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吾が故郷の四季こもごも
放 雲 
故郷巡り
2009・03・25
川巡り
2000・9・10
花巡り
2011・05・01
動物巡り
2017・06・07
お祭り巡り
2003・08・15

                                 

故 郷 巡 り
                                                                                                                                                                                                                                                      
 公園
一日遊べます!


満 開!
春夏秋冬
できごと!!
森の石松
生まれは新城!
豊川の源流
段戸山!

新城総合公園 子供から大人まで、一日をゆったりと過ごせるだけの広さと設備・環境を備えている
有料の施設は時間使用や一部使用など条件で違うので聞くこと 0536-25-1144

“時計台”
国道257号線からの東入り口に建つモニュメント。三羽の県鳥コノハズクが迎えてくれる。
1977年から始まった工事が2003年の今年、この時計台の完成でもって終了となったようである。

“噴水広場”
東入口駐車場から100m。巨大なねじり花のような石柱と中央に噴水を設けられた広場である。写真は、虹の階段から空の広場を望んだものである。

(噴水は昼の12時頃に見られる)

          “わんぱく広場”(無料)
当地は、歴史に三千丁の鉄砲で名高い織田×武田の長篠の戦いの場である。それを反映し『城攻め』を模した遊び場で、小学生くらいまでなら1日充分遊べる広さと設備を持っている。

         “子供の森”(無料)
シカやリス・イノシシ・キノコ等置物が置かれ、砂場や木の切り株のトンネルなど、小学生以下の小さい子供によい遊び場となっている。
       “芝生広場”(無料)
やたら広いので、家族や団体で来て軽いスポーツをしたり、のんびり昼寝?も良い。

        展望台”(無料
階段を上る。エレベーターも有る
高さ24m。公園全体を見渡すことが出来る。
展望台から西側を望む足下に『空の広場』左上に『屋根付き広場』右に『芝生広場』左上に『弓道場』その右に『陸上競技場』その奥左に『野球場』右に『多目的広場』その向こうが『北の出入口』である。

展望台から南側を望む。左に『子供の森』中央が『わんぱく広場』その向こうに大海区の町並。

“テニスコート”
(有料;1面1日1,800円)
一応人工芝で六面が使え、大会にも使える。
別に練習板もある。

“弓道場”(有料・個人でも可)
近的12人立、遠的6人立は東海一とも言われる。

“屋根付き広場”

直径27mのドーム型屋根の下は雨天の休憩場所としても良い。入ってみると結構広い!只使い道となると???・・・・ゲートボール?・・・

“ニュースポーツ広場”(事前に申し込むだけ)
グランドゴルフやディスクゴルフが出来る。大会も可。

“多目的広場”(有料;個人的に遊ぶ程度なら無料?)
ソフトボールは二面で利用可。運動会など各種イベント的な大会も可

“野球場”(有料;1日 8時間 4,800円)
両翼92mセンター120mは公式試合も可能である。

“陸上競技場”(有料;1日 8時間 8,500円)
陸上競技一般・サッカー・ラグビー・運動会他

梅 林
 川売(カオレ)の梅林 
全体に遅れ気味?猿ヶ岩:お猿さんの顔見えますか? ・海老部落の信号からおよそ二キロ。行き止まりの山間に広がる梅林。甘い香りも新鮮である。
・元々は養蚕(おかいこ様)が盛んな部落であったが、時代の流れでダメになり、コンニャクをやったが他部落との競争もあり生計を立ててゆくに至らなかった。その後始めたのが梅だったと言うことである。
・今では太いものは樹齢35年くらいと言うことで、幹廻り大人が一抱えもするほどの木は見事である。
・五平餅や農産物の直売もあり、一日ゆっくり散策するのも一興である。
写真を撮るには昼過ぎが良さそう。午前中は逆光になりやすい。

