しいバスはそれよりも少し高い。飛行機は1時間の距離が約1100円!安すぎて怪しく思うほど...都市の路線バスはなぜかタダでもいいということもあった。そして、タクシーは乗り合いが中心。ヒッチハイクが良いと思って手を上げて車を止めたら、普通にタクシー表示のない乗り合いタクシーだったこともあった。
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世界の半分(イスファハン)
シラーズからイスファハンへも夜行バスで一晩の旅。昔、"世界の半分"といわれたイスファハンのイマーム広場。美しく見事なイスラム建築で囲まれた広大な広場。ここでは芸術的なモスクがムスリムや旅行者を魅了し、ペルシャ絨毯、青くきれいな彩色タイル、たくさんの工芸品やお土産、美味しいアイスクリーム(たった10円!)、居心地の良いチャイハネなどのお店がまわりを囲む。イスファハンに滞在した4日間、毎日ここへやって来た。涼しい夕方に来るのが一番。
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イマーム広場のモスク1(イスファハン)
青と白のツートンカラーのタイルが散りばめられたイランのモスク。シャイクロトフォラー・モスク。モスク入口の天井の彫刻と呼ぶべき建築意匠が美しい。モスクの形といいタイルの色合いといいイランで一番見ごたえがあった。
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イマーム広場のモスク2(イスファハン)
このモスクも広場周辺にあったような覚えがある。路地が入り乱れていて、香辛料や貴金属を扱うアーケードを適当に歩いているうちに、たまたま見つけたモスクだったかもしれない。ムスリムにとっては心のよりどころであり、生活の一部としてモスクの存在がある。ムスリム以外でも祈る気持ちがある人(?)は入ってもいいようで、静かな時間に静かな空間で正座し、目を閉じる。涼しい風が横切る。
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夜の世界の半分(イスファハン)
イスファハンはイランで一番美しい都市。ライトアップも美しい。広場端のチャイハネの2階で紅茶を飲みながら広場を眺める。チャイハネにはイラン人家族が多くいた。家へ遊びに来ないかと誘われる。女学生連れもいた。ムスリムの女性というと黒のマントみたいなチャドルで身体を覆い、あまり外を歩かないと想像していたが、イランはシーア派、男性と普通に社会を渡り歩いている様子。カラフルなチャドルとスカーフにジーパン姿の女性も多くいてビックリ。1979年のイスラム革命前はアメリカに憧れる自由なイスラムの国だったそうだ。
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高級ホテルのチャイハネ(イスファハン)
夜のライトアップが良いという話を聞き、高級ホテルの中庭にあるチャイハネへ。紅茶と水パイプでイスファハンの滞在を思い返す。イランの食事で一番気に入ったのは、バターライスにシシケバブ。そしてイランの飲み物といえば、ザムザムブラック(イラン版コーラ)とザムザムオレンジ(イラン版ファンタ)。のどにしみる味。ところで、中学卒業してイランをたった一人で旅していた日本の女の子がイスファハンの安宿"アミールキャビール"にいて日本の男どもは一同驚きいっぱいだった。自分自身そのとき21歳でダントツ若く扱われていたのに、15歳って...
