よくあるご質問; FAQ
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見学・説明をご希望の方は事前にご連絡ください。【随時受付】
1.市民農園になる前、この土地は何に使われていましたか。
五〇年以上前は水田で、少なくともこの二〇年来、自家消費用の野菜や果樹を無農薬栽培していました。
2. 除草剤等の農薬使用についてはいかがでしょうか。
上記のように無農薬栽培をしてきましたが、
市民農園の規定としては、農薬は当方が承認したものに限り使用できるとしておりますので、
今後、他の利用者が使われる可能性はあり、また防獣壁(土地境界)で使用する可能性もあります。
このため、特にご希望があれば、近隣県の有機JAS認証機関の無農薬栽培基準に基づき、
ご利用区画に隣接する慣行栽培区画および土地境界と最低1mの距離を設けさせていただきます(通常60cm以上)。
3. 灌漑用水はどうされていますか。
雨水を貯水しており、最大で2,400Lになります(参考:じょうろは5~10Lくらい)。
経験上十分と思われますが、状況を見て不足するようであれば、タンクを増設検討いたします。
右写真:雨水貯水槽(120L×20 = 2,400L)
4. 契約期間はいかほどでしょうか。
京都市との協定により、契約締結日から翌年3月31日までとなります。
5. 獣害対策はいかがでしょうか。
鹿やイノシシ等が出没するため、対策として、これまで防獣ネットなどで対策してきましたが、
2024年12月に防獣フェンス・扉を設置し、盗難対策も兼ねております。
なお、実際に損害があった場合については、当方では責任は負いかねますので、ご了承願います。
右写真:防獣フェンス
右写真:防獣扉
6. ご指導などいただけるでしょうか。
なかなかご指導といえるところまでいきませんが、
ご利用の際、お問い合わせいただければ、参考図書など紹介させていただきます。
7. ところで、日野とはどのような土地なのでしょうか。
日野は、かつて藤原氏の一族の日野氏の荘園で、近世は、醍醐地区と含めて醍醐寺の寺領であったと伝えられています。
近くの中学校の校門付近では昭和59年に「日野谷寺町遺跡」が発掘調査され、縄文時代の土坑・集石、奈良時代の土坑、
鎌倉時代の土坑・溝などの遺構と縄文土器及び奈良時代から室町時代までの土師器・須恵器などの遺物が確認されました。
地質は沖積層(黄褐色粘質土)で、大部分は水田、畑、茶園として利用されてきました。日野は京都へそれらを供給する郊外産地として機能していました。
8. そういえば洛東用水というものがあると聞きましたが。
琵琶湖疎水から取水する洛東用水は、昭和17〜22年に造られた灌漑用水路です。当時、食糧増産が必要にもかかわらず日野を含めた醍醐地区では干ばつに悩まされていたことが背景にあります。
昭和18年までに醍醐寺女人堂までがコンクリートで造られ、それ以降、そこから日野川までは素掘りとなりました。
このため日野では必要水量が確保できず、代わりに井戸水を使うことになりました。
昭和30年頃には日野は洛東用水の権利を放棄しましたが、コンクリート製で造られた醍醐寺以北の洛東用水は現在も使用されています。
現在、日野周辺では山際にあるため池(現在残っている池は江戸中期以前の造成でこちらから取水、2012年頃に埋め立てられた「新池」は江戸後期の造成)から取水し、
田に至る水路の主幹として、ごく一部が辛うじて残存していますが、ほとんどは自然に還ったか、宅地となっています。
右写真:日野に辛うじて残る元・洛東用水と思われる水路
《参考文献》
京都市立日野小学校 同 PTA/十周年記念誌/五、日野の自然 五年:p.15-20
京都市編/史料 京都の歴史16 伏見区/79 文久三年十二月 新築溜池一札之事:p.146-147
右写真:市民農園から小栗栖・大岩山方面の眺望
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