 市川の梅林 
清流とネコヤナギと梅の花!
・春を体で感じさせられる。
・しばらく此処にいたが、人の気配無く、時の流れが止まったかのようであった。
砂防ダム 新城市内ではここが一番のようである。
・川売と比べると樹齢が若く、やや見劣りはするが、全体の面積では良い勝負である。道が入り組んでおりやや移動に難がある。
・道はかなり良くなっている。(工事中もある)
・此処は鍋吊る万灯の里でもある。
写真を撮るには昼過ぎが良さそう。午前中は逆光になりやすい。


菜 の 花 新城市の大宮区・富岡区では休耕地を利用して観光として取組を見せている。 
菜の花;(菜種) アブラナ科アブラナ属
 古来より、種を絞って油の原料として栽培されてきたもので、アブラナ(油菜)と呼ぶほうが自然?。
     (怪談に出てくる、化け猫が舐めるのがこの油である?ウラメシヤー・イッヒッヒ?)

 梅の花と共に春近しを知らせる花である。

《菜種梅雨》と言う言葉があるように、この花が咲く頃にはぐずついた天候が続く。
 
 雨が似合う花でもある。

桜 花
 新城桜淵公園
 一日ゆっくり遊べる。

 ・ほのかに甘い香りの中で、散策するも良し。
 ・ボートを漕いで語り合うも良し。
 ・たくさん出ている屋台を見ての食べ歩きも良し。
 ・腰を落ち着け英気を養うも良し。

・ 
働くだけじゃあ寂しい。一日俗世間を忘れて春を体感するのも悪くはない。

・駐車料金500円?ちょっと高い気がするけど・・・

“うんちく”;桜は 《パット咲いてパット散る》 その様を 【潔い】 とみて、 《武士道の心得 → 日本人の精神》 と受け継いできた所がある。桜の下での仇討ち場面、切腹の場面、特攻隊員や恋愛シーンでの別れの場面・・・  入学式・卒業式・・・・   季節的にも、寒い冬から暖かくなり花開く希望に満ちた春の先駆けの足音・・・   つい陽気になってドンチャン騒ぎ!!!・・・・そこが何とも日本的である。
 桜にしてみると、そんな陽気な話ではないようだ。何でも花を咲かせるために夏のうちから準備をし、冬の寒さの中で、花を咲かせるための力を蓄え、春の気温差を感じ取り、堅いつぼみから一気に咲く。それは人の初産に値する。その時《ポンと音がする???》これは聞いた人はいないようだが結構頑張って咲くんだそうな???・・・・・・・・・・・
 一般に桜というと、満開の花の下で《花見に団子》の図を思い浮かべる。ところがテレビで聞いたのだが、ある写真家に言わせると、もっと楽しめるという。それは
  @咲く前に蕾が一斉に色づく時;これはほんの一時で見るには毎日気を付けて見に行くというかなりの努力がいるようだ。
  A花が一斉に散り、それが風に舞う時;まだ咲き残っている桜と地上の花びらそして風に舞う花ビラ。絵にはなるがこれも天候など自然に負う所が大きい。
  B花びらが散り新芽の出る前;萼だけが残り真っ赤に染まる“萼桜”。天候にもより、一気に咲き、一気に散った時の1日二日の事
  C花が散り新芽が吹いたとき;若芽で薄緑に覆われたときこれも見方で春の花??

