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ikiru
生きる
それぞれの項目で一番上が新しいものです。
一人の人間の一生は、その人だけのもの。その一生を長く生きるも、短く生きるも、大切に生きるも、粗末に生きるもその人の意志。心は青竹のごとく、頭は稲穂のごとく、夢は高からず低からず、自然体にして、誰にも恥じることなく、素直に堂々と生きて行きたいものだ。ムリカナー・・・・・・・・・。
                              


椿の木である;
 結構古い石垣である!
よく見ると、椿の木の為に石積みを変えているようだ。
 旧家である!
粋な御仁が住んでいたのであろう!
 昔の世にも、自然との対話・共存を楽しんでいたのである。・・・ゆとりか?・・・・心の・・・・・
今は“生物多様性・・・・” 
串刺し?;
 間伐をしていて見つけました!
 枯れ枝が串刺しになっているのです(今は)。
 たぶん、幼木の頃、枯れ枝が引っ掛かって、成長する課程で全てを受け入れ、取り込んでしまった!そうするしかなかった!
 ここにも仏の意志が・・・・・・・・・!
協力;
  協力して獲物を運んでいました。弱肉強食の世界でアリほど集団生活をしっかり守っているのは他に見あたらないのでは?もっとも、女王様も子孫繁栄のためにだけ?子供を産み続けるようですが・・・・!
ミツバチが!・・・;
 農作業していて、チョイと催してきて立ちションしていたら、目の前にミツバチがブーン・・・・『アッミツバチが分蜂で巣を探しに来たなー・・・トトト・・・くものすに引っ掛かったよーーーー』
 世の中厳し−
 
モリアオガエル;
 体長10センチくらいのカエルが、我が家の近くの国道でヘビを引きずっていました。
 これが自然の摂理かもしれませんが?我が会のマスコットと言うことで逃がしてやりました。南無阿弥陀仏・・・の世界ですねー・・・・・
ムカデ;
 特にケガをしているようにも見えないのですが6・7匹の黒アリに抵抗するでもなく引かれて行きました。蟻酸とムカデの毒の勝負なのかナー・・・・・・・
死に直面して;
 妻の妹がこの世を去った。後の世が有るならば、残された家族を想い、いつかそちらに行くまで見守って欲しい。 
 卵巣ガン、余命二年と宣告され、その通りに逝った。53才。夫と三人の子を残して・・・逝った。逝く一週間前には病の床の中で、生きる事への望みを捨てていなかった。話も出来た。それが急激に、最後の一日は時間を追う毎に弱って行った。最後まで生きようとしていたであろう見えない、うつろな目を忘れられない。
 何故妹が?親より先に何故?夫と共に懸命に生きた。仕事も軌道に乗り、三人の子も大学を卒業させ、これからと云う時。兄弟の命を一年ずつ与えてせめてあと十年いや五年でも・・・。他に死んでも云い人間が・・・いや・・・これはよそう。・・・それにしても何故妹なんだ・・・・。
ミドリ蜘蛛かな?;
全く偶然でした。
蜘蛛がハエを捕らえていました。
カリンの実に付いた毛虫を捕っていて見つけたものです。
葉の色に見事に同化していました。
蜘蛛の名前は知りません。保護色なのは解りますが、元々このような色なのか???・・・・
神様はそれぞれに生きる術を与えてくれているようです。
人間には何を与えてくれたのか?
幸せもってこい!!!・・・;
 例の友人が区内の県道脇で車に跳ねられ死んでいたのを、“可哀想?勿体ない?から持ってきた。おまえなら何とかするだろう”だと。そう言われると弱い!
 猟友会員で剥製屋をしている人の所に持って行き、形を作って貰った。普通の立ち姿に作って貰ったが、他の会員が持ち込み作ってあったこの形が気に入って貰って来た。小生が持ち込んだタヌキは他の人が持って行った。“タヌキ死んで皮残す”である。放って置かれて車に惹かれて自然に還るのがほとんどである事を思えば、幸せなヤツと一人納得して眺めている。
 只、けもの道の有るところに、後から人間様が車道を作ったのだから・・・・・・・・・・・・。 
南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・
見たとおりである。
タンポポとドクダミ草。
アスファルトを割って出てきた。向こうはコンクリートの建物である。
この時期、あらゆる植物が目を覚まし。日一日と惜しむように成長する。
時あたかもイラク戦争の真っ最中!
アラブの宗教心は強い紀元前に逆上る。
一日も早い終結と、その後の復興を祈る!
ナメクジである・・・・・。
小生が植えて出来たイチゴから出てきた・・・・・
余りよいイメージは無い・・・・ジメジメした所にいる。人目を避ける様に生きる。一説にはコンクリートも食べる???・・・・何でも食べる???・・・・弱きが故か???