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チャイハネにて(タブリーズ)
イスファハンから安いイラン航空の飛行機でテヘランへ(たった12US$!)。さらにイランの正月をテヘランで迎えて、さらに飛行機でタブリーズへ(これも15US$!)。飛行機を少しでも使ったらアジア横断ではなくなるかも...しかし、実はデリーで取得したイランビザが11日間有効のものだったため、ギリギリだった。タブリーズはイランで最後に滞在した街。たった1泊だったが、イラン伝統のお菓子"ピスタチオ"を専門店で買い求めたり、市場みたいな露店みたいな場所へ行き、レトロなカメラ(詳しくないがロシアのロモというカメラがその時人気で...)を探したりしていた。最後の一服は、やはりチャイハネ。最初は入りづらかったイランのチャイハネにも堂々と楽しめるようになっていた。
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トルコ入国(ドゥバヤジット)
ピスタチオをお土産に、タブリーズからバスでトルコ国境のマクーへ行く。そして、イラン人の長い行列を尻目に(というより検査官みたいな人間にちょっと質問がありますと言ったら、なぜか列の先頭まで連れて行ってくれた)無事イラン出国。ビザが切れる最終日だった。トルコへ入国し、乗り合いタクシーでトルコでの一番最初の街ドゥバヤジットへ。右手にトルコ版富士山であるアララットが望めたが、あいにくの曇り空で頂上は隠れていた。アララット山はノアの箱舟で有名らしい。ドゥバヤジットはイランとは全く違った食べ物や製品が並んでいた。ヨーロッパへ来たと実感する。特にパンが安くて美味しい。トルコでは小さい街にもひとつはパン工房があるようで、直接買いに行ったりした。トルコは貧しい人でもパンが買えるように安く抑えられているとも聞いた。
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ローズバレーの奇岩(カッパドキア)
ドゥバヤジットから時間の都合もあって、一気にカッパドキアまでやって来た。トルコのバスの旅は快適だ。カッパドキアではギョレメという地区にあるケレベックという宿の洞窟ドミトリーに泊まった。洞窟部屋は白を基調に落ち着いた雰囲気で夏は涼しく感じそう。ロウソクをともすと、ゆらゆらと洞窟の壁に影が出来て、部屋の雰囲気が一気に幻想的になる。カッパドキアはコマーシャル通り奇岩だらけであった。特に夕方のローズバレーの奇岩群はきれいだった。
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ゼルヴェのキノコ岩(カッパドキア)
カッパドキアはおもしろい。おすすめの場所。スクーターを借りてあちらこちらへノーヘル(本当はダメ)で風を切って行動した。景色が特徴的過ぎる。ゼルヴェという地区には、かつて隠れキリシタンが住んでいたという住居跡や聖堂が残っていて博物館になっていた。ちなみに、ツアーに参加してカッパドキア近郊の地下都市にも行った。その博物館の近くに3本のキノコ岩が生えていた。お土産物も無理やりな奇岩グッズが多くてびっくり。
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涸れつつある白い錦の城(パムッカレ)
トルコでの不思議観光地のもうひとつがパムッカレだと思うが、寂しい場所だった。シーズンオフということもあるだろうが、思い描いていた石灰棚の温泉水は涸れ、これは世界危機遺産に入るのではないかと思った。温泉は涸れてしまうものなのか?復活は難しいのか?観光地化しすぎたツケなのか?近くのペンションや宿はほとんどお客さんは埋まらないだろうと思った。バス乗り場で時間を潰している最中に、おじいちゃんがアップルティー(トルコ語でエルマチャイ)をご馳走してくれた。その温かみが救ってくれた。
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ローマ時代の音楽堂(エフェス)
トルコにはローマ時代の遺跡が数多く残っているといわれる。本場イタリアやギリシャよりも多いという。そのひとつがエフェス遺跡。ガイドブック通りに神殿跡や門の跡、住居跡をたどっていったが、やはり圧巻だったのが大劇場跡だった。今でもコンサートなどに使われることもあるそうだ。音響も考えられているところがすごい。エフェス遺跡の基点の街セルチュクもかわいらしい街で気に入った。
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アクロポリスの神殿(ベルガマ)
良い場所という噂を聞き、ベルガマの遺跡にもやって来た。エフェスと違い小高い丘の上に立つ遺跡。ガイドブックによるとヘレニズム文化の集大成のアクロポリスだそうだ。昔、社会の授業で出てきた単語が遺跡めぐりによく出てくるが、世界史に興味をもう少し持っておくとこういう遺跡の旅が面白くなるのだろう。それはそうと神殿で過ごした午後は本当に気持ちの良いものになった。景色が良い。丘から街へ戻る最中、斜面をゆっくり下っていくのだが、ベルガマに点在するモスクのお祈り(アザーン)が流れ始め、それが輪唱のように耳に入ってくる。宗教は興味がないが、その音色とベルガマ遺跡の神々しさに感動した。