以上、かなり風流(時間?暇?根気?)の心得がないと味わえない世界でもあるようだ???・・・・・・・・・・・


世界の桜の園; “花見で一杯”と言う所ではない。むしろハイキングをしながら、静かに観賞すると言う世界である。 
  ・小生の中学時代の恩師が、区の共有林を桜の山にしようと取り組みはじめて十数年と言うことで、木もまだ若い!。
  ・基本的には、協賛してくれる人に桜の苗を買ってもらい、自分の桜として植え、育ててもらう形をとっており、植えた人の名札が付いている。
  ・世界の桜と言うことで外国にも行き、苗の購入をしている。
  ・一種類の苗を沢山というのではなく、色々な種類を沢山と言うことで、開花期も二月から始まりほぼ一年中どこかで咲いているという。
  ・“屋台が出て、音楽が流れ、提灯に灯がともる”と言うドンチャン騒ぎの世界ではない。
  ・自分の植えた桜の様子を見ながら、ハイキングを兼ね、日がな一日、自然を楽しむと言う世界だと思えばよい。
これは登り口にあるもので別格である。 基本的にこのような山である。 ベボウ?が実を付けていた。 足下に“山リンドウの花”が咲いていた 何故か“八重の椿が鮮やかな色を添えていた。
・地質的には中央構造線が走っており、珍しい地層が表面に出ている所だそうだ。素人目にも火山弾のような石や、軽石に近い石がゴロゴロ出ていて、見るからに痩せ山である。造園師に言わせると、土地が痩せていて成長が遅い。樹木に適した山とはいえないと言うことである。
歩いていると桜にまつわる“うんちく”が書いた立て札が目に付いた。面白いのでその一部と百科事典で調べたものを次に記す。
1,満開 ; 花の80%以上咲いたものを言う。
2,開期から満開に要する日数 ; 九州・・・8日    関東・・・7日     東北・・・5日     北海道・・・3日
3,開花温度 ; 関東以西・・・12〜13℃     東北・・・10℃
4,落葉樹である。花の散り際が潔いとされ、日本人特に武人の心得として引用され今日にも一部に残されている。
5,サクラの意 ; サ・・・稲を表す古語    サク・・・神の座を表す     サクラ・・・“稲の神が宿る”の意
  ・古事記(太安万侶により721年完成)日本書紀に出てくる美女、木花佐久夜姫(コノハナ・サクヤヒメ)の木花とはサクラを指し、
   佐久夜がなまってサクラとなったともいう。
6,分布 ; 北半球温帯地方ヒマラヤ以東主に中国日本に自生する。バラ科サクラ属。
        ヨーロッパの方にもあるが、基本的には果実のなる種で、観賞用ではないようだ。
7,種類 ; 20〜30種と言われるが、現在では交配により300種以上とも言われている。市橋長昭(文化時代1804〜1818)の
       花譜では234種が記されている。
8,花見 ; 平安時代、約1000年前(足利義満)朝廷で始まった記述が見られる。花見が庶民のものとなったのは江戸時代に
       なってからとされているようだ。
 
今回の散策で見つけたサクラの名前を次に記す。名札探しも一興かも???・・・・・・・・・ 。
  (1)陽光桜    (2)染井吉野    (3)山桜    (4)八重紅枝垂    (5)雨情枝垂    (6)大島桜    (7)大山桜    (8)松月  
  (9)吉野しだれ   (10)河津桜一葉   (11)御衣黄   (12)富士桜   (13)楊貴妃   (14)江戸彼岸桜   (15)九重桜  
  (16)松前紅傘桜   (17)白妙    (18)紅虎ノ尾    (19)関山    (20)小彼岸桜   (21)おかめ桜   (22)緑富士桜   

 森 の 石 松 富岡の堀切平に約一反歩の屋敷跡があった。運良く表札を建てた伊田さんに会い説明を受けた
“清水港の名物は〜お茶の香りと男だて〜”・・・・歌になり
“森の石松鬼より怖い!ドドッとドモれば人を斬る”講談にもなった。余りにも有名な人物。その生まれたところが新城だったとは知らなかった!
 講談では、遠州森町の生まれとなっている。
義理人情にはめっぽう厚かった・・・ようだ。残念なのが短気で喧嘩っ早やく強かったこと。
イメージでは小柄で片眼やたら明るくて前向き真正直!。
 近くにある洞雲寺に行くと鈴木和尚が墓に案内し説明してくれた。百姓と言っても、名字帯刀を許された郷士の生まれで幼くして母を亡くし、父と共に森町の方に炭焼きの出稼ぎに出て次郎長に見いだされたようだ。体格は当時としては立派で両目が見えたという。墓は事情有って山本家の中に小じんまり治まっている。森町のように賭け事とは縁がないようで、むしろ菅原道真よろしく学問の成就のほうに宜しいようである。
石松生家跡 石松のお墓