前の花壇の中で見つけました。自然界は厳しいのですね! ・前の花壇の中でカマキリがバッタを捕らえていました。バッタの色も保護色でしたが、カマキリの色は更に保護色に見えました。生きる・子孫を残す本当の意味で弱肉強食の世界を生きているのですね。
・吾が人間の世界は、頭脳を使うことで自らを霊長類と呼ぶに至り、今や、その傲りから地球規模でのバランスを崩すに至っています。
・富の偏りから餓死する人々がおり。自然の怒りに合い、大洪水に見舞われ。一方では日照りで砂漠化が進む。国家の主義主張は常に自らに利が有ると力説する。
・本当の正義は、全ての欲を放棄したところに生まれるようだ。
・小生にはちょっと無理か???・・・・・・・。せめて、他人に・そして自然に迷惑掛けないことを意図して生きよう!と思う・・・・・・・。
・カマキリって何の後雄を食べてしまうんですよね!!。人間に生まれてよかった!!!???・・・・・・・。
如何に生きるか!
 ・一日一ドル以下での生活をしている人・・・・・12億人
 ・電気のない生活をしている人・・・・・・・・・・・・16億人
 ・明治維新から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135年
 ・アメリカの建国から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・227年

 ・生きる権利は平等???・・・・・のはずなのにこれだけの差が付いた。紀元前から『王様と乞食』?・・・・・今も???
 ・物質文明の発展は、より欲の強い人間が引っ張ってきた?・・・・・今も???・・・・・。
 ・幸せになる権利は平等???・・・・・・・。
 ・能力と努力は平等ではない???・・・・・・・。
従って
 ・不平等の中での平等は心ある力のある者に委ねられる。
 ・心ある力のある者を頭に据えることが出来た時、国をそして世界を人類を真の平等と平和へと導く事が出来る。
 ・その選択は、選挙における、一票の紙切れであることに気づいていない。気づいていない者が多すぎる。 
スズメバチの巣が出来ました

尾端の色黒色眼周辺の色黄色ということで姫スズメバチでしょうか?。
・玄関の横にハンドボールくらいのスズメバチの巣が出来ました。縁起が良いと言うことも有りますが、大きくしたくてソット見守っていたのですが、敏感なんですね!この後、蟻が座敷に上がってくると言って、蟻よけのスプレーを下で使ったら全滅してしまいました。秋には分蜂が有り気が立って刺されると言われ、事実よくその被害が報告されます。時には死ぬ人も出るようなので注意が必要ですね。でも、彼らにもそれなりの理由があるはず。習性をよく知って刺激しないことです。
・秋に気が立つというのは、新しい女王が誕生するので、それを守ろうとします。彼らにとって一族繁栄の源ですから、少しでも危害が及ぶ危険が有れば攻撃してきて当たり前なのです。人間だって、我が子に危害が及ぶようなら、親は守るためにそれなりの行動を起こすのではないですか?
・黒くて動くものを嫌い、攻撃します。
・巣に向かって指さしや、長物を向けないこと。
・音もそうですが、驚かさないこと。

みんな一生懸命生きているんです。 
我が家のオタヌキサマです ・朝出勤途中の道端にキツネが死んでい。そういえばほとんど同じ場所で、この一ヶ月の間にタヌキが二匹死んでいたような気がする。いずれも朝の出勤時に見ているのだから前の晩のうちのことだろう。道が良くなり、市街地の抜け道として長距離自動車の交通量が一躍増えたせいであろう。獣道はそれ以前より其処にあり、人間が車社会の都合で道を広げ、舗装をし、スピードが出せるようにした。そのスピードにタヌキもキツネも追いついて行けなかった。人間に獣道が見えるはずもなく、見えたとしてもそこにトンネルを掘るなどの措置をこうずるはずもない。獣道は、彼らの祖先からの安全な通い道として受け継がれてきたもので、、簡単には移動しないものと聞く。これからも何匹ものタヌキやキツネが犠牲になって行くのだろう。これが人間なら歩道なり信号が出来るのだが。タヌキやキツネじゃあねー・・・・・・・・・。でも、それでいいのかなー・・・・・・・・・。
絶対輪廻と
言うべきか