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トルコの古い街(サフランボル)
サフランボルは街並みが美しく過ごしやすい。トルコ伝統の住居に寝泊りできる。日本語がまぁ上手な女の子の両親が営む宿"杖屋"(トルコ語は忘れた...)で泊まった。親日家で日本人旅行者が多いらしい。民宿のような感じで、家の3、4部屋を旅行者に使ってもらうような感じで、まるでホームステイ。おいしいトルコ料理を楽しんだ後の、お皿洗いも手伝った。お母さんは優しいが、やることをやらないとしかられそう。洗濯もしてもらった。部屋も暖炉を中心に2方をソファで囲み、床はトルコ絨毯(?)が敷かれかわいらしくまとまっている。この宿の女の子は、自分のこの旅行の後、色々な場所で色々な情報ノートに登場してくるサフランボルの有名人で、何年後かに結婚してアンカラへ行ったという話がどこかに書いてあった。
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サフランボルの男の子(サフランボル)
前述の民宿のお友達である男の子。散歩へ出かけた。サフランボルの石畳を歩きお土産屋をのぞいたりしていた。お土産といえば、トルコのお守り"ナザールボンジュ"が有名だと思うが、手首に巻きつけるもの、キーホルダー型のものを買った。ナザールボンジュは、邪視を防ぐといわれ、車に取り付けると交通安全に良いようだ。トルコのバスはでっかいナザールボンジュがぶら下がっていた。また、サフランボルでは、ハマムを体験した。サウナでアカすりや身体を洗ってもらう。とても気持ちが良く、アジア横断の疲れが飛んでいった。しかし、真剣に身体を洗っていてもアカが出てくる出てくる。暗くなってから丘の上でこの街並みを見ると、ハマムから出る煙が旅情をかき立てる。
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ブルーモスク(イスタンブール)
このアジア横断の旅の終点、イスタンブール。ボスフォラス海峡を挟み、ブルーモスクやグランドバザールのあるアジア側と、高層ビルや高級ホテル、ブティックひしめく洒落た通りのあるヨーロッパ側で雰囲気がだいぶ違う。宿はアジア側で、スルタンアフメットという地区。刑務所を改造したというフォーシーズンズもある。ブルーモスクやトプカプ宮殿と観光スポットも多い。スルタンアフメットからトラムに乗りアジア側桟橋エミノミュへ行き、ヨーロッパ側へ行きたければ大陸の架け橋"ガラダ橋"を渡る。エミノミュで食べたサバサンドやケバブ、ムール貝のリゾットがおいしくてトルコの料理は世界三大料理といわれるのもうなずける。トルコ料理はトマトとオリーブベースの煮込み系が多いのかなと思った。とりあえず、イスタンブールではマクドナルドよりもエミノミュのサバサンドがおすすめ!イスタンブールもおもしろい。新旧、東洋と西洋がうまく交じり合う理想的な都市だった。夕方、かもめの舞うガラダ塔(ヨーロッパ側)でこの旅を締めくくった。
(2007.07作成)
(2008.01更新)
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※パキスタン/イラン/トルコメモ
アジア横断のゴール (インド・アムリトサルより)⇒国境⇒(バス)⇒ラホール⇒(鉄道)⇒クエッタ⇒(バス)⇒国境⇒(乗合タクシー)⇒ザヘダン⇒(バス)⇒バム⇒(バス)⇒ケルマン⇒(バス)⇒シラーズ⇒(バス)⇒イスファハン⇒(飛行機)⇒テヘラン⇒(飛行機)⇒タブリーズ⇒(バス)⇒(国境)⇒(乗合タクシー)⇒ドゥバヤジット⇒(バス)⇒カッパドキヤ⇒(バス)⇒エフェス⇒(バス)⇒ベルガマ⇒(バス)⇒パムッカレ⇒(鉄道)⇒イスタンブール⇒(バス)⇒サフランボル⇒(バス)⇒イスタンブール (2001年3月〜4月の旅)
アジア横断 沢木耕太郎の深夜特急を高校生のときに友達から渡されて読んだその時から、アジアハイウェイを横断してみようと思った。
パキスタンビザとイランビザ 両国のビザともインドのデリーで取得した。まずパキスタン大使館へ行って、パキスタンビザを取得(たしか無料)。その次に日本大使館へ行き、イランビザ取得のためのインビテーションをもらう。最後にイラン大使館へ行き、11日間有効のイランビザをゲット。料金は日本で取得するよりもかなり安かった。なお、イランビザだけで数日かかった憶えあり。これは2001年の情報、精一杯の記憶です...現在の取得方法やビザの料金は全く違うと思われますので最新の情報を手に入れてください。
国境線を越える旅で解かったこと インドからトルコまでを陸路でゆっくり進む者だけが解かることのひとつに、"違和感なく受け入れる"がある。インドからトルコへ飛行機で一気に飛んだら、インド人の顔に慣れてしまっているのに、急にトルコ人の顔や世界に変わる。日本からヨーロッパへ飛ぶときも同じで、ヨーロッパの顔や世界に慣れ馴染むのに少し時間がかかると思う。陸路でひとつひとつ国を過ぎで行けばそういう違和感が全くない。隣り合う国同士では顔は大きく変化しない。
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