豊川の源流 段戸山山頂のミズナラの老巨木の下20m位下にあった。山頂で昼飯!一度は行ってみる価値有り!
   熊に注意;複数人で大声で話しながら行く・・・・熊よけの鈴など対策
         ;残飯など絶対に山に残さない!埋めてもダメ!熊が掘る!熊を呼ぶ事になる!必ず持ち帰る!
国道257号線清崎の交差点から直進旧田口線の道を行く。設楽ダム予定地を 過ぎ、県道33号線に入る。大和田を過ぎ右に町道325号段戸への入り口に入る 左に33号を500m程行くと、一級河川(豊川)の上流端の石碑が左道脇にある。 325号を約25分登り切ると小屋があり右に駒ヶ原林道入り口を見て直進。 1q程下ると正面に車止め段戸山の入り口である。付近に車を止めここから歩く。
入って(返り水林道)直ぐの左清流である。昨日雨の為か結構な水流であった。 約30分で右に源流登り口である。分け入ると砂防ダム、周りはイバラでチョットやっかい。左に水道を見ながらの沢登りとなる。道は無いが檜の林で結構歩きやすい。 約30分、正面左に10m程入った所が源流であった。 ここが、今日の豊川の始まり!“源流”である
周囲約5mミズナラの巨木である。
本日の“源流”わき水
“豊川の始まり”である。
昨日の雨で位置が少し高くなっているようであった。
(渇水期には少し下がるのでは?)
仰ぎ見ると、小枝の向こう約20mに、山の主のような“ミズナラの巨木”が伺えた。付近は熊笹が生い茂る。
(夏場は来るのが大変かも?)熊の心配が必要?
そこかしこに何か?蘭の花・・・・・のようであった?

花の咲く頃
もう一度行って来ます!
  段戸山山頂!
左下20mにミズナラの木。
さらに20m下が源流!
帰りは、尾根から浦谷ルートで返り水林道に降りたが、迷いそうで遠く感じた。来た道を戻った方が良かったかも・・・・・?



 春夏秋冬 
ータリーに植えたミカンがたわわに実っています。
 ・17個ぶらさがっています。
 ・排気ガスにも負けず元気です。
 ・車からの見通しが悪くなると思い背丈を1m位に抑えていましたが、信号機が出来、関係なくなったので、倍くらいまで延ばしてやりたいと思っています
12月6日
大霜となりました

   白いのが霜です。この下にはチュウリップが植えてあります。
  その向こうがパンジーです。
  その向こうが最近出来た信号で、吾が愛車がさりげなく写っています。
大鮎釣れる!!下り鮎である。吾が寒狭川には27センチ以上の鮎は絶対にいない!と、某水産試験場の人が言って久しい。所がこの鮎ごらんの通りである。体長30p体重300グラム。小生も始めてではあるがいたんですねー。但し、この所組合がいろいろな所から鮎を仕入れて放流していることは確かで、その影響であることも確かである。まあ、楽しければ良しとしましょう。 秋ナス!!;我が家で採れた採れた物である。『秋ナスは嫁に食わすな』そこで一言。秋のナスは柔らかくてあまりのおいしさに姑が、若嫁さんに食べさせないようにした!とのこと。嫁イビリか?。いやいや!!ナスは食べ過ぎるとお腹を冷やすので、身ごもった嫁にはお腹の子供に悪いからと食べさせないようにした!。はて?さて???・・・・・・・。
今年もウジャウジャ来ました!。思い起こせば43年も前、小生が小学生の頃,春の訪れはウグイ釣りから始まった???・・・・・・・。大切な動物性タンパク質限でもあった。今では見向きもされない。我が家では数匹を旬の味として食す。
鮎滝である!!。寒狭橋大橋を挟んで上に鮎滝下に新滝。どちらもこの調子である。更に下に宮渕と称する淵があるが、其処には天然と想われる体長5p位の鮎が黒く長い帯になって遡上してきている。近春先順調に水が有ったお陰である。6月1日の解禁が???・・・・・・。