・区のお役で林道の草刈りに出た。一休みで道端に腰を下ろす。常日頃若者(特にスカートの女子)が所かまわず、やたら腰を下ろしているのを快く思っていない小生ではあるが,こういう場合は別である。ふと下を見ると蟻が何かを運んでいる。よくよく見ると死んだ仲間である。ついさっき人間に踏みつぶされた仲間である。踏んだのは勿論草刈りに出た小生の仲間・人間である。彼らにとって運が悪かった。数年に一度の草刈りがあり、其処にいた。踏んだ方は気にも掛けていない。このようなことを気に掛けていたら仕事にならない。道を歩けもしない。それでも一つの命が奪われた。その仲間の体を運び、食料にするのであろう。弱いから大家族でもある。弱肉強食!ごく当たり前の自然界の法則である。が??。人間はその自然の法則を科学とか、医学とか、勝手な理屈を付けあまりにも壊しすぎていないか?。いつか、もっと大きな力(地球という生き物)にいじめられることになりはしないか?すでにその兆候は始まっている様な気がする。
愛車と共に;11年である。このたび更新することになった。最後の思い出にと写した。四国から東京・金沢・・・・・・長野五輪にも行った。ほとんど故障もなく良く足となって動いてくれたものだ。距離も14万キロを超した。今度乗り換えたら廃車にされるのか?。出来ればどこかで生きていって欲しい!そんな愛着の残る車であった。この世に生きるもの、形有るもの、全ての源がエネルギーであるなら、形有るものは全て生きているのである。形あるうちは、何らかの関わりを持ったものは特に大事にすべきである。この愛車も最後はきれいに洗って出してやろうと思っている。もう休ませてやっても良いのかナー?・・・・・・・。
毛虫の冒険;
時は朝、日が昇り、空気がようやく緩む時間、出勤の自動車が行き交う裏道街道。精一杯体を伸ばし、セッセ、セッセと横断中。車の風圧でコロコロ、コロコロ。丸くなって飛んでゆく。よく観ると、そこかしこ、半分踏まれた者、ペシャンコの者。危険を冒して何故???。
ミミズの冒険;
・毛虫と同じ街道(国道151号線)朝の涼しき頃。にょろにょろ・・・ニョロニョロ・・・朝の散歩かな???・・・・捕まえて草むらのなかえ放り込んでやりました。
子孫を残す;NHKのテレビで”百獣の王”ライオンの一年の生活を観た。雄一頭に対して雌数頭。雄は体格が大きいことは勿論、強いことが絶対条件である。縄張りを守り、強い子孫を残さなければならない。雌はそれを良く知っていて、もっとも強い雄としか契らない。受精は結構メンタルでさかりが来た雌と群を離れ餌も食べずに一週間十日と受精のための日を送るのだそうな。狩りは雌の仕事。食べるのは雄から。子育ては雌の仕事。子供は母親にも父親にも甘えることが出来る。
 ライオンに限らず野生の世界では、強い生命力が絶対条件であり、そのための雄であり、雌は強さを求めての選択でもある。強姦など絶対出来ない。地球45億年の歴史の中で、動物も植物も、最初は雌雄同体の所から始まり、子孫を残すために雌雄が分かれてきたようである。そしてより強い生命を無意識の中で求め異性を求め、進化ししてきた。それは今も変わらない。・・・・・・・・・と思う・・・・・・・・・?。人間を除いてである。今や、3倍体やらクーロン羊や牛。永遠の命さえ求めようとしている。神が居るのなら聞きたい。このままで良いのでしょうか?と。
種の保存;ライオンは、子のいる一家の長(雄ライオン)に戦いを挑み勝つと、その子供を皆殺しにするそうな。(ちなみに、雄同士は死ぬまで戦うということはしないし、去る者を追いかけるようなこともしないのだそうな)理由は、雌ライオンに少しでも早く自分の子を産ませるためで、雌ライオンは、子育ての間は次の子を宿すことはせず、いなくなると数週間で宿す様になるからだという。誰に教わったわけでも無かろう。少しでも強い(良い)遺伝子(子孫)を残し種の存続を図らんが為の超自然の摂理なのである。それもこれもいちいち納得する。人間だって戦国の世はそうであった。戦をし、弱い種(遺伝子)は滅ぼされ、強い種(遺伝子)が残されてきた。男の方が一割方多く生まれるのもその為で、子育ても男の方がよく死ぬのだそうな。で、男女の数が合う。医学が発達し、死ななくなって数が合わなくなっているのが近年である。交尾の季節が来ると雌ライオンの方から要求するようになるのだが、若すぎる雌ライオンが言い寄っても、けんもほろろに相手をせず、年をいった雌を相手にするという。これも若すぎては生まれてくる子供が弱いためだからだそうな。人間社会で言うと、耕地整理したばかりの新砂の畑では良い作物は出来ない。腐葉土の入った古い肥えた畑の方が良い作物ができると言ったところか。人間社会の『幼な妻』だとかあんまり年がいってからの出産はよろしくない。昨今の人間社会の風潮はどうか???・・・・・・・良いのかなー?・・・・・・・・・・・・・・。