21世紀の夜明けである。
20世紀は素晴らしい世紀であった”と思う?
 前半は戦争に明け暮れたけれど、後半は物質と消費の超近代国家を築いた。20世紀末、アグラをかいたわけでもないだろうが陰りが見えた。
 今世紀は真価が問われる世紀と成りそう!!

鉄塔はいくつ見えるかな?13??いやいや、もっと見えますぞ! この電力のおかげで今という時間が支えられているのです。今世紀はこの電力の供給方法が問われそう!!今更後退できないものねー・・・・・・・?



川 巡 り

 雪の鮎滝
(大橋より)

雪の鮎滝
(橋の下より)
雪の猿橋より上 雪の猿橋より下 平成12年2月16日、近年にない積雪があった(一晩で13cm)。言葉は悪いが「雪の朝は乞食の洗濯」なぜなら、静かで穏やかな日差しの日が多いのだそうな。個人的には好きだ。スキーが趣味な事も有るが、何よりも真っ白なのがいい。雪が解けるまでの一時では有るが、世の中の汚いもの、見苦しいもの、全てを覆い隠してくれるのがいい。このごろ嫌なことが多すぎる。
新城のナイアガラ; ・長篠発電所への溢水式ダムである。 ・水加減で導水路から漏れた水がこの景観を生む。  
長篠発電所;これよりトンネル(ずい道)720mが掘られ長篠発電所がある。ナイヤガラ型発電所と呼ばれ、水車と発電機が縦軸で結ばれ。水車の真上に発電機が位置するという全国的にも珍しい形のものであったようだ(普通は水平に位置する)。明治43年12月から45年2月に掛けて豊橋電気KKが作った。水車・発電機共にドイツ製である。水車2基で750KWおよそ700戸分の電力を賄う。水路は溢流堤と呼ばれる形式がとられた。つまり余分な水は堤から漏れて自然に本川に戻る形である。それがこの景観を見せるのである。設計者がそこまで計算して作っていたとしたら、まさに自然を生かす先見の明が有ったと尊敬に値するものである。水路の最後部には流木路が設けられており、これは当時切り出した木材を川に流して運んでいた事への配慮であったろう。その面影は今も残っている。尚昭和22年(1947年)落雷で全焼し改修され、、昭和58年(1983年)老朽化で車軸など心臓部の改修工事がなされている。この時、取水口付近で記念碑が見つかり、現在発電所下り口左に移築されている。碑には『沐浴群生通流万物』逓信大臣 林 薫とある。【ぐんせいもくよくシばんぶつりゅうつうス】生キルモノ群レテ沐浴シ、あらゆる物ガ流レテ通ル。水の人間に対する徳を読んだもののようで、何とも雄大な詩である。
一度怒るとこのように変貌する〈2003・8・9〉



花 巡 り
花を見て素直に”きれい”と思える人間になりたい。
花を見て素直に”きれい”と思える人間の世界になって欲しい。
  昨年の秋、家の前にこんなものが出来、思いつきで花を植えることになった。お金を注ぎ込むだけのゆとりはないので、タンポポを始め家の周りに咲く野草を主体に植えている。今では兄弟を含め協力者も出てきた。人間、花に対する気持には邪心無く、きれいなものであるらしい、この歳になってそれを知らされている。景品や、粗品でいただいた種から育ててもいる。消毒や、肥料もほとんどやっていないが、一生懸命咲いている。そう、一生懸命である。朝・昼・晩よく観ていると表情が変わる。朝のうちは何となく艶やかできれいだ。昼は真夏の日差しを受け頑張ってはいるが疲れ気味。夕方になるとホッとしているようだ。昔から花言葉を始め、愛のキューピットの役目をし、時にはバラの花の棘を言われ、人間との繋がりは言われぬ強いものがある。少なくとも小生52歳、この年になるまで面と向かって花に語りかけたことなど無い。だからこそ冒頭の二行の言葉をのせた。花をいつも愛することの出来る心の広さと、ゆとりと、その優しさを持てる人間であって欲しい。それが、人と人との間(ま)と、その間を取り持つ繋ぎとなる「相手を思いやる気持」を育てることを信じたい。そんな一人になりたい。


アケビの花である;
 ムベと一緒に植えてある。ここ数年花は沢山咲くのだが実が成らない?
 受粉をしてやらないとダメ!と聴いた。種がやたら多いのは受粉が自身では難しいからかも知れない。
で・・・・今年はやたらくっつけてみた?さて結果は・・・
ムベの花です;
 メシベが少なーーーーい・・・のにオドロイタ!
 早速人口受粉しました。結果が楽しみです。

銀竜草; 別名ユウレイタケ   中国では水晶蘭
これだけ名前の感じが違う物珍しい!
  腐生植物・ 死物寄生植物・菌根寄生植物等と言われ、自分だけでは生きて行けないようだ。
 
    “水晶蘭”と呼びたい
  ポポーである!;
 初めて成った!。
 小生が中学生の時、学校の裏庭に有って実を付けていたのを食することなく卒業し、その後行方不明になってしまった。そんな思い入れで植えたものである。
 「バナナとパイナップルを足して3で割ったような果物」。「森のカスタードクリーム」など評価は高い!が・・・食味期限が短いので流通は限られるようだ。 
フウラン;ラン科 フウラン属 常緑で風を好み、この名がついたとも言う。
 風貴蘭とも書く
 直射日光は避ける
 江戸時代から好まれている
原産;中国・朝鮮半島・日本
開花;6月〜8月
特徴;夕方に芳香をを放つ
 開花には数年かかる?        
ヤクシソウ;キク科 オニタビラコ属   病気や災難を除く薬師如来の草に由来の薬師草のこと。
 切ると白乳色の汁を出すことから別名チチクサ。 背丈80〜100p
 開花は8月〜11月茎の先端に7〜8個の黄色の頭花を付ける。
 薬効;打ち身捻挫等のはれものによい。(乾燥した頭花のゴマ油漬けを塗る)                   
トリカブト; キンポウゲ科の多年草
         花の形が、舞楽に使われる兜に似たところからこの名が付いたと言われている。
    ・原産は中国と言われるが北半球の寒帯から温帯に掛けて世界中に広く分布している。
    ・種類も多く、亜種を含めると300種もあるという。   日本には約30種類有るという。
    ・花期は夏7月〜9月
    ・塊根を干したものを草鳥頭(ソウウズ)と呼びアルカロイドの猛毒であるが、反面神経痛やリュウマチの鎮痛薬     としての薬効があるとされている。    
    ・昔は矢尻に塗って狩猟に使った記録もある。
        

6月01日
 笹百合;葉が笹に似ていることからこの名がある。

 ・開花期は6月この時期である。
 ・淡いピンク(白も希に有る;後方)で、何ともいえない甘い香りを放つ。
 ・“可憐”という言葉が似合う。ほとんど一輪で、2・3輪咲くものもある。
 ・子供の頃もっと広範囲に分布していた気がする。いつの頃からか乱獲とあまりに笹に似ているため、春先の下草狩りの時、根本から切られて絶えて行ったものと思う。元々地は良いと思われるので、草刈り時の注意で昔の様に何処にでも見られる様になると思うのだが???・・・・。
桜花月;別名“金のなる木
  かれこれ十数年に成るだろうか?。五円玉をぶら下げて、縁起の良い観葉植物として知り、その後花が咲くことを知らされる。以来、花を咲かせることに挑戦してきたが、昨年三つばかり咲いたのが最高の出来である。所詮お金には縁がないのかナー・・・・・。これは、せめてあやかりたいと友人から一枝分けて貰った物!。花の少ない冬場に、かれこれ二ヶ月も咲いている。お金の貯まる家では放って置いても咲くそうな!!!・・・・・。我が家は・・・・・・・・・・・・・・。
5月3日