生きているのか生かされているのかここ10日ばかりの間に、身近の人間が3人の世を去った。一人は90歳、多くの家族に見守られながら息を引き取った。大往生と言えよう。本人も家族もまずは納得の行くものであったろう。今一人は60歳、やはり多くの家族に看取られながらこの世を去った。リンパ腺癌に冒され、片足を大腿部より切断、尚全身に転移し数年、見舞いに行ったとき彼はこう言った。「初めは、何故自分が!と悩みもしたし、苦しみもした。しかしそれで直るものならそれも良いが、そうでなければ、同居してゆくしかないと思い直した。宿り木は宿主を枯らすようなことはしないのがルールである。宿主が、宿り木に支配されて成るものか。たとえ支配できなくても、支配はされない。」妻にさえ、‘痛い”という言葉を聞かせずに逝ったという。小生には信じ難い精神力を思うと共に。想像を絶する病魔との葛藤を想像するのである。もう一人は54歳、趣味の鮎取りに行って水難にあった。まだ若い、家族には辛いだろうが、本人は好きなことをやっていて逝ったのだからと納得するしかないであろう。
 思うに、この世に生を受けたものは、いつかはこの世を去らなければならない。これは自明の理である。生物学的には、人間の場合128歳位と言われる。これが短いのか長いのかは本人のみ知ることであろう。ちなみに他の生物の生について知るところを次に記してみた。
カゲロウ:幼虫は水の中に数年間過ごし、地上に出て変態後の成虫は、子孫を残すために懸命に生きること1日から数日間で一生を終わる。
セミ:枯れ木の陰に生まれた卵が附加するのに50日〜300日、地中に潜り幼虫として数年間(ミンミンゼミは7年間と言われている)再び地上に出て変態し成虫となって子孫を残すために懸命に生きること1〜2週間これが一生である。
カメ:ウミガメで卵から孵化するのに45日〜70日、生殖年齢に達するのに50年、寿命はおよそ80年。長いもので百数十年。
ツル:長いもので80年。
 特徴有るものを上げてみた。いずれもインターネットや百科事典で調べたものである。他にゾウにしろ、ライオンにしろ、調べているうちに思ったのであるが、とにかく子孫を残すために一生懸命生きている。どうも人間はそうでなくなってきているようだ。自分のために生きる。自分だけ楽しければいい。いつか、年老いて、他人の世話にならなければ生きて行けなくなることに気付かずに。
イノシシ漂着する;夕方友人Y・T君が「近くの川の中州にイノシシが漂着した」との情報を持ってくる。イノシシとなると、二人で何とかしなければなるまい。何故なら、過去?年前より深い係わりがあるからである。ちなみに二人は、亥年の同級生。
 早速様子を見に行く。立派なイノシシであった。80キロ余の雄,膝上まで水に入り近付くと、かすかに腐敗臭がする。目を凝らすと、遠目に見えた胸と腹の直径20センチの白い斑点は何千匹かのウジと解った。一番いいのは担ぎ上げて穴を掘り、埋めてやる事であろうが、これでは重さと言い、状態と言い二人だけでは何ともならない。夜目も利かなくなってきた。明日には台風も来るという。自然に還るという意味ではそれも成り行きということで解散。
  8日;台風それる。雨もたいしたこともなく、夕方5時頃見に行くと、半身が白くなっていた。しばらく見ていると、ウジが盛り上がっては崩れ落ちる。思わずもののけ姫のイノシシの祟り神を思い浮かべた。腐敗臭も強くなった。(見たい人は)クリック)。Y・Tと相談。いずれにしろ二人でやるしかない。よそ人が来る所でもないので明日の夕方4時に片付けることにする。夜、妻と話しながら、もののけ姫を観る。正に現実であった。宮崎駿もどこかで観て描いたとしか思えない。
  9日;午前中に様子を見に行く。だいぶ小さくなった。よく観るとハヨが寄ってきている。水辺に落ちるウジを食べに来ているのだ。輪廻の世界がここにも有った。まわりに三度塩を蒔いて清め、岸から離すと静かに沈んでいった。残った汚れを何度も水を掛け洗い流した。本来土に返してやるべきだったのかもしれないが、場所が場所だけに大きく自然に帰るということで我慢してもらう。
  思えば、生というものを、エネルギとして捉えると、人も動物も形は違うけれど同じ生き物として捕らえることが出来る。さらには、自然界の目に見えるもの全てが、生きていることになる。花が咲き実がなり、落ちて芽が出て又花が咲く。草や木がそうであるように。人も又、生まれ、成長し、子をなし、老いて死ぬ。子は成長し次世代を生きる。どこに違いが有ろう。道端に転がる石さえも、何らかの意味があってそこにあると考えられないか?人は自らを、霊長類と呼ぶ。驕りはないのか?と思う。せめて、人として生まれたことに感謝し、精一杯生きよう、今日の一日が明日に繋がることを信じて・・・・・・・・・・・・。
平成12年7月
正直に生きる;