春欄;
この時期、山にはいると見ることが出来る。色のバランスが何とも良い。
小生宅の三軒隣は由緒有る家柄?古い柿の木に宿っているものが見事に咲いた。大人の一抱えをゆうに越す一口に直径一メートルと言ったところか。種類?もピンクと真っ白の二種類有るようだ。 今になってひょろひょろ出てきて咲いてます。近くにないし???・・・・・・・。鳥が運んできた種から芽がでたのでしょうか?。この所毎朝一つか二つ咲いてます。可憐!!!。 大文字草;
 ・『名は体を現す』を文字道理示しています。
 ・背丈は15p〜20p
 ・花は15o〜20o
 ・およそ百株位が群生しています。
 ・10月から11月の始めに掛けて咲きます。
 ・綺麗な清水がしみ出る岩場にいます。
 ・写真は一株採って写真写りの良い所へ持ってきたものです。
彼岸花;・これほど律儀な花も珍しい。冷夏の時でも、やたら真夏日の続いた時でも暦に会わせて咲いてくれる。
・余りの派手な色と、豪華な形故か、はたまた、灰汁の強さ故か地方によっていちいち呼び名が変わり、一口に百以上の名があると言われる。小生の好きな名は“人恋花”由来は人の手が掛からないと自分自身の灰汁の強さで絶えてしまうからだという。
・原産は中国といわれる。伝来も定かではないが、一説には昔偉い坊様が球根を飢饉の時の食料用にと持ち帰った物で、当時は何処の家の庭先にも植えられていたという。残念ながら灰汁が強く、小さい子供はかぶれるし、他に食べるものが豊富な時代になると、邪魔者でしか無くなり野に出てゆくが、左記の理由で、人手に掛かる範囲以内に留まる。
・これも定かではないが、この花の拠点は東三河地区だとか?。一度暇が出来たら調べてみたい題材である。


人恋花(彼岸花)

フキノトウ

たんぽぽ(須長 )

ツクシ(須長)

白深山ツツジ(大荷場)

赤深山ツツジ((大荷場)


ナンバンキセル(銭亀)

カンスゲ(市川)

オオイヌノフグリ(市川)

ショウジョウバカマ(市川)


 


動物巡り ;我が家への珍客

マミジロツメナガセキレイ;
 スズメ目・セキレイ科
秋には大群をなし南へ渡る。林には入らない。草原・耕地・に生息。
巣は地上の草の根元など。
アジア・アフリカの熱帯で越冬。アメリカ大陸にも進出。
食性は昆虫。
ガマガエル;
 体調15センチくらい
  
 ヒキガエルというのが総称のようです。
 我が家に居着いているようで、時々出てきます。
 以前子供と一緒に出てきたことがあるのですが?
 
アサギマダラ;
 ふわりふわりと優雅に飛んできました。
 毎年数羽見て来たような気がします。
 渡りをする蝶として有名?のようです。
 春は涼しいところ(3000メートルもの山)を求めて北上し、秋になると南に帰って行く。台湾と日本その距離数千qとか。 
とかげ;
 毎年この時期になると出てくる気がする。
 春うらら???
ノンビリ昼寝と洒落込んでいた。
 確か二匹いたはず?・・・いましたいました近くにもう一匹・・・これもウトウトしていました。
 チョット不用心だぞ!・・・・
モリアオガエル;
 体長約10センチ足の指先が大きくふくらんでいることと、水かきがないのが特徴?かな・・・・・。 
 普段は山の中の木の上にいると聞いていたのですが?よんどころのない事情で、昼間小生の前に出てきました。雨蛙によく似ていますが、体長が大きいのと皮膚が乾いていました。
モリアオガエルの卵;写真の提供は我が悪友?竹川氏である。これも区内の友人今泉和之氏から連絡があって撮りに行ったとのこと。  頭上のネムノキの枝・田の脇の草むらの中である。ネットで調べたら、夜行性で木の上で生活する。食性は肉食とか? 
 まさか小生の区内で見つかるとは・・・・・と思って、区内の長老に聞けば「そんなもの昔から居るわ」で済まされた。
 すぐお隣の鳳来山麗に生息し、天然記念物になっているはずである。居ても不思議ではないわけである。
 体長はトノサマガエルくらいで色は雨蛙と聞いた(5・6pくらいか)。 こうなったら一度見てみたいものである。 
     カミキリムシ(体長2.5p) カミキリムシ(体長5.5p) オニヤンマ体長10p

クロイトトンボ
カマキリ H15・08・02日;我が家の第六回目の滝番でした。珍客!が来ました。

 何か解りますか?・・・・。
 体長4センチくらいのカマキリの子供です。何故か 近くに来てついには小生の肩まで上がってきたのです。
三つ葉の様に見えますが左が挟み、真ん中が頭、右が尾です。
ショウリョウバッタ ツマグロヒョウモン

 お祭り巡り 
盆行事
市川の鍋吊る万灯;8月15日PM7:00点火15〜20分が見所である。(市の無形民俗文化財と成っている)
 村は、険しい山肌に寄り添うように集落が形成されている。昔、鎌倉時代と言うから今から800年ほど前、山伏が修行に訪れ、先祖の霊を供養する行事として始まったとされている。全長およそ120メートルの鍋吊るの形を、松明の灯でともす(何故鍋吊るの形なのかは聞きそびれた)。その松明を各戸で持ち寄る訳であるが、過疎化が進み今43軒、お年寄りの一人住まいの家もあるとかで、担ぎ手も少ない。一軒二本では少ないので今は3本、昨年より県内外から希望者を募り、参加してもらうことで担ぎ手を確保し、行事として引き継いで行くという。
 (中央野写真、万灯山の手前は、市内では最大の梅林である。春先には訪れる人も多い)
大海の放下踊り;8月14・15日初盆の家々を廻り霊の供養として行われる。(県の無形民俗文化財と成っている)
 “放下”は仏教用語である。死者がこの世への諸々の執着を忘れ、浄土へ旅立てるようにと踊る。江戸時代後期からと言うから今から250年ほど前盆の行事として定着したようである。松明により迎えられ、そして踊り、次の家へと移って行くのである。澄んだ鐘の音と、力強い太鼓と掛け声それに伴う力強い動きは熱感、地を這うような念仏と笛の音は暗くなった方が趣が出る。 
竹広の火おんどり;8月15日午後9:00頃より行われる。(県の無形民俗文化財と成っている)
 (写真は撮り損なった。来年を期待して欲しい)
 天正3年、今から420年も前、歴史にも有名な、織田・徳川の連合軍が、三千丁の鉄砲で、勇猛を馳せた武田の騎馬軍団を破った、設楽ゲ原の戦いの場である。信玄塚(現在歴史資料館が建っている)と言う所がある。
決戦後、ハチが大量発生し、農作業をする人馬を刺し困らせた。当時の村人は、武田の戦死者の亡霊と信じ、松明を焚き、霊の供養にと始めたものが現在に伝わる。
 太さ二尺長さ一間あまりの松明を、鐘や太鼓に合わせ、かけ声と共に勇壮に振り回す。その仕草はハチの大群を振り払うかのように見える。

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